動き出したノンフィクション
一週間後、チャイルドネットワークの疑惑を追及したドキュメンタリー番組が放送された。これは第三弾だ。
ササキエイイチは饒舌だった。求められればいつでも、どこでもインタビューに応じる。往年の映画俳優のような顔立ちは、画面に登場すると圧倒的な存在感を放つ。しかしすぐに違和感を感じる。芝居がかった表情に辻褄の合わない話し、自分の発する言葉で感情が盛り上がり気軽に涙を流す。あるいは豪快に笑う、そして恫喝する。
ハリモト君はササキがヨシダ町にボランティアとして入った数日後から彼にカメラを向けている。当初は北海道の一NPO団体が、震災で傷ついた子どもたちをただ純粋に救いたい一心でヨシダ町に入り、さまざまな活動に奔走する姿を追っていた。しかしほどなくしてササキエイイチという人物に疑念を抱く。
番組の冒頭では、行方不明者捜索の指揮をとるササキの姿が映し出された。その姿は頼もしく、彼の顔が大写しになると映画の一コマを観ているかのような錯覚に陥った。震災で親を亡くして身寄りをなくしたり、県外に働きに出るなどで一時的に親と離れ離れになった子どもたちと暮らす仮設集合住宅に戻ると、どの子も満面の笑顔で彼に駆け寄る。ヨシダ町の町長や職員はまるで救いの神が現れたかのようにササキを称賛する。しかし美談は思わぬ展開をみせる。彼は受託した緊急雇用創設事費を年度途中で使い果たし、雇用していた町民137人を突然解雇、と同時に数々の疑惑が表面化する。
画面には私のマンションを訪れ正面玄関からサトウユカリの部屋のチャイムを鳴らすハリモト君の後ろ姿が写る。もちろん、サトウユカリは応対しない。ナレーションが、事業費でこのマンションを購入して愛人を住まわせているのではないかと説明している。画面は変わってササキが弁護士とともに弁明する。番組の最初ではマンションの存在すら知らないと言っていたのが、今度は、その不動産は復興に必要な資材を購入するための担保の目的で購入したものだと言い始める。
同時に町の責任も問われている。震災の混乱のさ中とはいえ、ササキの経歴も把握しないまま多額の予算を任せ、早い時期に内部から疑念の声があがっていたにもかかわらず、問題発覚までなんの調査も行わなかった。そのずさんな行政に避難の声が上がる中、町はサキエイイチに対して委託した雇用創出事業費12億7千万円のうち7億7千万円を無駄遣いや不適切な支出として、その返還を求めて民事訴訟を起こした。画面では、グレースマンションのサトウユカリが住むバルコニー部分をアップで映しながら、刑事告訴に発展するのも時間の問題だろうと締めくくった。やがて不安定な旋律に乗って、精霊流しの場面に切り替わる。震災で傷ついた人たちが、亡くした家族を思いながら、町を、暮らしを建て直し、一歩ずつ前へ進もうと誓い祈りをささげる姿が観るもの胸を打った。そして画面の下に小さくテロップが流れる。私はハリモト君の名前を見つけ出し、画面の左側に消えていくまで追いかけた。
その後も私は、録画した番組を何度も再生する。何度も繰り返し同じカットを。ハリモト君がササキエイイチにインタビューしている時にほんの瞬間映る背中を、質問する声を。ハリモト君はどうして私のものではないのだろう。どうしていつの間にか、あのオレンジ色のコートを着た長い髪の人のところへ行ってしまったのだろう。あの頃少しでも、この世の中にある仕組みと法則に気が付いていれば、今もずっと彼といっしょにいられたかもしれない。そしてそれは、私が考えるよりももっとずっと簡単なことだったのかもしれないのだ。あの頃、今のように携帯電話なんかはなかった頃だ。彼の声を聴くことができる確率が高いのは、深夜、警察の記者クラブに電話をかけることだった。父もそうだった。母は時々、夜中に公衆電話に走り、市政記者クラブに父を探した。ハリモト君と父はどこか似ていた。言葉を発する時の間の取り方、しなやかな指先、低くて私を不安にさせる声、本当は笑っていないような悲しい唇。私は母のようにはなりたくなかった。
エレベーターホールで、サトウユカリとヨシダサチコに出会った。いつものようにユカリは私を睨み付け、私も同じように睨み返す。サチコも相変わらず、私と目を合わせないが口を真一文字に結び、険しい表情をくずさない。まるでササキエイイチとサトウユカリへの忠誠心をアピールしているかのように。ユカリがひとり、コンシェルジュが待機しているカウンターの方へ行った。私はエレベーターには乗らず、ホールでひとりになったサチコに声をかけた。
「サチコちゃん、私、あなたのご両親に会ったのよ。それで少しあなたの味方になった。もしもSOSがあるなら、私の家のチャイムを鳴らして」
後ろ姿のサチコの肩が明らかに動揺で揺れた。今までまるで敵同士のように硬い表情ですれ違い、挨拶さえ交わしたことのない間柄だ。当然いつものように無視をしたままだと思っていたが、サチコがくるりと振り向き、そして言葉を発した。
「お気遣い、ありがとうございます」
声は震え、頬は人形のように白かった。彼女の気持ちは本当に言葉通りなのか、それとも全く余計なお世話だと笑い出したい気持ちなのか、その様子だけではわからなかった。
本当は、声をかけたのは彼女のためではなかった。ササキエイイチ側の人間が、夢から覚めて私に助けを求めてきたらどれほど面白い展開になることだろう。ハリモト君は私をこのドラマの重要なキャストとして認識してくれるだろう。ドラマの中盤からの私の登場に価値を見出し、私との再会を改めて意味のあることだと喜んでくれるだろう。サチコは私に秘密を暴露し多くの情報をもたらすのだ。今私の身の回りで起きていることは台本のないノンフィクションだ。ただし、ドラマの行く先を思うようにするためのしかけをすることはできるはずだ。