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浮雲の破れ寺に亀と語らうこと

 お伊勢参りや湯治にかこつけて街道を行く物見遊山の者達に紛れて、一人の青年が歩いていた。


 身に纏うのは、僧衣であった。

 しかし他の雲水達と異なり、至って身軽である。

 小さな包を背にくくりつけている他は、袈裟すら携えていないようであった。


 そんななりでてくてくと街道を歩いていた青年は、ふと何を思い立ったか街道を逸れ、少し寂れた雰囲気の集落の方へ入ってゆく。

 田畑や百姓達の住居の間を抜け、村はずれに出た所で、日が暮れ始めた。

 今宵の宿を探して視線を巡らせた青年の視界に、雑草の生い茂った破れ寺が映る。

「ここでいいか」

 青年が呟いた途端。

「よくないわよ!!」

 何処からか女性の怒鳴り声が聞こえ、何やら白っぽい塊が草藪から飛び出て青年に体当たりする。

 青年は驚いた風も無く、飄々と笑った。

「なんだ玉藤、戻ったのか」

「なんだじゃないわよ!あんたはまたふらふらと……!」


 玉藤と呼ばれたのは、白い美しい毛並みをした狐であった。

 人間の女性の声で言葉を話すその狐は、青年の肩にするりとよじ登ると軽く頭突きをする。

「何で勝手に街道から外れてるのよ!どんだけ探したと思ってるの!」

「どうせ鼻が利くんだから大丈夫だろう?それより玉藤、ちょっと重……」

「女性に対して重いですって!?」

 玉藤が憤慨するが、大人の狐に肩に乗られれば、まあ重くて大変というほどではないが肩くらい凝るのは当然ではなかろうか。


 小さく苦笑しながら、青年は話題を変えた。

「ところで玉藤、日も暮れてきたし、この寺にでも泊めて貰おう」

 既に、辺りを黄昏が包み始めている。

 早めに宿を決めないと今に真っ暗になってしまうに違いないが、玉藤は尾をぴんと逆立てて猛反対した。

「何考えてんのよ!どう見たって、狸や鼬でなけりゃ妖が棲み付いてるようにしか見えないぼろ寺じゃない!」

 百姓の家の戸を叩く方がましだ、と主張する玉藤を意に介さず、青年は足を進める。

「雨風がしのげれば十分さ。空気は澱んではいないから、悪いものは居ないよ」


 ここには、ね。

 どこか不穏な言葉を呟いて、青年は破れ寺の門を潜った。



 崩れた塀の内側は、存外綺麗なものだった。

 無論雑草は生い茂っているし、本堂の戸も外れて空っぽの内部を晒しているのだが、不思議と目立った汚れは無かった。

「ほら見なさい」

 玉藤が低く言う。

「破れ寺のくせに埃が溜まってないわ。絶対『何か』居るわよ」

 その警告にも、青年は淡い微笑を返すのみであった。

 そのまま、縁に上がって本堂の裏手へと回って行く。

「主!」

 玉藤が咎めるように呼ぶが、青年は足を止めなかった。

 いつしか日はとっぷりと暮れ、細い月が淡く群青色の世界を照らしている。


 堂の裏手には、小さな庭と、池があった。

 放置されているにも関わらず透明度を保った水面に、月が揺れている。


 その池に対面するように、縁に腰掛ける男が居た。

 年の頃は青年より十ばかり上であろうか。

 墨染の衣を纏い、短い黒髪を風に遊ばせている。


「こんばんは」

 肩に陣取っている玉藤の緊張をよそに、青年はごく自然な物腰で声を掛けた。

 そちらを一瞥した男は、すぐに興味無さげに視線を逸らす。

「何か用か」

 ぶっきらぼうに訊きながら、傍らに置いていた瓶子を傾けた。

 瓶子の口から酒が滑り落ち、杯を満たしていく。

「旅の者だけど、この辺りで日が暮れてしまってね。一晩泊めて頂けないだろうか」

 青年が言うと、男は杯を持ち上げながら、ふん、と鼻を鳴らした。

「物好きも居たもんじゃな。こんなぼろ寺に泊まらずとも、この村の長者は気前良く旅人を泊めるというぞ」

 そちらへ行け、とばかりに手を振って杯を傾ける男に、青年は苦笑を浮かべた。

「出来ればこちらに泊めて貰いたい。俺は人と関わるのは苦手でね」

 そう言いながら、男の傍らに腰を下ろす。

 男は眉を上げた。

「異な事を言うもんじゃな。お前も人じゃろうが」

 青年は答えない。

 ただ小さく笑って、庭の池に目を遣った。


「あなた独りになって、久しいのかい」

 青年が問う。

 男は杯を嘗めながら月を見上げた。

「十年近くなる」

「そう」


 それきり何を言うでもなく、青年は池を眺めていた。

 男の方が返って沈黙に耐えられなくなったかのように、青年の肩に目を向ける。

「人のくせに妖狐なぞ連れとるとは、変わった奴じゃな」

「ちょっと、妖狐『なぞ』って何よ」

 突っかかる玉藤を手振りで宥めて、青年は男に微笑を向けた。

「まぁ、確かに俺は変わり者ではあるかもね……十年もの間、独り酒を酌んでいるあなたも相当だと思うけれど」

 男の眉がぴくりと動く。

 手にした杯に目を落とし、ぐっとあおった。


「ここの、和尚が」

 ぽつり、と言葉を溢す。

「和尚のくせに無類の酒好きじゃった。月の夜は必ず、此処でこうして飲んでおったもんじゃ」

 杯を置いた男は、懐かしむように月を見上げた。

「人は脆いもんじゃな。冷え込んだ冬に、呆気なく逝ってしまいおった」

 呟くように、男は言った。

 静かな声音に押し込められた感情が、返って哀しく響く。


「……良い人だったようだね」

 青年は柔らかな口調で言うと、庭を見渡した。

「力もあったんだろう。十年を経てなお、ここの空気は清い」

「……わしにはわからん」

 男は自分の手に目を落とした。

「じゃが、わしがこうして人の姿を取れるようになったのは、あやつが雨乞いだか浄めだかで池に放り込んだ札を食ってからじゃ。札にそれだけの霊力を籠められるだけの力は、あったんじゃろう」

「なるほどね」

 青年は頷くと、大きく伸びをして縁に寝転んだ。


「……寝るなら奥の部屋を使え。ここは冷える。人の身にはよくなかろう」

「寝ないよ。少し疲れたから横になるだけさ」

 青年はそれだけ言うと、組んだ腕に頭を乗せて天井を見上げた。

 男は少し怪訝そうにしていたが、やがて立ち上がって庭に向かう。

「池に帰るのかい」

 青年が声を掛けると、男は立ち止まって振り向いた。

「うむ。部屋は好きに使え」

 そう言ってから、何やら思い出したように青年と目を合わせる。

「お前のような人間はあやつ以来じゃ。名を聞いておこう」


「朔夜」

 青年は簡潔に答える。

 頷いた男は、甲玄と名乗った。口振りからすると、件の和尚が付けてくれた名らしい。


「そうじゃ。一つだけ」

 池の畔で振り返り、甲玄はにやりと笑った。

「お前の連れとる妖狐、きっつい女子じゃのう。わしはもっと淑やかな方が好みじゃ」

「あんたの好みなんか訊いてないわよ!」

 朔夜が何か言うより速く、玉藤が毛を逆立てる。

 甲玄は意に介さず、さっさと池に飛び込んでしまった。

 人一人飛び込んだにしては随分小さな水音を残して、庭に静寂が訪れる。


「何なのよあの亀!」

「まぁ落ち着きなよ。部屋は貸してくれるそうだし、今夜はここで休もう」


 此処なら安全だから、と続いた朔夜の言葉は、何を含んでいたのか。

 玉藤は深くは考えずに、朔夜の傍らで身を丸めた。



 翌朝、寺を去り際に、朔夜は池に向かって呼び掛けた。

「もしも孤独に耐えかねたなら、村外れの山を入ったところに生えている松を訪ねてみるといい。強かだが気の良い奴だよ」

 返事の代わりに、泡が二、三、水面に浮いてきた。

 朔夜は目を細め、寺を出て歩き出す。


「ねぇ、何でわざわざあのぼろ寺に泊まったの?長者の屋敷に泊まれば良かったじゃない」

 人目の無いのを良いことに朔夜の肩に陣取った玉藤が尋ねる。

 朔夜はぴっと指を立てた。

「一つ。長者の屋敷で世話を焼かれるより、破れ寺の方が気楽だ。玉藤も一緒に泊まれるしね」

「それはそうだけど……」

「二つ」

 玉藤の反論を遮って、朔夜はもう一本指を立てた。

「破れ寺の割に空気が清浄なのが気になった」

 それは結局、和尚の力の名残と、その影響を受けた甲玄の存在によるものだったわけだが。


「そして、三つ目」

 指を増やした朔夜は、すうっと目を細めた。

「玉藤、この村を出るまで、決して人間の姿になってはいけないよ。出来るだけ俺の側にいなさい」

「え?」

 玉藤が目を瞬かせる。

 ざわりと風が吹き、朔夜の髪を揺らした。


「――久しぶりに、血生臭い妖気だ」


 何処からか、村人の叫び声が聞こえたようだった。


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