1-1 桜咲く
初めての長編作品です。
冗長になるかもしれませんが、よろしくお願いします。
「ねぇマナ、君は大きくなったら何になりたい?」
お父さんがそう尋ねたのは小学校入学式の帰りだった。
車窓から見える桜並木にはぽつぽつとつぼみが吹き出ていて、その下には私と同じ新しい制服を纏った子ども達が追いかけっこをしていた。
「えっとね、マナは大きくなったらミラベル様みたいにかっこよくてきれいで強くて……、誰よりもすごい魔導師様になりたい!」
お父さんはルームミラーで私を見ると微笑ましく口元を緩ませた。
きっと私は偉大な魔導師様と自分を重ねてどうしようもなくはしゃいでいたに違いない。
「そうかそうか、マナは魔導師様になりたいのか。けれど魔導師様になるのは大変だぞ? みんなよりたくさん勉強しなければならないし、何よりすごい魔法をたくさん覚えなきゃいけないからね」
「大丈夫だもん! マナね、入学テストで100点取ってみんなに褒められたし、もう浮遊の魔法だって使えるんだよ! 先生にだってマナならきっと偉大な魔導師様になれるって言ってくれたもん」
ふと、私の頭にお父さんの手が被さった。その手は大人の手としては決して大きいとは言えないけど、とても頼もしくて、とても暖かかった。
「すごいね、マナは。君ならきっとミラベル様を超える素晴らしい魔導師様になれるかもしれない。だけどねマナ、魔導師、いや、魔術師もそうだけど、立派な魔法使いになるのだったらみんなから尊敬されるようになるんだよ。いくら強くったって決して弱い人をいじめるような悪い人間にはなってはいけない。偉大な魔導師になりたいのだったら、強きをくじき、弱きを助け、決して悪に加担しないという強い信念を持ちなさい。そしてどんなことがあってもその正義を貫きなさい」
お父さんはいつもそうだった。私がどんなこと言っても真剣に聞いてくれて、いつも気にかけてくれた。
「うん、わかった!」
私が返事をするや、お父さんはむちゃくちゃに私の頭を撫でてくれた。
それは小さい頃のちょっとした思い出。誰にでもあるような些細な出来事。
だけど私にとってこの思い出は目指すべき夢が芽生え、自分の正義を信じ生きていこうと決意した人生の中でも大切な1ページだった――。
◆
窓から差しこんでくる光、ベランダで小鳥達がさえずる声、一階から漂ってくるお母さんの味噌汁の香り。
それはいつもと何も変わらない朝の一幕なのだけど、今日ばかりはそれが特別のことのように感じられた。
壁に掛かった時計は6時14分を指していて、目覚ましが起動するのはまだまだ16分先。
だけど私は体がそわそわと落ち着かず、どうしようもなくベッドから飛び起きた。
まず洗面所に向かった私はまじまじと自分の顔を見つめる。語弊があってはいけないが、私は決してナルシストとかそういうわけじゃない。
ただ確認したくてしょうがなかった。今日の自分が少しばかり大人っぽく見えるかどうかを。
「お母さん、ちょっと化粧して行きたいんだけどいいかな」
目はキリッとしてきたとは思うけど、顔はまだまだ幼い印象かな? やはりこういうのはこれからだんだんとメリハリがついていくのだろうか。
「やめときなさい。高校で化粧する人なんかいないわよ。西園寺さんだって学校ではあまりしないって言ってたじゃない」
リビングからお母さんが声を上げる。新聞紙がめくれる音も聞こえることからお父さんもいるのだろう。
「けど今日は――」
「大丈夫よ。それに慣れないメイクなんかして笑われるよりかはいいでしょ。ねぇ?」
「そうだね。だいたいマナは化粧しなくても十分美人さんなんだから問題ないよ。ねえ、母さん」
同意を求めるお母さんに、さらりと応えるお父さん。
全く……。お父さんは気取らずに突然キザなセリフを言ってくるから苦手だ。
しかも本人は変にからかっている訳でもなく、いたって真面目に言っているのでことさらたちが悪い。お母さんもお父さんと付き合うのにきっと苦労したことに違いない。
……いや、そうでもないか。
それから私は着替えるために部屋に戻る。片隅のクローゼットから取り出した制服は皺ひとつもない新品だった。
(うわぁ。今日からこれを着ていくのか……。何というか、やっぱり中等部のものとは全然違うなぁ)
中等部の時は暗い青のセーラー服でどこかモサッとした感じがあったけど、やっぱり高等部は違うというべきか。
制服はキリッとした紺のブレザーに変わり、胸元には赤い大きなリボン。そしてスカートはちょっとおしゃれなチェック柄だ。
数瞬見惚れた後、慣れない手つきで私は制服に着替え始める。幸いなことにリボンの結び方はあらかじめ練習したこともあってかちょっとぎこちなくも綺麗にまとめられた。
リビングに着くと、お母さんがお父さんのネクタイを結んでいた。お母さんが世話好きなのは相変わらずというか、仲がいいというか……。
とりわけいつものことなので私はお邪魔をしないように席につく。
すると二人はぎょっとした様子で私を見てきた。
別に夫婦でべったりなのを見られたからではないだろう。それは日常の光景であって、(本人達にとっては)さして見られて恥ずかしいものではないのだから。
「……何?」
「いや、予想していた以上に似合っていたから……」
「……うん、何ていうか、マナも大人になったんだなって」
「いやいや……。二人とも二週間前の採寸の時、私が制服着たの見てたでしょ?」
「違うのよ。二週間前より大人っぽくなってて……」
お父さんはともかく、こういうことに関してはからかってくることの方が多いお母さんまでそう言ってくるのは少し驚きだった。
すると階段からドタドタと、今さっき起きてきたのか妹のカナもやってきた。
「お母さんお父さん、お姉ちゃんおはよう。……って、お姉ちゃんが高等部の制服着てる!」
制服姿の私を見るなりカナはじゃれつく子犬のように私の胸に飛び込んできた。お母さん譲りのくせっ毛がちょうど鼻を刺激してむず痒い。
「お姉ちゃんもとうとう高校生かぁ。彼氏さんとかもお姉ちゃん可愛いしいっぱいできるんだろうなぁ。だけどお姉ちゃん彼氏できたらまず私に紹介してね! 私がお姉ちゃんにふさわしいか判断するから!」
「もう、カナったら……」
カナは上目遣いで私を見ながら、任せて!って言わんばかりに手をグッと握りしめた。
姉のことをこうも想ってくれる妹を持てて嬉しくはあるけれど、こうもベッタリなのも困ったものかもしれない。
「そうだ! 写真撮ってもいい?」
「え、写真? 別にいいけど、どうしたの急に?」
「実は友達から高等部の制服を着たお姉ちゃんの写真を撮ってくれないかって頼まれちゃって」
「……友達、から?」
「ほら、前にうちに遊びに来た舞ちゃんよ! 後、由佳ちゃんに美穂。それにお姉ちゃんの後輩だった佐山先輩とかっしー先輩も見たいって言ってたかな。男の子に見せる訳じゃないからいいよね?」
「……」
本当に困ったものだ。
◆
「それじゃあ行ってくるね」
「ええ、行ってらっしゃい。入学式はちゃんとビデオ回しておくから頑張りなさいよ」
「もうっ」
家を出て電車に揺られること30分。改札を出て真っ直ぐ行くと小4の時から憧れだった高校が見えてきた。
全国有数の高等魔法教育学校で、その名も私立駒場魔法学園。今年で100周年を迎える伝統校であり、数ある魔法学校のなかでも五本の指に入る名門校だ。
校門をくぐると自分と同じリボンをした新入生、そして興味本位で様子を見に来た上級生でひしめいていた。
駒場学園の生徒は私のいた三鷹の中等部と日比谷の中等部の上位半数がエスカレーター式に上がってくる。そのため新入生の半分が中学を共にした生徒であり、目の前の新入生や先輩方の二人に一人は私の中学出身となるのである。
しかしあまりの人の数に圧倒されて、この時ばかりはとてもじゃないけど私は知り合いを探すどころではなかった。
(わわ、とりあえずクラス発表の掲示板のあるところに行かないと……。仲良い子と同じクラスならいいんだけど……)
掲示板前の人だかりの波をかき分けていると、不意にトントンっと肩を叩かれた。おそらく中等部が同じだった子なのだろうか。
知り合いが見つからなくて寂しさを感じていて私は思わず振り向いた。
だけどほとんど反射的に振り返っただけに、その肩に乗せられた手の指が立てられたことには気づかなかった訳で――
「ふびゅっ!?」
底意地悪い人差し指が私の頬にめり込んだ。
別にたいして痛みはないけれど、こんな古典的な悪戯に引っ掛かったことが実に腹立たしい。
「相変わらずマナはちょろいんだから。そんなんじゃ新入生代表は務まらないぞ?」
「もう、やっぱり由美だったのね! 高校生にもなってこんなことするのは!」
「あはは、これはあまりにも純粋で騙されることを知らない親友に、世の非情を教えるがための愛情なのだよ。感謝したまえ」
由美は偉そうに顎を上げた。それはさながら子どもをあやす上から目線だった。
由美が私をからかうのはいつものことで、私も毎度ムッとしてしまうもどこか憎めない。
「マナちゃんおはよう。向こうに貼られているクラス表はもう見た?」
由美の隣にはあずさがいた。彼女も私と由美と同様三鷹の中等部出身で、中学1年の時からの仲だ。
「まだだけど……、二人はもう見たの?」
「もちろん。何と私と由美ちゃん、それにマナちゃんも同じクラスだったの」
「え! それってすごくない!?」
「本当に驚きだよね。中学校の時もずっと三人同じクラスで、高等部に移ってからも同じになるなんてね。えっと、一学年200人で5クラスあるから三人が同じになる確率は……いくつだったっけ?」
由美は手の平に指で式を書くが途中で手が止まる。
「25分の1よ。全く由美ったら。そんな計算、選別テストの時に嫌っていう程やらされたじゃない。もう忘れたの?」
「あはは。いやね、私もこっちに上がるために頑張ったけどさ、合格したら気が抜けちゃって。もうほとんどのことは忘れちゃったんだよね」
あまりの成績の悪さに『みんなと同じ高校行けない』と泣きついてきたもんだからしょうがなく私とあずさが徹夜してまでコーチングしてあげたというのに。全く何ということだ!
だいたい、由美は今日の入学式後に入学テストがあることを覚えているのだろうか?
「そんなことより! 私達のクラスに日比谷のあの月城蓮って人もいたんだよ! ほら、私がこの前話した日比谷の天才! 私達のクラス何気にすごいことになりそうじゃない!?」
「えっと、確か由美の日比谷の友達が自慢していた勉強もスポーツも何でもできるイケメン君だっけ」
「そうそう、それに何と言っても魔法使いの名門、月城家の次期当主らしいよ」
「へえ、すごいんだね。けどけど、三鷹にはそんな人を差し置いて学年主席になった我らがマナちゃんがいるから」
「うっ……」
あずさは意地悪く私に笑顔を見せた。
周りに知らない人もいるのにそんなふうに持ち上げられると非常に気恥ずかしいのに。
「それにしてもやっぱりあなたたちは仲いいわね。まさかみんな同じクラスだなんて」
3人で話していると、不意に私達の後ろから凛とした声が聞こえてきた。後ろからの声で姿は見えない。
けれどその声の主が誰かはすぐに分かった。なぜならそれは私がとても尊敬する人で、誰よりもすごい人――
「お久しぶりです、麗奈先輩!」
「ええ。久しぶりね、マナ。それに由美にあずさも」
麗奈寺先輩がこちらに歩いてきた。するとモーセの海割りよろしく、近くの生徒は慌てて道を空ける。彼女が腕に巻いている“生徒会長”という肩書きが自然とそうさせているのだ。
「しかし西園寺先輩、よくこの人だかりで私達を見つけることができましたね?」
と由美。それに麗奈先輩は少し微笑んだ。
「それはもちろん、マナのその綺麗な金色の髪が見えたから。とても目立つもの。けれど前は後ろで束ねてたのに今日は下ろしてるのね」
「はい! 実はこれ、麗奈先輩に真似て思い切って下ろしてみたんです!」
「まぁ、そうなの! ふふ、こんなに可愛い後輩に好かれるなんて私は幸せ者ね」
そう言って麗奈先輩は嬉しそうに目を細めて私の髪を撫でてくれた。
「そうそう。マナ、この後入学式の打ち合わせがあるから一緒に来てくれないかしら? 大丈夫だとは思うんだけど、うちの先生とても心配性だから」
「はい、大丈夫です! 私もちょうど確認したいことありましたし」
「じゃあ、行きましょう。二人とも、ちょっとマナ借りていくわね」
そう言って麗奈先輩は由美とあずさを一瞥すると、私の手を取って私を職員室まで連れて行ってくれた。
私の高校生活はまだまだ表紙がめくれたばかり。
きっと今まで体験したことのない出来事が山のように迫ってくるだろう。そのうちとてつもなく大きな壁が私の前に立ちはだかるかもしれない。
だけど……、だけど私はそんな困難も含めてこれからのことがどうしようもなく楽しみでしかたがなかった。
一話ということでまだまだ物語の核心には触れられていませんが、次回も引き続き読んで下さると嬉しいです (m。_。)m
最後のはフラグ……