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貴玉の心  作者: 水雨
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 旅立ったところで世界の見え方が一気に変わるなんてこともない。ああ、今からどこか知らない場所に行くんだな、って感じで多少の感慨はあったけど、それも歩いている内に霧みたいに消えていったよ。その辺りは石の影響の中でも悪い方かもしれないね。

 そんな風に一人旅を始めた俺だけど、どこか高揚感があったのは最初の最初だけだった。なにせ隣の街までが遠いんだ。馬車でも二日、徒歩じゃ四日はかかるような距離だし、途中で本当に小さい小屋くらいはあるけどそういうのは早い者勝ちでさ。入れなかったらどこかで野宿でもするしかないんだけど、普通は野盗や魔物に襲われないように十人くらいで準備するもんだ。それを一人でやろうっていうんだから、実際何も考えていないのと同じようなものだよ。

 

「今日はこの辺りにしておくか。木のウロも良い具合だし、寝やすそうだ」


 確か三日目だったかな、その日は運が良かった。色々あったけど、全部合わせて考えればやっぱり運は良かったと思う。

 そんなに良い事があったのかって? それがね、まずあったのは悪い事だよ。

 今さっき、野宿する時は野盗や魔物に襲われない様に十人くらいでする、って言っただろ。普通野盗に物を盗られる時っていうのは身ぐるみ丸ごと剥ぎ取られるどころか、そのまま殺されるかとっ捕まって奴隷に売られることが多いんだけどね。俺って奴は特に考えもしなかった。広くもない木のウロが少し寝にくいから、一人旅の疲れもあって荷物だけ外に置いていたんだ。

 いつの間にか寝ちゃっててさ、何か物音がして目が覚めると、外から薄く揺れる火の灯りが差し込んでくる。まったく肝が冷えたよ。こっちはナイフ一本で、しかも素人に毛が生えた程度の、動物しか相手にしたことがない狩人だ。人殺しに慣れた野盗が数人もいれば襲いかかっても返り討ちだろうからね。

 とにかく息を殺して外を窺ってみればどうやら相手は二人組らしい。両方とも俺より大柄で、話してる内容からするに、まあ商人崩れの不良どまりって感じかな。


「なあ、これ。結構入ってるぜ? 貰ってかねえか」

「へえ……持ち主の姿が見えねえな。その辺にでも隠れてやがんのかね」


 戦わなかった理由かい? 相手が大の男で、しっかり剣を握って警戒してたからさ。これが体勢が整っていて完全な奇襲ができる状況なら戦うのもアリだったけど、ウロの中で寝転んだままで、しかも二人は辺りだけじゃなく俺のいるウロをばっちり睨みつけてるときた。まあ当然か。一人分の荷物だけ木の傍に置かれてるなんて不自然極まりないからね。


「おいッ、この荷物は貰ってくぞ! 嫌ならずくで来やがれ!」


 そんな風に叫ばれても困るってもんだ。そこでやめろ、って飛び出て行ければ格好良かったんだけど、二人相手に真正面から立ち向かえるわけもない。俺の荷物を引っ掴んで遠ざかっていく奴らを泣く泣く見送ったよ。まあ、中身は食べ物と着替えと端金しか入ってなくて、命と引き換えに取り戻すほどの物じゃなかったからね。例の石? 石は首から下げた袋に入れてたから無事だった。

 俺が運が良かったって思ったのはそのことさ。特別大事なものが盗られたわけでもなく、俺も殺されたりすることなく無傷でやり過ごせた。勉強代と考えれば、むしろ安いくらいだ。

 

「あーあ……参ったね」


 助かった、そう分かった瞬間にため息が出て、まったく自分の弱さを痛感したね。いざとなれば殺す覚悟はあったけど、殺し合いになった時には間違いなく俺も死んでたに違いない。

 怖かったかって? ん……なんて言うのかな、死ぬのが怖いっていうよりは死んでしまって何も出来なくなるのが嫌。そんな感じだったな。





 緊張が緩むとどうしても眠くなってくるだろ。その時もいつの間にかウロの中で眠っていたらしくて、気が付いたら外は明るくて腹まで減ってきた。時間としてはどうだったかな、太陽は頂点までは行ってなかったと思うよ。


「ったく、人の飯まで持って行きやがって」


 そんな風にひとりごちてみたけど、言葉を吐いても飲み込んでも腹は膨れない。街道から少し外れて森の中に入って、山菜なり獣なりでもないかと探しに行ってみた。

 あの辺りは地図も詳しく書いてないし君も行ったこと無いと思う。街に向かって……俺の街じゃなくて隣街の方、川がこう、森を貫いて街の傍を掠めていく感じで流れてるんだ。だから森の中と言っても商隊なんかが入ったりするみたいで、ありがたいことに道は踏み均されてたし、休めそうな開けた場所もある。腹ごなしに魚でも獲ろうと川に入ったその時に一人の女の子がいるのに気付いてね。


「……ぁ、え、か」

「何だって? 君、一人かい。なんでこんな所にいるのか知らないけど、服も無いのか」

「ぃ、み……ふく。ひとり、ふく」


 血みたいな色をした髪なんて、まともな色じゃない。それを腰どころか足元まで伸ばした十歳くらいの子が、全裸のまま木の根元に座り込んでるんだから驚いた。話してみてもこれがまた、言葉を知らないみたいに人の言った事を繰り返してて会話になりゃしない。頭の弱い娘を森に捨てたのかと思ったよ、その時はまさか今の言葉そのものを知らないなんて思わなかったから。


「捨て子か? けどそれにしちゃ顔も良いし、奴隷って感じでもないな」


 表情が無い、って言えばいいのかな。かなり綺麗な子でね、きっと生気があれば少し釣り目気味の顔全体が活発な雰囲気になったのかもしれないけど、無表情の人形みたいで何処を見てるのかも分からないくらいさ。それでも身体を売ってれば買う奴は後を絶たないだろうに。

 ん、なんだか妙な顔してるね……君も女性だから気になるかい? 安心して良いよ、その子、人間じゃなかったから。知ったのは相当後だったけどね。


「すてご、どれい、かおもいい」

「参ったな……拾うにしても首輪も服も無いんじゃ、俺が捕まるよなぁ」


 ちょうど荷物も盗まれてナイフ一本しか無いのが痛かった。君もここの暮らしが長いみたいだし、奴隷なら首輪を嵌めてるって知ってるだろ。首輪を付けててもまず全裸ってことは無いのに、それすらなく連れて歩いたら、ね。

 ああ、その子を連れていくのは決めてたよ。別に見捨てても良かったんだけど、その時はまだ普通に人間の女の子と思ってたから。一人だと簡単に行き倒れて死ぬ姿が頭に浮かんでさ、とりあえず近くの街までは面倒見るしかないかって。


「仕方ない、とりあえずこれだけ羽織って。食い物取って来るからそこで待ってろ」

「これ、これ……くいもの、まってろ」

「ああ」


 仕方ないから上着だけその子に被せて食べ物を探したら、これが案外あっさり見つかるもんだ。獣には警戒されたみたいで手に入ったのは果物だけだったけどね。ま、長い時間森にとどまるつもりも無かったからそれで十分。


「おーい、食い物取ってきたぞ。ほら」

「ほら? ほら、ほら」


 果物が三種類くらいあって、まとめて放り投げてやったら大道芸みたいにほいほい、っと掴んでた。器用なもんだとは思ったよ、俺にはできない動きだったし。

 問題はそっちじゃなくてさ、やっぱり言葉の方だ。三つを一度に渡したら一つずつ指さして「ほら?」って確認してくるんだけど、どうも全部が同じ名前なのか戸惑ってるみたいだったな。

 

「違う。リンゴとバナナと……最後のは分からないな、毒じゃないから食っていいぞ」

「リンゴ、バナナ……わからん……無い?」

「無い? ああ、名前ならあると思うけど、知らないんだよ。知りたけりゃ自分で調べてくれ」

「なまえ。しらべて。名前。名前?」


 しつこく聞いてくるもんだから、面倒くさくなって自分で調べろ、なんて言ったけどさ。頭弱いし無理だろうなって思ってのに、それがほんの数日でああなるとはね……やっぱり世の中ってのは分からないもんだよ。今でもね。

 そこからは諦めたのか、しょんぼりしながら果物を弄り回してるのが案外可愛いもんだ。

 やっと静かになった。そう思ったのもつかの間さ。


「名前。名前! おれ、名前!」


 その時にようやく意思疎通ができた、って感じかな。俺を指さして名前、名前って叫ぶから意図を汲めたんだ。


「名前って、俺の名前のことか?」

「おれの名前!」


 無表情というか面倒くさそうな表情というか。そのくせ嬉しそうな声っていうのは奇妙なもんだね。こう、腹のあたりに違和感があるよ。


「俺はコルネギス。コルネギス・ジガード」

「こるねぎす。コルネギス、ジガード。コルネギス・ジガード!」

「ああ……そういえば、お前の名前って何なんだろうな」

「お前? おれの名前?」


 どうも俺の言葉を真似してる内に、自分の呼び方も同じになっちゃったらしい。今度は自分の顔を指さして言うんだけどね。言いたいことは分かるんだけど、そんなこと言われてもってもんだ。

 素っ裸の子が名前の書いてある持ち物なんて持ってるわけもない。身体に書いてあれば楽なのかもしれないけどさ。


「ほら、ちょっと脱いでみろ……そりゃ書いたりはしてないよなあ」

「書いたり? おれの名前?」

「お前の名前がどこかに書いてあれば良かったんだけどな。そういう訳にも行かないってことか」


 近くで見ると尚更こんな森にいる理由が分からないくらい、肌もきめ細かいし可愛い顔と身体つきなんだ。後ろ髪を上げて首筋を覗いてみても、平坦な胸を見渡してみても、とりあえず太ももと一番深い所も綺麗なものだった。

 君、今引いてるかい? いいけど。

 その子も特に嫌がらないから隅々まで調べたんだけど結局手がかりは無し。そうなるとできることも無いし、考えるのは一回止めて腹ごしらえをってとこでまた面倒くさかった。何がって? ジッと果物を凝視したままで口に運ぼうとしないんだよ。


「何してるんだよ、ほら、早いとこ食べとけ」

「食べとけ……食っていい? リンゴとバナナと、わからん」


 そう言ったきり、俺をじっと見たままで動きやしない。もしかしたら、と思って自分の分を口に運んでわざとらしく咀嚼してみれば、その子も同じように動かした。もう決定的だ。その子は食べ方も知らなかった。いつまでも口の中に含んで飲み込まないけど、そればっかりは見せてもよくわからなかったのかな。


「ふっへひひ、ひんは、はふは」

「口を開けるなっての……どうしたもんかな、とりあえず川の水でも飲ませてみるか」

「ははほ、みふ……ん、ぐっ……川の水。飲んだ」

「ああ、それが飲み込むってことだ。次は水無しでも食べられるようになれよ」

「飲み込む? 『食べとけ』と『食っていい』は、飲み込む。分かった」


 得意げな顔だったらもう少し面白かったかな。無表情か、俺と同じ面倒くさそうな表情しかしないのも、それはそれで面白いんだけどね。思わず笑っちゃったよ。

 それで、だろうね。


「おれ、コルネギス・ジガードの! 名前を書く!」


 花の咲くような笑顔じゃなくて、苦笑したような顔のまま立ち上がったのも俺の真似だったんだろう。

 まあ、さすがに爪を使って下腹部に何か刻み入れ出したのはビックリしたけどさ。


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