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貴玉の心  作者: 水雨
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生まれてから二十年近く住んでいた街は、村って言った方がいいくらいに大したことが無い場所でね。

 特産や名物と言えるものなんて何一つとしてありゃしない。住人はそこそこ居るけれど、毎日農業をするか狩りをして生計を立てるしかなくて、女子供でも何かしら働いていないと食い詰めるような街だよ。都の貧民街よりはマシだったけどさ。


「ようコル、おはようさん。今日はどうする?」

「ああ、おはよう……俺は森の犬でも狩って来ようかな。巣に近づすぎなければ殺されたりしないだろ」

「そうかい。でも気を付けろよ? 慢心は死を招くってオッサンも言ってたし」

「分かってるって。お前も麦の作付け急げよ」


 俺の事をコルって愛称で呼ぶ奴の多い事。なにせ小さい街だから住民はみんな知り合いでね、同年代はほとんど顔見知りって環境で育ってきたんだ。すれ違うついでに交わす相手には困らない、そんな関係の街だった。

 俺の場合は鍬を振るより剣を振るう方が性に合っていたかな。昔冒険者だった近所のオッサンに教えられた剣が結構面白くてさ、同年代じゃ一番熱心に稽古をしてたから狩りに行く以外の選択は無かった。子供の頃は冒険者で一旗揚げようとか思ってたけど、たった一人の妹の事もあったし経済的にも余裕がある訳じゃない。他にもいろんなしがらみもあってすぐに諦めて狩人になったけどね。


「おうコル、今日も狩りか」

「農業は俺以外の方が上手いし、適材適所って奴さ。通っていいだろ?」

「当たり前だろ。いつもの事だが気ぃつけな」


 一応街だから門番みたいなのも居たけど、基本的に暇人さ。適当に手を振って外に出れば、街道と言えばいいやら、それともただの平原かな。森からは少し離れていて、獣が出ないような場所なのはありがたかったけれど、獲物を探しに行く立場としては面倒でもあるのが難点だった。

 なにせ街の近くにいる獣といえば、基本的に森の中に住んでいる臆病な獣だけだったからね。君は森犬ってのを食べたことはあるかい? 焼くと結構美味しいんだけど、生のままだととにかく不味いんだ。まあ、そのおかげで他の獣に横取りされにくいのはありがたかったよ。


「剣、早いとこ買い替えないとなあ……すぐには無理かな」


 剣っていうのも安いもんじゃないからね。その時は何年か前に買った短剣を刃こぼれの度に砥いで使ってたんだけど、それもその頃にはほとんどナイフと同じくらいの長さになっていたし、何より切れ味も正直良くなかった。さすがにちゃんとした武器が無いと獣を狩るのも難しいから、懐が痛くても買わざるを得ないわけだ。本当にため息が出たよ。

 ただまあ、その考えも甘かったっていうのは今なら分かる。俺の街辺りが丁度魔物が生まれにくい地域だったからこそ、ナイフなんかで狩りができてたんだ。そうだね、王都近辺でやろうと思ったらナイフじゃ果物を剥くくらいしかできないよ。獣を狩るのも魔物を倒すのも、良い装備ってのは重要だ……まあ、君にそんな話をしても仕方ないんだけど。


「剣も安い物じゃないってのに。しばらくは極貧生活か、辛いもんだ」


 獲物がいる森を前にしてため息なんて、狩人失格だけど止められないんだから仕方ない。面倒なことにどんな気分でも狩りをしないと生計が立ち行かないからさ。

 そういうわけで森に足を踏み入れたけど、そんな気分じゃ注意もおろそかになるに決まってる。慎重に歩いたつもりだったけど小枝でも踏んだりしていたんだろうね……人間なら気付かないような小さな音や気配でも、森犬は耳が良いうえに臆病だからすぐに気付く。いつもなら一匹や二匹は狩れている程度には時間が経っているのに、未だに姿さえ見えていないときた。


「……参ったな、そろそろ帰り支度をしないと暗くなる頃じゃないか。でもさすがに収穫なしで帰るのはまずいんだけどな」


 いつの間にやら、かすかな木々の隙間から差し込む光が弱くなってるのが見て取れた。陽が暮れるまでは時間があったけど、森の中は遥かに暗くなるのが早いから。迷っていればそれだけで危険が増す以上、森から出るのも急がないといけない。

 君は夜の森に入ったことは? ああ、そう。まあ君なら大丈夫だろうけどね。


「仕方ない、やっぱりやめだ。ここで迷う訳にもいかないし、そろそろ……ん?」


 どうにも後ろ向きな日だったし、収穫無しでも帰ることへの迷いはすぐに振り切れた。ただ帰り際に薄い緑色に光る石を見つけたんだ。それほど大きな光じゃなかったから別の何かに気を取られていたら多分見落としてたと思う。まあ、あれがタダの石だったらの話だけど。

 ちょうどこのビーストミートの切れ端くらいの大きさだったかな。指で摘まめるくらいでまんまるくて、不思議と重くなかったからポケット入れて持って帰ることにした。

 理由かい? 見た目も珍しいし、妹か街の小さい子にあげれば喜ぶかと思っただけさ。その時はそれがどういう物か全然分かってなかったから。あわよくば宝石だったら売れないかな、くらいは思ってたけどね。


「ボウズの誤魔化しにでもならないかな。ま、無理か」


 正直気を抜き過ぎてたとは思う。一応警戒しながらではあったけど、暗くなってきた森の中で淡く光る石なんて、強い魔物がいる森なら標的になるかもしれないだろ?

 犬でも時には牙を剥くときだってある。もしも群れで襲ってきたら危ないのに、よく無事に森を出られたもんだよ。そればっかりは奴らが全然出てこないハズレの日で良かったかな。


「よう、今日はボウズか? コルもまだまだだなぁオイ、はっははは!」

「うるさいっての。俺にもそういう日があるんだよ」


 結局街に戻るまで何事も無くて、門番に笑われるわ家族にはため息漏らされるわで散々だった。ああ、まあ家族とは言っても妹が一人なんだけどさ。君の妹みたいにやんちゃじゃなくて助かったよ。

 それはともかく、なんとなく妙に石が気になって夜に手の中でいじってたら、どうにも目が引き寄せられるんだ。まるで光に寄せられる虫みたいに、目を逸らそうと思ってもできないくらい意識が石に引っ張られてた。


「見れば見るほど妙な石だな……明日見て貰って、本当に宝石なら売り払うのもアリか」

「お兄ちゃん? 何、その石。宝石?」

「かもしれないから明日見て貰ってくるよ。そしたら……どうした?」


 家って言っても、俺と妹で手一杯みたいな小さな家でさ。造り自体はいいんだけどお互いどこに居ても目に入るから、当然妹だってその石を見ようと思えばすぐに見えるんだ。

 初めは薄く光ってるのが珍しくて黙ってるのかと思ったけど、どうにも様子がおかしい。ぼーっと石を見つめて、表情なんてまるで抜け落ちたみたいで、時間が経つと今度は口も半開きになって涎まで落ちてくる。

 

「おい、おいっ!? ミルフィ! どうした!?」


 慌てて揺さぶってもても叩いてみても何の反応も無いときたもんだ。あの時は本気で焦ったね、さすがに実の妹が尋常じゃない様子なんだから心配にもなるよ。

 俺が焦っている間にもどんどん妹の様子がおかしくなっていく。目は不思議と石を凝視したままなのに、体中の力が抜け落ちていくみたいに崩れ落ちていくんだ。多分意識を失ったんだろうね。

 

「なんだ? どうなってる! 何で……この石、か?」


 根拠と言えるほどでもないけど、妹の様子がおかしくなった直前に石を見たのは確かだった。別に持病があるわけでもないし、きっとそれしかないだろうと思ったんだ。今思えば、簡単な魔法を使える程度に感受性が高いうえに、心の隙間が大きい多感な年頃だったから当然と言えば当然だったんだろうけどね。

 とにかく石をどうにかしないといけない。その思いで石を蹴り飛ばしたんだけど、それが功を奏したわけだ。視線から石が消えた途端に妹の意識が戻って、不思議そうに俺を見つめてきたんだけど。


「……おにいちゃん? 顔、近いよぉ」

「ミルフィ! 意識が戻ったのか?」

「意識……ねえお兄ちゃん、あの石はどこにあるの? あの石、私にちょうだい。とっても綺麗な石だから私はあの石が欲しいの……」


 ああ、これはマズイ。そう思ったよ。

 嫌な感じが背筋をゾクゾク登って来たんだ。酒狂いって寝ても覚めても酒を求めるだろ? あんな感じで、俺の言葉なんて聞く耳も持たずに石を探して、ゆっくりだけど壊れた人形みたいに無茶苦茶に手足を動かしてる。一心不乱っていうのはああいうのを言うのかな。

 どうも何処に石があるのか感じ取ってるみたいで、芋虫みたいに蹴り飛ばした石のある方向に這いずっていく。当然行かせるわけにはいかないから押さえつけるんだけど、もう俺なんて存在しないかのように、ただひたすら石に向かおうとするんだ。


「石……石、わたしの石……いし、いし、いし」

「ミルフィやめろ! ったく、なんなんだよこの石は!」


 情けない事に無茶苦茶な力で這い寄っていく妹を止められなかったよ。正直力で負けるなんてあり得なかったから、どこにそんな力があるのか驚いたもんだ。それでも妹より先に石を掴み上げて、どうにか渡さない様にしたけどさ。


「石、いしぃいいいいいいいいいいいいああああああ!」


 あんな叫び声は聞いたことが無かった。狂乱っていうのはまさにあの事だろうね。

 俺は魔法を使えないけど、妹だってせいぜい火種を起こすくらいのもの。だから妹を怖いと思う事なんて無かったのに、あの時ばかりは本気で怖かった。心の底から感じる恐怖としてはあの瞬間が最後だったせいか、今でもアレが一番怖いよ。


「な、なんだよ、こんな光るだけの石がなんだって……え」


 きっとその時だね。俺の心が満たされきったのは。

 もともと俺も惹かれてたんだと思う。妹に見つかる前から、どうにも目を引き付けられてたのがその証拠かな。

 視界の全てがその小さい石でいっぱいになっていく感覚。心の隙間に石が詰め込まれて満たされていく……駄目だな、言葉で伝えるのは難しそうだ。

 とにかく気が付いてみれば俺は床に寝転んだまま、心配そうな顔の妹に身体を揺さぶられていたよ。どうも妹自身には自分が石に夢中だった記憶は無いみたいだった。それどころか、もう石には何の関心も無いってんだから正直訳が分からなかったね。


「ねえお兄ちゃん大丈夫? 調子が悪いなら休んだ方がいいよ」

「ミルフィ……お前の方こそ大丈夫か。さっきまであんなに石、石って言ってたのに」

「石? 石ってお兄ちゃんが握ってるその石のこと? 綺麗な石だけど、どこかで拾ったの?」

「ああ、森の中で。でもお前」


 クスクス口元に手を当てて笑う感じも、それまでと何も変わらない、いつもの妹そのままさ。寝起きみたいにぼんやりした俺を窘める姿も何から何までね。

 

「もー、獲物が取れなかったからってそんなので騙されないよ……それとね、お兄ちゃん」

「うん?」

「……あのことなんだけど、私、受けようと思うの。お兄ちゃんも知ってると思うけど信用できるし、私もウィードの事、その」


 おずおずと話を切り出す妹には、やっぱり変わった様子は無い。むしろいつもと変わったのは、俺の心の方だった。

 それまでなら戸惑って自分でも決めきれなかった話題にも心が波打たない。他人事に思うとか、全く感情が浮かばないわけじゃなくて、妹が望んで幸せになろうっていうのならその方がいいかって受け入れられた。心がアッサリしてると言えばいいのかな。


「いいよ」

「……え?」

「ミルフィがウィードの事が好きだってことは知ってる。あいつもミルフィに本気みたいだし、両親の街長も良い人達だ。それなら反対するまでも無いかな、って思ってさ」


 それまではあんなガキに妹をやるかよ、って意地を張ってたけど、もう15歳になっていた妹を俺だけのワガママで拘束するのもおかしいってのは前々から思ってたせいかな。憑き物が落ちたというか、家族を俺が守らないといけないっていう執着心みたいなものが綺麗さっぱり消えてたんだ。

 妹の結婚相手? まあ、なにせ小さな街だからね。その相手もその家族の性根が良い人だって事も知ってるから実の所不安要素何てありはしなかった。街長の息子だからって言っても、仮に離婚したとして、一度娶った相手を捨てたなんて知られたら街じゃ生きていけないよ。そう考えれば妹が不幸になる可能性はかなり低かった。

 それに、俺の言葉を聞いた途端綻んで見せた、妹の笑顔ときたら。


「あ……ありがとうお兄ちゃん! 私、私、嬉しいよ……!」


 久しぶりに撫でてやった頭は思ってたよりも随分大きくなってた。結婚を祝福してもらえて喜ぶなんて、一人前だよ。


「結婚おめでとう、ミルフィ。ウィードと幸せになれよ」

「うん……うん、うんっ!」


 ボロボロ涙を零して泣き腫らす妹を抱きしめながら、俺はずっと手の中に石を握り込んでいた。

 その時にはもう石は光っていなかったよ。この大きさじゃ容量は一人分しかなかった、そういうことなのかもしれないね。

 次の日からはひたすら祝宴の準備さ。街長の息子の結婚式だから、都ほどの規模じゃないけど街を上げての結構大きなものだった。そこそこ値の張る布地でちょっとしたドレスなんか作ってね、綺麗に笑う妹の姿は本当に素敵な光景だったよ。こういう瞬間があると石にも感謝したくなるもんだ。

 ん、ああ……妹の花嫁姿っていうのは良い物だよ。石を拾う前なら絶対に泣いてたと思う。宴会で飲んで食べて、初夜に向かう二人を見送って。一人で家に帰った時には、妹のいなくなった部屋を少しだけ広く感じたよ。

 

「さて、と。こんなもんでいいか。けど俺の家ってミルフィの物以外は何にも無かったんだな」


 がらんとした家があんまりに何も無かったのも、俺の背中を押してくれんだと思う。今ある幸せや生活を失う恐怖をそれほど感じられなくなったのが一番の理由ではあったけどね。

 手紙と家の鍵を街長に預けて、必要な物だけを持って街を出たのは太陽が昇る前だった。その日の空は薄い灰色で、ひっそり街を出る俺にとってなかなかいい雰囲気だったよ。

 旅立った理由かい?

俺自身の感覚というか、視野が大きく拡がったというか……今まで俺の心を抑えてたいろんな物が無くなって、昔やりたかったことをやろうって思ったんだ。始まりはそう、たったそれだけのことだった。

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