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そろそろ客もまばらになってきたね。とうに日は変わってるし、話も終わりにしていこうか。
さて、護衛と言っても魔物や不埒者でも出てこない限りやる事ってのは無いんだ。けど寝たりサボったりしてたら依頼料も貰えないから、奴隷の傍を離れる訳にもいかない。するとできる事は警戒しつつ奴隷を見るくらいだろ?
そりゃあ眼福だろうね、護衛の連中の一人はその時気に入った子を後で購入したらしいってくらいだ。
手を出すのはダメなんだよ。商品だからその場で買い上げるなら良いけど、試し食いは絶対禁止。金も貰えないし下手すれば仲介所を使えなくなるって聞くし。さっきも言っただろ? 国が関わってるから厳しいらしいよ。俺も噂で聞いただけなんだけど。
「コルネギスさん、私は少し他の商人と話し合いがありますので失礼します」
「分かりました。じゃあ俺はこの辺りで見守っておきます」
「ええお願いします……そこで、ですね。少々相談があるのですがミルチェさんを貸して頂けないでしょうか?」
「嫌よ、必要性を感じないわ」
どうやら奴隷市の商人たちにもミルチェの存在が広まってきたらしくてね、見たいって連中が多いらしかったんだ。その辺りで噂を止めるようお願いしておけば王都での面倒事も無かったし、紅茶狂いに絡まれることも無かっただろうに……あー、ホント後悔してるよ、あの時貸さなければ良かった。
ミルチェは行かなかったんじゃないかって? 違うんだよ、ミルチェ自身はバッサリ切ったんだけど、追加で少し払うっていうから命令して行かせたってわけ。俺の命令が最優先だから文句も言わずついてったんだ。まあでも触ろうとした商人の手を軽く捻ってたけど。
「じゃあ行ってくるわ。大した魔物は出ないだろうけれど、気を付けてね」
「ありがとうございます、本当に助かります……そうだコルネギスさん、これもお礼と言ってはなんですが、あの子の周りにいる奴隷のグループは私の店の奴隷ですので、一人二人程度ならつまみ食いして頂いて構いませんよ。もちろん気に入ってお買い上げ頂ければ冥利に尽きますが」
追加の給金はミルチェを貸して商人たちに見せた礼、奴隷のつまみ食いは商人の個人的な礼だってさ。とにかくミルチェと一緒に居たかったらしい。
「ミルチェ、あんまり雇い主に迷惑掛けないようにな」
「仕事はきちんとこなしてくるから心配いらないわ。それよりコルネギスも、奴隷を買うなら愛玩用か下働き用にした方がいいわよ。どう見ても戦いに向く奴隷はいないもの」
十歳にもならないようなちっちゃい女の子に『お前は弱い』って言われた奴隷達だけどさ、がっちりした体付きの戦えそうな奴隷もいるんだよ? 商人だって苦笑いしてたから本当に戦闘用だったのかも知れないってのに。
「買うも何もそんな金は無いだろ。少ししたら王都まで行くんだから無駄遣いはできないって」
「おや、そうでしたか。それでも味見に手を出すくらいはかまいませんのでご自由に。なんなら私が乗ってきた馬車を使ってください。それでは行きましょうかミルチェさん、迷ってはいけませんからお手を拝借……」
「必要ないから先を歩いてちょうだい」
なんだかんだ面白いコンビだったな、あの二人の組み合わせも。ドレスをふわふわ揺らして歩いてた辺りを考えると、商人への対応は辛辣でも特別嫌がってるわけじゃ無かったし。
二人が行った後は俺一人で水浴びを見守ることになった。それは当然だろ? 俺もしばらくは大人しく周りを警戒したりしたんだけどね、一時間もすれば飽きが来るんだよ。依頼主も居ないから緊張感は無いし、目の前には抜けるような青空に穏やかな泉、ちょっとだけ聞こえる奴隷達の楽しそうな声。そりゃあ気も抜けるさ。
つい呆けてうつらうつら舟漕いだりして……気が付いたら、隣にアルエルナが立って俺を見下ろしてたんだ。
「あの、ちょっと……いいかしら」
「え。ああ、どうかしたか?」
「貴方は冒険者よね。今回限りの雇われ護衛、そうでしょ?」
さすが貴族の血って言うべきなんだろうけど、見下ろす目にもそれなりの力があった。ジッと睨まれると少しだけ居心地が悪くなるような真っ直ぐな目でさ、人の上に立つってのに慣れてたからかもね。よく見るとそばかすもあって小鼻がちょっと広い、それでも長い間手入れのされてきた普通の女の子って顔の造り。
いや、裸じゃなかったよ。天気が良くてすぐ乾いたのか、白い服はちゃんと着てたから。
「そうだけど、それが? 商人なら他の商人たちの所に行ったぞ」
「見てたから知ってるわよ。貴方の奴隷と一緒に行ったんでしょ、そんな事はどうでもいいの。それよりお願いがあるんだけど聞いてもらえないかしら」
「お願いって……護衛だからできる事はたかが知れてるんだけど。魔物でも出たのか」
「そうじゃないわ、単刀直入に言うからよく聞いてちょうだい」
これがなかなかキツ目に言うから俺も押されちゃってさ、アルエルナも調子に乗って得意げに言うんだよ。
「いいこと? 貴方、私を買いなさい」
「……奴隷としてお前を買えって事か? それってつまり、俺の物になるって」
信じられるかい。普通に考えれば俺の物になるって所だろうに、俺がそれを聞くと舌打ちして睨んで来るんだ。貴族ってああいうのも得意なのかな。
「私を買って貰った後は王都で解放してくれればいいだけよ。もちろん私の代金とお礼は王都に着き次第支払うし、なんなら屋敷のメイドの一人や二人差し上げてもいいわ」
「はあ……いや、ちょっと待ってくれ。お前は奴隷になったんだろ? 王都に行ってもお礼どころか帰る場所も無いんじゃないのか」
「馬鹿ね、何も知らない癖に適当な事言わないで欲しいわ。貴方には想像できないでしょうけど……私は、嵌められたのよ……!」
面倒な予感がもうビンビン。でも彼女は全然察してくれなくて、私は可哀想な子なのって話を延々続けてさあ……こりゃ手も焼くよってくらい。いやあ、君でも鬱陶しく感じると思うけどね。
端的に言うと、彼女の父親が非合法な薬の商売に手を染めてとっ捕まって、面白半分でそれを手伝ってたアルエルナも一緒に貴族の身分剥奪の上父親は死罪、彼女は奴隷へ。幸いだったのは半分合法な商人に売り払われた事なんじゃないかな。
いやいやいや、彼女も悪いよ? よーく聞くと奴隷を買って異常な量の媚薬を与えて遊んでたりしてたらしい。腹上死する奴隷を見るのが楽しかったってさ。これ本人が言ったんだよ、本当に。
「分かったかしら、お父様のミスをあの恩知らずが通報なんてするから悪いの。ちょっと、分かったの!?」
「ああ分かった、分かったよ、分かったから」
「そう……ならあの変態が戻ってきたら私を買うよう伝えなさい」
満足そうに頷く彼女と手を振って誤魔化す俺。俺の対応はどう思う? ああ、無理に答えなくていいよ。
もう清々しくて穏やかな景色なんてありゃしない、凄いんだよまだその後もずーっと喋り続けてたから。他の奴隷への愚痴、変態への愚痴、もうありとあらゆるものへの文句と罵倒がずーっと。あれには辟易したね。
……誰って、変態は変態だよ。商人の事。
「――そういうわけで、あの奴隷共には鞭打ちが必要だと思うのよ。策略でもって奴隷の身分に落とされた私に対して、あろうことか『順番は守れ』ですって! 愚物の癖に指図するなんてあり得ないわ、大体連中の薄汚れた目に私のあられもない、貴方聞いてるの?」
「聞いてるよ。裸を見られて嫌だったってことだろ」
「そう、そうよ。着替えさせるためなら構わないけど、自分で着替えるのを同じ部屋なんて……本当に地獄のような場所よ、ここは……」
女の子の心の波はいつだって波打って安定しない。それも人族だろうが魔族だろうが同じだと思うし、妹で経験済みだから分かってたけどさ、アルエルナほど凄まじい変わり様は他にないんじゃないかな。
君も女の子だから聞くけど、男に惚れる時ってのはどういう時だい?
惚れる時だって。一目惚れでもいいし、時間を掛けてでもいいからさ。
……君も大変だったみたいだけど、もう少しそういうのに興味を持っても良かったと思うよ。
悪かったってば。とにかくその時はね、妹にしてたみたいに彼女の髪を手で梳いて撫でながら聞いてたんだよ、俺の妹は大抵それで落ち着いてたから。そしたらさあ。
「んっ……ね、ねえ貴方って……その、恋人とか、いるのかしら?」
モジモジと髪を撫でながら、紅い顔をしてそんな事を聞いてくるんだ。声も潤んでるし。
「別にいやしないよ。いたら簡単に旅にも出られないだろうけど」
「そ、そう、そうね。あの赤髪の子も奴隷だから恋人じゃないものね!」
「ミルチェの事なら確かに恋人じゃないな」
奴隷でも無いけどなって言葉は聞いてなかった。都合のいい耳もあそこまで行くとなんだか面白くなるよ。
「ふふ、それならいいのよ。さっきは私を王都で解放してってお願いしたけど、一緒に連れて行ってくれないかしら? 愛する貴方の役に立ちたいの……だめ?」
地面に座る俺によりかかるアルエルナ。頬を染めて幸せそうに引っ付いてくるまでに、そうだね、最初に話しかけてきた時から多分一時間くらいしか経ってなかったと思う。
もう俺には何が何やらさっぱり分からなかったけど、とりあえず女の子の全部が全部ここまで惚れっぽい事はないだろうって事だけは分かってたかな。