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貴玉の心  作者: 水雨
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 恋愛の戯曲や小説って若い女の子の間でやたらと流行してるだろ? ミルチェの奴、今だに新しい作品が出るたびに買いに行くんだよ。成長しないのは体だけじゃなくて、壊れるまでは中身も変わらないんだろうなあ。

 アルエルナにも年相応な面があったらしい。ホント夢見がちな女の子って感じで、人にもたれて陶酔したように熱いため息交じりにさ。


「私ね、貴族として生まれてずーっと窮屈な思いをしてきたのよ。小さい頃はお勉強と習い事ばっかり、ドレスが着られなくなると困るって甘いお菓子は一日どれだけって決められちゃうの。でもね、そんな時に本で読んだの。私に優しくて守ってくれて、でもクールな殿方のお話……ね?」


 ね? って言われてもね。共感しろってのも無理な話だし、俺にそうなれって要求だとしてもため息くらいしか返せる物なんてない訳だし。

それよりも俺としちゃあ、自分の心が波打たない方がやっぱり気になってたから。ああ、俺は女の子に言い寄られてもドキドキしないんだなあ、悲しいなあ……ってさ。アルエルナみたいな子でもね。


「でもそれは本の話だろ? 俺はそんな強くないし、優しくないと思うんだけどな」

「そんな事ないわ! だって、こうやって優しく受け止めてくれてるでしょ? ふふ、そうやって冷たく当たるのも優しさの裏返しなの。私だけはちゃんと分かってるから大丈夫よ」

「それも本に書いてあったのか」


 心底嬉しそうに頷かれると何とも否定しにくいのが困るもんだ。

 ……いや、あのさ、別に人としての情が無くなった訳じゃないんだから。心が波打たないってのは分かりにくいけど、心自体はちゃんとあるんだってば。ちょっと影響を受けただけで貴玉種になったとかじゃないの。

 

「運命って本当にあるのね……奴隷の身分に落とされた時は絶望したけれど、貴方に出会うための試練だったんだわ! ああ素敵! ねえ貴方、これからずっと、末永くよろしくお願いするわね」


 返事はしなかった。連れていくつもりも買うつもりもなかったからだけど、アルエルナときたら察してくれるどころか、照れなくていいのよ、ってなんというか……勝ち誇ったように笑ったんだよ。あの流れでそんな表情が顔に出るあたりは育ててきた性格なんだろうね。

 自分の見たいものを見る、そんな性格だったんだって思う。ちゃんと俺の表情をまっすぐ見てたら歓迎してないってのはすぐ分かっただろうし。

 とにかく買わなければいいってことは、俺が何の行動も起こさなきゃつつがなく流れて終わり。後は俺が奴隷市に近づかなければそうそう会う事も無いだろうから、商人とミルチェが帰って来るまでは好きにして貰うことにした。その方が波風立たずに過ごせそうな気がしたんだよ。

 まさかあんなのが出てくるだなんて想像できるはずが無い。商人も後日言ってたけど俺に落ち度は無いはず、多分。


「あ……もうこの時間も終わりなのね。見て、奴隷共が泉から出て行くわ」

「もうそんなに経ってたのか、じゃあそろそろ二人が帰ってくる頃かな。俺もその前に足でも洗ってくるよ、ちょっと待っててくれ」

「それなら私も一緒に行くわ!」


 ようやくよくわからない時間が終わる、って安心感みたいなものもあってさ。それに穿いてる靴が安物で気温が高いと結構蒸れるせいで、帰る前にサッパリしておくかって思ったんだ。

 奴隷の後とはいえ泉は綺麗なもんで、裸足のまま入って行くとこれがまた気持ち良くてね。思わず声が漏れて隣にいる女の子に笑われるくらい心地良かったよ。


「馬鹿みたいな声出しちゃって、私が居てあげないと駄目なのね。ふふ、でも本当に気持ちいい……貴方と一緒にいるからかしら?」


 前半はともかく後半は綺麗な声で、やけに耳をくすぐられたんだ。

 目を向けてみれば風で波打つ泉に立って、青い髪がサラサラ揺れて。目を閉じて風に身を任せていた姿だけは性格云々とは関係なく魅力的だったなあ。まさに歴史に残しておきたい姿って感じ。


「……アルエルナ」

「え?」


 きょとんと目を丸くした顔を俺に向けて、しばらくしてようやく名前を呼ばれたって気付いたらしい。照れくさそうにはにかんだまま、俺に向かって手を伸ばして……こう、俺の頬を撫でようとしたんだと思うんだけど。

 手が頬に当たる直前にアイツが来たんだ。バカの差し金ってわけじゃなくて単なる腹ごなしだったらしいけど、こっちとしちゃたまったもんじゃないっての。ねえ?

 何となく泉の雰囲気が変わったかと思ったら、泉の真ん中に男が一人突っ立っててさ。腹を押さえながら言うんだよ。


「はてさてどうも……食事とするには余りにも安い、やはり人族は食用には向きませぬか。いえいえ貴方がたに何ら罪はございませんで。むしろ感謝させて頂く次第でございます」


 仕事帰りの疲れた人ってのはあんな声だなあ、って。状況が分かってない上に危機感も無いなんて我ながら困ったもんだ。

 ノロノロと頭を下げたと思ったら水の上を驚くほど普通に歩き出すから、アルエルナが誰よりも最初に声を出した。出さなければもしかしたら何かが変わったのかもしれないけど……今更だね。


「な、なに、何よ貴方!? 誰だか知らないけど邪魔するんじゃないわよ!」

「邪魔ですか。申し訳ございません、では速やかに終わらせていただきましょう……いただきます」


 とぼけた顔で何言ってるかと思ったもんだ。そりゃただの優男じゃないけど、一体何をするやら俺もアルエルナも怪訝に見てたんだ。ああ、アルエルナは後ずさってたけどね。

 俺達のすぐ傍、ほとんど隣にまで来て手を合わせるなんて聖教の連中でもしないだろ? じゃあ何だってところで『いただきます』。

 そこで格好よくパッと後ろに下がれれば一番だったのに、俺の脚じゃ踏鞴を踏んでよろめくのが精いっぱいさ。

 

「っ、と!」


 口が大きく開くだけならともかく、人を飲み込めるほど広がられちゃ驚いて動けなくなるのも無理はない。アルエルナもそうだった。


「ひっ、あああああっ!? 何よ、何なのよ!」

「んあ……これは案外素早いですね。ではもういひど、ひははひまふ」


 これは死んだ。一度目の確信だったね、もう一度逃げようにも足が動くのが致命的に遅かった。

 ふと、アルエルナはどうしたって思ったんだ。すぐ傍で悲鳴を上げてたはずだけど……ってね。死への恐怖で頭が真っ白になるっていうのは結局、心の隙間が無いとならないんだろうな。

 その時だよ。俺の身体が横から押されたのは。

 最初はアルエルナが、俺を囮にして逃げようとしたのかって思ったんだ。自分本位な奴ならそれくらいするかなってのはすぐに考え付いたし、それならそれで仕方ない。誰だって他人の命より自分の命だからね。

 でも、違ったんだ。


「貴方! あぶな――」


 敵は食べる相手に執着してるわけじゃない。食べられれば何でもいいんだから、俺じゃない人間が口元に来たのならそいつを食えばよかっただけだ。

 振り返ったときにはもうアルエルナは、首と口を伸ばした男にばくん! 肉と骨の砕ける音は嫌なもんだね。

 ……まさか俺を突き飛ばして助けようとするなんて思わなかった。


「んあ、む。ごちそうさまでした。しかしなるほど欠片も美味しくはありませぬ、やはり魔力が足りなさすぎますな。時にそちら様、貴方は魔力をお持ちでございましょうか?」


 滴る血も不味そうに飲み込むくらいなら魔界に帰ればいいだろうに。多少時間は掛かっても戻って帰ってくるくらいはできるだろうにさ。それもご丁寧に脚の先まで全部飲み込む食べっぷり、残ったものと言えば泉に広がる薄い血の色だけだった。さっきまでは青い色がなびいていた場所は何にも残っちゃいなかったよ。

 とにかく剣を向けはしたものの戦いになるとは思えない。このままアルエルナと一緒にあの世行きかと覚悟を決めて……驚くほどあっさり決まる覚悟もあったもんだけど、死ぬ気満々なまま斬りかかることにしたんだ。

 ああ、もちろん敵わないと知りながらね……どうせ逃げられないんだし、一太刀でも浴びせて敵討ちついでになればって思ったんだよ。


「は、あああああッ!」

「食べさせていただきます。ひははひま」


 俺は今もここで生きてる。でもアルエルナは結局俺の名前も呼ぶことなく、最後まで身勝手なまま死んだんだ。

 その子は幸せだった、か。それは皮肉かい? 


 ま、結局倒す算段も方法も無い俺が生き延びられたのも、全部他人のおかげさ。

 その時はミルチェのおかげだった。まあ俺の傍にいる事が多かったのはミルチェとリアネアくらいだから、大体はミルチェのおかげで助かった事の方が多いんだけど。


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