第1章 1話 金髪のシスター
「父さん! 母さん!」
気がつくとそこは真っ赤に燃え上がる家ではなく、真っ白なベッドの上だった。
「またあの夢か・・・・・・」
宙翔にとって最悪の目覚めだった。息は荒くなり寝間着も汗でぐっしょりと濡れていた。
昨夜は早めに就寝したはずだったが、悪夢による疲労感に宙翔は嘆息した。しかし、いつまでも寝転がっている訳にはいかず宙翔はベッドから出る。
部屋の東側に備え付けられた窓を開けると朝日が部屋に差し込み、冷たい風が汗で濡れてまとわりついた不快感をいくらか和らげてくれる。
「あの日から七年か・・・・・・」
宙翔は二階の窓から見える景色を見て、ため息とともに思わずつぶやく。かつて宙翔が十年間住んでいた家が燃え家族を奪っていった、あの戦争が終結してから七年が経っていた。
七年前、宙翔が住んでいる古都国は、レームル王国とベルトル帝国間で起きていた戦争の戦火にあった。両国は精霊の力を操る精霊使いを戦地に送り死闘を繰り広げていた。力のある精霊使いともなれば一騎当千の力を持ち、戦場になったところは地形が変わるほどの激しい戦いが行われていたという。
それは古都国も例外ではなかった。古都国は小さな国ではあったがレームル王国領とベルトル帝国領の間にあったため激しい戦闘に巻き込まれた。当時宙翔の住んでいた藤ヶ崎という小さな町もレームル王国の精霊使いとベルトル帝国の精霊使いの戦いにより焼かれてしまった。
当初は一個人ごとの戦闘力で勝っていたベルトル帝国が優勢であった。しかし最終的には多くの同盟国の力を得て、圧倒的な物量の差でレームル王国側が勝利し、平和が訪れた。
その後古都国は、レームル王国と同盟を結ぶことで王国から復興支援を得ることができた。
それにより古都国はレームル王国領・古都国となった。そして七年という月日が経ち、古都国に様々な変化が起きた。
例えば地名。現在宙翔が住んでいる町は元々《桜木町》という名前なのだが、レームル王国領となった後は《サクラギ》と表記されるようになった。
他にも街並みは昔からある古都国ならではの木造平屋の建物と、レームル王国式の石造りの建物が混在するようになった。
道を行く人の服装もレームル王国から入ったシャツやズボン、スカートなどを着る人が増えた。宙翔も今では古都国の着物よりもレームル王国から入った服を着ることの方が多くなり、寝室も王国式で、板張りの床にベッドが一つと、木目調の机や棚が並んでいる。
異なる文化が混じる街並みを見て宙翔はこの七年間に思いをはせた。そして新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、先ほどの暗く辛い気持ちを切り替える。
宙翔は汗を吸い込んだ寝間着から着替え、身なりを整えると部屋を出て下の階に降りる。
「あら、おはよう宙翔くん」
階段を降りきったところで宙翔はこの七年間ですっかり聞きなれた女性の声を聞いた。
「おはようございます。メリダさん」
宙翔は笑顔であいさつをしてくれる女性、メリダ・コナーにあいさつを返す。メリダは七年前、古都国の復興の際にレームル王国から来て、家をなくした人たちのために安価で宿屋《サクラ亭》を開いたのだ。
ちなみに宿の名前の由来は、メリダが古都国を訪れた際に古都国原産の花である桜、特にサクラギの桜を見て、きれいなピンク色と可愛らしい見た目を大変気に入ったからだ。
メリダは戦争が終わって七年が経った今でも当時と変わらない値段で宿を提供しており、町の人に愛されている。
そんな彼女は身寄りのなかった宙翔を拾って住み込みで働かしてくれる、彼にとって恩人なのだ。
「宙翔くん起きてそうそう悪いんだけど、厨房に入ってお客さんの朝ごはんの準備いいかしら?」
「もちろんですよ」
宙翔は腕まくりをして宿の奥にある厨房に入る。
「宙翔おはよ!」
厨房に入ると今度はエプロン姿の若い女の子が宙翔を出迎えた。
「おう、リンカ」
彼女の名前はリンカ・コナーでメリダの娘だ。七年前にメリダと一緒に古都国にやってきて、歳は宙翔と同じで十七歳。
リンカは宿泊客用に朝食の準備をしているところだった。ちょうどサンドイッチを作っているところだ。
「五番テーブル用の朝食ができてるから持って行ってくれる?」
「あいよ」
宙翔はサンドイッチとスープ、サラダをのせたトレーを運ぶ。
厨房から食堂に出ると、向かって右側奥に宿屋の出入り口がある。出入り口を直進すると二階の客室に向かうための階段が備え付けてある。そして階段のすぐ脇に受付カウンターがある。
出入り口と階段をつなぐ廊下と食堂は、壁で隔たれてはおらず廊下の真ん中くらいまでを腰くらいの高さの木製の柵で仕切られている。
そして食堂スペースは部屋奥に四人掛けのテーブルが四つと左側に三つ並んでおり、L字に配置されている。そして部屋の真ん中に縦になるように八人掛けの長テーブルが配置されている。
宙翔が五番テーブルに朝食を運ぶころには、まばらだった食堂に次々とお客さんが入り始めた。それから宙翔はあわただしく厨房と食堂を行ったり来たりして、お客さんに朝食を配膳する。
一時間半が経ち九時になると朝食ラッシュがひと段落して、ようやくメリダやリンカと共に三人で朝食をとることができる。
「宙翔、今朝ちょっと顔色が悪かったけど大丈夫?」
朝食の席でリンカが心配そうに宙翔の顔を覗き込む。
「そうなの? 宙翔くん具合が悪いようだったら休んでもいいのよ」
メリダも眉尻を下げ心配そうな表情を宙翔に向ける。
「いえ、大丈夫ですよ。ちょっと寝覚めが悪かっただけですから」
宙翔はあわてて首を振り、力こぶを作って笑って見せる。些細な顔色の変化を感じ取って心配をしてくれる二人にはとても感謝しているが、こんなにもよくしてもらっているのだ、これ以上迷惑はかけられないというのが宙翔の偽らざる本心だった。
「そう、ならいいんだけど」
「あまり無理しちゃだめよ」
「はい、ありがとうございます。リンカもありがとう」
リンカは当然でしょといった顔でサンドイッチを頬張り、メリダは宙翔の言葉を聞いてにっこり笑っている。
異国の地で宿を構え、家族のように迎えてくれている二人に宙翔は感謝の気持ちでいっぱいになった。
宙翔はその感謝をサンドイッチと一緒にかみしめた。
***
昼すぎ、宙翔が客室の掃除をしているとメリダに声をかけられた。
「宙翔くん、夕食の買い出しを頼めるかしら?」
「いいですよ。でも昨日買い出しに行ったばかりですよね?」
宙翔はメリダからの急なお願いに少し首をかしげた。
いつもは三日に一回買い出しに行けば十分に食材は足りるはずなのにおかしいと思ったのだ。宙翔が今朝確認した宿泊人名簿の人数を見る限り、食材にはまだ余裕がありそうな感じだったのだが。
「実はさっき急に団体さんが入られてね」
メリダの言葉に宙翔は納得した。
「リンカがメモを書いてくれたから、これを見て買ってきてくれる?」
メリダは、懐からリンカが今晩の夕食で使う材料をリストアップしたメモと、材料代が入った袋を取り出した。今夜の不足分を急いでそろえてほしいということなので、買ってくる量としてはそれほど多くなさそうだった。宙翔はそれを受け取ってポケットの中にしまう。
「じゃあ、さっそくお願いね」
「わかりました。これ片付けて行ってきますね」
宙翔はさっきまで掃除で使っていた道具を片付けて買い出しに向かった。
サクラ亭から西に少し行ったところに市場があって、宙翔はいつもそこに買い出しに行っている。レームル王国と同盟を結んでから物流が盛んになり、いろいろな食材や雑貨を買うことができるからかなり重宝しているのだ。
宙翔はさっそく市場の中に入る。真ん中にメインストリートがあり、両側に店が並んでいる。肉や野菜をはじめとした食材から串焼きなどの軽食、アクセサリーなどの雑貨など多種多様なものが売られており、この市場に来れば大抵の物はそろえることができる。
ポケットからメモを取り出し何を買うのか確認する。比較的安価で手に入るウサギと鹿の肉、葉野菜と根菜、そしてスパイスが数種類。
以前まではメリダが宿泊客用に提供する料理を作っていたが、リンカが包丁や火を危なげなく扱えるようになってからは、リンカが台所に立ち腕を振るっている。
最近はスパイスにこだわっているようで、一品で数十種類使うこともある。それが宿泊客にも好評でリンカも気合を入れて料理を作っているのだ。
宙翔はいろんな出店を回って食材を買いそろえていく。調達する材料は品目のわりに量は少ないので、両手がふさがることもなく比較的楽に買い物ができている。
そんな中、市場の真ん中あたりにある出店で売られている物に宙翔の目が留まった。
そこはおにぎりやつくねといった、古都国由来の軽食や食べ歩き用の食べ物を売っている店だ。
その中で宙翔が気になったのはいなり寿司だ。いなり寿司は、昔母がよく作ってくれた宙翔の好物で、酢飯と甘い油揚げの抜群の組み合わせがお気に入りの理由だ。
メリダのところに世話になるようになってから食べる機会がめっきり減り、市場でも見かける機会もあまりないため、久しぶりに食べたくなったのだ。
宿屋の手伝いをしてメリダからもらっている給料にも余裕があるため、買っていくことにする。
「おばさん、このいなり寿司ください」
「はいよ、いくつにするんだい?」
このお店はいなり寿司をばら売りしていた。せっかくなので普段お世話になっているメリダやリンカの分も買って帰ることにする。数的には一人二個あれば十分だろう。
「六個ください」
宙翔はポケットから自分用の財布を取り出し代金を取り出す。
「はい、六個ね」
出店のおばさんがいなり寿司を包んで渡してくれる。
「ありがとうございます」
市場での買い出しも終了したのでサクラ亭に戻ろうとする。
宙翔が出店から離れようとした時、後ろの方からせわしなく走る音が聞こえてきた。宙翔は不思議に思って後ろを振り向く。
「わっふ!?」
「きゃっ!?」
いきなり何かが宙翔にぶつかってきた。思わず抱き留めるが、細く柔らかい感触にぶつかってきたことよりそちらの方に驚いてしまう。
腕の中を見ると、変わった出で立ちの少女がいた。宙翔と同じくらいの年齢だろうか。白い帽子のようなものに黒いベールを被り、白い襟のついたゆったりめの黒いローブを纏っていた。この辺りではあまり見かけない変わった服装だ。
「いててて、ぶつかって申し訳ございません」
上目遣いで謝る少女に宙翔は目を奪われた。宙翔の瞳が彼女の絹を思わせる綺麗な艶のある金色の髪と、こぼれそうなほどつぶらな深く蒼い瞳に吸い込まれる。
「大丈夫ですか!? もしかしてどこか怪我でもされましたか?」
宙翔が見惚れて何も言えなくなってしまったため、彼女が心配そうな顔で宙翔の体をきょろきょろ見ながら言う。
「いや、俺は大丈夫だけど君の方は?」
宙翔はあわてて首を振って答える。
「私の方も大丈夫です」
笑顔で答えてくれる彼女に宙翔はドキリとしてしまう。
「おい! 見つけたぞ!!」
宙翔と少女が互いに怪我がないことを確認しあっていたところ、少女が走って来ただろう方向から叫び声が聞こえてきた。
宙翔と少女が振り向くと、黒服の男たちが鬼の形相でこちらに向かって走ってきているところだった。
どうやらあの男たちはこの少女を追ってきているようだ。
「すみません、私はこれで・・・・・・」
少女は急いでその場を後にしようとする。
彼女の服装を見る限りこの辺の住人ではないはずだ。土地勘がないであろう彼女があの強面の男たちから逃げ切れるとは宙翔には到底思えなかった。
そう思ってからの宙翔の行動に迷いはなかった。
「こっち」
「え!?」
宙翔は右手を伸ばし少女の左手を取ると走り出していた。
「おい! 待て」
男たちが声を張り上げて追いかけてくる。宙翔は振り返って男たちの人数を確認する。どうやら五人組のようだった。他に仲間がいるかもしれないが、とりあえず五人なら何とか撒けそうな人数だ。
「あっあの、私のことはどうか置いていってください。でないとあなたまで危険な目に」
その言葉と共に少女が手の力を抜き、宙翔の手から離れようとする。
するりと抜けそうになる少女の手を宙翔は強く握りなおした。
「悪いけど、君を置いていくつもりはないよ」
そう言って振り返ると、少女は心底不安そうな表情をしていた。
「一度助けるって伸ばして掴んだ手は、絶対に離さないって決めてるから」
宙翔は精一杯の笑顔を少女に向ける。
少女は宙翔の言葉に驚き両目を見開いていた。そして、意を決したような表情になり、宙翔の手を強く握り返した。そんな少女に宙翔は強く頷いた。
走り続ける宙翔たちは、市場を抜けるとそのまま住宅街に入る。
戦後更地に近かったこの場所は、一刻でも早く家を失った人たちに住む場所を確保しようとする王国の政策により、急速な土地開発が行われ住宅が乱立していった。
その結果この住宅街は、地元民から《迷路区》と呼ばれるほど住宅が密集し道が複雑な場所になった。ここなら道がかなり入り組んでいるため、追っ手を容易に撒けるというのが宙翔の算段だ。宙翔も始めて来た頃はよく迷ったものだが、七年も経った今では特に迷うこともなく目的の場所まで抜けられる。
宙翔たちは細い道を右へ左へと曲がって追っ手を振り切ろうとする。五人中四人は撒けたようだが、一人予想以上に追跡能力が高い男がおり、なかなか振り切れずにいた。
手をつないでいる少女の方を見るとかなり息が上がって苦しそうだ。体力的にそろそろ厳しそうな感じだ。
宙翔は、近くで身を隠せそうな場所がないか脳内で地図を広げる。するとうってつけの場所に心当たりがあった。目指すはここから南東の方角だ。
しかし、身を隠そうにもこう距離が詰まっていれば、意味がない。少し遠回りになるがすこし行った先にもっと入り組んだ道があるエリアがあるので、そこを使う必要がありそうだった。
「もう少し走れそう?」
後ろの少女に問いかけると、苦しそうだが首を縦に振って答えてくれる。
彼女の返答に宙翔は頷くと、二人はさらに入り組んだ道に入っていった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次話以降は来週の日曜日のお昼頃更新予定ですので、それまでしばしお待ちください。