2-5 仮面の微笑み
護衛二日目。
この日は夕方から横浜でライブを行うことになっていて、朝からお昼までスケジュールは特に入っていなかった。
そこで私は真由佳ちゃんに横浜巡りをしようと提案した。これは昨日橋場マネージャーから頼まれたことに由来する。
真由佳ちゃんは最初『で、でも……』と言って橋場マネージャーをちらちら見ていたけれど、橋場マネージャーが笑顔で『たまにはそういうのもいいでしょう』と言って快諾してくれたため、最終的には『まぁ、ライブに間に合うのなら』と頷いてくれた。
ちょっと強引すぎたかも……と思わなくもないけど、少しでも真由佳ちゃんに気分転換をしてもらうためだ、うん。
「真由佳ちゃん、真由佳ちゃん! 焼き小龍包だって! ちょっと食べてみない?」
「ちょ、ちょっと姫宮さん待ってくださいよぉ」
私達が最初に訪れたのは横浜中華街。
ちょうどゴールデンウィーク中ということだけあって、さすがに人は多かった。
真由佳ちゃんは結構な有名人なのでバレちゃうんじゃないかとも思ったのだけれど、真由佳ちゃんは得意顔で眼鏡を取り出し『これがあるから大丈夫です!』と言い切った。
真由佳ちゃんの眼鏡は少し大きめな赤のフレームで、小顔の真由佳ちゃんがかけると眼鏡にかけられているという感じだった。
私は焼き小龍包を二つ頼み、真由佳ちゃんに一つ分けてあげる。真由佳ちゃんはフゥっと息を吹きかけて冷ましておそるおそる口に含ませた。
そんな微笑ましい様子を見ると、私もこんな可愛い妹がいたら姉冥利に尽きるなぁとついつい思ってしまう。一応私にもカナがいるけれど、奥ゆかしさが足りないというか図々しいというか……。まぁそれはそれで可愛いんだけど。
「私中華街来るの中二の時以来だなぁ。ねえ、真由佳ちゃんはよく来たりするの?」
「そうですね、テレビや雑誌の企画で来たりすることはありましたが、こうやって誰かと来るのは初めてかもしれないです」
「そうなんだ。真由佳ちゃんって結構こういうところ来たりしてそうだけどね」
そう聞くと真由佳ちゃんの声のトーンが少し落ちた。
「そ、そんなことないです。……最近はお仕事で忙しいですし、気軽に誘えるような友達もいないですから……」
「中学校の友達とかは?」
「小学生までは仲良かった子とかいたんですけど中学入って仕事が忙しくなってからは……」
あはは、と真由佳ちゃんは力なく笑って見せた。
テレビの収録の時なんかは本当に楽しそうに笑っていたのに、今の真由佳ちゃんは誰が見てもその笑みが嘘だと分かるくらいな大根役者だった。
そんな真由佳ちゃんを見て、私は思わず彼女の手をとった。
「――だったらさ、今度また私とどこか行こうよ」
「え?」
「だって真由佳ちゃんとこうやってお店巡って、いろいろなもの食べて、一緒におしゃべりするのってさ、とっても楽しいんだもの。それが今回きりって何だか寂しいわ」
「け、けど私と一緒にいると姫宮さんも悪口言われたりして嫌な思いしちゃうかもしれませんよ……?」
「そんなの関係ないわ。どっかの誰かさんが何て言おうがどうでもいいし。そんなことより私は真由佳ちゃんと一緒にいたい」
掴んでいる真由佳ちゃんの手がふるふると震える。私はその震えを抑えるかのようにぎゅっと握る力を強めた。
「姫宮さん……」
「マナでいいわ。名字呼びだとなんかこしょばゆいのよね」
「あ、ありがとうございます……マナさん」
マナさん、か。ちょっとだけ距離を感じる呼び方だけど私の方が一歳年上ということを考えれば当然なのかな。
「どういたしまして。そうだ、あそこのお店可愛いアクセサリー置いてあるからちょっと見に行かない?」
「は、はい!」
真由佳ちゃんは少し照れた声で返事をした。そのはにかんだ表情には私もついつい口を緩ませてしまった。
◆
それから私達は買い物や食事をしたり展望台に上って風景を眺めたりしてライブまでの時間を楽しんだ。時々真由佳ちゃんの正体が周りの人にばれそうになったりもしたけれど、それも何だかスリルがあって終始楽しい時間となった。
そして今はちょうど待ち合わせ場所になっている横浜駅に向かっているところである。
「えへへ、可愛いですね。このキーホルダー。マナさんとお揃いです」
真由佳ちゃんは嬉しそうに中華街で買った小さなパンダのキーホルダーをかざしていた。
「だけどあの時は本当にびっくりしちゃいましたね! ナンパしてきた男の人達をマナさんが投げ飛ばしちゃったのは。歩いていた人みんな私達のこと凝視してましたよ」
「しょ、しょうがないじゃない。向こうが強引に真由佳ちゃんの手を引っ張ってきたんだから」
真由佳ちゃんはカラカラと笑った。知らない人に連れられそうになったというのに、真由佳ちゃんはまるで遊園地でやっているようなヒーローショーを見てきたような物言いだった。
もう、一応護衛する身でもある私の立場も少しは考えてほしいものだ。
「けどマナさんすごくかっこよかったですよ。その子に手を出すなーって私と男の人達の間に割り込んだの。もしマナさんが男の人だったらキュンキュンでした!」
「もう、あんまり人をからかったりしないの。だいたい真由佳ちゃんは少しは警戒しなさい。真由佳ちゃんは可愛いんだから声をかけられたくらいで素直についていったりしないの」
「そ、そんなことないです。ちゃんと人並みには警戒してるつもりです。そもそもあっちが絡んできたのもマナさんのせいだと思いますよ。あっちの男の人達、私なんかよりもマナさんの方をずっと見てましたし。マナさんの方こそ自分がモテることを認識した方がいいですよ!」
むぅ、減らず口め。ちょっと前まではおどおどとしていてあんなに可愛げがあったのに……
まぁそれだけ打ち解けてきたってことなのか。けれど一応私の方が一歳お姉さんなんだぞ、まったく。
「そういえばマナさんって彼氏さんとかいるんですか?」
「え、……いないけど」
真由佳ちゃんは恋バナでも聞こうとしていたのかちょっと残念がった。……悪かったわね。
「そうなんですか……。けど何となくそんな気もします」
――何となくそんな気もします?
その言葉に、私の顔は無意識にぎりっと痙攣した。
私は恋愛できそうにないってこと?
私はニコッと笑顔を作って、右手で真由佳ちゃんの頬をつねった。
「それ、どういう意味かな?」
「い、痛いです、マナさん。別に悪気があって言ったとかじゃなくてですね、マナさんみたいな綺麗な人と釣り合う男の人ってそんなにいないだろうなぁと思っただけです」
「それってつまり、私はお高くとまってる重たい女ってこと?」
あ、と真由佳ちゃんは失念の声を漏らした。が、謝ったってもう遅い。
私はもう片方の頬にも手をかけ、ぐりぐりと両頬を回す。
「マナしゃんすいましぇんすいましぇん」
「申し訳ないと思うならもっとはっきり言わないと駄目じゃない、真由佳ちゃん」
真由佳ちゃんの頬はプニプニと柔らかく、さすがアイドルをやっているだけあるなと思ってしまう。
しかしそれにしてもこうやって真由佳ちゃんをいじってると、何だか少し胸の奥がゾクゾクして――
「――護衛対象に何をやっているんだ。このあんぽんたん」
「はびゅっ――!?」
不覚だった。
私は目の前のことに気を向けすぎていて、後ろから来た九條先生の拳骨に気付くことができなかった。
結果、九條先生の硬い拳が私の脳天に直撃したのだ。
「く、九條先生……、来てたんですか……」
ものすごく痛い。頭が割れそうだ……
私だって女の子なんだからもう少し優しくしてくれてもいいんじゃない?
「もう時間だ。さっさと行くぞ」
九條先生は素っ気なく橋場マネージャーの待つ車へと背を向けた。相変わらずな九條先生に私は小さく息を吐いた。
ふと後ろを振り向くと、その様子を見て真由佳ちゃん口をおさえて笑っていた。
「それじゃあ行こうか、真由佳ちゃん」
「はい!」
真由佳ちゃんは嬉しそうに返事をし、私の隣に並んだ。
テレビの向こうにいる真由佳ちゃんを見ていた時、私は彼女はどこか自分達とは違うのではないかと思っていた。歌っている姿もバラエティに出ている姿も普通の人とはどこか違うように感じていた。
けれどこうして彼女と一緒に過ごす中で、彼女は私達と全く変わらない人間でただの14歳の女の子だということがはっきりと分かってきた。人並みに嬉しがり、人並みに喜び、人並みに悩みを抱えていて……
そんな真由佳ちゃんを見て私は強く思った。この子は別に特別な人間ではない、どこにでもいる素直で可愛い普通の女の子である、と。
だからこそ私は、絶対にこの子を守らなくてはいけない――