1-5 化野村
明々後日の土曜日と日曜日は魔境に行って魔物退治。いきなり大人さながらの大仕事だ。
他のゼミでは初回は自己紹介程度で、私のところみたいにいきなり現場での実戦というのはまずない。まぁ、もともとプログラムに組み込まれていたものではなく成り行きでそうなったのに過ぎないのだけれども。
それにしてもあの九條秀とかいう魔法士は何なのだろうか?
人を平気で見下すわ、態度は傲慢だわ、私がひそかに気にしていることをずかずかと言うわ……。
性格が悪い……、いや人格が崩壊しているにも程がある! そんな人間のもとで少なくとも一年間過ごさなくてはならないと思うと本当に気が滅入ってしまう……。
「マナ、どうしたの? そんな浮かない顔をして……?」
夕食時、ただ黙々と食事を口に入れる私を見てスプーンを片手にお母さんが心配そうに聞いてきた。私の大好きなカレーライスにも関わらず、少し思いつめていたからだろう。
「いや、ちょっとゼミのことを考えていて……」
「そういえばマナは今日ゼミの授業か」
とお父さん。福神漬けをこれでもかと言う程カレーに盛り付ける。これはお母さんの中の数少ないお父さんの嫌いな癖その一なのだそうだ。お母さんはそれを見て口元をちょっと歪ませていた。
ちなみにカナがいればお皿に半分減った福神漬けは跡形もなくなくなってしまうのだが、あいにくカナは友達の家でお泊り会とのこと。
「今日私のところにも来たよ、駒学の生徒。みんないい子そうでよかったよ。マナの先生はどんな人だったんだい?」
お父さんは魔法省の魔術師として魔法教育課で働いており、一昨年から駒場魔法学園の魔術師師弟制度にも参加している。ちなみに魔術師師弟制度の教官の中でもお父さんは比較的最近参加した新参者なのであるが、生徒からの人気は中の上なのらしい。
「九條って魔法士の人だったんだけど、もう最悪よ! 金にはがめついし、人を小馬鹿にしてくるし……同じ血の通った人間とはとても信じられない!」
「あら、マナがそこまで人のことを悪く言うなんて珍しいわね。よっぽどの人ってことかしら? もう変えてもらうことはできないの?」
「来年までは駄目だって。まあ一年我慢すればいいだけだから……」
しかし進級時にゼミ変更が可能で本当によかった。学校によってはゼミの変更ができないというところもあるらしかったので不幸中の幸いとでも言うべきだろうか。もし三年間ずっとあいつのままだったらきっとぐれてたね。
すると私の言葉に反応してお父さんがぼんやりとつぶやいた。
「……九條? どこかで聞いたことあるな。その名前……」
「どうせろくな噂じゃないわよ。依頼料ぼったくられたとかそういう感じの。それよりお父さん、今度の土日に事務所の依頼で魔境に行くんだけど“アレ”持って行っていい?」
「ふむ、“アレ”を持って行くってことは魔物との戦闘か……。別にかまわないがくれぐれも注意するんだぞ」
「うん、分かってる」
◆
そして約束の日。
私達は熊谷さんが待つ『化野村』に向かった。
化野村は群馬の山奥にあり、実に時間がかかった。電車で最寄駅に着くまでに2時間。駅で先生と合流し、そこからバスでさらに40分。朝早くに出たというのにいつの間にやらもうお昼過ぎなのだ。
けれど苦労して来た甲斐はあったと思う。辺りは緑に囲まれていて空気はおいしく、どこからか聞こえる川のせせらぎは先生とともに行動して荒んでいった私の心を癒してくれた。
「やっと着いたな。しかしど田舎だけあって何もないじゃないか。周りに見えるのも山、山、山! 山しかない! こんなにも君のそのぺったんこが希少価値を帯びるのも珍しいんじゃないか?」
……もうね、何もかもぶち壊しにするよね。この人。
「だいたい何でバスを待つのに1時間も待たなければならないんだ!? タクシーすらないなんてここは暗黒大陸かどこかか?」
「それは先生が喉乾いたとか言ってバスが来てるのにどっか行っちゃうからいけないんでしょう!? おかげで熊谷さんとの約束の時間に間に合わなくなっちゃったじゃないですか!」
本当に、この人にプロ意識とかあるのだろうか?
「それにしても小娘、おまえやけに荷物多くないか?」
対して九條先生は私の怒り声など無視し、私の持つアタッシュケースを指した。そんな先生の自由奔放さ、もといちゃらんぽらんさには全くもってため息が出てしまう。
「これは戦闘用の魔法礼装と対魔物用の魔導具が入っているからです。逆に先生は何でそんなに荷物軽そうなんですか? 小さなハンドバック一つっておかしいでしょ!?」
「私は凡庸な君とは違って超優秀な魔術師だからね。魔物の一匹や二匹相手するくらいじゃ魔法礼装やら魔導具やらはいらないのだよ」
「むっ……」
装備の差。
確かにそれもあるだろうけど、それでも日用品と着替えしか入れていない私のリュックサックの半分くらいしかないというのは納得できない。これが男女の違いってやつか……。
「遅かったですね、二人とも。途中で魔物に襲われてしまったのではないかと心配してしまいましたよ」
ふと、道の先から熊谷さんが手を振ってこちらにやってきた。一時間ここで待ちぼうけさせてしまったと考えると本当に申し訳のないことである。
「すみません。一本早いバスに乗るつもりだったんですけれど――」
「すみませんねぇ、熊本さん。この未熟者がトイレトイレとうるさかったのもので。まったく小学生か、て」
あ、こいつ私のせいにしたよ。しかも依頼人の名前呼び間違えているし。
「まぁ、無事ならよかったです。それじゃあ村の様子でも見てもらいましょう。ささ、こっちです」
そうして熊谷さん案内についていくとぽつぽつと家屋が見えてきた。
東京の住宅街と違って家と家とは密接しておらず、その間には広大な田畑が広がっていた。田舎というと静かで穏やかという感じがするのだが、ここはどちらかというと過疎化の文字がちらつく。
そして村を先へ先へと進んでいくと、熊谷さんが奥の方を指差した。
「これが魔物に荒らされた畑です。ここには夏に向けてスイカを植えていたんですが、見ての通り苗からやられてしまったんです。今年の収穫はもう見込めないでしょう。そして向こうのひしゃげた物置き小屋が魔物に体当たりされたものです」
畑はショベルカーが無造作に掘りこんだかのように荒れており、家はそれはもうダンプカーが突っ込んだんじゃないかというありさまだった。
……あれ、アーテル・ウルススってこんなに凶悪だったっけ?
「ふむ、被害から見るに魔物の体長は5m……いや、もう一回り大きそうだな」
と九條先生。
むむ、これは思っていたより苦戦するかもしれないぞ……。
「どうですか?」
私が顔をしかめていたのを見て心配したのか、熊谷さんが声をかけてきた。
「……いえ、思っていたよりも大きかったのでびっくりしただけです。それじゃあ熊谷さん、準備が整い次第魔境に入って熊を探したいと思うのですが……」
「――そ、それはまずい!」
「へ?」
と声を荒らげる熊谷さん。普段は穏やかな口調だったのが、急に大きな声を出したので少しびっくりしてしまった。
「い、いや、何しろ魔境では方位磁針もうまく機能しません。迷子になってでもしたらそれこそ大変です。それに魔境には他にも危険な動植物も棲息していますし、無暗に入るのはあまりおすすめできませんよ」
確かにそうだった。
中等部の演習では生徒数人で臨まなければならないくらいに危険なところにはなっている。それにもうすぐ日も落ちてしまうだろう。
「そうですよね。ちょっと気が早まってしまいました。しかし、そうすると魔物が村に出てこなかった時はどうしましょう? 一応依頼の期限は今日明日となっていますし……」
「そうですねえ、だけどあいつはここ最近毎日のように出てきています。期日中には姿を現しそうなんですけどねえ」
「では魔物が出てきた時に私達が迎撃すればいいんですね! 熊谷さん、必ずやその魔物を倒し、村の平穏を取り戻してみせますよ!」
私はそう言って熊谷さんの手を取った。すると熊谷さんは何度も頭を下げて、「ありがとうございます。本当に助かります」、と言ってくれた。ちょっとむずがゆい気持ちになったけど、そう言ってくださって私はすごく嬉しかった。誰かのためになることがこんなにも気持ちのいいことなんだって。
そして私は確信した。依頼人の話をよく聞いて依頼人に心から感謝されるような関係を築くこと、それこそが本来の魔法士の仕事なのだと。
ちらりと九條先生の方を見る。これが魔法使いとして、人としての在り方なんだぞって。
しかし一方の九條先生は私と熊谷さんの話をぼんやりと耳を傾けていただけだった。ほとんどを私に任せると言ったからなのかもしれない。
先生の眼差しは青々と木々が茂る魔境の方にいつまでも向いていた。
◆
被害状況を確認した私達は魔物の襲撃が来るまで熊谷さん宅にある離れの古い小屋で待機することになった。意外にもその小屋は燻んだ見かけとは裏腹に暖かく、食事も熊谷さんが自ら御手製山菜料理を振る舞ってくださったためとても快適に過ごすことができた。
おそらく都会ではこのノスタルジックなお家の風情と人と人との温もりというものを決して体験することができないだろう。こうしてここに来るだけでも私は満足してしまいそうだ。
しかしそうしたしみじみとするような空間であっても一つだけ、非常に解せない問題もあるわけで――
「何で私と九條先生が同じ部屋になるんですか!?」
「私だって君なんかと同じ部屋はお断りだ。何でど田舎に来てまでこんな貧相な小娘と囲炉裏を囲まなければならないのだ。君がこんな依頼を引き受けさえしなければ今頃私は銀座の高級ホテルでナイスバディな美女と楽しい時間を過ごせていたはずなのに!」
まさか九條先生と相部屋になるなんて。
いくら他に部屋がないとは言っても、年頃の女の子を男の人と同じ部屋にするなんて不純極まりないでしょ!
まぁ九條先生は私にはやましいことしそうにないからいいとは思うんだけど。……それはそれで何かムカつくな。
「それにしても魔物退治ですか……。何だかちょっと残酷な気もしちゃいますね。魔物だって悪気があって村を襲った訳じゃないだろうし……」
「しょうがないだろう? 多少のオイタならともかく、人間様に危害を加えるのならな。それに何匹も殺していけば君も慣れてくる。感情的になりすぎだ」
「それは分かっていますけど……」
「いいか、姫宮。私達は受けた依頼を完遂させればそれでいいんだ。そこに情だの何だの入れてくれるのよ? 君だってそんな生半可な気持ちで引き受けた訳ではあるまい」
「も、もちろんです!」
「なら、この話は終わりだ」
私だってただ熊谷さんや村の人がかわいそうだと後先考えずに引き受けた訳ではない。ちゃんと魔物と戦い、そして魔物を殺すことだってしっかりと想定していた。
だけどいざこの場にきたら生きている魔物と戦い、そして殺せるか不安になってしまう。退治しなければならないのに、それを恐れてしまう自分がいる。まだまだ私は未熟者なんだと思う。
そんな葛藤を抱える私に比べ、さすがに九條先生は落ち着いていた。今まではさんざんその人格からこの人のことを疑っていたけれど、こういう時になるとやはり経験の差というのが出てくるんだと思う。
今だって九條先生は落ち着いてふとんを敷いて毛布にくるまろうと……。
え? ふとんを敷いて――?
「おい、ひよっこ」
「な、何ですか?」
「私は寝る。だからお前は何かあった時に備えて起きてろ」
「なっ……まだ11時ですよ!? それにここはお互い有事に備えて起きているものでしょう!?」
「そんなの知るか。そもそも私はこんなはじめてのお使いみたいな依頼に巻き込まれてしまった被害者だ。それに君はこの依頼を私抜きでも引き受けると意気込んでいたではないか?」
「そ、それはそうですけど……」
「ならそういうことだ。じゃ、お休み」
「ちょ、ちょっと」
え、嘘でしょ? 私だけ起きて見張りするの!?
中央の囲炉裏のかがり火のみが部屋を照らす中、虫の鳴き声が部屋を響いた。九條先生は寝息すら立てずに静かに眠ったため余計に虫の音が頭に響く。
――お化けとか、出ないよね?
一瞬、入口の障子がガタっと鳴った。不意を突かれた私は思わずその場でへたり込んでしまった。「うひゃあ」、とかいうあられもない声が出た気もしたけど、この時ばかりは恐怖と緊張で羞恥を感じるほどの余裕はなかった。
意を決した私は身構えつつ恐る恐る障子を開けた。しかしその先には何もなく、ただ草木がなびいていただけであった。……どうやら立て付けが悪かっただけのようだ。
しかし一度生まれた恐怖というのはなかなか消えるものではない。さっきまでは暖かさで包まれていた室内も、今見渡すと嫌に間取りが広く、不気味な薄暗さを醸し出していることに気がついた。趣のあった小屋の木目もよくよく見たら人の顔に見えてきた。
そう思い始めるとどつぼにはまる一方で、歩くと軋む床も、わずかに燃えるかがり火も、呼吸に合わせて上下する九條先生に覆いかぶさった毛布も、全てがすべて私を陥れようとしているという錯覚を抱くこととなった。
……か、帰りたい