ボスキャラの登場はモブでも否応無く巻き込んでいくようです
時は少し過ぎて、入学式の放課後。つまり俺の高校生活における初めての放課後である。
この日のこの時間というのは高校生活を謳歌しようとする者たちにとっては待ち遠しい時間なのだろうが、俺にとっては最悪の時間だ。教室に入れば居残って駄弁る女子がいるし、かといって帰ろうとすればまだ禁止されているはずのどこかの部活からの勧誘やらで捕まってしまう、というわけだ。
だが、幸運というか不運というか、俺はクラス委員という立場になってしまったためにやりたくもない面倒な仕事が増えてしまったわけで。そのうちの日誌の記入、この作業を俺は図書室で行なっていた。
図書室は見渡す限り人はおらず静かなものだ。うん、いいねここ。これから放課後はここで暇を潰して帰ろう。というわけで一人のんびりと日誌の記入をしていたわけであるのだが……
「あの女がさっさと帰ったせいで……」
そう、元々はこの仕事は俺だけのものではない。日誌の記入、教室の戸締り、その他諸々の仕事は本来クラス委員二人で行うものであり、当然如月さんも手伝う、そう思っていたのだが……あいつ放課後になった瞬間さっさと帰っちゃったんだよ!! もう、マジで面倒くせー!!
思わず日誌に俺のフラストレーションの塊をぶつけてやろうとも考えたが、そんなことをすればヒナ姉さんの怒りの鉄槌が落ちてくることが目に見えているのでやめておく。
まあそんなわけで、俺は一人ぶつくさ文句を言いながらも仕事をしているというわけである。
でも一つ収穫があるとすれば、この図書室という俺の新たな居場所を見つけられたことだろう。体育館裏に引き続く素晴らしい空間だ。人は受付以外いないみたいだし、本も沢山ある。ああ、なんていい場所なんだ。
と、感傷に浸っていたら入口が開く音がした。俺はハッと我に返り止まっていた作業を再開する。
入口とは反対向きに座っていたので姿は見えなかったが、カツカツと高い靴の音が聞こえたので多分男子ではない。まあどうでもいいんだが、できれば早く出ていって俺の心の安息を……あれ、ちょっと待てよ。なんか音がだんだんこちらに近づいてきてませんかね? いや多分俺の近くの本棚に目当ての本があるんだろう、うんきっとそうだ! だからできるだけ早く去って……
ここまで願ったところで俺の思考が完全にフリーズした。いや、正確にはさせられたと言った方が正しい。
その理由……それは俺の目の前にいた。
「こんにちは ”森山君” 、ここ良いかしら?」
「えっ……あ、構いませんが」
発する言葉もタジタジになってしまう。だって当たり前だろう目の前にいるのが…… ”日下部先輩” だったのだから。柔らかい微笑みと鼻孔をくすぐるような甘い香りが図書室に広がる。え、なんでこの人がここにいんの? まずもって俺の名前……
「あら、あなたが一年四組のクラス委員だったのですね?」
「……なんで俺の名前とクラスを?」
「だって。私が君をクラス委員にした張本人だからです……」
この人のせいだったのかよ! 今更になって俺のイライラが募ってきたぞ。てかその微笑みやめて! なんか複雑な感情になるから!
「……で、俺に何か用ですか?」
「いいえ、ここには時々暇ができた時に寄っているもので。そしたら珍しいお客がいると思ってつい……」
つい……つい、で俺に話しかけてきたと。やばいなこの人思った以上に強すぎるぞ。ぶっちゃけこの学園におけるボスキャラだわ。昔やってたロールプレイングゲームの最初らへんで主人公がやられる的なあれ? 現在の俺のスペックじゃ間違いなく勝てないわ……となれば。
「じゃあ俺はお邪魔みたいなんで失礼しますね……」
三十六計逃げるに如かず、俺のお得意の戦法である。昼休みは失敗したが次こそはいける……とフラグを立ててしまった俺の末路は決まっているわけで。
「……少しお話をしませんか?」
というこの一言で俺の逃げるいうコマンドは、回り込まれてしまったという敵の行動に完全に封じられたわけである。ボスからは逃げられないというのは現実にも適用されるらしい。
ここでターンを一度消費してしまった俺にすかさず相手の追撃が繰り出される。
「森山君はこの学園を楽しく感じていますか?」
オウ、初手でいきなり会心の一撃が繰り出されちゃったよ。答えたくはないんだが、もろに逆らえない状況なんですよねー。だが、俺とて何もしないわけにはいかない。なかなかなダメージは負ったがまだ俺は戦える。
「……現時点ではなんとも」
「ふふ、正直なんですね。好きですよそういうはっきりとした子は……」
グフッ! またも破壊力のある言葉を! しかもその顔という補正をつけると威力が倍近くになるんです!
さあ、俺のライフも半分を切って勝負は大詰めである……一方的に俺が負けてるだけなんだけどね。
「……でも私としては少し不安です。森山君がこの学園で輝ける生活を送れるのか……」
「いや、別に俺は輝くつもりとかなくて。穏やかな三年間が……」
「送りたい、と。それはそれで良いとは思いますが……あなた自身はそれで良いのですか?」
そう望んでいるからこそこんな図書館を居心地いいと感じているわけなのだが、ダメなのか? キャンパスの上に一つたりとて同じ色が存在しないように、一人ぐらいは灰色がいても良いのではないか?
だが、目の前の存在はそれを良しとはしないらしい。
「……ええ、俺はそれを望んでいて、そういう生活を送っていこうと思っています」
「そう、ですか……」
これは! ……もしかして俺のダメージが通ったのか? この大ボスに? これは良い勝負になってきたぞ。俺の背水の陣の戦いはまだ続いている。勝てないとしても、ある程度ボコボコにしておくことで少しは俺の実力が分かるはずだ。
「そういうことなんで、俺は……」
「では……私も ”決めました” 」
「……はい?」
なんだこの嫌な感じは……まるで巨大な呪文を詠唱されているような感じ、無意識に体が震えているのが理解できる。
「今年の私の目標は…… ”森山君をこの学園で輝かせる” ということにしたいと思います」
「……はーーーーーー!?」
図書室にもかかわらず俺は大声を出してしまった。受付の図書委員もその声に驚きこっちを見ている。すいません大声出してしまって。
だが、日下部先輩のその発言は俺にとっては即死系魔法なわけであって、俺は避けられるはずもなくゲームオーバー。顔には出ていないが、俺のライフはすでにゼロだった。あれ、なんかこの言い回しどこかで聞いたことあるな……
「私自身去年の目標は ”生徒会長戦勝つ” という目標を立て、無事にそれを達成しました……ですが今年は未だに目標が決まらずに迷っていたんです。ですからちょうど良かったです」
「いやいや! 俺にとっては全然良くないんですが!?」
「ええ、私自身森山君に迷惑をかけることはしません……ただ」
ただ……俺はこう言われたとき、大概のことは俺にとっては都合が悪くような発言が次に来ることを知っている。てか、すでに日下部先輩の微笑みの中にサタン以上の悪魔が隠れてるような気がするんですが!?
「きっと、森山君が楽しく思える学園になると思いますよ!」
オーマイゴット!! これは都合が悪いどころか ”死の宣告” じゃねーか!!
今ここに、俺のモブ生活に対して死の宣告がされました。これによってカウントはまだ???だが、いつか必ず俺のモブ生活は ”死ぬ” だろう。それを解除する術は……一つしかなかった。
「……なら俺は全力をもってモブ生活を死守しますよ」
「戦争、というわけね……いいわねそういうの、なんだか燃えてくるわ」
「……いや、俺にとっては命懸けなんですけどね」
この戦争、負けるわけにはいかない! 普段なら逃げる俺だが、この戦いは俺の三年間を賭けた戦いだ。
……一年、一年耐え凌げば俺の勝ち。日下部先輩もいなくなる。だが、俺の負ける条件はなんだ?
「……私と一つゲームをしませんか?」
「ゲーム?」
「ええ、ちょっとした ”戦争” です」
「戦争? ……どうやって戦争をするんですか?」
「そうですね……来年の生徒会長選挙で私と勝負、というのはどうでしょう?」
「生徒会長選挙……え、ちょっと待ってください。生徒会長選挙って! てか、先輩って三年じゃ?」
「ふふ、私は森山君の一つ上、二年生ですよ?」
嘘、だろ? ……この風格で二年生? ハイスペどころかチートキャラじゃん! てか生徒会長選挙? なにを言ってるんだこの人は……
「とにかく色々凄いということは分かりました……でも俺が生徒会長選挙っていうのはちょっと意味が……」
「この勝負、森山君には生徒会長選挙に出てもらいます……そしてその選挙で、私が当選したら ”私の負け” 。森山君が当選したら ”私の勝ち” となります」
「は? それってそもそも勝負として成立しないんじゃ……」
「いいえ、ちゃんと成立してますよ。生徒会長選挙はあくまで ”結果” に過ぎませんから」
「……どういうことですか?」
「いいですか……これから一年間で私は森山君を輝かせることによって、生徒たちに森山君という存在を知ってもらい知名度を上げる。一方森山君は君が望むように生きるのもよし、色々根回しをして投票率を下げるのもよし、あなたが思うようにしてください……そして、その結果が生徒会選挙となるわけです」
なるほど、一応理にかなった説明ではある。だが、俺としてはそこが問題ではないのであって……
「……そもそも俺、生徒会長選挙に出たくないんですけど」
「そうですね……では私も、それ相応の対価を払いましょう」
そう言うと、日下部先輩は席を立ち受付から一枚の用紙とペンを貰ってきた。
話しかけられていた受付の男子生徒は完全に骨抜き状態だった。この人チャームの魔法でも使ってるのか?
日下部先輩は席に戻ってくると容姿に何か書き始めた後、ポケットから取り出したデカめの印鑑を一番下に力強く押した。
「はいこれ……森山君には三つの特権を与えるわ。それを対価として受け取ってくれるのならこの勝負を成立として進めるけど……」
俺はとりあえず渡された紙に目を通す。そこには綺麗な字で三つの文章が書かれていた。
一つ、森山 風太に対する生徒会の強制的な取り締まり及び指導は最大限の必要を要さない限り無しとする。
二つ、森山 風太へ部室棟の一室を貸し出すことを特別に許可する。
三つ、森山 風太を日下部 雅の特別秘書として生徒会に加入することを承認する。
と、書かれているわけだが……
「日下部先輩、一つ目と二つ目に関しては分かります……けど、三つ目のこれはどういうことですか?」
「ああ、これに関しては ”肩書き” だけの存在ということね。仕事は別にしてもらわなくて構わないわ」
「……いやそれでも意味が」
「つまりね、敵情視察のチャンスを常に与えるってこと……」
甘ったるい声で言われるとくすぐったさというか不気味というか、なぜかむず痒くなってしまう。
まあ三つ目に関しても結局のところは俺にとって有利な条件ではあるのだ。
「それと、特別秘書だって一応生徒会の一員には変わりないので、資料などの確認も自由にしてもらって構いませんよ……もちろん悪戯はダメですけどね?」
ほう、それはいい条件だ。俺はこの高校の情報をほとんど知らないし、この戦いは情報戦が主になっていくだろうから、情報集めという意味では好条件なのだろう。
だが前提として、これは俺がこの ”戦争” を受け入れた場合の条件である。もちろん断ったっていいのだ。
「もし……もし俺がこの宣戦布告を断ったら?」
「それでも私の目標は変わりませんよ? こう見えても私は結構ワガママですから」
ペロっと舌を出してお茶目に言ってくるが、どちらにせよ俺はこの人に理想をぶち壊されるらしい。そもそも、この人に目をつけられた時点で俺の人生は窮地に立たされていたのだ。それならば……
「……分かりました。その宣戦布告受けましょう。ですが一つだけ確認してもいいですか?」
「なにか?」
「この戦争……人数制限は無いんですよね?」
「……ふふ、やっぱり君は面白いわ。ええ、好きなだけ ”巻き込めばいい” 。でも、私だって黙っているわけじゃ無いからね?」
チッ……やっぱり簡単には行かなそうだ。はぁー、めんどくさい。
だがまあ、武器は手に入れた。それもどれもチート級の強さのやつだ。あとは使い方次第、そして……使う人次第だ。
「……俺もこのまま他人に染められた生き方をするつもりはないんで」
「そう……でもきっと君は一年後には私を超える存在になって、私は ”負ける” 。それが楽しみで仕方ないわ」
日下部先輩の顔は満面の笑みで、あのプリマヴェーラのような雰囲気とは違って子供のように楽しんでいる様子だった。俺にとっては化けの皮を被った悪魔にしか見えないのだが……
「選挙に負けて勝負に勝つ……変な戦いですね」
「ええ、だからこそ楽しみで仕方がない。こんなに楽しい気持ちは久しぶりよ」
「楽しみ、ですか……では俺はこれで失礼します」
「あらもう終わり? もうちょっとぐらいお話しないの?」
「あいにくと ”クラス委員” のせいで暇じゃないんで……では」
皮肉をたっぷりと込めてそう言い残した俺は、紙を丁寧に折りたたんだ後ファイルにしまって図書室を後にした。
……物凄く疲れた。エネルギーの消費しすぎたせいで、体が重く感じる。もう正直教室の戸締りとかしたくないんだが。そういうわけにはいかないよなー。
疲れた体を引きずりながら教室に戻る。すでに残っていた女子も帰ったようで教室は物静かなものだった。
戸締りは、気が利いたのか女子たちがしていってくれたようで特にやることもなく、俺に残された仕事は日誌の提出のみだ。教室の確認だけ終えた俺は、すぐに職員室へ向かって踵を返す。
「……なんで入学早々こうなったんだか」
思い返せば事の始まりは春休みのあの日、如月さんに出会ったことから始まり、今日だけでも災難が三つ。俺って本当に運がないんじゃないかとつくづく思ってしまう。そして本日最後の最も憂鬱なこと、ヒナ姉さんへ会いにいくことさえ終われば俺の厄日は終わる。
職員室は一階なので提出を終えればそのまま帰れるのだが、ヒナ姉さんでどれだけエネルギーを消費するかによって帰宅にかかる時間が変わってくる。さあ、どうなることか……
俺は職員室の扉に手をかけゆっくりと開ける。
「失礼します、朝比奈先生に用があってきました……」
そう言って中を見渡してみるがヒナ姉さんの姿が見えない。と、一人の男の先生が俺の方にやってきた。
「朝比奈先生のクラスの子かな? 日誌は俺が預かっておくよ……」
「あ、どうも……朝比奈先生どうかしたんですか?」
「それがね……」
その先生の話を要約すると……放課後ヒナ姉さんは職員室に戻ってきたのちすぐにどこかに電話をかけ始めたらしい。そして、しばらく話しているうちに相手と口論になって、しまいにはヒナ姉さんは泣き始めそのまま帰った……ということらしい。
それにしても誰からの電話だったか知らないが、ヒナ姉さんが泣き出すとは。とりあえず帰って聞いてみるか。
「そうだったんですね、すいません時間を取らせてしまって……俺は失礼しますね」
「ああ、気をつけて帰るんだよ……」
俺は男の先生に一礼した後、少し足早に帰路を歩み始めた。なんだかんだエネルギーはほとんど消費されずに帰ることができて良かった……
校舎を出る頃にはもう日もだいぶ傾いて、周りにはうちの高校の生徒だけではなく琴音の中学の生徒などもちょこちょこ見かけていた。
「……そういえば琴音のやつももう終わったのかな」
あいつのバスケ部は結構居残り練が多いから、あいつも遅くなることが時々あったな。
と、思いながら歩いていると琴音の中学、桐ヶ丘女子のところまで来ていた。おもむろに周りを見渡していると、校門から出てくる見慣れた存在がいた。向こうも気づいたのかこっちへ駆け足で向かってくる……その ”隣にいた存在” も。
「お兄ちゃん! どしたの!?」
「ん? ちょっと用事があってな、たまたま通りかかったら……」
「お兄ちゃんに用事? うっそだー」
「俺も嘘なら良かったと思ってるよ……で、隣のお方は?」
「え? ……ああ、紹介してなかったね」
琴音の隣にいたのは、琴音より少し背の小さい……とは言っても俺と同じぐらいの細身の女の子がいた。髪は可愛らしいショートカットで恥ずかしいのか琴音の後ろに隠れている。
だが、琴音はそんな女の子を引き離して俺の目の前に出す。
「ほら、あのお兄ちゃんが死にかけた日に私お見舞いに行ってたて言ったでしょ?」
「ああ、あの日の……」
思い出したくもないあの ”厄日” 。まあ正確には琴音のせいではなくて、俺が本屋に行ったせいであるわけなのだが……
「そ、咲田 葵ちゃんっていうの」
「よ、よろしくお願いします!」
「あ、ああよろしく……」
顔を真っ赤に染めながら咲田さんは俺にペコリとお辞儀してきた。いや、なんか俺がいじめたみたいになるから顔上げてくれないかな?
と思っていると、咲田さんはまた琴音の後ろに隠れてしまう。
「もうお兄ちゃん! 怖がらせないでよ! 葵ちゃん超繊細な子なんだから!」
「……なんか、すいません」
おい妹よ、俺は今何かしたのか? ちょっとぎこちない返事をしただけでここまで嫌われるって……なんか心にグサッとくるぞ。
「ち、違うんです!……その、知らない人が苦手で……」
「ああ、なるほど……」
分かるぞ、分かるぞ咲田さん。その感情は当然のことだと思う、ぶっちゃけ俺だってそうだし。
だから全然気にしないでいいぞ、むしろ気軽に絡まれて来た方が困る。
「……じゃ、とりあえず帰るか」
「そだねー」
「……はい」
こうして俺は、二人と少し距離を置きながら家路を歩き始めた。