全知全能へ告ぐ。
第三者の彼は、彼はそう言った、と言うだけならまだしも、彼はそう思った、とまで断定した。私はそれに憤慨してならない。
自分語りをする方々は嫌われる風潮にあるように思える(経験則)。しかしながら、私個人の意見としては、その行為には決して反対でない。好きか嫌いかを聞かれれば、大いに嫌いの側に傾くけれども、一応の受容をする立場には立たせてもらいたい。自分のことを自分で語る分には、聞き手の心境はどうあれど、そういった行為自体に何らの問題はないだろう、と私は思う。そんな些事より遥かに愚かな愚行が蔓延している。
他人の意見を代弁する奴が嫌いである。いま私の前にいる第三者の彼が、彼は喜んだ、と当事者の思考を決定づけたのだけれど、その決定には一切の根拠がない。彼はどの目線で第三者を自称しているのだろうか。客観の本来的義務は、写実的状況描写ではなかったのか。彼が追求すべき本分とは、下界で起こる形而下の出来事のみを切り取ることではなかったのか。私は彼へ試しに石を投げてみた。
「彼はそう言ったーー痛っ!?」
全知全能失格である。