2-6 襲撃者
ゴールデンウィーク終わりの5月6日。短くも長い護衛も今日で最後の日となった。
この4日間の真由佳ちゃんのソロデビュー興行は好況であり、この後すぐに控えているライブで最後となる。
「何だかあっという間でしたね。マナさんと会ったのは3日前だと言うのにそれがほんの少し前のように感じられます。……楽しい時間ほどすぐ過ぎるっていうのは本当なんですね」
真由佳ちゃんは鏡越しに私を見ながらそう言った。
今控室には髪を整えている真由佳ちゃんとそれを見守る私しかいなくて、九條先生は会場の見回り、橋場さんは会場スタッフとの打ち合わせで席を外していた。
「何だか今日でこの興行も最後ってなるといつにも増して緊張してきちゃいました」
「大丈夫よ。真由佳ちゃんなら必ず成功できるわ。私もちゃんと応援してるから!」
すると真由佳ちゃんは椅子を回してくるっと振り向いた。
「……あ、あのマナさん。本当にこの数日間ありがとうございました」
「どうしたのよ。急に改まっちゃって」
最初はよそよそしかったものの、二日目からはとてもよく話すようになった真由佳ちゃん。
そんな真由佳ちゃんの口調が急に真面目なものへと変わっていた。
「……実は私、少し前まではずっとアイドルを辞めることばかり考えていました。というのも事務所内でもメンバー内でも気軽に話しかける人がいなくて……。けどそれはまだ良かったんです。私がエメラルドガールで人気が出てきた時、みんなから陰で悪口を言われはじめるようになって。それでエメラルドガール自体を辞めることにしたんですけど、今度は裏切り者だとか臆病者だとかって……」
才能があるからこその悩み。
少しうつむいている真由佳ちゃんからは表情はうかがえないけど、彼女の辛さはひしひしと伝わってきた。
「私の周りにもマネジャーさんだとか事務所の先輩だとか相談できる人はいたんですけどね。けど私の傍に立って親身にしてくれる人は一人もいませんでした」
「真由佳ちゃん……」
「だけど……そんな時です。私がマナさんに出会ったのは。マナさんは最初の日、私のことを馬鹿にしていた人に躊躇しないで本気で怒ってくれましたよね? あの時私すごく嬉しかった。私のためにこんなに真剣になってくれる人がいるんだなって」
真由佳ちゃんは顔をぐいっと上げる。熱い意志のこもった視線が私を射抜いた。
「だから……今度は私の番です。私は私のことを真剣に応援している人達に喜んでもらいたい。今まで支えてくれた人達に私が成功した姿を見てもらいたい。私はそう思いました。なのでマナさん、次のステージは必ず最高のものにしてみせます!」
内気だった真由佳ちゃんがこんなにもしたたかなことを言うなんて……
真由佳ちゃんの赤く火照った顔を見て、思わず目の前がうるっと霞んだ。
「うん! 期待して見守ってるから――」
しかし、私がエールを送ろうとした瞬間、突然天井の魔導灯がバリッと大きな音を立て、控室から光が消えた。
「な、何ですか……!? 停電……!?」
――違う
停電だったら魔導灯が割れたような音なんてするはずがない!
「真由佳ちゃん! 私から離れないで!」
私は即座に手をかざし照明の魔法を発動させた。
私の発動した魔法陣を中心にすぐさま光を取り戻す室内。
そして目の前には以前会場で見た灰色のフードを被った男。それもナイフを持ってこちらにすごい勢いで迫ってきていた。
「させない!」
私は左手をかざし、すぐに障壁魔法のマジックリングを発動させる。
生じた障壁と男のナイフは甲高い接触音をあげ、男のナイフが根本から折れた。
「ほう、高校生だと侮っていたがなかなかやるな。せっかくあの魔法士がいない時を狙ったというのに」
男はけらけらと笑った。
その首には魔術師の証でもある魔導杖をあしらったボロボロのペンダントがぶら下がっていた。
「あなた魔術師でしょ! こんなことしていいと思ってるの!?」
「あいにく俺ははぐれ魔術師でね。魔術師規定なんてとうの昔に捨てちまったよ」
――はぐれ魔術師。
それは犯罪に手を染めたために魔術師資格を取り消され、裏で仕事を請け負う魔法使いの別名。
強盗や密売、殺人といった犯罪を平気で遂行する最悪な連中だ。
男は持っていたナイフの柄を投げ捨て新たな得物を構える。今度は刃渡り50㎝程のサーベルだ。
そして男はフッと重心を落とすと滑るような動きで再びこちらに迫ってきた。彼のその動きはまるで流水のようでつかみどころがなく、左右にはぶれた残像がちらついた。
彼の動きはまさしく暗殺者にふさわしいもの。きっと何人もの人を傷付けてきたのだろう。
だけど……これだったらまだ月城の方が早いッ!
「私を舐めないで!」
振り上げられる男のサーベル。
瞬間。私は全身を魔力で活性化させ、男が振り下ろす前に回し蹴りをお見舞いした。
「がはっ!?」
男は驚く暇もなく直線状に吹っ飛び壁に激突する。男がぶつかった壁には細かな皹がいくつも生じた。
魔力による肉体活性はスピードや耐久力はもちろんのことパワーも飛躍的に上昇する。
女の私であっても蹴りだけで大人一人の意識を刈り取るのはそんなに難しいことではないのだ。
だけど――
「マ、マナさん大丈夫でしたか?」
「まだ終わってない! 真由佳ちゃんはまだ下がってて!」
そう、確かに私の蹴りは男の胸部を強く打ちつけた。カウンターのタイミングも完璧だったし、手加減もしなかった。防御の隙だって与えなかった。
だけど……それでも男は何事もなかったかのように立ち上がってきた。
「へぇ、いい蹴りしてんじゃん。おかげでお気に入りの礼装が逝っちまったよ」
カラン、と金属音が響いた。男が服の裏に隠していたものを落とした音だ。
それは金属を薄く伸ばしたようなプレート。恐らく物理耐久に特化した仕込み魔法礼装……!
仕込み魔法礼装は私が着ているコートほどの大きさの魔法礼装ほど効力はないにしろ、服の中に隠すことができ相手の意表を突いたり一般人に紛れるには最適なのである。
ニィっと男は口を下品に歪めた。
その背後からは殺気と見紛うような禍々しい黒い魔力が滲み出ている。
相手は魔術師。勝てるかどうか分からないけど、退く訳にはいかない。
私は構えを取り男を強く睨みつけた
「いい度胸じゃないかお嬢ちゃん。あの男が来るまでの足止めをしようとはね。けど俺はこう見えても以前魔術師だった人間だ。お前みたいな未熟者じゃ俺を止められねぇよ!」
「足止め? 違うわ。私はあなたを倒すのよ」
「ガキの癖に生意気なやつだ。すぐに口も聞けないようにしてやるよ!」
男は言いざまに手を私達に向ける。
するとそこから無数の魔法陣が発生し、本やペットボトル、椅子や机といったあらゆるものが私と真由佳ちゃんのもとへ殺到した。
「真由佳ちゃん、私の後ろから離れないで!」
「は、はぃぃぃ」
咄嗟に私も障壁魔法を展開させて飛来物を全て防ぎきる。 もし九條先生からマジックリングを受け取ってなかったら対処しきれなかっただろう。
私達に向かってきた飛来物は魔法障壁にぶつかり落ちてゆく。
しかし飛来物が全て落ち切った時、すでに目の前には男の姿はなかった。
「――マジックリングか。高校生の癖にいいもの持ってるじゃねぇか」
声に釣られてすかさず上を見上げると、男は魔法障壁を飛び越えサーベルを高く振り上げていた。
――さっきの攻撃は錯乱か!
「けどよ、それを使ってる間は他の魔法を使えねぇんだぜ?」
私の胸目がけて刃を振り下ろす男。
「去ねや!」
躱すことのできない距離。
私は咄嗟にサーベルの切っ先にマジックリングをあてがった。
「――何!?」
二回目の甲高い金属音が室内に鳴り響く。
男の刃物は大きく逸れて虚空を切り裂き、私の腕に付けていたマジックリングは衝撃で割れ落ちた。
こうなってはマジックリングは使えない。けど、もう使う必要なんてない。
私は態勢を崩した男の顎に思いっきり膝蹴りをぶちかました。今度は仕込み礼装なんて使わせない。
歯の何本かが砕け落ち、男はそのまま放物線を描いて吹っ飛び床へ落ちていった。
「子どもだからってなめんじゃないわよ」
すっかり伸びきった男を見て、私はフゥッと胸を撫で下ろす。
とりあえず危機は去った。格上の相手だったけれど幸い油断してくれたみたいだ。
しかし襲撃者の攻撃を防ぐためとはいえ、九條先生からもらった大切なマジックリングを壊してしまったなぁ……
きっと任務の終わりにガミガミガミガミ言われるに違いない。けど不可抗力だったし、弁償とかないよね……?
「マ、マナさん――」
何て考えてると真由佳ちゃんが掠れたような声で呼んできた。
殺す気でやってきた魔術師と対峙していたのである。怖いのは当然だ。私だってとても怖かった。
だから私は少しでも真由佳ちゃんが落ち着けるようににこやかに、そして余裕を持って振り向いた。任務はこの後のコンサートが終わるまでなのだから。
「もう大丈夫よ、真由佳ちゃん」
「――前! マナさん、前!」
「え――?」
真由佳ちゃんの警告に、私はすぐさま振り返った。
そこにはさっきの男とは違う、黒いマントを身に纏った男がいた。一際大きな魔法陣を展開させて。
油断していた。
てっきり相手は一人だけかと思い込んでいた。よく考えれば仲間がいることくらい当たり前じゃないか。何せ魔法士の護衛がつくような人物を標的にしているくらいなのだから。
男の魔法陣が紫色に光り輝く。
――あれはまずい!
あの魔法陣は間違いなく『魔砲』。高密度の魔力を直線状に放つ魔法で、魔弾なんて比じゃないくらい強力な魔法。
その破壊力はコンクリートにも穴を開け、一流の『魔導師』が使えば周りの地形さえ変わるとまで言われている。
ただ一つ、デメリットとして発動までに時間がかかるのだけど、今になってはもう遅い。時間を与えすぎた。
障壁魔法ではもう間に合わない。
マジックリングが壊れた今、どうやったって相手より先に発動できない。
たとえマジックリングがあったとしても、私の力量では防ぎきることはとても困難だ。
私は真由佳ちゃんをぎゅっと抱きしめた。
魔法で防ぐのも無理だし、避けることができるほど向こうも甘くはない。
対処する手立てがない以上、私が彼女を守るために盾になる他なかった。
「マナさん――!!」
そして放たれる魔砲。
その高密度のレーザーは轟音を立て真っ直ぐに突き進んでいく。たとえ魔法礼装を着こんでいてもただで済むということはない。
けどそれでも私は真由佳ちゃんを守らなければならないんだ。私の任務は真由佳ちゃんを守ることなのだから――
だがしかし、この絶体絶命の状況で思いもよらないことが起こった。
魔砲が当たる一瞬、真由佳ちゃんの胸元から何かが飛び出した。それは小さい人の形をした何か。最初の日に九條先生が真由佳ちゃんに渡したものだった。
その小さな藁人形は私と魔砲との間に滑り込むと、なんと迫り来る魔砲をその小さな体で全て受け切ってしまった。
「な、何だこいつは!?」
プスプスと蒸気を上げる藁人形。
魔砲を放った男もその光景には目を白黒させた。何しろあんな小さな人形に一般魔法の中でも抜群の破壊力を持つ魔砲を完全に防がれたのである。
しかしそれだけではなかった。
次の瞬間、魔砲を受け切った藁人形はその腹部をぱっくりと開け、あろうことか男が放った魔砲をそっくりそのままお返ししたのだ。
「――馬鹿な!?」
小さな人形から繰り出される思いもよらないカウンター。
不意を突かれた男は為す術もなく巨大なレーザーに呑まれ、そしてドサリと倒れた。皮肉にも自分が撃った魔法によって。
私も真由佳ちゃんもその光景には茫然とするしかなかった。
すると廊下の方から派手に響く靴の音が聞こえてきた。
「やれやれ、怪しい奴らがいると知らせを受けて駆け付けてみたが、すでに伸びきっているじゃないか。見習いの小娘にやられるなんて、こいつらを雇った人間はよほど人を見る目がないらしい」
部屋に入ってきたのは九條先生だった。
九條先生は倒れている襲撃者二人をちらりと見たが、あまり気に留めない様子で私の前に力尽きて落ちていた藁人形を拾った。
すると九條先生の手が光ったと思ったら、その藁人形は砂となって消滅してしまった。
「せ、先生。その人形はいったい?」
「これか? これは私の知人が作った魔導具でな。身につけている者に危機が迫った時、自動で保有者を守り迎撃するようプログラムされている。もちろん万能とはいかないが、こいつらみたいな三流魔法使いが相手なら手に余る代物だよ」
自動で持ち主を守る魔導具ですって!?
そんなの聞いたことないし、できるわけが……。 そもそも魔導具に状況を判断できるような意思なんてないはずだ。
けれど実際にあの藁人形は実践してみせた。それもまさしく絶妙のタイミングで。
これを作った人はいったいどんな頭脳をしているんだろうか。というかそんなすごい人と九條先生はつながりを持っているって……
「そんなことよりそろそろ時間とのことだ。峰くん、準備はいいか?」
九條先生の言葉に真由佳ちゃんはビクッと身震いした。
無理もない。本物の魔術師の殺気を直接当てられたのだから怖くて当然だ。
私だってまだ怖い。今回はたまたま負けなかったけれども、本当ならあそこで倒れるはずだったのは私かもしれなかったのだ。
彼らは私のような見習いの高校生ではなく魔術師ほどの実力がある大人なのだから。
けれどどんなに怖くっても、怖さは乗り越えなきゃいけない。自分の夢を叶えるために、大事な人を守るために。
「真由佳ちゃん大丈夫。何があっても私と九條先生で絶対に守り抜いてみせるから」
私は真由佳ちゃんの腕をとりそっと握った。
すると震えていた真由佳ちゃんの体は自然とピタリと止まった。
「――大丈夫です! 今すぐ行きます!」
そう、少し照れた表情をしながら真由佳ちゃんは覚悟を決めた目をして強くうなずいた。
◆
『今週のオリコンランキング一位は峰真由佳の“幸せの魔法”です』
ある昼下がりの日曜日、九條先生は窓から入る日差しを浴びながら優雅に椅子に寝そべっていた。
一方私は魔法士の仕事の一環という名目で書類の山を整理し続けている。
「九條先生、少しはテレビばっかりみてないで手伝ってください! そもそもこれ、九條先生のでしょう?」
「君はこの事務所の研修生かつ私の弟子なのだろう? だったら雑用を君に押し付けても何も問題ないじゃないか。むしろこの偉大なる私の仕事を体験させていただいているのだからしっかり敬いたまえ」
ひたすら書類にハンコを押すことを魔法士の体験だなんて言う訳ないでしょうがっ!
「まったくもう……」
何でこんな人が私の教官になっちゃったんだろう。本当に納得がいかない。
確かにすごい魔法を使えたり珍しい魔導具を持っているみたいだけど、性格が壊滅的だ。
間違っても人を指導する立場にあってはならない。
「ところで、先生はどうして魔法士になろうと思ったんですか?」
私はふと思った疑問を口にした。人のためにはたらく魔法士を、人情という言葉の意味すら知らなさそうな九條先生が選ぶなんて、とても考えられなかったのだ。
しかし、そんな私の質問に対し九條先生はさも当たり前のように答える。
「私のような天才は役所なんかでコツコツ頑張るよりもやってきた依頼人から金をふんだくる方が儲かるんだよ」
「儲かるって……」
魔法士というのは困っている人のために魔法を使うのが仕事のはず。それを金のためと清々しいほどにまで言い切るなんて……
「先生は誰かを助けたり人のために何かできるといったことに喜びとか見いだせないんですか?」
「ないね。全く。金をもらって何に使おうかわくわくすることはあるだろうが」
「う……、どこまでも偏狭な……。先生には人としての心というものがないんですか?」
私の言葉に、はぁっと九條先生はあきれたようにため息をついた。
「これはおままごとじゃないんだぞ。倫理などという曖昧なものを持ちながら世の中生きていけるものか」
「それでも誰かのために役に立てることはお金には替えられない価値があるはずです。今回の真由佳ちゃんの護衛で私はそれをよく感じました。少なくとも私はお金なんかよりも誰かのためになれることにやりがいを感じます」
「そうか。だが前の魔物退治の爺さんの件はどうだ? 中にはあんな連中の依頼も時として受けなければならない。そんな誰かのためというボランティア精神でいつまでもこの仕事ができると思うか?」
心無い依頼人に、果たして純情な想いはどこまで通用するか。その命題に一瞬私は言葉を詰まらせた。
確かに誰かのためにという気持ちが長続きしないのだったら、最初から金のための仕事だと割り切ってしまえば楽なのかもしれない。そうすれば苦しむことなどないのだから。
だけど……
ふと、テレビから慣れ親しんだ元気な声が聞こえてきた。
『――それにしても習慣オリコンランキング1位とはすごいですね。峰さん、今の気持ちをファンの皆さんにお願いします』
『これまで応援してくれた皆さん、ありがとうございます。こうしてここに立っているのも私を応援して出さった方々、支えてくださった方々、そして私がめげそうになってもかまわずに見守ってくださった方々のおかげです。これからも皆さんの期待に応えられるように精一杯頑張っていきたいと思います』
そして次に映ったのはソロデビュー興行最終日の真由佳ちゃんのライブ姿だった。
直前にあんなことが起こったのにも関わらず真由佳ちゃんはライブを完璧に成功させてみせたのだ。
私はあのライブ後の真由佳ちゃんの顔を克明に覚えている。興奮のあまり真っ赤になっていて、とても泣きそうなほどに嬉しがっていたあの顔を。
たぶん、私達が護衛につく前までは決してできなかったであろう表情だった。
故に私は自分の信念を確信することができた。
「けど……それでも私は真由佳ちゃんみたいな人の笑顔を作っていくことが魔法士の、魔法使いの役目だと思います」
「フン……」
九條先生はつまらなそうに椅子を回し私に背を向けた。
第二章はこれにて終了です。
読了ありがとうございます。
第三章はまだ書き終えていないので結構かかるかも……