四
最初に、名前で遊ばれたのは、小学生のときだった。逸見マリオ。そんな変な名前に、好奇心の塊が疼かないわけがない。それも、ゲームが好きでそんな名前を付けられたのだと由来を披露して、羨ましがられるはずもない。
暴力が加わったのは、そうして低い位置に甘んじていたからだ。彼らは図に乗った。僕はそれを許した。許してしまったから、こうなった。中学も、高校でも、何も変わることなく、僕は彼らの発散の道具として存在している。
彼らとて、もはや遊びのつもりなどないだろう。自分が明確に、他者をいじめていることを理解している。理解して、反省するわけもない。そこに生まれるのは安心だけだ。
面会を受け入れられるとは思っていなかったが、向かってみると、大吾は快く僕を認めた。両足を吊られたまま、はだけた患者衣から包帯が覗いて見える。
「やあ少年。まあ掛けなよ」
言われるがままパイプ椅子に腰掛ける。
四人部屋で、カーテンで仕切ってはいたが、ほかのベッドの会話が気になった。
「まだ死んでなかったのか」
「生憎」
意識を目の前の無様な男に集中させる。
「踏み出すだけ、だったんだろ? 簡単なことじゃないか。俺にも出来た」
「断られました」
「らしいね」瞬時に理解し返答を寄越すあたり、向こうも切り出そうとしていた話題なのだろうか。もとより、これ以外に僕たちに関係性はない。「まあ秋月に嫌われちゃしょうがないな。残念だけどこの話、なかったことにしていいよ」
「どうして僕を誘ったんですか? あなたが現れなければ、あの日僕は死ねた。そうでしょう? なぜ先に飛び降りたんですか?」
「言い訳?」様子の変わらないまま、言葉を放られる。「君は見込みあると思っていたんだけど。見当違いらしかった。だから、終わりだって。好きに死んでくれ」
「全然納得できません」
「一日やそこらで人生は変わらない。明日できることは、今日もできたはずだ。ずっと見てたんだよ。君が殴られ、蹴られ、腹を抱えながら、ぐっと握り締めた拳。やれると思った。報復。復讐。言葉はなんだっていいけど、君はこの世界が嫌いなんだって」視線を逸らすことはない。「秋月とは死にたいというひとつの点でしか繋がってない。だから考えも違うし、好みも違う。俺は変化が欲しい。俺の居なくなった世界において、俺は重要だったんだと思われたい。秋月はどうかな。いやになったのかな。お互い、何で死にたいかなんて話したことはないなあ。君は知ってる?」
「……知りませんよ、そんなこと」
「君は復讐したかった。自分が死ぬことで。俺に近いと思ったんだけど、でも君は生きて居たいんだよな。残念。本橋はどうだろう。退屈なのかもしれない。まあみんな、俺からすれば、変化が欲しいんだ。ただだらだら続いてくくらいならってね」
「本当にやるんですか」
「やるよ。もちろん。動けるようになったらすぐに退院して、まあ、一週間のうちには」
「どうせ失敗しますよ」
「ああ、知ってる」
大吾が殊更さらりと寄越した答えに、僕は言葉が続かなかった。
それを、かはわからないが、彼はひとつ笑って、
「でも問題は何を失敗とするか、だろ? 世間は変わらないかもしれない。でも俺は無事死ぬことができた。それならある意味、成功だ」
「そんなの、屁理屈ですよ」
「結構だよ。どれだけその屁理屈ってやつに惑わされてきたと思う? 最後くらい使ってみてもいいじゃないか。だろ?」
そう言い切ってから、彼は計画を語り始めた。
インターネットで爆弾の精製方法を調べる。もちろん、家や学校のパソコンは使わない。わざわざそのために別の県へ行って、ありふれたネットカフェを使うと言う。
それでも足が付くのはすぐだ。目くらましにもならないだろう。だから、調べてからはすぐに実行する。
決行の日は、意味のある日にしない。クリスマスだとか、正月だとか、あえて人の出入りの多い日を狙う必要はない。それでなくとも人間は溢れているからだ。どこにでも。誰でもいいのだ。明確な目標が居ないのだから、いつだっていい。
そんなことを、訥々と話した。
「なぜですか」
「なぜ?」
「なぜそれを僕に教えるんですか」
「だって君、死ぬんだろ? だったら一緒だよ。同じやり方ではないけど、俺たちは二人とも死ぬんだ。もし君が警察に垂れ込んだとしても、問題はない。本当のところを言うと、秋月と本橋だけじゃないからね。もっと居る。賛同、なんてもんじゃないけど、共感してくれた人はね。死ぬなら、派手に、だ」
「テロリストらしい、理念が見えません」
「見えなくていいよ。わからないのは、理解しようとしないからだ。意味は、人が付けるんだよ。あとから。今そのことに囚われる必要はない。一人は世間への復讐だと言い、一人は大規模なただの自殺だと言う。それでいいじゃないか、問題が生まれるのか? 俺には何も問題はないけど」
「無駄ですよ」
「無駄かどうかは君自身の心に留めておいていいよ。俺たちはやる。それだけ。馬鹿だとか愚かだとか言えばいいさ。そういう区分けが、無駄だろ。もし生き続けるんだったら、笑えばいい。でも俺も、死んで君を笑うよ。俺たちのつながりは、それだけだろ」
「僕は秋月先輩が好きです」
「それは秋月に言えばいい」
「言いました。駄目でした」
「そりゃ、彼女は死ぬからね。君もだろ。いじめが辛い? 彼女の居ない世界は無色? なんだっていい、君は死ぬ。死にたいんだ。そう言った。色恋で死ぬのをやめるくらいなら、誰だって死にはしないよ。いじめがなくなったからやっぱ生きよっかなあなんて、それこそ何の意味があって生きているんだ?」くしゃくしゃと顔を歪めて笑う。「君は何者なんだ?」