ひとは皆、誰かにとってはいい人で、誰かにとっては悪い人
帰宅途中に携帯電話を確認すると、数件のメールと着信履歴が残っていた。
ユミコからは明日緊急で会いたいと、ヒガシオさんからは報告があるから連絡を待つと、夫からは日曜日に自分の部屋にある家具や私物を運び出したいので、引越し業者を向かわせるから立ち会ってくれというもの、あとは、覚えのない番号から一件の着信が残されていた。
午前十二時を回った頃にマンションに戻ると、正面玄関の車寄せにタクシーが停まってサトウユカリが娘の手を引いて降りて来た。私の姿を見つけると忌々しそうな目で睨みつけ、娘をかばうようにしてエントランスに入っていった。私は彼女を観察するために小走りであとを追った。エントランスを抜けると、彼女は後ろ姿を見せてホールでエレベーターの到着を待っていた。エレベーターは最上階で止められているらしくなかなか降りてくる気配がない。
「サトウさん、あなた幸せなの?」
ワインの余韻が残っていたせいだろうか、私は彼女の背中にそう言葉をぶつけた。
糾弾ではない、これは質問だ。教えてほしい、すべて彼女が選択してきたことだ。
彼女の背中は動かない。怒りをこらえているようにも、考えることをやめてしまっているようにも見えた。やがてエレベーターが到着して、サトウユカリは娘を先に乗せて、それから自分も乗り込んだ。後ろ手に行く先階のボタンを押し、私の方を振り向くことはなかった。
翌朝、私はいくつもの解決できない問題を抱えた時に感じる重苦しさとともに目が覚めた。
カーテンの隙間からは明るい日の光が漏れてきて、光の粒子が眩しいほどにきらめいている。いつまでもベッドの中でぐずぐずしていると、昔は決まって母が部屋に入ってきて「ほら、いいお天気よ」と言いながら、両手を空に向けてひろげるようにいっきにカーテンを開くのだった。そして必ずもう一度、呪文をかけるように「いいお天気よ」と繰り返した。そう、お天気がいいということはとても素晴らしいことで、今私は非常に恵まれているということなのだ。願ってかなうものでもない。何かをはじめるにはもってこいの日で、こんな風にしかめっ面をする必要などないのだ。
その日の午後、歩道橋近くのファストフードカフェで私はユミコを待っていた。
ほどなくして彼女は自動扉が開くのを待つのももどかしそうに転がるように店内に入ってきた。
「殺し屋に追われているの?」
ユミコは私の質問には答えずに、ヴィトンの書類鞄から一枚の古びた写真を取り出して私の目の前に置いた。
それは赤茶色に変色していてふちのところどころが朽ちた昭和の頃の写真だ。私の古いアルバムにもこんな風合いのものがある。ちょうどカラー写真が出始めの頃だ。今のようなくっきりと鮮やかな多色ではなく、限定された数色でつくられた現実とは少し違う色合いのカラー写真だ。この場所はどこだろうか。あの時代の、どこにでもありそうな田舎の風景だ。道路は舗装されていない。むき出しの地面だ。木立が影をつくっている。背景に水が流れているようにも見えるが小川ではないだろう。きっとどぶだ。当時は多くの道の際に汚水が流れていた。大きなどぶ川には板を渡しただけの不安定な橋がかかっている。
写真の中央には少女が写っていた。十二~十三歳くらいだろうか。ほこりだらけの地面に座り込んでいる。ちょうど木立の下あたりだ。白い肌に木の葉の影が落ちて、それはわずかだが風に揺れているようにも見えた。少女は裸だった。薄汚れたスニーカーが写真の片隅に転がっている。髪は乱れ、肩や脛にはかすり傷とわかる直線がいくつも見られ、太ももに付着した鮮明な汚れが、彼女の身に起こった悲劇を物語っていた。けれども不思議なことに彼女はカメラに向かって微笑んでいた。今、自分の身に起こった出来事を嘆くよりも、カメラを向けている人物の愛情に包まれ、その幸福感に身をゆだねているようだった。それはきっと、彼女がこの世で与えられ、許されたたただひとつの幸せと呼べるものなのだろう。カメラを向けている人物に絶対の信頼を寄せている。
私はこの少女をよく知っている。
「この写真、どこで入手したの?」
まるで、すぐに答えてしまうと台無しになってしまうクイズ番組の回答者のように、私はこの少女の名前を口にすることができなかった。
「うちの社の東北支局の記者が送ってきたの。支局の資料室の保留ファイルにあったそうよ」
「この少女にカメラを向けている人物は・・・」
「おそらく十二歳のササキエイイチよ」
ファストフード店の殺風景な室内のBGMが、ボサノバからフレンチポップスの軽快なリズムに替わった。ユミコの口から聞いたその人物の名前はあまりに生々しく、着地場所を失って中空に漂っている。私はこの古い赤茶けた写真の中で悲しく微笑む少女の白い顔を眺め続けた。少なくともこの時はまだ、彼女は傷ついた心をただじっと抱きしめて、得体の知れない黒い波に飲み込まれないよう懸命に生きているように見えた。この後彼女はどんな環境に身を晒され今日まで生きて来たのだろう。この素直な瞳は猜疑心で濁り、耐えることはやめて攻撃することで身を守ろうとした。きっと、悲しみに支配された心は糧にはならいということを知り、もう涙は流さないと決め、自分流の人生を切り拓こうとしてきたのではないか。
「サトウユカリ」
私はうわごとのようにこの少女の名前をつぶやいた。
「ここはササキエイイチが問題を起こした東北のあの町よ。ササキとこの少女サトウユカリは、それぞれが二~三歳の時に両親に捨てられ、ほぼ同時期に同じ育児院に引き取られてきた。この木立のある場所は、二人が育った育児院の浦山だわ」
私はテレビ画面でしか見たことのないササキエイイチの端正な顔立ちと、写真の中の少女を結び付け、当時のふたりの様子を想像してみた。
「この写真は、1975年に匿名でうちの東北支局宛てに送られてきたの。同封されていたメモにはつたない文字で、育児院の院長の不適切な行為が記されていたそうよ。男の子は日常的に暴力を受け、年頃の女の子の幾人かはおぞましい虐待を受けていると。これは当時十二歳のササキが起こした精一杯の告発の行為だったのよ」
「それで、当時東北支局ではどう対処したの?」
「当時のことを直接知る社員はもう誰も居ないから詳しいことはわからないけれど、少なくともこの院長の行為に対して町や県が調査を行ったり、事件として扱われたという記録はないわね。ただ、この院長は当時、驚いたことにうちの新聞社の社主でもあったのよ。それでちょうどこの時期に、社主も、そしてこの施設の院長も同時に退任しているから、うちの社からなんらかのアクションがあったのではないかということが想像できるわね。今の時世なら、ただちに明るみに出てしかるべき審判が下されるような問題だけど、あの当時はなかなかそうはならなかったのでしょうね」
私はすっかり冷めてしまったコーヒーに唇をつけて、かつて父と母と三人で暮らした遠い記憶を呼び起こした。
私たちが暮らした小さなアパートの居間は狭く、応接セットと食堂テーブルを置くとほんのわずかな空間しかなかった。そこで母はよく、白黒テレビで古い洋画を観ていた。父が帰らない夜は長く、私はいつも耳を澄ませて外の砂利道を踏む父の足音を待っていた。その当時の夜の色は私の心の奥に消えないしみとなって残り、母の笑った顔や不機嫌な顔が私の記憶を混乱させる。本当はいつもあたたかい窓の灯りの内側に居たはずなのに、思い出すといつもどこかの家の窓の灯りを見上げている。
私は母に似ている。誰かの、言い訳と説明に終始する会話を退屈と思うところ、いつも小さな失敗を繰り返してそれを恐れること、少し寂しいところ、紅茶にジャムを入れるところ、傷ついた人への接し方。父のような人を嫌悪しながらも求めているところ。そして私は父にも似ている。自由と無責任さを混同しているところ、関係に疲れると相手を切り捨てようとするところ、結局は自分しか愛せないところ。
「あたりまえよ。あなたはママとお父さんの呪いがかかっているのだもの」
母はきっとそう言うだろう。
サトウユカリは、育児院の部屋の匂いや、夕暮れの色や、誰かにかけられた言葉を覚えているだろうか。どんな闇を抱えてきょうまで生きてきたのだろう。あるいはその闇や孤独にも気付かないままここまできたのだろうか。
「1976年に、ササキエイイチはこの施設を出ている、十五歳の時ね。そしてこれ」
ユミコは新聞記事のコピーを二枚、私の目の前に置いた。一枚目はササキが十六歳の冬、海岸をジョギング中におぼれた女の子を見つけ、自らの危険を顧みずに海に飛び込み、無事に救出して県から表彰されたというものだった。写真には、元気な笑顔をみせる五~六歳の女の子と並んで、直立してはにかみながらカメラを見据えるササキがいた。
「勇気ある少年、厳寒の海で女の子の命を救う」
そのタイトルとともにササキの美少年ぶりが目をひく。
二枚目は数行の三面記事だ。ササキが十八歳の1980年、彼は北海道の地方都市で仲間数人と車上荒らしを繰り返して金品を盗み逮捕されている。おぼれた少女を助けて表彰されたわずか一年後だ。
「ササキは十五歳の時に施設を飛び出し、サトウユカリは中学を卒業すると同時に施設を出ている。私が調べることができたのはここまでよ」




