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1.地下独房、始まりの晩餐

挿絵(By みてみん)


 今日の看守は、今までで一番優しかった。


「おい、起きろ」


 鉄格子の向こうから、声がする。

もう朝になったのかと思った。

しかし、時計は夕方を指していた。

外では淡い橙色の夕日が雲の隙間から差し込んでいるのだろうが、ここは地下にあるので分からない。


思い返してみれば、僕は昼寝をしていただけだ。

起こされる時間ではない。

『余程のこと』がなければ。


「よく聞け。お前の死刑執行は明日に決まった」


 『余程のこと』は、唐突にやってきた。


「明日か」


 僕は余裕を見せておきながら、内心崖に追い詰められていた。

明日なんて、冗談じゃない。

僕の地下監獄脱獄計画は、未完成だ。

この計画を実行する前に殺されるなんて、考えてもいなかった。


「リクエストを聞こう。執行前日の死刑囚には、好きなものを食べることが許される」


 看守はメモを片手に、聞いた。


「じゃあ、パンで。ブルーベリージャムがのってるやつな」

「パン?」


 看守は首を傾げる。

それもそのはずだ。

パンはどんな死刑囚でも毎日食べることができるものだ。

それを今更指定するのは変だろう。


 正直、僕にとってジャムがのったパンだとかはどうでもいい。

むしろ食べたいのは、高級な肉をふんだんに使ったステーキだ。

しかし今は、明日までにこの地下監獄『アンダー・ジェイル』を出ることだけを考える時だ。

ここでステーキを頼んだら、ナイフで鉄格子を切断するのかと思われるかもしれない。

そんなことはできないと分かっているのだが、少しでも脱獄を感付かれてはいけない。

こいつは何もしないと思い込ませなければならない。

それに、僕はここで満足してはいけない。


「用意できないのか?」


 僕がそうたずねるのは、メモを取る看守の手が止まっていたからだ。


「いや、少し驚いただけだ」

 と一言言って、看守はメモに『パン ブルーベリージャムつき』と書いた。


「他は? これで終わりか?」


 死刑囚が好きなものを食べることができるなんて、変な話だ。

僕がそう思えるのは、僕が人を殺していないからだ。

もし一人でも手に掛けていれば、この判決に納得し、最後の晩餐を喜んだのだろう。

この最後の晩餐制度に納得できないのは、僕が本来死刑になるべき人間ではないからだ。


「じゃあ……」


 僕は少しの間考えるふりをして、口を開く。


「煙草が吸いたい」

「煙草?」


 看守は首を傾げた。


「いいだろ? どうせ明日死ぬんだから、やりたいことをやっておきたいんだよ。どんな銘柄でもいいからさ、頼むよ」

「……俺がこのメモを渡しに行く間に吸えばいい」


 そう言って、看守はライターと安い煙草、灰皿を鉄格子の前に置いた。


「くれるのか?」

「煙草も、最後の晩餐の一つということにすれば問題ない」

「ありがとよ」


 僕が煙草にライターで火をつけると、看守はライターを回収し、メモを持って独房を去った。

その瞬間、僕は煙草を固いベッドに向かって投げ捨てた。

僕は煙草を吸いたいと思っていない。

それどころか吸ったことすらない。


 僕の地下監獄脱獄計画は、未完全のまま始まった。

と言うより、始めざるを得なくなった。

この独房のある地下三階から脱獄できなければ、死だけが僕を待ち受けている。


 シミだらけの布団がゆっくりと燃え広がる様を見ながら、僕はここに連れてこられた経緯について考えていた。


 いつだって、僕の人生における『余程のこと』は唐突にやってくる。

家でくつろいでいたら警察官が入ってきて、手を壁につけろと命じられた。

よく分からないまま従うと、警察官は僕の腕に手錠をかけた。


 僕の指紋がついた、見覚えのない刃物を証拠として突きつけられ、僕は死刑判決を受けた。

聞いたことのない罪状の数々、僕は何者かに無差別殺人鬼の濡れ衣を着せられたらしい。


 ベッドが炎に包まれた頃、この独房は煙で包まれていた。

僕は独房の鉄格子を精一杯叩く。


「看守!」


 扉が開いた。

入ってきた看守は煙に気づいて、すぐに口を腕で覆った。


「火事!? さっきの煙草か!?」


 煙でよく見えないが、看守がすぐに連絡を取ろうとするのは分かる。


「火がすぐ近くまで迫ってるんだ! 早くしてくれ!」


 火が迫ってくるまであえて待ったのだ。

もしこれが失敗したら、死刑執行の方法が首つりから焼身自殺に変わるだけだ。


 いくら死刑囚とはいえ、人を見殺しにするわけにはいかないという良心が看守を動かしたのだろうか。

看守が腰に揺れる手錠と警棒を掴む音がした。

それから遅れて、鍵を掴む音が聞こえた。


 ここで僕を見殺しにしたら、この看守は罪悪感に苛まれるだろう。

人間を殺して罪悪感を感じないような人間は、僕と同じ独房にいるはずだ。


「今から鍵を開ける! 変な動きを見せるなよ!」


 どうやら、この看守は手錠をかける前に僕を出してくれるらしい。

僕の人生は基本不運の塊なのだが、今日だけはついている。

こんな時に脱獄できるのは幸運なのかもしれない。


 この看守に勝つ方法は、まだ未完全だった。

僕は炎に包まれた枕の燃えていない部分、隅を掴む。

いちかばちかだ。

当たれば、逃げる隙ができる。

避けられたら、僕はこの看守の図体に負けて取り押さえられる。


「なっ!」


 鉄格子が開くと同時に、僕は火炎枕を投げつけた。

看守は反射的に警棒を構えるが、本能的に炎を恐れ、腕で防ごうとした。


「あちっ!」


 看守の顔に炎が掠れ、髪に火がついた。

看守はすぐに消そうとするが、顔に火が迫る。

その直後、看守は気を失って倒れてしまった。

僕は火炎枕の予想以上の効果に驚きつつ、看守の髪の先端に上着を被せて火を消した。


「普通は手錠をかけてから出すのにな」


 予想外の事態に判断を間違えたのだろう。

葛藤はしていると思ったが、ここまで動揺しているとは思わなかった。


「……お前が煙草をくれる看守で助かったよ」


 僕は煙の臭いがついた看守の服を剥いで、身に着ける。

代わりに看守の頭に上着を巻きつけて、少しの時間稼ぎになるよう目を隠した。

僕はこの看守のような屈強な肉体は持たない。

他の看守が近くに来たら終わりだが、そのままの服装で逃げるよりは良い。

それにこの看守の服に付いている鍵が脱獄計画に必要不可欠だ。


 そのまま独房を出て、辺りを見回す。

周囲には同じ死刑囚がいる独房が数多くある。

彼らが煙で焦げ臭いと訴え、僕の脱獄が発覚するまでに、この地下三階を出なければならない。

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