第1話「魔王ルーシェ」
天を衝く程高い白亜の城が聳え立ち、その周りの広間に観衆が響き立っている。
種族は多種多様で、エルフやドワーフ、ヴァンパイアや将又マーメイドと言った、稀少価値がある種族までもいた。
そして何故、あらゆる種族達、国民は密集しているのか。それは『魔王』による国内放送だった。
話は変わるが、人間界と魔界は互いに対立関係にある。主な理由は様々で、人間界側からの主張の例を挙げれば、獣人、謂わば亜人を奴隷労働する事が目的で利益を上げる為だった。
それを魔界側、魔王の慈悲により一刻も早く廃止せよとの事。当然人間界側はそれを拒否。その結果、暗黙の了解となっていた互いの不干渉が決裂しだし、縺れ合う状態までに至ったのだ。
その事を解決しようと行動に出たのが、国内放送による草案の発表だ。勿論、管轄区域に収められている獣人達は、察せない程までの馬鹿では無かった。
人間が見せる笑顔、憤り、悲しみ、それ等の表情さえ憎々しく心の凪が揺らぎ、絶対的な悪としての概念が粘り強く付いていたので魔王の行動力には高く好評であった。
無様にやられ放題で良いのか、迫害を受け散った子供達の復讐は無いのか、その事を皆々が思い馳せ、団結力を高め合おうと意思を込めていた。
しかし、それは国民達の価値観に過ぎない。人間界から必死に逃げ延び行き着いた楽園こそ、魔王城が管轄内に治める繁華街な風景の街並みだったので、待遇が良過ぎる魔王に信頼と温情が厚くなるのは当たり前。
技術もそれ程無く、脳筋な頭脳なだけに頼りにならない自分達を受け入れた魔王に感服せざる得なかった。その畏敬を通り越し、崇拝者が続出してしまうのは想定外だったと言えるが。
兎に角だが、国民達は迫害を受けた原因で増悪が生み出しており、迫害を受けた事すらない魔王に増悪などある訳無い。
ただ自分達の価値観を魔王に押し付けてしまい、慈悲による失態と言っても過言では無い発言だと魔王は後悔する。
そして後悔後、その魔王と言えば、
「うっわ...。めっちゃ人いるじゃんよ。やべぇやべぇよ...」
焦燥に満ちた表情で、魔王城一角にある特室のインテリアルームで眺望を見渡していた。後、凡そ三十分程で舞台上に行き、公演を行う予定がある事は承知の上だったのだが、
「何であんな尊敬に満ちた表情で待ち侘びてんだよ...。ほんと、憂鬱になりそう...」
深い溜息を吐き、肩を落とす。本音を漏らすと、尊敬される人物では相応しく無いと自負しており、逆に侮蔑的な対象とされる人物だと確信している。
何故なら、堕落した人生を送っているから。寝室に広がる食物の残滓、昼夜逆転生活を毎日送る惰性心。
容姿に似合わず、まるで親のすねをかじるニートが今の現状。
艶があり肩まで掛かる白髪、中性的で凛々しくも幼い顔立ち、縮瞳する紅い瞳孔が光沢に煌めき、白く透き通る睫毛。それと同時に、才色兼備、容姿端麗、博学多才な印象を受ける佇まいは、今の心情、違和感しか生じないと自嘲気味になるのが毎日だった。
普段の着衣姿は、赤いカーディガンを足許まで伸ばし、ピッチピチの黒いデニムパンツな様なズボンを履いている。女性であるが為に、下着姿は割合だ。
そんな自分の本音と容姿から齟齬が生じ合い、魔王城で鍛錬したり、書類を纏める役割を持つ幹部達には誤解を生みやすい。
そしてその大半の感想が、
「魔王様ってあんな綺麗な女性なのに、仲間想いで優しく生活面も良くて、私少し嫉妬してしまいます」
「小さい体型にも関わらず、その秘める身体能力と頭脳、魔法の芸術性には天晴れとしか俺は言いようがないな」
持ち上げる感想ばかりなのである。その事は魔王も周知から聞き、ある時は羞恥心に悶え半日布団の中で踞って顔を赤く染めていた。
綺麗な女性だと自画自賛であるが、全く以て事実だと認識しており、頭脳は兎も角、身体能力と魔法の才能は特別ながら保有していると感覚で分かる。
ここまで特別な存在だと、慢心故に増長するのも無理は無い。自分は恵まれた人物だとプライドも高まり、破滅の道に向かって進み始めるだけ。
しかし魔王は気楽な性格の持ち主、剽軽な態度はその事を思わせない雰囲気を漂わせている。事実、魔王は無意識だが、幹部達は大丈夫だと安堵を吐いており、後嗣の歴史上過去最高の魔王として風評されつつあった。
ただ、魔王は知る由もない。魔王に対する評価は穴上り状態だが。
「...はぁ、こうして放心してても仕方ないかぁ。人間界と魔界のラブアンドピース条約を結びたかったんだけど、人間の性ってこんなもんだよな」
気品溢れるソファから立ち上がり、背筋を伸ばして欠伸を零す。体が必要以上訛っていたのか、背骨を唸り歪んだ骨のポキッと鳴る音が響く。
「さて、さっさと舞台上に行きますか...」
気怠い表情から、カリスマ性溢れ出る威圧的な表情へと変貌する。
本人はただ、気持ちの切り替えを行っただけだが、第三者からの率直な感想を言わせば二重人格者かと錯覚する程。
これが公の場で見せる威勢であり、魔王としての風情を見せる異様な空気感でもある。過去最高の魔王と謳われても、違和感は無い物腰を見せていた。
そして、時間通りに合わせるべく、歩調をゆっくりに直した。
▼
公演二十分前。
凡そ二万人の観衆が集い、あまり公の場で姿を見せない魔王を拝見するべく、休暇を取る獣人までもが集まった。
燦然と輝く太陽が照り付け、額に脂汗が滲み出る中、辺りは熱狂的な喧騒に包まれている。まだかまだかと待ち望む嬉色の声、子供連れの夫婦の姿、寡黙に佇む恰幅ある屈強な若輩者。
老若男女問わず、約五割の管轄区域に治める国民達が集結していた。陽炎が揺らめき、真夏の所為か蜃気楼が立ち上る中、とうとう公演時間が過ぎ、舞台装置に向かって歩く魔王の姿が映り始める。
「あれが魔王か...」
初めて姿を拝見したのか、誰かが放心状態で声を零し、息を呑む音がやけに響く。
民衆が舞台装置に上がる魔王に見蕩れ、カリスマ性を無意識的に心底まで与え横奪してしまっていたのだ。辺りの喧騒が急に止み、鳥の囀が異様にも聞こえる程の静謐な時間が一刻と過ぎる。
「...............」
民衆が黙従する中、とうとう魔王は見渡せる壇上に上がり、少しの間を空けてから声を張り上げる。
「ようこそ皆の者、猛暑日が続く中集まって頂いて。私の名はご存知の通り、ルーシェ。魔王ルーシェだ」
聞き取り易い音色が響き、スピーカーの如く辺りを反響させる。
一般的には名称、魔王と呼応されているが、人間界側からは悪魔の通り名として『ルーシェ』と呼ばれる事が多い。
本人は別に良しとし、シンプルで格好良いと気に入っているのだが一部では『雪姫の悪魔』と謂れ、中ニ病心を燻られた事が多々あった。
頭を悩まし解決しようと試みたが、結局は失敗に終わり最早開き直ったが。
「今日ここに集まってもらったのは他でも無い。人間界との関係をどうあるべき姿なのか」
憎悪に満ちた心故か、人間界との関係を聞いて民衆は目の色を変え虎視眈眈とした思惑を見せた。
魔王はやはり、誰彼構わず気持ちは同じなのだと捉え、少し溜息を吐いて訓戒を垂れる。
「感情に身を縋る行為は子供までだ。憎悪が湧き立つ今だからこそ、状況を捉え最善の方法を尽くす事が必要となる」
今の魔王の心情、冷や汗を掻いてまさに感情に身を縋る事は自分と同じだなと戒める。言葉では誰だって理解出来るが、行動では難しいのだ。甘えの欲望に縋り、自分に対して悔い改める気持ちは勿論あるけど、遣る瀬無い気持ちもあった。
しかしそんな事など民衆は知らず、恍惚とした表情で魔王を見つめる。
「民衆の意見案を取り入れても良かったのだが、人間を憎むだけの意見を聞いたって結果は目に見えてると確信していた。なので、こちら側の議会の元、決定を下した」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
魔王が無表情で淡々と述べ、これ以上は無いと言わんばかりに言い終えるが、黙認出来ないのか一人のエルフの青年が飛び出して来た。
余談だが、エルフは稀少価値が高く、人間界の奴隷貿易では高値で取引される。顔面偏差値も同様に高く、性奴隷として扱われる事が多い為、獣人の一倍以上人間が醜くかった。それもあって、魔王が下した独断の決定は納得出来なかったのだ。
「決定を下したってどういう事だ?今後の方針は粗方決まったって言うのか!?せめてもの意見は取り入れても良かったじゃないか!」
「な、何してんのルスファ!」
一人のエルフの青年、名をルスファと言う者が魔王を酷く傲睨で見つめる。それを諫言する様に、幼馴染なのか可愛いらしいエルフの女の子が躓きながらも慌てて駆け付ける。
周りが突然の曲者に響めくのも当たり前だった。侮蔑な目や、嘲弄とした表情、そう言った負の感情が一人の青年エルフ、ルスファに多く突き刺さり、身悶えながらも粘り強く魔王を傲睨を維持する。
「...............」(やべぇどうしよう、予想外だこれ...)
辺りに聞こえる程心臓が高鳴り、予想外な事態に見舞われ最善の返事を必死に思案する魔王。
それと同時に、自らの質問に周りを気にせず、気強く飄々としたルスファの態度は天晴れとしか言いようが無かった。
しかし、傲睨として上から目線な物腰は治した方が良いと逆に睨む。恐らくこの青年、ルスファは友達がいないのだろうと考える。周囲の冷徹な目付きを見る限り、評判は最悪だったと推測したのだ。
「な、なんだよその目は...!」
「さっきお前と同じ目をした目付きだ。その態度は嫌われる根源になるぞ、ほら。お前の幼馴染、泣いてるじゃないか」
「エ、エリサ...」
へっぴり腰になった状態で、慟哭を我慢強く堪えている所為か呻き声が洩れる。
エリサの心境を覗く限りは、身勝手な行動を取り巻くルスファに注意が必要だと感じ、諌めて治すつもりだった。
しかし、改善は成らず、現状は最悪。魔王の前で勝手な行動を起こし、自分が不十分にも注意喚起を行わかった所為で自己嫌悪に陥っていた。勿論、ルスファが元凶なのだが、責任を果たせなかった自分に情けないと感じていたのだ。
「......そして周りを見ろ」
引き攣った顔の数々。魔王に高圧的な態度を取ったことにより、異物を見るかのような敵視。
周囲を見渡すルスファが困惑し、錯乱しても無理は無かった。まさか自分が過ちを犯して、立場上公開処刑されてるとは思ってもいなかったからだ。
「う、うぅ...ぅ...」
「人間を憎む気持ちも分かるが、ルスファとやら、こちら側としては最善の方法を尽くしたまでで民衆の意見を取り入れる気は無かった。すなまないな」
周りからの非難な目付きに不憫と思ったのか、母性本能にも似た優しい微笑みで慰め、ルスファの透き通る碧い髪に手を乗せる。
段差が無い状態だと、ルーシェ側が背伸びをして撫でる描写だったのだが、壇上があったお陰か、ルーシェは心の中で深く安堵を吐いて思う存分撫で回す。
ルスファは思うがままに髪の毛をくしゃくしゃにされ、嫌がる素振りを見せず、現在の心境は目が覚め冷静に満ちていた。高圧的な態度を取ったにも関わらず、まさか魔王が一般市民の下手に出た態度に肝を抜かれ、更には我が子を愛撫するが如くに優しい手付きだったからだ。
それを周囲が見守る中、寛容な魔王で良かったなと誰もが安心感を募る。それと同時に、周りから見れば抱擁状態にあるルスファに対し、嫉妬や劣等感が湧き上がっていた。
魔王に接して話す事は愚か、目も向けられない存在に等しいので誰もが諦念し、ルスファの処遇に羨望の眼差しが幾つも突き刺さっていた。それを少し遅れながらも気付いたルスファは、いたたまれない気持ちになり、放心でもあった思考を直ぐに切り替え公の場から逃走する様にエリサを抱き抱え行方を晦ます。
(え、ちょあれ?もしかして嫌われちゃった...?)
涙腺が緩むルスファが、撫でる手を丁寧に退かして突如とエルサを抱え逃走したので、魔王が困惑するのも無理は無かった。
逆に、撫で回されたのが嫌だったのかと深く後悔し、また失態を犯してしまったと心の中で猛省した。確かに幼女にも見えなく無い身長差なので、嘲笑にも馬鹿にされ勘違いしたのだと解釈する。
勿論、ルスファはそんな愚考をしておらず、寧ろ魔王に感謝をしていた程。愚行の所業ばかりして周囲に迷惑を掛け、あそこで処刑されていたとしても不思議では無いのに、寛容な姿勢で戒飭してくれた魔王のお陰で自分が犯した過ちを正す切っ掛けをくれた。至せり尽くせりで、自分に対し情けない感情が猛烈に湧き上がっていたのだ。
「チッ、何だよアイツ。魔王様に対して感謝の言葉もねぇのかよ」
「言ってやるな、まだ若造で心身共に脆弱だ。いずれ更生するだろうから放っておくのが一番だろう」
身長三メートル程ある端正な顔立ちの竜人の巨漢が愚痴を零し、それを呆れた表情で注意する無精髭を生やしたリザードマンが頭をポリポリと掻く。
この場を弁える獣人達が殆どで、今後の時代の趨勢に不安を募るにはいられなかった。いずれは諍いが燃料投下になり、人間界と魔界が戦争に発端するまで遡って来ている。
そんな事態に見舞われるのは、魔王然り、獣人達もごめん極まりない。しかし奴隷にされる仲間を見過ごせる訳なく、魔王も多少の善意と慈悲があってか人間界共に不穏な空気を漂わせているのが現状。
それに人間界も自分達の正義を掲げ、獣人達を『人間紛い』として認識し酷く扱き使っている。それも相まって、憎悪の連鎖が続くばかりであった。
「ま、まぁそう言う事だ。それぞれ不満や欺瞞はあるかもしれない。しかし現状の悪化など愚行の極みでしかないのだ。約束しよう、人間に鉄槌を下し、恩赦の決定など無く討滅することを」
魔王が動揺しながらも、ここで今、歴史的瞬間になる互いの存亡を賭けた一言が放たれた。
そして刹那、鼓膜が破れる程の歓声が湧き上がった。