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不確かなノイズ  作者: チョコレートブラウニー
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赤い花びらに囲まれたトウモロコシのような死体

翌朝、私はこの気持ちを立て直すにはどうしたらいいのかを真剣に考えた。

どんなことでも、片手間に考えるのと、本気で“真剣”に考えるのとでは導き出される答えが違う。真剣に考えた結果、私は法務局に行くことにした。二十二階の登記簿を閲覧するためだ。弁護士に依頼する前の段階に、内容証明を送るという方法もある。それをしながらでも引越しの準備はできるだろう。むしろその方がいい。 


登記簿にはサトウの名字ではなく、聞いたことのない会社名が記されていた。

 「NPO法人チャイルドネットワーク」

 あのマンションは彼女個人の持ち物ではないのか。どういう会社だろう。不穏な予感がした。そのままベーカリーカフェに行き、いつもの窓際の席に座って小型パソコンを開いてその社名を検索した。ヒットした内容が視界に飛び込んできた瞬間の衝撃を、私はこの先もずっと忘れることはないだろう。それは驚きとともにある種の興奮をもたらした。私はパソコンの画面をじっと見つめた。そしてゆっくり、何度もうなずいた。こんなことならもっと本気でサスペンスドラマを観ておくのだった。私は急にハードボイルドな気分になった。そしてカフェを出てグレースマンションに向かった。


 大通りの横断歩道を渡ってマンションのすぐ近くまで来た時、いつもと違う空気を感じてあたりを伺った。車と人の流れが滞っていて何やら騒がしい。異常な事態が発生していることがわかったのはマンションの前まで来た時だった。正面玄関前の車寄せに黄色い毛布のようなものが広げてあり、警察の車両と救急車が停車していて遠巻きにぱらぱらと人が集まっている。

黄色い毛布で覆い隠されているのは人だ。

すぐそばに救急隊員が三人居るが手持ち無沙汰にただ突っ立っている。毛布の中の人は横たわっているのではなく不自然な形で二つ折れになっているようだった。それはまるで、遊びあきた子どもに放り投げられた人形のような孤独に満ちていて、毛布の周りに赤く点在している血はバラの花びらと見間違うほど濁りのない赤色を湛えていた。白い手袋をはめた男性がしゃがんで毛布をめくり、中をのぞきこんでまた意味もなく近くをうろうろし始めた。まるでキッチンで布巾に覆われた何かを見つけて、めくってみてそれがゆでたとうもろしだったことを確認したかのような表情だった。


私は表の騒動を避けて裏玄関から中に入った。そしてロビーでモップを持ったまま立ち尽くしていたコンシェルジュに何があったのかを尋ねると、二十二階のあの女の部屋に頻繁に出入りしている若い女性が飛び降り自殺を図ったのだと説明した。北向きの部屋のバルコニーによじ登って奇声を上げているその女性を、サトウさんは狂ったように叫びながら止めようとしていたそうだ。

「それでは自殺なのですね?」

私は確認するようにそう聞くと、彼は黙って頷いた。


その夜私はユミコを駅裏のカフェに呼び出した。

 いつもならワインと軽い食事をしながらのはずだが、今夜はあの赤いバラの花びらが心にしみのようなものをつくって離れなかったから、とても食事をする気分になどなれなかった。でも、カフェのノイズは久しぶりに心地よく感じられた。ジャズのメロディと人々のざわめきと、食器の触れ合う音が正しいバランスで耳に届いたからだ。

 いつものようにユミコが少し遅れてやってきた。彼女はレジカウンターでパストラミのイギリスパンサンドとオリーブの入ったグリーンサラダとコーヒーを買って私の席にやってきた。私は話しを始める前にもう一杯コーヒーを用意しておく必要があると思いつき、彼女と入れ替わりにまたカウンターへ行き、トールサイズのフレンチコーヒーを注文し、少し迷ってからレジの前で真紅に輝いていたフランボワーズマカロンを追加して席に戻った。


 「ユミコ、これから私が言うことを聞いてびっくりしてね」

 「わかった」

 彼女はもう十分に驚いていた。私たちがこういう出だしで話しを始める時は、本当に心底びっくりする内容の時だけだ。それは私たちが14歳の時からの暗黙の了解だった。

 「二十二階の正体がわかったよ。いい?言うよ」

 私は少しもったいをつけた。

 「あのひとたち、ただフツーに変な人たちなのではなかった。本物の変な人たちだった。ある事件を起こしていた」

 ユミコは大きく目を見開いた。そして私が詳細を話し始めるのを待ち構えた。


 「その事件の中心人物の名前はササキエイイチ。今、テレビニュースや新聞で大きく取りざたされている、この街のNPO法人チャイルドネットワークの元代表理事よ。二十二階の女は、その内縁の妻サトウユカリだったの」

 「えっ!あのササキエイイチの?ということはあのマンションは・・・」

 「そう。公金を横領した金で買ったものよ」

 「大どんでん返しね。ササキエイイチの顔やその事件のことはもう日本じゅう誰でも知っているけれど、まさかその女が内縁の妻で、あの部屋が例のマンションだったとは」

 「びっくりした?」

 「びっくりした」



 その男は、私達が住むこの街で2005年から無認可保育園や留守家庭児童施設などを運営していたNPO法人チャイルドネットワークの元代表理事ササキエイイチだ。彼は2011年三月に起きた東日本大震災で甚大な被害を受けた東北にあるヨシダ町の災害対策本部に、震災直後の三月下旬に従業員八人を従えて突然現れ、子どもたちを救いたいとの思いを熱く語ってボランティアを申し出た。当初は救援物資の管理、ボランティアセンターの運営、防犯パトロール、果ては遺体捜索まで、自分たちの寝食も忘れて懸命に働いたという。


 同町は、漁業やその関連産業を中心に成り立つ人口一万二千人ほどの海沿いの町で、震災時には多くの町民が出漁中で津波に呑まれて行方不明になっていた。残された子どもたちは親の安否もわからないまま、家もなくし行き場のない状態で町の体育館やキャンプ用コテージ、数少ない町の施設建物で不安のまま不自由な生活をしいられていた。そんな中でボランティアとして現れたササキエイイチは、震災で傷ついた人たちの目には救世主に見えたのかもしれない。身長180センチ、50歳。まるで映画俳優のような端正な顔立ちに誰もがはっとした。それでいて気さくな雰囲気で話しも面白く、どこか人の心をつかんで離さない不思議な魅力があったという。八人の女性従業員たちも笑顔できびきびとよく働いた。この女性従業員たちの中に、きょう二十二階から飛び降り自殺したアサダミキも含まれていた。


 ササキエイイチは、親を亡くした子どもたちや、就労のために町を離れた親に託された未成年者の保護育成にとりわけ力を注いだという。ヨシダ町の復興、子どもたちへのあふれる思いを熱く語り、時として涙を流すこともあった。子どもたちはいつしか彼を父親のように慕い、町長はじめ役場職員、町民から一心に信頼を集めた。やがて数々の活動が評価され、わずか半年後には同町の特別職である復興支援参与に任命され、震災で職を失った人たちに雇用の場を提供する「緊急雇用創出事業」を委託されることになる。

 国からの交付金は、11年度、12年度を合わせて12億7千万円。しかしササキは、翌年の予算を年度途中で使い切り、127人の従業員を突然解雇した。様々な問題が表面化したのはその直後だった。

 復興事業とはおよそ関連のない高額な備品の購入、無用の出張、飲食、勤務実態のない知人らへの架空の給与支出など不透明な金の流れ。復興事業費の多くはどこへ消えたのか。問題発覚後、県と町で調査した結果、実に7億7千万円もの金が不適切な支出と判断された。そしてこの損失全額を町が負担、同時にNPOとササキ元代表理事に損害賠償を求め提訴した。しかしNPO法人は負債を抱えたまま倒産、それでも町はササキ代表個人に請求できるとして告訴も辞さないとしている。当の本人は不適切な金の使用はいっさいないと全面否定し、逆に名誉棄損で訴える構えだと真っ向から戦う姿勢だ。


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