1-7 碧の月光花
ウルススを追って、私は魔境の中へと入っていった。後ろからは熊谷さんの必死で止めようとする声が聞こえてくる。
しかし、ここで逃してしまっては後に面倒なことになってしまう。今しっかりと倒さなければいけないだろう。
そう思って私は危険を承知で魔境を進んでいった。
――魔境は幻想世界の入口である。
昔の冒険家でそう言った人がいたそうだ。
魔境は魔素を溜めこみやすい場所。そのためその魔素を過剰に取り込んだ植物や生物が多数発生し、私達の日常では見られない光景を魔境は見せると言われている。
現に私が今通っている道にも光り輝くきのこが生えていたり、鱗のようなものに覆われたネズミが飛び出したりしている。
ここの魔境は富士や知床ほどに危険度が高いというわけではないが、全く安全というわけでもない。
そのため私は周りを警戒しながらも闇夜に紛れながらもかすかに見えるウルススの後ろ姿を追う。
そして魔境に入ってから10分ほど経っただろうか。深く茂る樹林エリアをウルススを追って駆け抜けると、広く開けた場所へと出た。
深く生い茂っていた樹林から一転、遠く先まで見渡せる原っぱに景色が変わる。その急な変化はどこか不自然で、どことなく薄気味悪く感じられた。
そしてその広場の中心地にはたくさんの碧く輝く花が咲いており、ウルススはその花畑の中に突っ立っていた。
(ここは……何?)
するとウルススは先程と同様、いや、先程よりもさらに激しく頭を掻きはじめた。まるで頭に纏わりついた大量の蟲を掻き払うかのように。
やがてその手は頭から首へと移っていき、血しぶきがたったと思ったらウルススはその場で倒れた。
「何なのよ……これ……」
碧く妖しく輝く花に、自らの首筋を切り裂いた魔物。
その異様な光景は幻想世界と言って間違いはない。ただそれは子どもが喜ぶおとぎの世界とは程遠かった。
「これは禁断症状だな」
気付くといつの間にか追いついた九條先生が私の隣に並んでいた。
「え……?」
「ほら、あそこに碧い花が見えるだろう? あれはマジック・フラワーと呼ばれる植物で、麻薬の原料になるものだ。使用者には魔力と身体能力の向上と強い興奮をもたらすが、副作用として知能の低下や感覚の麻痺、それに幻覚症状が出てくる。あの熊みたいにな」
だらしなく舌を出して倒れ伏したウルスス。その眼にはもはや生気はなく、黒い瞳はひどく濁りきっていた。
「じゃあ……、私が炎の魔法や魔導具を浴びせても効果がなかったのって……」
九條先生は静かにうなずいた。
「けど何でこんなところにマジック・フラワーなんかが……? 日本で自生するなんて聞いたこと……」
「それは当事者に聞いてみた方がいいんじゃないか? なぁ、爺さん」
「――え?」
後ろを振り向くと熊谷さんをはじめとする多くの村人たちがぞろぞろと木陰からでてきていた。手には斧やら鎌、魔導銃を握りしめて。
「だから魔境に入るなと言ったのに。余計なことを」
熊谷さんはため息を吐いてそう言った。その表情には初めて会った時の、優しそうな面影はすでになかった。
「ど、どういうことですか……?」
「簡単な話だ。あいつらが、化野村の住人が魔境で人知れず麻薬を栽培していたんだ」
村ぐるみで麻薬の栽培……? 何で? どうしてそんなことを……
「く、熊谷さんどうしてこんなことなんか……」
熊谷さんはくつくつと笑う。
「どうして? ただ金が欲しかったから。そこにいる小僧みたいに。魔境はね、魔物どもがうろついていて人はなかなか入らないんです。マジック・フラワーを栽培するにはちょうどいい場所なんですよ」
「しかしそれが災いして魔物が狂い、村まで襲い始めた。だから役所には何も言わずに万が一バレたとしても後始末ができるよう私達に依頼した。そんなところだろう、ジジイ?」
「……本当に生意気な小僧だ」
「そんな……ひどい……」
ガシャリという音が鳴る。魔導銃がリロードされる音だ。
私はすぐさまに魔導銃を浮遊の魔法で武装解除させようと手をかざす。しかしすんでのところで九條先生に止められた。
というのも魔導銃には魔法耐性の術式が描かれていたからだ。下手な魔法は熊谷さん達を無暗に刺激するだけのこと。
――それはまさに絶体絶命の状況を意味していた
私の使える魔法でノーモーション発動ができるのは浮遊の魔法や照明の魔法くらいしかない。さっきの戦闘で使った障壁魔法は私ではまだ発動に時間がかかりすぎるから構成しているうちに撃たれてしまう。
それにあの銃に魔法耐性の術式が組み込まれているということはおそらく魔法障壁を撃ち抜く効果も付与されているはず。
こうなっては九條先生もお手上げなのでは……。
「さて、お嬢さん達。本当は穏便に済ませたかったんですがね。ここを見られてしまってはしょうがない。最後に何か言い残したいはありますか? あなた方の墓前に記してあげましょう」
熊谷さんは卑俗な笑みを見せる。
表向きの紳士調の声とは裏腹に、私達の命を握っているという状況に対する残虐な態度が見え隠れしていた。
「……熊谷さん、あなた方はこんなことをして心が痛まないんですか。その花一束でどれだけ多くの人が被害を受けるか、あなた方には分からないんですか?」
「そんなことくらい分かっていますよ。自分達がどんなやばいものを育てているかなんてね。けれどしょうがないじゃないですか、私達魔法の使えない人間は普通の方法では大金を手に入れることなんてできないんですよ。あなた達魔法使いと違って」
「そんなこと――」
「――そんなことない、ですか? いいえ、そんなことあるんです。お嬢さんは分からないでしょう。なんせ魔法の一つでも唱えればそれだけで私達が一日汗水かいて働いた分よりお金を多くもらえるのですから。あなた方と私達ではそもそも生きている世界が違うんです。そんな恵まれたあなたから偉そうに物の良し悪しなんか問われるなんて正直、虫唾が走りますよ」
熊谷さんの言葉に、私は少し言葉を詰まらせた。
確かに魔法の才能は生まれ持ってのものであり、それによって人生が左右される。そして魔法を使える人は少なく、いずれも待遇の良い魔法職に就く。
生まれ持っての才で差別される社会を見たら、熊谷さんが言っていることは的を得ているのかもしれない。
けれど……、けれど問題はそこではないはずだ。
「……だからと言ってこんなこと、許されるはずがありません。どんな理由があろうと、人からお金を搾取する麻薬を正当化させるわけにはいきません。こんな方法以外にもやりようはいくらでもあったはずです!」
化野村の人達は確かに生活が苦しいのかもしれない。欲しいものが買えないくらい裕福ではないのかもしれない。
けれどそれが悪事を働かなければならない理由にはならないはずだ。犯罪に手を染めなくたってここの人達なら他にやりようがいくらでもあったはずだ。
だから私は胸を張って言える。それは間違っていると。多少の同情はあるかもしれないけど、だからと言ってそれを認めてはいけないんだ。
――偉大な魔導師になりたいのだったら強きをくじき弱きを助け、決して悪に加担しないような強い信念を持ちなさい。そしてどんなことがあってもその正義を貫きなさい
お父さんは昔、私にそう言った。それは私が魔導師になろうと心に誓ったきっかけの言葉だった。
そうだ、何があっても悪に屈してはならない。自分達が得するために他の人達を貶めるようなことを容認してはいけないんだ。
私は熊谷さん達を強く睨みつけた。たとえ死ぬことになったとしても悪には決して屈しないという想いを込めて。
「ふん。別にあなたに許されようがされまいが関係ありません。警察にバレなければいいんですからね」
ニタニタと村人達が笑う。
それは私のこれまでの魔導師への夢を、信念を、夢を蔑んでいるようであった。
「現実は学校で教わるような理想ばかりではないんですよ、お嬢さん。どんなに努力してもどんなに気高くあっても報われないこともあるし、一方で少しの悪事で莫大な金を手に入れることもできるんです。だったら楽して金を稼ぐ方がいいじゃありませんか。ねぇ九條先生、あなたもそう思うでしょう?」
彼らの不愉快な嘲りに、九條先生は含みを持った笑みを浮かべた。
「……確かに。爺さん、あんたの言っていることは間違いないな。真面目に貧乏暮らしなんかするよりも、こうやって大金を掴む方がずっと賢い生き方だ。マジック・フラワーなんかに手を出すのも分からなくはない」
「――九條先生!?」
「姫宮。お前の思っている正義なんて所詮は理想でしかないんだよ」
頭を後ろからガツンと殴られたような気分だった。
確かに九條先生は金に無心だし、偏屈だし、性格悪いしお世辞にも良い人とは言えない。
けれどこんな悪事を認めてしまうほど冷酷な人間だったなんて……。
「――だってそうだろう? ここにいる無能な連中は魔法を使えるほどの器量もなく、えっちらほっちら畑耕すので一杯一杯なんだ。それにこいつらも言っていただろう? 自分達はこんなしみったれたことしか能がないって。そんな哀れで愚鈍な連中ならば金に目が眩んでマジック・フラワーなんかに手を出すことは何もおかしくなんかない」
……へ?
「な、何だと!?」
今度は不意におでこを前からビタンと平手打ちされたような気分だった。
「魔法が使えないから貧しいだって? そんなの魔法を使えない方が悪い」
そ、そんな暴言聞いたことがない。それも目の前に魔法が使えない人がいる状況で。
熊谷さん達は一気に殺気立った。
「おい、先生よ。この状況、分かってんのか? もう一度言ってみやがれこの野郎!」
恐ろしくドスの利いた声。
先生、お願いだからさすがにこれ以上挑発するようなことは――
「何度でも言ってやる。魔法も使えないのなら身の程を弁えて慎ましく貧乏ったらしく暮らしていろ! 私はお前らみたいに能力もないのに不平ばかり言っているような爺婆が大っ嫌いなんだよ! そのしみったれた姿を見ているだけで吐き気を催すね!」
「もう我慢ならねえ。この小僧をぶち殺せ!」
先生のバカ――ッ!
怒気の混じった村人たちの声に私はもうダメかと思った。
だけどしかし、瞬間、視界に広がったのは眩しいばかりの閃光だった。
そして数瞬後には全身を簡易装甲に身を包んだ15人程度の人間が銀色に輝く魔導銃を持って村人たちを包囲していた。
「――群馬県警だ。今すぐ武装を解除しなさい!」
武装した者たちのうち装甲の右腕に赤いラインが入っている男が声を上げた。
突然のことに村人たちは戸惑いながらも手に持っている武器を地に落とし両の手を挙げる。人数では若干勝ってはいるものの、武器の性能からして勝敗は明らかであった。
「な、なんで警察がここに……!?」
「警察も馬鹿じゃないってことだ。あらかたあの村からマジック・フラワーが出回っていることを嗅ぎつけていたのだろう」
「……九條先生は警察が来るって分かってたんですか?」
「何だ、気付かなかったのか? 四六時中監視されていたんだがな」
そう言えば熊谷さんに村を案内されていた時九條先生は茂みや木陰をやけに見ていたような気がするけど……。
「まぁ、何であれ依頼料を前払いにしておいてよかったな。警察に捕まって未払いということにならなくて」
「……」
◆
その後私達は警察の人に連れられ事情聴取を受けた。警察もあの場面を見ていたせいか私達が共犯であるという疑いをかけられることはなく、すぐに釈放されることになった。
『あなた達も村の人に騙された被害者』
担当してくれた警察官の人はそう言ってくれた。けれどそう言われても私の心は晴れることはなく、警察署に出てからもモヤモヤした感情が渦巻いていた。
「どうしたんだ? そんな釈然としない顔をして」
ふと私の顔を覗き込んで九條先生が尋ねてきた。警察署を出てしばらく、私は黙ったままうつむいていたからだ。
「……私達がしたことって本当に正しいことだったのでしょうか」
「何のことだ」
「ウルススを討伐したことです。最初は私も村を苦しめる魔獣と思って自分の信念に従いウルススを倒しました。けれど実際は違いました。ウルススも村の人達の被害者で、私達は体よく利用されただけ。この依頼に魔法士としての正義はあったんでしょうか?」
今でも思い出されるウルススの濁り切った眼と熊谷さんの醜悪な表情。私は何のためにウルススと戦ったのか。私がやったことは悪を助けただけだったのか……。
塞ぎこむ私に、しかし、九條先生は鼻で笑って答えた。
「正義ね……。別にそんなのあってもなくてもどうでもいいじゃないか。私達は正義の味方でも、ましてや秩序を律する神でもない。ただ魔法を使えるに過ぎない人間だ。正義だのなんだの言っていること自体ナンセンスだよ。私達は受けた依頼をただ遂行する、それだけだ」
「けれど私達魔法使いは誰もが笑って平和に暮らせるようにするためにも正義を掲げて魔法を使わなくてはいけないはずです」
「……本気でそう言っているのか」
「はい、至って真面目に言っています」
「ならば君は大馬鹿者だ。いいか、姫宮くん。私達魔法使いは平和だとか誰かのためだとかの馬鹿げた物のために魔法を使うのではない。自分のために魔法を使うのだ。それは今までの歴史でもそうだったし、これから先の未来でもそうなっていくだろう」
「しかし倫理も思いやりもなくては世界は壊れてしまいます!」
「違うな。君みたいな言うことだけが立派の無能な理想主義者が跋扈するようになった時こそ世界の崩壊だ」
そう言うと九條先生は私より数歩前に出た。
「さて、私はこれから特急の特等席に乗って帰るが君はどうする?」
「……私はしばらくお土産を見てから帰ります」
「そうか、ならば今回の研修はここまでだ。来週もあるからいじけてないでしっかり来いよ」
「別にいじけてません」
そうして九條先生はさっさと電車に乗っていった。
豪華な車両に乗り込む先生を見て、私はこれからも先生とやっていけるかどうかという不安をより感じた。私と先生は考えも価値感も見ている方向も全く違うのだから。
だけどそれ以上に先生に対する対抗心が強く私の胸を熱くさせた。
――たとえ何と言われようと、私は私の信念を曲げない、と。
第1章終わり!
次回はそこそこ話が固まってから投稿したいと思うのでしばし間空きます。