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不確かなノイズ  作者: チョコレートブラウニー
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警察手帳とスパイ手帳の違い、夜のカフェのノイズ

「ユミコ、こんな有名な事件の張本人の愛人と問題のマンションを、新聞記者のシンコでもぜんぜん知らなかったのが、私からするととても不思議に思えるんだけど」

「うん・・。全くわからなかったね。このNPO法人の一連の問題や、公金を私的流用した金でこの街に土地とマンションを購入したことは多くの人が知っているけれど、その内縁の妻があのひとで、その問題の不動産が二十二階だったとはね。少なくともうちの社では把握していなかった。というか、まぁ、この事件にどの程度関心を寄せているかだよね。今の時点では、うちの社はそれがわかったからと言ってどうすることもしないと思うよ。これはまだ民事だしね」

「そんなものなの?」

「でも、北海道エキスプレス社はこの事件を早くから追っていて、今年の春頃にドキュメンタリー番組も放送している。私はそれを観ているけれど、アサヒの問題とは全く結びつかなかった。マンションも写っていたけれど、バルコニー部分だけのアップだもの、まさかアサヒの部屋の真上だとは考えもしなかったわ」

 ドキュメンタリー番組まで放送されていたことに私は驚いた。

 「私はニュースとしての放送しか見たことがないわ。とにかく、ササキエイイチの顔だけは印象的だったから強烈に覚えている。サトウユカリについてはどんなふうに報道されていた?」

 「もちろん顔も名前も出していない、使途不明金の一部で市内のマンションを購入して愛人を住まわせている、としてバルコニーの画像にナレーションをかぶせていただけよ。あの絵だけなら、たとえグレースマンションの住人でも気が付かないわよ」

 だから、集合ポストの表札を取り外してあったのか。私は騒音の警告文を入れた時のことを思い出した。

 「そういえば、ディレクターはハリモト君の名前になっていたわよ。彼、こちらに戻ってきていたのね。アサヒ、知っていた?」

 「うん、二年前にこちらの勤務になったらしいわ。去年のクラス会の時にスズキ君が言っていた。そう、偶然ね、この事件を追っていたんだ」

 私はハリモト君について何か言おうと思ったけれど、どんな言葉も思い浮かばなかった。ユミコもそれを知っていてこれ以上彼のことには触れなかった。  

 「 コーヒー、もう一杯飲もうか?」

私はそう言って席を立った。彼がこの街に居ることを知ってから、私は何度も彼と再会する場面を想像した。それはいつも偶然の出来事で、場所はどこかのカフェやバーや居酒屋だ。気が付いて呼び止めるのは私だろう。その時彼は少し驚いて、少し笑っている。私は前もって偶然に出会った時のための言葉を用意していてそれをシナリオ通りに言っている。コーヒーを買って席に戻る途中に、私は店内を見渡した。いつもそうしていたのだ。どこかにハリモト君がいるかもしれないと思って。

 

 「だからうちに刑事まできたのね?」

 「でも、このことに関しては、ここの自治体の警察は捜査には全くかかわっていないのよ。もし刑事事件になったとしたら、これはむこうの県警の管轄だから」

 「他県で起こした事件だから管轄区域外ってこと?それではあの日、うちに来た刑事たちはなんだったの?」

 「アサヒがドアを蹴ったことでサトウユカリ自身が110番したのでしょ?通常はそのような内容で110番通報があった場合は、管轄の交番から来るか、ここなら六条通り交番ね、それか、近隣をパトロールしている警察官が無線を拾ってやってくるかなんだけど。その時に、たまたま刑事たちが何らかの理由で近くにいて情報を受けて、それがたまたまササキエイイチの内縁の妻だったから接触してみようかという気になったのかもしれないし。もしかしてここは中央署が近いから、わざわざ署から来たか。ま、ほかに事件もないし、サトウユカリと、横領した金で買ったマンションでも見てみようと思ってやってきたただけかもしれないしね」

 私は、あの時に玄関口で刑事がパタッと開いて見せた警察手帳を思い出そうとした。あんなものを予告もなく生れてはじめて至近距離で見せられて、細部まで記憶したり、まして本物かどうかを冷静に見極めるなんてことができるはずもない。もしあれが、子どもの頃にクラスの男の子に自慢されたスパイ手帳だったとしても、私は警察手帳だと信じただろう。

 「だけどね、改めて思い起こしてもつくづく不思議でたまらないのよ。サトウユカリは私がドアを蹴ったことで自ら110番通報したわけでしょう?そしてさらには夏の初めに私やコンシェルジュが騒音のことを苦情として申し入れたり、マネージメント会社が注意喚起のプリントを投函したりしたことも、被害として警察に相談していたわけよね?ま、私がその時にどさくさでオリジナルな文書を一枚混入させたことはともかくとしてさ。今現在自分が犯罪進行形なのに、よくそういうことができたわよね?その神経が理解不能よ。犯罪に加担するくらいだからそもそもどうかしているのだろうけれど」

 「だからね、」と言ってユミコは飲み終えたコーヒーの紙コップにきゅきゅっと音をさせながらプラスチックのふたをはめた。

 「人間ひとりひとりの顔がすべて違うように、思考回路だってひとりとして同じ者はいないのよ」

 本当にその通りだ。

 「あの騒音だって、犯罪に関する作業の音よね」

 「まぁ、それはまだなんとも言えないけれどね」



 私は、これまでずいぶんと苦しめられてきた二十二階の正体を知ったことで気分が高ぶっていた。そしてこのことで、これまでのダメージはもうすでに過去のことになっていてすっかり気持ちを取り直していた。なんといってもこの不条理な生活も期限付きになったのだから。

 一息つくと私はすっかり冷めてしまったコーヒーのふたを開け、真紅のマカロンを手に取った。

 「今さっき、二十二階の部屋から女性が飛び降り自殺したわ。あの部屋に頻繁に出入りしていた従業員だそうよ」

 食べ終わったパストラミのサンドイッチを包んでいたセロファンを折ったり開いたりしていたシンコの手がとまった。

 「それは自殺なの?」

 「間違いないらしいわ。飛び降りる瞬間を目撃していた通行人が、サトウユカリが必死で止めようとしていたところも確認している」



 夜が静かに降りて来た。

 ゆるやかな坂の途中にあるこのカフェで、私たちはそれぞれがカフェという空間が作り出すノイズを聴いたり、ガラス扉の向こうを往来する人々の流れをみつめた。そして私はコーヒーが入っている紙コップにプラスチックの蓋をセットしたりはずしたりする時に鳴るきゅきゅっという音が気に入っていることを思い出した。夜のカフェで、誰かが突然大声で笑いだす様子も、お皿とフォークが触れるカチカチッという金属音も。いつの間にか私は違う場所に迷い込んでしまい、そこに長く居てしまったようだ。これまでも、そんなことが何度かあったのかもしれなかった。いつの間にか望まないスパイラルに迷い込んでしまったことが。脱出できる非常口は小さく、目立たなく、でもエメラルド色に光っているはずだったのに。

 「あの人たち、いずれ逮捕されるでしょう?そう遠くない先に」

 「世の中が正しければ」

とユミコが言った。

 「ただ警察からの情報が全く入ってこないからそれがいつになるのか・・。少し時間はかかるかもしれないわね」

 「私ちょっと調べてみる。Xデーは必ず来るわ。その時はどこよりもいい記事を書いてよ」


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