魔王「その剣、ちょーだい」8
遠くでまた映像靄が一つ砕けた。
その音は少しずつ近まり、そして割れるまでの感覚も短くなってきている。
映像靄に写る母は、誰かと楽しそうに話をしている。
音声が無い為、何を話しているかは分からない。
(一体誰と話してるんだろうか)
映像は少し右にずれて、母の前にいる人物を映し出した。
「あっ……」
思わず声が出た。
だって、それはそこにいるはずのない人物だったのだ。
いや、正確に言えば、母と仲良く話などするはずのない……
それは、諸悪の根源。この世界に魔物を放ち、混沌をもたらしたもの。
そして、さっきまで私の友人だった。
(魔王……様?)
魔王様はさっきまで私と居た時のような幼い姿をしていた。
母の袖を掴んで、楽しそうに何かを話している。
魔王様の言ったことが可笑しかったのか、母はお腹を抱えて笑った。
(そんな……母は魔王様に殺されて……だから、私は……)
閉鎖時空に閉じ込められる前と、その直後。
私は彼女を如何にして殺すか、ただそれだけを考えていた。
しかし、閉鎖時空の中で彼女の人柄やその在り方に触れる内に、ある疑問を抱いた。
――果たしてこの女は、母を殺したのか、と。
そして、本当に彼女が災厄をもたらすと言われる魔王なのか、と。
私に母と過ごした記憶は一つもない。
私が生まれてから、物心付かない内に魔王討伐の旅に出てしまった。
そして、母が死んだと聞いた時、私はまだ7歳だった。
私が教えられたのは、母が魔王討伐に失敗し、そして魔王に無残にも殺されてしまったということ。
でも、それが果たして真実であったのかどうか、最近の私にはすっかり分からなくなってしまっていた。
けれど昨日の夜、魔王様のおもちゃ箱から出てきた母の短剣を見つけたとき、私は感情の歯止めが効かなくなってしまった。
母の短剣。
父が撮った写真に写る旅立つ前の母は、肩に背負っている片手剣の他に、この紋章術を施した短剣を腰のショルダーに装着していた。
父によれば、何でもそれは”勇者の証”らしかった。
その柄に付けられた赤い水晶石と、その周りになぞられた紋章文がとても艶やかで美しい。
何でも、勇者はこの短剣を先代の勇者から受け継ぐことで、真に勇者としての身分を得るんだとか。
今のところ歴代の勇者でこの短剣を持たなかった者は――私だけだ。
それも、今は手にしているが……
「調停者……これはどういうこと?――どうして母と魔王様が仲良く話してるのよ」
「さあてね……それよりも、ここからが良いところなんだから、見逃し厳禁ですよ」
調停者はそう言って、クスクスと笑う。
その嫌味な感じに、私は腹を立てつつも、映像からは目を離さなかった。
映像の中で、母は誰かに耳打ちをされていた。
その相手の顔は良く見えない。恐らく母の仲間の誰かだろう。
それを聞き終えた後、母が魔王様に何かを告げると、魔王様は泣きそうな顔になった。
――どうやら、別れの時らしい。
魔王様は、母との別れを嫌がっているのか、母の袖を握って放そうとしない。
(やっぱり昔の魔王様はあんな感じだったんだなぁ……)
それは、私の良く知る彼女の姿に見えた。
我が儘で、融通が利かない。何でも自分の思い通りでないと気が済まないのだ。
母は魔王様の頭を撫でると、腰から短剣を取り外し、魔王様に手渡した。
魔王様は一瞬きょとんとした表情になったが、すぐに喜びで顔を輝かせた。
「え、ちょっと待って。もしかして、短剣を魔王様にあげちゃったってこと?」
「うふふ、さてどうかしらね」
調停者はそう言うと、水晶玉を映像靄から引き抜いた。
すると、大喜びしていた魔王様は、ぐにゃりと歪み、消えた。
そして、映像靄はその役目を終えたとでも言うように、その場で急激に質量を得た黒い塊に変化すると、床にゆっくりと自由落下を始める。
次の瞬間には床とぶつかって、映像靄は四方八方に細かく飛散した。
「まあこれだけは言えますね。貴女、短剣は魔王が貴女の母親から殺して奪ったと思ったのでしょう?……それは大きな間違いですよ」
調停者の声が耳に入ってくる。
しかし、私は既にとんだ思い違いをした自分に気付いており、脳内では軽い混乱が生じつつあった。
(魔王様と母はどうして……殺し合わないといけない二人が……じゃあ、誰が母を?)
「まあ、詳しいことは――この後直接本人に聞かれるのがよろしいかと」
調停者はそう言うと、私に剣を向けた。
魔王「その剣、ちょーだい」8 -終-