2-2 護衛任務
四月最後の水曜日、九條魔法士事務所に入ると玄関には依頼人のものと思われる靴が2つ並んでいた。
一方は黒光りしている高級そうな革靴。もう一方はだいぶ擦り減ったそこそこのビジネスシューズだ。
応接室の方からは九條先生の声が聞こえた。どうやらすでに任務についての相談をしているようだ。
前回はこじれにこじれた対応だっただけに今回の理知的とも聞こえる九條先生の声は何だか違和感を拭えない。
ドアの隙間から中をそっと覗くと、九條先生の対面には60歳くらいの明るそうな男性、そして体が細くて神経質っぽい中年の男性が座っていた。
どこかの企業の偉い人とその部下の人なのかな? 確か九條先生が渡してくれたマニュアルにはそういった企業の方からの依頼も多いと書いてあった。
そして依頼人が来た時、私はお茶を出さなければいけない。これもマニュアルに書かれていたことだ。
そう思い私はドアをそっと閉じてキッチンへと向かう。
ここの事務所は九條先生の仕事場兼自宅とのことなのだけど、キッチンが頻繁に使われているようには見えなかった。
汚れているとかそういうことはないけれど、あまりにも物がないのである。あるのはお湯を沸かすやかんとコップの類だけ。
たぶんあまり自炊をしないんだろうなぁ。九條先生が料理大好き人間だったらそれはそれでびっくりではあるけども。
とりあえず手当たり次第に引出しを開けてみると上から2段目に大量のお茶の缶があった。お茶は緑茶や紅茶から中国茶や烏龍茶など様々な種類があり、ラベルを見るとどれも高級そうなものばかりであった。
きっと先生は依頼人によってお出しするものを使い分けているのだろうけれど、もちろん私は誰に何を出すべきかなんて知る由もない。
よって私はさっき見た人達の雰囲気から緑茶を選ぶことにした。別に文句とか言われないよね……?
「粗茶ですがどうぞ」
私は淹れた緑茶を応接間に持って行き、九條先生とクライアントの二人のところに置いた。
クライアントのお二人は「どうも」と言ってから、九條先生は素っ気なく「ありがとう、姫宮くん」と言ってから湯呑みに口を付ける。
初めてのお茶汲みなだけにドキドキしながら見守る中、3人は特に何も言わずに湯呑みを置いた。
その様子に私は少しほっとした。クライアントの上司っぽい人は明らかにいい服を着ていたのでこういうのに敏感かもしれないと思っていたけど別にそうでもなかったらしい。そりゃあ、お茶一つでいろいろとイチャモンつけるというのも大人げない気はするけど。
するとふと、依頼人の内の年輩の人が私を見て九條先生に尋ねた。
「九條先生、こちらのお嬢さんは?」
「ああ、彼女は駒場魔法学園から研修に来た生徒です」
今度は九條先生が私をちらりと見る。恐らく挨拶しなさいということなのだろう。
「駒場魔法学園高等部1年の姫宮マナです」
ちょっと緊張しつつも私は深々とお辞儀した。目の前にいる年輩の人は見るからに大物のオーラを放っており、何だかプレッシャーを感じるのだ。
「しっかりした子ですね。ということは九條先生とこの子が私達の依頼を担当するのですか?」
「橋場さん、さすがにどこの馬の骨とも知らない奴を大切な任務につかせるなんて真似はしませんよ」
橋場さんと呼ばれたもう一人の男性に、九條先生は『ですから安心してください』と言わんばかりにそう言い放った。
その言葉に私はキッと九條先生を睨みつけるも先生は何のその、気にも留めない。まぁ馬の骨というのはともかく、まだまだ未熟者であるということは否めないので私も流してあげましょう。
それはそうと私としても依頼人がどんな人達なのか気になっていたので、お盆で口元を隠しながら小声で九條先生に依頼人がどういう人達なのか聞いてみた。
すると向こうも気を回してくれたのか、年輩の人が懐からスッと名刺を取り出して私に渡してくれた。
そして私はその名刺をまじまじと読む。
「えっと、星野芸能事務所社長星野義人……ってええ! あの一之瀬雅人や佐伯翔が所属している星野プロの社長さんですか!」
渡された名刺の文字に私はついつい大きな声が出てしまった。
だって星野芸能事務所と言えば芸能界の四大事務所と呼ばれるほど大きな事務所のはず。それが何でこんなぼったくり事務所なんかに……?
「ゴホン、……姫宮くん」
思いもよらない依頼人。それにとり乱した私に対し、九條先生はうっとうしそうな目をして咳払いをした。
「あ……、すいません」
「いえいえかまいませんよ。女の子が元気いいというのはいいことです。そしてこっちが我が事務所のマネージャー、橋場隆司くんです」
その星野社長の紹介に橋場さんは言葉こそ発しなかったが礼儀正しく会釈した。
橋場さんの印象はとても真面目そうな男性で典型的なサラリーマンという感じ。それゆえかどこか苦労人なオーラが滲んでいる気がした。
「確か君は姫宮君と言ったね」
「は、はい」
すると星野社長がなぜか私をじっと見つめてきた。それもやけに真剣な表情をして。
あれ……、もしかして私何か星野社長の気に障ることでもやらかしたかな……?
「な、何でしょう……?」
「――君、実にいいね。しっかりとした態度に元気のいい声、愛くるしい顔にスラリとしたスタイル。そして名門駒場魔法学園の生徒ときた。どうだい、うちの事務所のオーディションを受けてみる気は?」
ま、まさかの勧誘!?
妹や友達から『芸能界にでも行ったら?』なんて冗談言われたことはあるけど、本当に芸能関係者、しかも事務所の社長さんから声をかけられるなんて……
い、いや別に嬉しくないわけじゃないけど……、そんなこと急に言われたら照れるというか何というか……
「あの、その、とても嬉しいんですけど……あの、私には将来魔導師になるという夢があって――」
「姫宮君、君はリップサービスという言葉を覚えた方がいい。堅物な性格にやかましい声、子供っぽい顔付きに寸胴な体。取り柄は駒学に入っているだけという君のことを星野社長はオブラートに包んで表現してみせただけだ」
……九條先生、あなたこそデリカシーという言葉を覚えた方がいいと思いますよ?
でないと私の持っているお盆がそのうち先生の頭に打ちつけられることになるだろうから……
しかしそれにしても大きな会社が魔法士事務所に依頼を持ってくるなんてあまり聞かない。星野芸能事務所ほどの会社ならお抱えの魔術師くらいいるだろうに。
何か特別な事情でもあるのだろうか?
「あの、不躾な質問になってしまいますが、これっていったい何の任務なんでしょうか?」
その私の問いに九條先生は星野社長と橋場さんに了承を取り、そして答えた。
「とあるアイドルの護衛任務だ」
「アイドルの護衛……ですか。ハリウッドスターならともかく、日本のアイドルに魔法士の護衛をつけるっていうのは珍しいですね」
私の疑問に今度は星野社長が口を開いた。
「まぁ、今回はちょっと特殊なケースでしてね。橋場君」
すると橋場マネージャーは懐から一枚の写真を取り出す。
「私達が九條先生に依頼したのはこの子、エメラルドガールの峰真由佳です」
エメラルドガールの峰真由子。よくCMなんかでも引っ張りだこの子で、あまりテレビを見ない私でもよく知っている子だ。
確か最近ニュースでエメラルドガールを辞めることが騒がれていた気がするけど……
「ご存知だと思いますが峰真由佳は現在エメラルドガールを辞めてソロデビューを狙っていましてね。ゴールデンウィークを使って大掛かりなソロデビューライブをやるんです。しかしエメラルドガールでナンバーワンだった彼女がソロデビューするってことでそれを快く思わないファンもだいぶいまして」
そう言って橋場さんは鞄のなかから何十枚もの紙を取り出した。それは峰真由佳や事務所に対する罵詈雑言がびっしりと嫌がらせの手紙だった。
すると橋場さんは苦しそうにお腹をさすり、「失礼」と言ってポケットから胃薬を取り出してそれを飲んだ。
橋場さん……、よっぽど堪えているみたい……
「け、けどそういうのって大体はいたずらなんじゃ……?」
「確かにほとんどはそうでしょう。しかし半年ほど前にも他の事務所のアイドルがコンサート中にチェーンソーを持った暴漢に襲われたという事件がありましてあまり軽視できることじゃないんですよ。それに彼女はその、人気者ゆえの悩みというんですかね。業界内にも彼女を妬む人が多くいます。そういった人達が今回のデビューライブをめちゃくちゃにすることも考えられるんです。ですから万が一が起こらないよう、九條先生のもとへ依頼を持ってきたんです」
なるほど……、だからこの事務所に依頼を持ってきたのか。
……って、ちょっと待って。この事務所ってそんなに頼りになるような魔法事務所だったの!? 確かに前先生は受けたら絶対に成功させると謳っていたけど、もしかしてあれ本当だったのか……
しかしせっかくの初ライブを妨害する輩がいるかもしれないなんて……
しかも相手はまだ私より1つ下の女の子である。そんないたいけな女の子の夢を壊そうとするなんてとても許せなるものではない……!
「――九條先生、あの、よろしいですか」
「何だ? もしかして私もこの依頼に参加したいですぅ、とでも言いたいのか?」
「はい! 私も彼女の護衛につきたいです! もちろん自分が分不相応だというのは十分に分かっています。けど私も九條魔法士事務所の一員として悪意ある人から彼女を守りたいんです!」
はぁ、と深いため息をつく九條先生。おそらく、いや、疑いもなくダメと言おうとしている。
しかし意外なところから私へ援護の声が発せられた。
「いいでしょう。姫宮くん。君もぜひ峰真由佳の護衛についてください」
「星野社長!?」
「九條先生、確かに姫宮くんは魔法士としてはまだまだ未熟なところがあるかもしれない。しかし私もこう見えて芸能事務所のオーナーだ。人を見抜く目もそれになりに持っているつもりだよ。だからこそ彼女を真由佳の護衛につけさせたい。彼女には護衛として大切な覚悟も度量も備わっているように見える。それに、だ。真由佳としても同年代の護衛がいた方が気も楽でいられるはずだろう」
星野社長の言葉は一国の主のようにどっしりとしたものであると同時に、心に染みるようなとても暖かく穏やかだった。
それはまさに芸能事務所の社長としての風格を思わせるものであった。
「分かりましたよ……、星野社長。ですがその分依頼料を安くしてくれとかはなしですよ」
「もちろんです。姫宮君、大丈夫かな」
「は、はい!」
その星野社長のほがらかな言葉に、私は持っていたお盆をギュッと握りしめた。
◆
そして翌日の木曜の昼休み、私は麗奈先輩とともに生徒会室にいた。
実は私は先週から一年生会員として生徒会に所属するに至ったのであった。
しかし生徒会員とは言うものの、学生運動が盛んだった昔に比べると今は生徒会に入ろうとする人も少なく、今年もほとんど望めば入れる状態ではあったのだけれども。
「――へえ、マナのゼミってそんなこともするんだ。楽しそうね」
麗奈先輩は優雅にティーカップを傾けながら私の愚痴を聞いてくれていた。
「ええ。内容自体は面白いと思うんですけど、肝心の先生の性格がひどくって。お金にはがめついし、人は平気で見下すし、傲慢甚だしいし!」
「そうなんだ……。結構参っちゃってる感じ?」
参っているといえば確かに参っているかもしれない。これから先も振り回されるというビジョンしか見えないし。けれどそれよりも……。
「どちらかっていうと、こなくそーって感じで反抗しちゃいたくなりますね。あなたは絶対に間違っているぞって付きつけたくなるような」
「あらあら、そしたらむしろお似合いってことじゃない。水と油の関係っていうよりも良き反面教師ってみたいで」
「そ、そんなことないです! もうめちゃくちゃですよ!」
全く、麗奈先輩も他人事だと思って……
「ところで麗奈先輩、神田ゼミって今どんなことをやっているんですか?」
「私のゼミ?」
「はい。もしかしたら……、いえ、かなりの確率で来年神田ゼミに編入したいと思うので」
麗奈先輩の教官である神田先生は私が目標とする《魔導師》であるとともに魔術協会日本支部の幹部も務めている。
《魔導師》はもともと魔術協会が優秀な魔法使いに与える称号であり、また魔術協会に加入することを条件としている。
これは優秀な魔法使いを探しだし世界平和に貢献してもらうことを目的としているためだ。もちろん中にはそれを拒むものもいるが、しかし多くの《魔導師》認定者は待遇や研究環境が優れていることから魔術協会に加入しているのだ。
そして神田先生は次世代の有望な魔法使い育成を推し進める魔法教育の第一人者であり、駒場魔法学園に魔術師師弟制度を作ったメンバーの一人でもある。そのため神田ゼミは他のゼミよりも魔法戦闘術や魔法研究の指導を熱心に行っており、駒学において看板ゼミになっている。
その分課題が多く学生生活に多大な負担をかけてしまうことになるのだけれども、今後のキャリアを積むという点でとても人気が高いのだ。
「そうね……。例年だったらまだ大したことはやらないんだけど、今年は有望な新人が多いせいか入ってきたからスケジュールがいつもより早いかもね」
「有望な新人……月城蓮のことですか?」
「ええ、そう、月城くん……」
月城蓮。その名前が出てきた時、麗奈先輩はどこか遠くを見つめているような気がした。何か思うところでもあるのだろうか……?
「麗奈先輩?」
私の呼びかけに、麗奈先輩は「何でもないわ」と言って紅茶を啜った。
それにしても麗奈先輩の目から見てもやっぱり月城は有望株なのか……
「けどそんなこと聞くとちょっと滅入っちゃいます」
「え、どうして?」
「前の戦闘術の授業で月城と戦ったんですけど正直勝てる気がしなくて……。あ、別に負けたわけじゃないですよ、引き分けです引き分け。でもそれがこれからどんどん開いていっちゃうと思うと……」
魔法士の仕事は確かに楽しそうでためになりそうなことも多い。しかしやっぱり神田ゼミに比べると足りない部分があるのではないかと思わずにはいられなかった。
するとそんな落ち込む私の様子を見てか、麗奈先輩は私の頬を優しく撫でてくれた。
「そんなことはないわ。月城くんもすごいけれども、マナも月城くんに負けないくらいすごい子よ。家柄だとかお金だとかそんなの関係なしに彼に並べられるんですもの。そんな人そうそういないわ。それにあなたにはあなたの道ってものがあるでしょう? 確かに九條先生は変わった人かもしれない。けれどそれは逆に神田先生のもとでは絶対に経験できないようなことに出会えるってことじゃない」
そう言って麗奈先輩は柔らかい笑みを浮かべてくれた。
「だからマナは自分が最善だと思うことをやっていればいいと思う。周りばかりに気を取られたら本当にやりたいことも見えなくなっちゃうわよ」
自分が最善だと思うこと、か……
そう言うと麗奈先輩は残りの紅茶を飲み干して立ち上がった。
「次は移動教室だから先に失礼するわね、マナ。それと高校生活はまだ始まったばかりなんだから、そういろいろと決めつけなくてもいいのよ」
麗奈先輩はそう言葉を残して生徒会室を後にした。残った私は麗奈先輩の去り姿をただただ眺めていた。