2.地下三階、火災発生
彼らが焦げ臭いと訴えるのは警報であると同時に、地下二階へ向かうチャンスでもある。
消火のために地下三階を見張る別の看守が動き出すからだ。
この地下三階には二本の廊下があり、それを囲むように十の独房が並んでいる。
そして廊下を歩いていくと、二本の廊下が合流、ほんの少し独房がない廊下が続き、階段へ続く扉がある。
この扉は看守が鳴らす警報に反応し、鉄格子で閉まってしまう仕組みだ。
「おい看守! なんか焦げ臭いぞ!」
すぐ近くの扉から、荒々しい男の声が聞こえた。
同時に奥にいる看守が歩き出す足音が廊下に鳴り響く。
僕は看守が来ない方の廊下に出る。
この時間の独房見回りは二人。
そのうち一人は気絶し、僕が制服を着ている。
「火事!?」
僕が廊下の合流地点にたどり着いたと同時に、他の看守が火事に気づいた。
それから僕の脱獄がこの地下監獄全体に知れ渡るまでに、全ての鉄格子付き扉を潜り抜けなければならない。
僕が脱獄したという警報が鳴らされなければ、扉の前にある鉄格子が閉まることはない。
僕は看守の服に付いていた鍵でそっと扉を開ける。
そして扉の反対側に椅子を置き、すぐに看守が追って来ることができないようにした。
あの看守は、僕を逃がしたことを咎められるだろう。
全ての死刑囚が恐れる、あの女看守長に。
地下二階に続く階段に足を掛けた時、そんなことを考える余裕はすぐに消え失せた。
脱獄を少しでも減らすためなのかもしれないが、この監獄は三階から一階に続く階段がない。
地下一階に行くには、地下二階を必ず横切らなければならない。
警報が鳴り響くまでの間、地下二階から先で求められるのは、怪しい動きを見せないことだ。
下手に走ったりしたら、他の看守に怪しまれる。
地下二階は判決を待つ者の中でも、殺人など罪の重い者が収監されている。
死刑囚に比べると数も多いので、地下三階より広い。
もちろん見回る看守も五人に増えているが、廊下も複数あるので隠れやすい。
この階の廊下は縦に五本、横に五本の格子状になっている。
それは、どこで看守に遭遇するか分からないことを意味する。
もし看守に話しかけられたら、最初は聞こえていないフリでやり過ごせばいい。
追いかけられたら終わりだ。そうなる前に、布石を打つ。
僕は辺りを見回し、看守が見当たらない廊下を選ぶ。
そこでできるだけ足音を立てないように、大股で進む。
「あれ?」
数メートル手前、顔がかろうじて判別できる距離。
廊下を曲がってきた看守と目が合った。
僕は内心びくっとしつつ、平静を装う。ここで逃げると確実に捕まえられる。
一回目の呼びかけは聞こえていない。
二回目以降は聞こえる。
今の僕は変な耳の看守だ。
聞こえないフリをしてそのまま歩き続ける。
「お前ここの見回りだっけ?」
看守が僕を指さして立ち止まる。
僕は顔を凝視される前にしゃがみ込んで、二回咳をした。
「げほっ! げほっ!」
僕は大げさに咳をしながら、顔を伏せる。
「どうした?」
と言って、看守が近づいてきた。
「三階が煙で……」
これ以上喋ったら、聞きなれない声だと思われる。
「三階が煙?」
看守の疑いは僕ではなく地下三階に向けられた。
それがはっきりと伝わってきた。
「ちょっと見てくる」
看守が階段に向かうのを確認してから、僕は立ち上がる。
一人はクリアした。
後は誰にも出会わないことを祈りつつ、廊下を歩いていく。
「うわああっ!」
隣の独房から突然聞こえた叫び声に、僕はこれまでで一番驚いた。
思わず声が聞こえた方を見ると、「まーたJ0251番か」という声と共に、後ろから別の看守がやって来た。
どうやら囚人が暴れ出したらしい。
僕はすぐにその場を去ろうとした。
「おい、ちょっと手伝ってくれ」
まずい、話しかけられた。
とりあえず一回は聞こえないフリだ。
その間に角を曲がって、この看守の視界から消える。
それしかない。
「おい! 聞いてるのか!」
迫る足音は、人間が走る時のそれだった。
僕はとっさに駆け出す。
ゆっくり歩く余裕はなかった。
こんな時に囚人が発狂するなんて運がなさすぎる。
僕は階段に続く扉を開け、看守が来る前に閉めた。
そして内側から鍵をかけ、近くに障害物を探す。
何度も扉を叩く音がする。
あの看守が鍵を閉められた、と判断する前に、
僕は地下三階同様時間を稼ぐために、再び階段の近くに置いてある椅子を持つ。
すると、
「警戒レベルを4に上げろ! 三階のA0344番が脱走した!」
先程咳で誤魔化した看守の声がした。
ついにバレた。
思ったより早かった。
ただでさえ騒いでいた僕の心臓が、さらに暴れ始めた。
「それと消防を呼べ! どういうわけか知らんが、三階で火事が起きている! 三階の鉄格子は閉めるな!」
うるさいサイレンが鳴り始めた。
僕は妨害用の椅子を置くのをやめ、階段を駆け上がる。
鉄格子が閉まる前に地下一階に出なければいけない。
警戒レベル4は、一人脱獄したことを意味する。
この地下監獄の全ての鉄格子が閉じてしまう。