第1章 2話 黄金色の狐
あれから十五分ほど走り続け迷路区を抜けると、周囲の景色に緑が増え始めた。
この町は周囲を山に囲まれているため、今宙翔たちがいる場所はさっきまで走っていた大きな道を外れた木々が生い茂る山道だった。この辺りは町の人も滅多に訪れることは無く、例え人がいても山菜取りを楽しむお年寄りくらいだ。
そして宙翔はようやく目的の場所にたどり着いた。
そこは古い神社だった。鳥居の塗装はいたるところが剥がれており、賽銭箱も木材が朽ちてボロボロだった。
一目で人が訪れなくなってかなりの時間が経っていることがわかる。
以前に迷路区で迷ったとき偶然見つけた場所であり、隠れるのにはうってつけの場所だと思ったのだ。
宙翔は少女の手を引いて境内に入っていく。鳥居をくぐった先、参道の両脇に崩れかかっているが狐の像があった。どうやらここは稲荷神社のようだ。
参道を進み本堂に入ろうとしたが、宙翔は入るのをやめた。
いくら今は管理されていないとはいえ、中には神様が祀られているのだ。追われていて身を隠す必要があるとはいえ、無遠慮に入るのはためらわれた。
宙翔は賽銭箱の裏に隠れることにする。二人で隠れる分には十分な大きさだ。
(少しの間ですが、ここで休ませてください)
宙翔は心の中でここに祀られているだろう神様にお願いすると、少女と共に賽銭箱の裏に身を潜める。
賽銭箱の後ろから道の方を覗いてみるが、今のところ追っ手の姿はなかった。
一緒に逃げて来た少女の方に視線を移すと、賽銭箱に体を預け、肩で荒く息をしていた。
かなり疲れているように見える。入り組んだ道を走ったため、走った時間のわりに体力の消耗が激しいのだ。女の子である少女にはなおのことである。
追っ手はうまく撒けたようだが、またいつ見つかるかわからないため油断はできない。しばらく休んだらすぐ移動した方がいいだろう。
宙翔は体を休めつつこの後どうするか考えを巡らせる。この町には治安維持のためレームル王国から派遣された精霊使いが二名常駐している。普通に考えればそこに行って相談するのが一番なのだが、ここから精霊使いがいる場所まではいささか距離がある。
追っ手が先ほどの五名だけとは限らないため、無事にたどり着けるかは微妙なところだ。
他にいいところはないかと考えてみるが、走って疲れたため宙翔の頭はうまく回ってくれず全然いい考えが思い浮かばなかった。
「あ、あの、先ほどは助けていただいてありがとうございます」
少女はわざわざ体を宙翔に向けて深々と頭を下げた。
「いや、お礼なんて・・・・・・それよりも体の方は大丈夫?」
「怪我などはないのですが、あんなに走ったのは生まれて初めてだったからかなり疲れてしまって。実は足もパンパンなんですよ」
足をさすり、はにかみながら笑う少女に宙翔の胸は脈打ち頬が赤くなってしまう。
「あ! すみません。助けていただいたのに自己紹介がまだでしたよね」
そういうと少女は座ったまま姿勢を正した。
「私はシャルロット・シールーダと言います。親しい人からはシャルと呼ばれているのでぜひそう呼んでください」
「俺は空閑宙翔。よろしくねシャル」
屈託のない笑顔で自己紹介するシャルロットと握手を交わす宙翔。
「なんで追われていたのか聞いてもいいかな?」
宙翔は握手を交わした後、気になっていたことを口にした。こんな可愛らしい女の子が、あんな強面な男たちに追われている理由が想像できなかったのだ。
「実は私、精霊教会のシスターで布教のために各地を旅していたんです」
「精霊教会のシスター?」
少し悲しげな表情で事の経緯を話し始めるシャルロットだが、聞きなれない言葉に宙翔は首をかしげた。
「精霊教会っていうのは、道具扱いされがちな精霊を神聖視し尊びましょうっていうところなんです」
シャルロットは宙翔の疑問についてわかりやすく教えた。
「精霊使いの方々は精霊を自らの武器として戦うので、精霊は道具として存在を軽んじられているのです。精霊の中には私たちを守るだけでなく、人と同じように考え感じる心を持つものもいるっていうのに。だから私たちはそんな精霊たちを敬い尊ぶことを教えているのです」
精霊の実状については宙翔も知っており憤りを感じていたが、そんな教えを説いているところがあるとは思わなかった。
「この教えを布教していこうとジャネル司教様とシスター・リエナ、そして私の三人で各地を巡っていたのです。そして、この古都国に訪れた時に先ほどの黒服の人たちに襲われたんです」
「それでそのジャネルさんとリエナさんっていう人は?」
宙翔が質問を投げかけるとシャルロットの顔が少し曇った。
「私を逃がそうとしてくれて・・・・・・その後どうなったかまでは・・・・・・」
「そうだったんだ・・・・・・何か狙われたことについて心当たりはある?」
宙翔の問いにシャルロットは首を振った。
「もう、私どうしたらいいのかわからなくて・・・・・・」
シャルロットは膝を抱えて頭をうずめる。一緒に旅を続けてきた人たちが心配で探したい気持ちもあるが、わけのわからない連中に追われ頼る人もいない。落ち込んでしまうのは当然のことだ。
「なら俺がなんとかするよ」
宙翔の言葉にシャルロットは顔を上げた。
「シャルと一緒に来たっていう二人を探して、あの黒服の奴らを追い返すよ」
宙翔はそう笑顔で言った。
顔を上げたシャルロットの顔はうれしさというよりも驚きに満ちていた。
なぜなら宙翔があまりにも自然に、そして当たり前のことのように言ったからだ。
「どうして・・・・・・見ず知らずの私にそこまでしてくれるんですか?」
宙翔からすればシャルロットは先ほど出会ったばかりの他人で、そこまでする義理はないはずだ。
「困ってる人がいたら助けるなんて当たり前のことだろ。目の前で困っている人がいて、何もしないなんてこと俺にはできないからさ。それに・・・・・・」
宙翔はそう言って右手を強く握りしめた。
「もうあんな思いは二度としたくないから」
宙翔はささやいた。その声は小さかったが確かにシャルロットに聞こえていた。
一緒に逃げてくれた時にかけてくれた言葉、そして先ほどのしぐさやつぶやきから後悔や自責の念、そして固い決意をシャルロットは宙翔から感じた。
「だから心配しなくても大丈夫! 必ず助けるから!」
宙翔が励ましの意を込めて言うと、シャルロットは両手を胸の前で組んで両目をつむっていた。
「あなたに心からの感謝を」
その姿はとてもきれいで、神聖なものに見えた。宙翔の目にはシスターというよりも女神や天使のように見えた。
「さ、さてそろそろ行こうか」
宙翔はこの雰囲気がなんだか恥ずかしくなり、立ち上がって場所を移動しようとする。
「見つけたぞ!」
宙翔は驚き、声のする方を見る。そこには先ほど最後まで追いかけて来た男がいた。
そしてその男が右手で突き付けてきたものに宙翔は背筋が凍りついた。
「シャルこっち!!」
宙翔は急いでシャルロットの手を取ると、勢いよく横に飛ぶ。
その瞬間、先ほどまで宙翔たちがいた賽銭箱が爆発した。宙翔たちは間一髪で避けて無傷だった。
男の方を見ると舌打ちをしていた。シャルロットも男の方を見て目を見開く。
「それ、疑似霊具じゃないですか!? それは本来精霊使いの方々が使うもののはずです!」
男が右手に持っている物を指さして言う。
男が宙翔たちに突き付けてきたのは、練度の低い精霊使いがメインの武器として、そして練度の高い精霊使いも補助として持っている武器である銃型の疑似霊具だった。
「スゲーだろ。俺みたいな精霊使いの適正が低い奴でもこうして使えるんだからな!」
男はそう言うと再び宙翔たちに銃口を向ける。
宙翔はその射線から逃れようとシャルロットの手を取り走る。
男が引き金に指をかけると疑似霊具に淡い小さい光が集まっていく。そして引き金を引くと銃口から光弾が発射される。
光弾が二人にあたることは無かったが、着弾した地面が軽くえぐれていた。
「本当に周りの微精霊から霊力を得て撃ってるんだな」
「感心してる場合ですか!?」
知識として知っているだけだった疑似霊具の仕組みをこうして目の当たりにして、宙翔は思わず思っていたことを口にするがシャルロットに呆れられてしまう。
そう言っている間に男は次々と光弾を発射する。
宙翔たちは射線から逃れようと境内の中を走り回っていた。
光弾は宙翔たちに当たることはなく、全て足元ぎりぎりに着弾していた。
男が宙翔たちに当たらないぎりぎりを狙って撃っていることは明らかだった。
「逃げた女を捕まえるだけの簡単な仕事のはずだったのによ~ 余計な手間かけさせやがって。少しはストレス発散させてもらうぜ!」
男の言葉を聞いて宙翔は確信した。自分たちは遊ばれているのだと。
「やっと追いついたぞ・・・・・・ってザックお前何やってんだよ!?」
ここに来る前に連絡をつけていたのか、先ほどシャルロットを追いかけていた他の四人の男たちも神社に来たようだった。
しかし、現場の光景を目の当たりにして声を荒げていた。
「ボスから生かして連れて帰るように命令されたろうが!」
後から来た男が疑似霊具持ちの男ザックの胸ぐらをつかもうとするが、ザックはその手をひらりと躱し肩をすくめた。
「いいだろこれくらい。ストレス発散してんだよ。それに・・・・・・」
ザックは口元を歪ませて笑った。
「別に体がどうなろうが生きてれば問題ないだろ」
ザックの言葉を聞いて男は呆れたといわんばかりにため息をついた。
「もう好きにしろ。後でどうなっても俺は知らないからな」
宙翔の頭の中に警鐘が鳴り響いた。宙翔は自分の認識の甘さを悔いた。この男たちは宙翔が思っていた以上に危険な人物だった。
助けも呼べないこの状況では二人とも無事に逃げ切れるとは思えなかった。
しかし言い争いをし、銃撃が止んでいる今がチャンスでもある。
「俺があの男の注意を引くから、シャルはその隙に逃げて。サクラ亭のメリダさんっていう人を訪ねれば何とかしてくれると思うから」
宙翔が意を決して言うとシャルロットの表情が驚きに染まり、首を激しく横に振った。
「それはいけません! そんなことをしたら宙翔さんが危険な目にあってしまいます。さっき言ってくれたじゃないですか、この手を離さないって」
シャルロットの瞳が心配と不安で揺れていた。
そんなシャルロットの肩に宙翔は優しく手を置いて微笑んだ。
「確かにね。でもこうも言ったよね。必ず助けるって」
そう言うと宙翔は地面を力強く蹴って走り出した。
宙翔のいきなりの行動にザックは意表を突かれたようで驚いた表情を浮かべていたが、すぐに宙翔の行動をあざ笑うような表情を見せ銃口を向ける。
銃口を向けられて怖くないはずがない。ザックたちの言葉から宙翔は容赦なく殺されるだろうことは容易に想像できる。死ぬことが怖いことは当たり前だ。
しかしそれよりも、目の前で守りたい、助けたいと思ったものを失うことの方が怖く、宙翔には耐えられなかったのだ。
そしてザックは疑似霊具の引き金を引き、光弾が発射される。
宙翔は光弾が自分を貫くことを覚悟する。
宙翔に命中する直前、突然光弾が爆ぜた。爆風で土煙が舞い、宙翔は吹き飛ばされないように踏ん張って耐える。
爆風が収まり土煙が晴れるが、予想外の出来事に宙翔をはじめザックたちも困惑した。
「妾の社をこんな風にしたのはぬしらか?」
鈴音のような凛とした声が響いた。きれいな声だがどこか異質で不思議な声だった。
宙翔の目の前にいるザックたちは驚きに表情を硬め上の方を見ている。宙翔はザックたちの視線を追うように振り返る。すなわち声がした方へと。
振り返った瞬間、宙翔は目の前の光景に自分の目を疑った。
幼い女の子が宙に浮いていたのだ。
中空にたたずむその幼女は紅蓮を思わせる赤色の着物を纏い、彼女の風になびく髪は秋の夕暮れにきらめくすすきの穂のような黄金色をしていた。
そして驚くべきことにその頭にはピンととんがった三角の狐耳と、背後にはふさふさの尻尾が優雅に揺れていた。
人間とは次元の違う存在感を放っていた。そう彼女は精霊だった。
しかもただの精霊ではない。彼女は「妾の社」と言っていた。ということは彼女はこの神社に祀られている精霊。つまり人々の信仰の対象である神性を持つ精霊。
精霊の中でもかなり上位の存在であるといえる。幼き少女の放つ圧倒的なプレッシャーからもそれは明らかだった。
宙翔は目の前にいる精霊の姿に目を奪われ呆然と見つめていた。正確には精霊が放つその存在感に身動きが出来ずにいた。
「そのまがい物の霊具を持ったおぬしがこれをやったのかと聞いておるのじゃ」
精霊の鋭い視線を向けられたザックは一瞬気おされたようだったが、すぐに疑似霊具の銃口を空中に浮かぶ精霊に向ける。
「だったらどうするんだ?」
「おぬしにはそれ相応の報いを受けてもらおうかの」
そういうと精霊は右手をザックの方に突き出す。
「そう言われて、はいそうですかっていう馬鹿はいねぇんだよ!」
ザックは先手必勝と言わんばかりに、疑似霊具の引き金を引き光弾を発射する。
精霊は突き出した右手を握るとその手に抜身の小太刀が出現した。
そして眼前に迫る光弾を斬り伏せてしまった。
今起きた出来事にザックは唖然としていた。
「そんなまがい物で妾に敵うと思うたか? 思い上がるな人の子よ」
今度は精霊が左手をザックに向けて突き出すと、手のひらに火球を作り出す。
それをザックに向けて打ち出した。火球が着弾すると勢いよく土煙が舞う。
土煙が晴れるとそこにザックたちの姿はなかった。
「どうやら、当たる前に逃げたようじゃな。さてこれからどうしたものかの・・・・・・」
精霊はそう呟くと宙翔の方を見つめる。
決してにらんでいるわけではないのに、見つめられるだけで圧迫感に似た緊張を宙翔は感じていた。宙翔はごくりと生唾を飲み込む。
数秒の沈黙が続いた後、キュルキュルキュルと間の抜けた音が聞こえた。まるでそれはおなかの音のようだった。
宙翔がそう感じた瞬間、空中にいた精霊が突然真っ逆さまに落ちて来た。
宙翔はあわてて駆け出し、精霊を受け止める。
顔を覗き込むと精霊は目を回していた。
「腹が・・・・・・減ったのじゃ」
その間の抜けた言葉に宙翔はがっくりと首を落とした。
さっきまでのプレッシャーがまるで嘘のようだ。
「宙翔さーん、大丈夫ですか?」
声のする方を振り返ると、逃げていなかったのかシャルロットが宙翔に向けて心配そうに走ってきてくれていた。
とりあえず全員無事のようだ。
誰も傷つかず、そして失わずに済んだ。とりあえずそのことに安堵する宙翔であった。