2-4 ガラスの少女
テレビ局を後にした私達は予定通りにお台場のライブ会場へと向かった。ここでの私達の役割は控室内への侵入者撃退とライブ中の乱入者を追い払うことである。
今はもうライブが始まる手前であるため九條先生はステージの右裏、つまり真由佳ちゃんが入退場するところで、私はステージ下の最前列左端で見張りをすることになっていた。
万が一ステージに人や何か物が飛び出して来たら障壁魔法でステージに上げないようにするのだ。
ライブが始まって20分、すでに会場は最高潮の盛り上がりを見せていた。
女の子アイドルということで比較的男性ファンが多いのであるけれど、一方で女性のファンも意外と多い。大体2:1くらいの割合だろうか。
真由佳ちゃんはアイドル以前に中学生向け雑誌のモデルをやっていたということを考えるとそれは不思議ではないのかもしれない。けれどやっぱりそれ以上に真由佳ちゃんのひたむきで真摯な性格に心打たれるファンが多いのだと思う。
ふとステージの端を見るとステージにやたらと近付く人が2人。多分ただ興奮して飛び出しちゃったのかと思われる。
害意はないのだろうけどそれは規律違反。私は九條先生から貸してもらったマジックリングを使い一瞬で彼らの前に魔法の壁を作る。
興奮した二人組は半透明な障壁にぶつかるとはっとした様子ですぐに後ろへと下がっていった。ちゃんとルールを守ってくれるファンの方で何よりである。
それにしてもやっぱり普通に魔法陣を構成するのとマジックリングを使うのとでは明らかに発動タイムラグが違うと思わずにはいられない。素の状態なら発動までに5秒もかかるけど、これを使えば1秒もかからないのだ。
私もそのうちマジックリングに頼らずに障壁魔法を“術式破棄”で瞬時に発動できるようになりたいな。そうなればもっと多くの人の役に立てるし、《魔導師》への夢もぐっと近くなる。
それから何人かの人がステージに近づきすぎたりしていたけれど、いずれもただ興奮してついついという人ばかりだった。過激な人がステージ上に上がったり、ゴミなどを投げるというような野蛮な行為は皆無である。
橋場マネージャーはそれはもう膨大な脅迫の手紙が事務所に来た、と言っていたけれどこの様子を見るからに杞憂だったのかもしれない。
そしてライブもいよいよ終盤、残りもあと一曲となる。
何の問題なく運行されるライブに、私は今日のところはまぁ大丈夫だろうと思った。もしライブをめちゃくちゃにしたいのであれば早いうちに行動に移すだろうし、真由佳ちゃん自身に用があるならこんな衆目浴びる場には顔を出さないはず。
だけど、そう私が油断した時だった。
不意にステージの右端後方から何か黒い物体が大きな放物線を描いてゆっくりと飛んできた。大きさは10cm程で形は筒状。先の部分には青く点滅する信号。
それを見た瞬間、血の気が一気に引いた。なぜなら私が知る限り、それは手榴弾と呼ばれるものだったのだから。
私は咄嗟に腕をかざし障壁魔法を作る。
いやただ作るだけじゃだめだ! マジックリングが作り出す障壁魔法は大きさや生成場所は調整できても平面一枚分しか作れない。
つまり障壁魔法を発動しても真由佳ちゃんか観客のどちらかしか守ることができない!
私はもう片方の手もかざして急いで魔法陣を構成する。残りの一方も守るために。
――お願い……間に合って!
だけど無慈悲なことに先端の信号が青から赤へと変化する。それは爆破を知らせる合図。
手榴弾の近くには観客も真由佳ちゃんもいる。しかも大きさからして怪我を負うどころのものではない。命に関わるものだ。
周りは誰も気付いていない。ただ異変に気付いているのは私だけ。けれど私はどうすることも――
――駄目っ!
白く輝きを見せる爆弾。
それは辺りを修羅へと変える恐ろしい光球。
しかし今まさに爆発しようとしていた刹那、フッと手榴弾は存在を消した。
まるで最初っから何もなかったかのように。
ふいとステージの裏からチカチカと光が見えた。九條先生だった。先生の周りには魔法を行使した後に出る魔力の残滓が散らばっていた。
(今のは九條先生が? けれどどうやって……?)
すると九條先生は私に向かってジェスチャーをする。まだライブは終わってない。気を緩めるな、と。
それに私はすぐさま不審物が投げられたであろう位置に目を見やった。
そこには灰色のフードを被った男がいた。顔はフードで下半分しか見えない。しかしかろうじて見える口元は何事もなく続くライブを忌々しく思っているかのように邪悪に歪んでいた。
◆
そうして一日目のライブが終わり、私は九條先生と一緒に真由佳ちゃんの控室で待機することになった。目の前では真由佳ちゃんが手慣れた手つきで化粧を落としている。
私は真由佳ちゃんに聞こえない声で九條先生にさっきのことを話した。
「九條先生、さっきのライブで怪しい人物を見たんですけど」
「それはアレを投げたやつか?」
アレ、つまり手榴弾のことだ。
「おそらくは……」
「なら今後のライブでも過激な行動を取ってくるだろう。決して気を緩めるんじゃないぞ」
「わ、分かっています」
私は今度こそ遅れをとらないよう自分に言い聞かせた。
今度は何が起こっても大丈夫なようにしっかりと頭でシミュレーションして最適な対応をできるようにしなければ、と。
「ところで九條先生があの時行使した魔法って何だったんですか?」
「あれか? あれは空間魔法という魔法だ。名前くらい聞いたことはあるだろう?」
「……はっ!? 空間魔法ですって!?」
今後の対応のためにふいと聞いた質問。だけどそれに返ってきたのは予想を大きく上回るものだった。
九條先生が使ったと言っている空間魔法とは指定した座標上の物体を別の座標へと転移させる魔法である。
理論上術者自身をも一瞬で別の場所に移動できるとんでもない魔法(あくまで理論上で、生きているものの成功事例はないとされている)なのであるが、その実とてつもなく難しい超高等魔法とされている。
それは一連の教育を受けた魔術師ですら習得が難しく、《魔導師》クラスになってやっとマスターできるとも言われているものなのだ。
それを九條先生はあの数瞬で発動しきってしまうなんて……。この人、もしかしてとんでもなくすごい人なんじゃ……?
「まぁ、この私からしたら大したことでもないんだがね」
けど先生のこのドヤ顔を見ていると別にそうでもないような感じがしてしまう。何でだろうなぁ……
「姫宮さん、九條さん。ライブ中に何か問題でもあったんですか?」
私達の声が大きかったのか真由佳ちゃんが心配そうに聞いてきた。彼女はライブに集中していて不審物がステージ上に投げられようとしていたということは知らない。
「いや、別に問題はないですよ。ただこの馬鹿が会場の雰囲気に呑まれて本来の任務を忘れてしまわないように注意をしていただけです」
と九條先生は咄嗟に話を作り上げた。
真由佳ちゃんに余計な不安は与えない。きっと九條先生なりの思いやりなのだろう。しかし馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。
私はキッと九條先生を睨みつけ、それからニコッと九條先生の話に合わせた。
「ええ。私、ライブに参加するの初めてちょっと舞い上がっちゃって」
「そう……ですか」
けれど真由佳ちゃんはなおも不安そうに顔をうつむけた。何か、別のことで気がかりでもあるのだろうか。
するとその時、ちょうど控室に橋場マネージャーが入ってきた。
そして橋場さんは入ってくるなり控室の外へちょっと来てくれ、と私を呼び出した。
橋場さんに連れられ控室のすぐ前の廊下。
橋場さんが私に用事っていったい何なのだろうか……?
「ど、どうしたんですか、橋場さん?」
「実は姫宮さんに少し頼みたいことがありまして」
「え、頼みたいこと?」
ちょっと予想外だった。依頼に関する要望は普通私ではなく上司である九條先生に伝えるべきことなのであるから。
「はい。姫宮さん、見てて分かると思うんですけど最近真由佳は傷心気味でして。……というのも彼女がエメラルドガールを抜けた理由は表向きはソロデビューのためとなっていますが、本当の理由は人間関係にあるんです」
「人間関係……?」
「ええ。彼女は他の子に比べてこの業界に長くいるので経験値が大きく違いますし、何より才能が飛び抜けています。それに誰よりも努力している。結果としてグループで一番の人気者になりました。けれどそれが同世代の子たちにとっては面白くないことでして……」
「……妬み、ですか」
「はい。表立ってはないのですが仲間内ではよく仲間外れにされたりして。それに彼女はどちらかというと内気な性格ですからより一層相手を増長させてしまうんです」
ふとお昼のスタジオでの一件が頭に浮かんだ。真由佳ちゃんを罵るあの女性タレントの姿を。
「もちろんなかには彼女のことを理解してくれる人も多くいます。けれど彼女と同じくらいの年齢で仲良くしてくれる子はいないんです。ただでさえ並び立てるほど器量の良い子はいないですから」
橋場さんは心苦しげにそう話してくれた。まるで愛娘を心配するかのように。
「そこで姫宮さんには真由佳を内面からも支えて欲しいんです。あなたならきっと真由佳も気を許してくれる、そう思うんです」
私に真由佳ちゃんの心の支えになってもらいたい。その橋場さんの願いに、私は少し戸惑った。
真由佳ちゃんを助けてあげたい。それは私だってとても強く思うこと。だけど橋場さんにはつい先日会ったばかりだし、真由佳ちゃんにいたっては今日顔を合わせたばかりなのである。
「橋場さん……。そう認めてくださるのは嬉しいんですが本当に私なんかでよろしいんでしょうか?」
私のたどたどしい疑念に、だけど橋場さんはメガネをくいっと上げて優しい口調で答えてくれた。
「姫宮さんはあの収録の時、真由佳の悪口を言っていたタレントを怒ってくれましたよね? 自分のことならいざ知らず、誰かのためにあそこまでかばってくれる子はそうそういないものです。それもまだ一日しか顔を合わせていない女の子のことを。そんな真由佳のために怒ってくれた姫宮さんだからこそ頼みたいんです」
熱意のこもった目で私を見つめる橋場さん。
正直橋場さんの言葉に私は驚いた。
私の前では胃薬ばかり飲んでいたものだからてっきり私のことは苦手なのとばかり思っていたのに、そこまで私のことを評価してくれていただなんて……。
「――分かりました橋場さん! その頼み、喜んでお引き受けいたします!」
私が小さい頃読んだ童話に『ガラスの王女』という話があった。
ガラスで出来た王女様は透き通るように綺麗でみんなの人気者。けれど同時にとても繊細で強く触れただけでも皹が入ってしまう。
それを恐れた王様は彼女を誰の手にも触れさせないように部屋に閉じ込めた。しかし彼女は体を傷付けることこそなかったが、だんだんと心を病ませていってしまい、最後には内側からひび割れてしまった。
この話は護衛任務の本質をついたものなのかもしれない、と私は思った。
たとえ体が無事でも心に傷が付いてしまったら、それは本当の意味で守ったということにはならないのだから。
フッと先程の不安を抱いていた真由佳ちゃんを思い浮かべる。きっと彼女も孤独の真っただ中にいるガラスの王女様なんだろう。
だったら誰もいない部屋から出してあげなくてはいけない。寂しさで震える彼女を助けなければいけない。
あの子が心から笑えるように――