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浮雲の宿りに老木の妖を為すこと

 ある場所に、化けて出るという噂の松の木があった。


 山へ入っていく道のりの傍らに枝を広げるその松は、まさしく化けて出るという噂にふさわしく、堂々たる古木である。


 その枝ぶりの見事さに惚れ込み、その木を自らの屋敷に移植しようとした者がいた。

 ところが、どういうわけか職人が嫌がる。理由を問い詰めてみると、松に祟られる夢を見たのだと言う。

 馬鹿な事を言うな、と屋敷の主は怒り、職人を叱りつけて作業を始めさせた。

 ところが、幾日も経たないうちに作業をしていた者達が次々に病に倒れてしまう。そして皆が皆、口を揃えて言うのだ。


 松の祟りだ、と。



 また、通りすがりの旅人が、風雨を避けようとその松の根元で野宿する事があった。

 しかし、誰一人として朝まで其処で眠れた者は居ない。


 山の麓に住む者によると、そういう旅人は、夜半になると決まって悲鳴をあげながら逃げて来るのだという。

 そして理由を訊ねると、決まってこう言うのだ。

 あの松の古木は祟る、彼処で眠ると世にも恐ろしい形相をした女が夢に出て、命が惜しくばすぐに去れと脅すのだ、と。


 かくして、その松は人々から気味悪がられ、誰もその付近には寄り付かなくなった。



 そんなある日。


 旅装の青年が、その松の木の元を訪れた。

 顔立ちにはまだ少しあどけなさが残る若さなのに、妙に老成した雰囲気のある青年だ。


 彼は松の傍まで辿り着くと、目を細めてこの古木を見上げた。

「やぁ、確かに見事な木だ」

 朗らかに、独り言にしては大きな声で言った青年は、見極めるかのように視線をめぐらせ、にこっと笑った。

「実は、ここに悪さをする妖の松があるから何とかしてくれと言われて来たのだけれど」


 青年の言葉に、松の枝がざわめく。

 まるで警戒するかのように。


 しかし、青年は気にした風もなく続けた。

「貴方は好きで悪さなどしてはいないのだね」

 青年の笑みには優しさがある。彼は松の根元に目を向けた。


「貴方はただ、自分と我が子を護りたかっただけなんだ」


 不穏にざわめいていた松の枝が鎮まる。青年の視線の先には、松の根元に芽吹いた小さな新たな芽があった。よほど気を付けて見ないと、それとはわからないようなものである。

 青年はそれを踏まないように慎重に松に近づき、松の幹に手を当てた。

「貴方と少し話をしてみたいな」

 松に語りかけ、小さく苦笑する。

「ここで眠れば貴方が俺の夢を訪れてくれるのだろうけれど、生憎俺は眠れない質でね」

 現実に化けて出る力は無いのだろう、と言った青年は、松の精の限界を正確に看破していた。松の木は戸惑うようにざわりと葉を揺らしたが、それきり沈黙する。

 青年は微笑して、幹に手を当てたままゆっくりと目を閉じた。

「俺が、そちらへ行こう」

 緩やかに、青年の意識が沈んでいく。



 青年の意識が辿り着いたのは、夢でも現でもない、ふわふわと不安定な場所だった。歳月を経て力を得た松の木が、自身の中に持っている時空なのだろう。


 ――ここへ、人が入り込めるとは思わなんだ。


 聞こえるともなく響いてきた声に青年が振り向くと、落ち着いた色合いの着物を纏った女性がそこに居た。

 青年はにこりと微笑む。

「貴方が歳経た松の精だね。松は普通五百年はもたずに枯れるというけれど」


 ――人の時の流れなど妾は知らぬ。されど、長き時を経てきたには違いない。


「なるほどね」

 青年は頷くと、どこか眩しげな目をした。


「もう、それも終わりですか」


 松は眉を寄せ、それから頷いた。


 ――妾の身には既に虫が巣食うておる。この冬は越せまい。だからこそ……。


 すぅ、と松の精が両手を前に出した。その手に包まれるように、先程見た新芽の姿が映し出される。


 ――だからこそ、妾は妾の膝下に芽吹いたこの子を護りたい。朽ち果てた妾を糧にしてこの子が健やかに育つよう。


 朽ちた古木は土に還り、その養分を吸って新たな若い命が育つ。

 そうした自然な巡りを、この松は望んでいるのだった。


 ――妾の望みはただそれだけ。だというに、人は隙あらばそれを壊そうとする。


 古木の場所を移そうとしたり、ずかずかと踏み込んで新芽を踏み潰しそうになったり。

 だから、松は怒った。

 自らの最期の望みを無下にしようとする人間達を威嚇し、追い払った。



「いつの世も、人は罪深い」

 青年は松に歩み寄ると、そっとその手にある新芽を掬い取った。

「安心して、逝っていいよ。この子は、俺が責任を持って護ろう」

 古木の命は、もはや尽きようとしていた。それでも我が子の行く末が心残りで、彼女は無理にでも踏み留まっていたのだろう。


 松は青年を見た。


 ――人の命は短い。


「そうだね」

 頷く青年を、松は困惑げに見つめている。


 ――死に瀕した妾にはわかる。お前からは死の臭いがせぬ。お前は……


 ゆっくりと薄れていきながら、松は呟いた。


 ――お前は、人か?


 青年は微笑んだまま、何も答えなかった。




 その年の冬、古木は静かにその命を閉じ、朽ちていった。


「心配要らないよ」

 人の近づかぬよう、新芽の周囲に目には見えない囲いを作りながら、青年は目を細めた。

「この命は強い……きっと、貴方よりずっと長生きする」

 まだ若い芽は、母たる古木の遺した想いをも背負うかのように、力強くそこに立っていた。

「数百年もすれば、貴方のように精を宿すだろう。そうしたら、貴方の話を語って聞かせるよ」

 そう言って立ち上がった青年は、一つ大きく伸びをした。

「さて、これから何処へ行こうかな」

 この島国は狭くていけない、とぼやきながら、青年は松に背を向けた。


「そうだ」

 最後に一度、振り返る。

「お前に名をあげよう。心あらば覚えておきなよ」


 ――松影(しょうえい)


 若い松に、それを聞き取る自我があったのか否か、青年は知らない。





 三百年ほどして、青年が再びそこを訪れた時、松の枝に若い青年が腰掛けていた。

「やっと来ましたね」

 にこりと笑って、彼は青年の前にふわりと降り立った。


「ずっと待っていました――私は松影。貴方のくれた名です」


 そう名乗った松影を見て目を瞬いた青年は、やがてにこりと笑った。

「君は俺が思ったより強かだったようだ。たかだか三百年で現に出て来られるとは思わなかった」

「貴方が名をくれたおかげですよ」

 柔らかく笑んだ松影は、青年の前に跪いた。

「貴方の名を教えて下さい、名付けの父よ。――そして、母の話をしてください」

 約束したでしょう、と言われて、青年は苦笑した。

 あの小さな芽に既にそこまでの自我が宿っているとは思わなかった。

「わかったよ」

 青年は松影の手を取って立たせると、立派に枝を繁らせる松を見上げながら言った。


「俺の名は朔夜――神代、朔夜」


 朔夜が後にこの場所に住み着くことになるのは、また別のお話。


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