3-4 悪夢の森
朝早くに札幌に着いた私達は列車をいくつも乗り継いで炭坑があるという稚内に向かう。北海道といえば雪国として有名だけど、夏の今は緑が豊かで涼しい風が吹く休養地兼避暑地として最適の場所のようだった。
そして駅から歩いてしばらく、目の前には針葉樹林で生い茂った魔境が広がった。東北の魔境のなかでも同県の知床に次いで危険度なこの魔境は私達のように許可証をもらった人間しか入ることが許されず、周囲には立ち入り禁止の看板がそこかしこにあった。
セフィリアさんの会社もこの先の炭鉱場の土地を手に入れるのに安全面での理由から政府からとても渋られたのだとか。結局多くの魔術師をスタッフとして雇い入れることにより、何とか政府から許可を得られたらしい。
そんな経由もあり、私は細心の注意を配り魔境の中を進んでいった。私自身魔境に何回か入った経験はあるが、ここほど危険とされる魔境に入ったことがない。
一方、九條先生はと言うとセフィリアさんべったりと付いていてもはや護衛の体をなしていない。話していることも非情にどうでもいいことばかりで本当に何しに来ているのかすら分からない有り様。心の底からイライラする。人の心を逆撫ですることに関しては誰にも負けないに違いない。
しかし――。
魔境に入ってから1時間は経っただろうか、私は少し違和感を覚えた。というのもここに潜ってからまだ一匹の魔物に遭遇してすらいないのである。
今まで入った魔境も人を襲うものであれ襲わないものであれ、入って5分もしないうちに遭遇する。ましてやここは危険度が他とは段違いに高い場所。それも棲息する危険な魔物が数多いとして有名な――
すると突然九條先生の歩調が止まった。目の前には見通しのいい開けた空間が広がっていた。ただそれは自然にできたものではない。地面はでこぼこと抉られ、太い幹がところどころに転がっていた。
一目見て分かった。魔法使い同士の戦闘が行われた跡であるということに。それも高い実力者同士の。
それで合点がいった。魔物が姿を現さなかったのはこの戦闘に警戒してのことだったのだ。魔物は人よりも敏感に魔力を察知することができるのだから。
私は一歩下がって辺りを見澄ました。魔力の残渣から戦闘が行われたのはついさっき。ということは事を起こした魔法使いがまだ近くにいる可能性が高い。いやがおうにも警戒せざるをえない。
すると戦闘地の端に黒い布きれのようなものが落ちていた。
いや、違う。あれは人だ。それも昨日の夜行列車で乗り合わせた公安の人――
「大丈夫ですか!?」
咄嗟に私は彼を助けに行こうと前へ出た。意識があるかどうかは分からないけれど、かすかにまだうごいている。今なら助けられるかもしれない。
確かに昨日は監視されているようで嫌な気分だったけれど、この人は別に悪い人というわけではないし助けない理由なんてない。
しかしそんな急ぐ私を九條先生が腕を掴んで引き留めた。
「何で止めるんですか!? 早くしないとあの人の命が――」
その時だった。目の前で強烈な爆発が起こった。
それは公安の人がいたところを中心に地面を大きく抉り、散らばっていた木々をまとめて吹き飛ばした。
「何よ……、これ……」
私は幸い九條先生の作った障壁魔法に守られて傷を負うことはなかった。
だけどさっきいたはずの公安の人は原型をとどめず消え去り、辺りには彼のものらしき肉片が散らばった。その様に私は何も言葉がでなかった。
するとそんな惨劇の中、どこからともなく背筋が固まるようなゾッとする笑い声が響いてきた。
「クヒヒ、クヒヒヒ。私の喜劇はお楽しみいただけましたかな? こそこそと動き回っていた薄汚い鼠がこのように派手に散らばるのは」
奥の木陰から出てきたのは黒いローブ状の魔法礼装に身を纏った初老の男性だった。その恰好は欧州の気品ある魔法使いというものだったけど、彼の目は酷く淀んでおりそれだけで悪魔か咎落ちした魔法使いのような印象を受けた。
「申し遅れました。私の名はケスタ。ただのしがない人形師でございます」
言いざま、彼の周りに突如いくつかの魔法陣が発生したかと思うと、そこから何体もの人形が出てきた。
いずれも人形というには嫌にリアルで、それぞれが腕や足、頭といった体のどこかが欠けていた。
「私はとある方の命によりセフィリア=ブランジェ、あなた様のお命をいただきに参上いたしました。何、心配することはございません。あなた様は私のコレクションの一つとして永らえることができるのですから」
彼から放たれたのは狂気に満ちた異様なオーラだった。以前の魔物退治や真由佳ちゃんの時に向けられた敵意や殺気なんかとは違う。ただ怖いのではなくて、こちらまで壊れてしまいそうなそんな危ないものだった。
「まずいわね……。よりにもよって彼を雇い入れるなんて……」
セフィリアさんが私達の前で初めて苦い顔をした。
「誰なんですか……、あの人……?」
「彼はケスタ=フルメヴァーラ。北欧出身の死霊魔術師で、あの『蒐集家』として悪名高いメーデル・ハンプソンの一番弟子。最近はフリーで飛び回っていると聞いていたけどまさかこんな形でお会いするなんて……、最悪ね」
『蒐集家』……。一昔前に話題になった死体を手繰るSSランクの大悪党だ。一つの街を1000をも超える屍人形で落とした話はあまりにも有名。
そんな怪人の弟子ということはやっぱりあの人形達って……
「心配ないさ、セフィ。あなたにはこの私が付いている。あんなヨボヨボの爺なんか相手にもならないさ」
「面白いことを言いますね、あなた。どうやらあなたは死霊魔術師がなぜ恐れられているのかご存知ないようだ。……わが師、メーデルが行った所業の数々を」
「ふん、自分の凄みを師の名前を出さないと示せないとは哀れな奴め。年喰ってる癖に誇れるような功績がなくて僻んでいるのか?」
「……いいでしょう。あなたも私のコレクションの一つに加えてあげましょう。その憎たらしい顔をつぶしてね」
ケスタから突如ドロリとした気配が流れてきた。さっきまでの気配とは全然違う。明らかにこちらへ攻撃的な意思を向けている。それも押しつぶされてしまいそうな膨大な殺気を。
冷たいだとか鋭利だとかそんなんじゃない。セメントが体に纏わりついてるかのような、まったく体を動かすことができない重圧。これじゃあ身構えることすら……
「――姫宮、回避しろ!」
咄嗟に私は横に飛び出した。九條先生の恫喝に反射的に体が動いた。
凄まじい衝撃音とともに私達がいた場所は吹き飛ぶ。彼が操る屍人形の一体の口から特大の魔砲が放たれたのだった。
軌道上は土も木も何もかもがなくなった。おそらくは屍人形に分譲した魔力にすぎないのだろう。けれどそれでも今のは並みの魔術師の魔砲の威力なんてものじゃなかった。
そして不運なことに私は九條先生とセフィリアさんとはぐれてしまった。咄嗟に反応したことで九條先生達とは逆の方向に避けてしまったのである。
こうなったらまず一刻も早く先生達と合流しなくてはいけない。
しかしそれよりも――
「おやおや、お嬢さん。あの御二方とははぐれてしまいましたか」
――この、目の前にいるこの男をどうにかしなくてはいけない
(やらなくちゃ……。ここは私がやらなくちゃ……。九條先生が来るまで私が……)
ケスタの周りから5つの魔法陣が現れる。そこからはさっきの屍人形みたいに目に光の灯っていない5人の少女が出てきた。
「彼らのことが心配ですか? 大丈夫ですよ。彼らのところにも私の可愛い娘達を送りましたから。きっと孤独に死ぬことはないでしょう」
ケスタは不気味に笑う。
私は身構えながらも状況を分析した。今この場にいる人形は5体。きっとさっき召喚したのは九條先生達のもとに向かったのだろう。となると九條先生がこっちに加勢しにきてくれるには少し時間がかかるはず……。
そうすると持久戦を覚悟しなくてはいけないのだけど、問題は屍人形の能力。さっきの魔砲みたいなのが一人一人使えるのだとしたらかなりやばい。人数の差も考えると正面から魔法の撃ち合いなんかできない。
だったら分断させて接近戦に持ち込むのが最善の方法だろう。とりあえずまず右にいる制服を着ている女の子を牽制しつつ……制服?
「おや、どうしました? そんな険しい顔をして」
ふと、人形とされた少女達の顔を見て気付いた。彼女達はいずれも見覚えのある少女達であると。それも、つい最近テレビで取り上げられた……
「その子達ってまさか行方不明になった宮城の高校生じゃ……」
「クヒヒ、実に綺麗だとは思いませんか? 私は『蒐集家』の後継者だと言われたりしておりますがね、何もわが師みたいに無差別にコレクションを増やしたりはしないんです。ただ私は美しいものを求めているだけ。そうしたらほら、このように若い娘ばかり増えてしまって」
ケスタは制服を着た少女の顔を撫でてうっとりとした表情を浮かべた。
それはまるで自分の子どもを愛でるかのよう。だけどその光景はとても歪で全身に鳥肌が立つおぞましいものだった。
「しかしこの国に来たのは正解でした。噂に違わず東洋人の肌はなめらかで綺麗だ。これだけでもこんな遠方まで来た価値がある。それに――」
「ひぃっ――」
カメレオンのようなケスタの目が私を捉えた。それは少女達を見つめるものとまったく同じの狂気に満ちた瞳。
「まだまだこんな素晴らしいお嬢さんがいるとはね。もはやあの女を殺すことなんてどうでもよくなってしまいました。どうです? 私の娘になる気は? 痛くはしませんから」
怖い、死にたくない。こんなのに勝てるわけがない――
徐々に近付いてくる少女達。捕まったら最後、彼女達みたいにああなってしまうの?
――そんなの絶対にいやだ!
私ははたらかない頭を手でおさえ魔法を行使した。それは照明魔法。焦る気持ちの表れかその魔術式はとても雑でただただバカみたいに強い光を発した。
だけどそれは逃げるための目くらましとしては十分な威力をもった魔法でもあった。
◇
「かくれんぼですか? 私も結構好きですよ。子どもの時は毎日のようにやっていて誰よりも上手になったものです。特に鬼をやるのがね」
照明の魔法を放った隙に離脱した私は森のなかに身を隠した。正面からじゃ間違っても勝てる相手ではない。かといって隙をつけることすらできそうにない。
そのため“隠れてやりすごす”、そういう弱者の戦術をとる他なかった。
しかし彼の興が冷めることはなかった。ギョロリと動く目をさらにギラつかせ、ケスタは屍人形を展開させた。私を見つけるため、私を逃さないため。
(ダメ……。このまま隠れていてもこれじゃ見つかる……!)
人形達の視覚がケスタと共有されているかは定かではない。だけど様子を見るに人形達の前に出るだけでもバレてしまうだろう。
すでに人形達は私の隠れている木のくぼみからそう遠くないところまで来ていた。彼女達の青白い顔と魂の通っていないその瞳はまさしく死神。
私は……、私はこのままここで殺されてしまうの……? そんなのやだ、絶対。
私はまだ何もやってきていない。楽しみだった文化祭も、燃え上がるような恋も、打倒月城だってできていない。それに長年の夢だった魔導師になることだって――
『私は……、私は偉大な魔導師になりたいです。誰もが幸せに暮らせる社会を、正しいことが正しく行われる社会を魔導師になって作ってみたいんです』
ドクンっと心臓が高鳴った。
不意に……、不意にある情景が私の頭にフラッシュバックした。それは昨夜セフィリアさんに将来何になりたいか問われた時に私が答えた言葉だった。
(そうだ……。こんなところで屈してしまうんだったら魔導師なんて永遠の夢に終わってしまう。今ここで行われている非道から逃げてしまったら誰もが望む世界なんて作れるわけがないんだ……!)
だったら私がやることは一つだけ。それは逃げることでも、九條先生が来るまでの時間稼ぎをすることでもない。目の前にいるあいつ――ケスタ・フルメヴァーラを倒す、ただそれだけだ。
「なかなか隠れるのがお上手ですね、お嬢さん。私の娘達もあなたと遊べて嬉しそうだ」
現在制服を着た少女がケスタの隣。その前方にそれぞれ剣と斧を持った少女が二人。そして離れたところに二人の少女がいる。
ケスタも私がずっと隠れていると踏んでいるのか、かなり油断しきっている。――やるなら今しかない
(私はできる。私ならできる。覚悟を決めろ、私――)
心臓が張り裂けそうになるなか、私は注意払って魔力を溜めた。そして私のいる位置から見て離れて行動していた二体の屍人形が重なったところで魔矢を放った。すると見事に魔矢は彼女らを貫いて木に磔になった。
「クヒヒッ! 見つけましたよ!」
(ごめんね……。けど、あなた達の仇は必ずとるから)
魔矢が放たれる方向から私の場所はバレたけどそれはもうかまわない。私はすぐさま飛び出しケスタのもとへと一直線に向かった。
するとそんな私を阻むかの如く前衛の武器を持った二体の少女達が襲う。少女達は人間ではありえない程前のめりになって走ってきた。その動きは想像以上に速かった。
だけどそれは予想の域を出るものではない。私は彼女らの足並みを見計らい、魔力の込めた手を地面につけた。
行使した魔法は土属性の拘束魔法『土の腕』。私が手をつけた瞬間彼女達の足元に魔法陣が発生し、土の手がひざ下まで覆った。
本来ならこの魔法は魔術師クラスの高度な魔法。数少ない父の魔術書の中からこの魔法を見つけた私は夏休みをかけて練習し、何とか習得したのだ。
私は動けない二体の人形を追い越しさらにケスタへと迫る。残ったのはケスタの隣にいる制服の少女一体だけ。少女はケスタの盾になるべく前に躍り出て、そして口を開いて魔弾を撃ちだした。
その魔弾の威力はさっきの魔砲程高くはない。けれど当たれば無事では済まないくらい高密度の魔力が込められており、それを呼吸をするかの如く連続して出す様は十分に脅威と言えた。
だけどそれは脅威ではあるものの、対処不可では到底ない。たとえどんなに威力の高い弾を出せても、どんなに多く弾を出せようともその砲台は一つしかない。ならば顔の向きから魔弾を避けることなんてそう難しくなんかない。
私は少女とすれ違い際、思いっきり少女の顎に掌底をかました。少女はちょうど魔力を口に溜めていたために、口が閉じて逃げ場を失った魔力は少女を跡形もなく吹き飛ばした。
そして、残りは目の前にいるこの男ただ一人――
「クヒヒッ、クヒッ、実に素晴らしいですよ。私の娘達をこんなに、こんなにするなんて! あなたは最高の素材だ!」
「言ってなさい! あとはあなたを倒せばすべてが終わる!」
術者の気を失わせればそれで魔法は解ける。そうすれば九條先生に行ったであろう人形達も活動停止するのだ。
私だって……、私だってやればできるんだから――
「クヒヒッ、クヒヒヒッ! 確かに私を倒せればみなさん助かるでしょう。しかしそれは叶わない。あなたは屍人形を少々舐めすぎた」
「えっ――?」
突然、左足に激痛が走った。鋭利なものが貫通した、そんな感覚。
振り返ると一体の屍人形が私の左足に剣を深く突き立てていた。変わることのない、黒く濁った瞳をして。
「残念でしたね、お嬢さん。あなたの健闘もどうやらここまでのようだ」