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♦ 悲鳴 ♦

最近同じ夢ばかりを見る。その内容を友人たちに話すと、大抵気味悪がられてしまう。

中には、「お前、精神的に病んでるんじゃないの?病院で見てもらったら?」と、冗談半分ながらも本能的な恐ろしさを垣間見たかのような響きで言ってくる人もいる。


どうして、このような夢をみるようになったのか、その理由は全く分からない。

夢の中身に関しても、これまでの16年間の人生の中で関連する出来事は1つもなかったと、自信をもっていうことができる。




夢の内容はこうだーーー



時間帯は夜。


風呂上がりの私は洗面台にある鏡を見ながらドライヤーで髪を乾かしているのだ。

髪が半分ほど乾いたところで、ドライヤーの調子が悪くなり、ブオーというあのうるさい音が徐々に小さくなってゆく。と共に、今度は耳の奥の方から声が聞こえてくるのだ。


その声は、少女の声なのだ。


ドライヤーを乾かしている最中、私は得体の知れない違和感を感じていたのだが、ドライヤーの音がなくなってゆくことで、私はその正体に初めて気づくのだ。

初めてとは言っても、現実の私自身はその夢をもう何十回とみているので、デジャヴ満載なのだが。


最初は、何を言っているのか聞き取れないほどにかすかで今にも消え入りそうな声なのだが、少しずつその輪郭が浮き出てくるのである。

そして、その輪郭の全容をつかむことができた時、私は悲鳴を上げるのだ。


想像を絶するほどの悲鳴。


喉から出るのではなく、脳の奥底から、命を振り絞るかの如く、生死の境をさまようがごとく、この世の全人類に対して発するがごとく、


私は悲鳴を上げるのだ。



さらに、私は、正面の鏡の中に、下着姿の7歳程度の色白で美しい少女の姿を見るのだ。



私は悲鳴をやめ、少女に触れようと、少女を助けようと思い、鏡に手を伸ばす。



そして、人差し指の先が鏡に触れた時、私はいつもそこで目覚めてしまう。


目が覚めた時、私は喉の渇きと体力、いや生命力の消耗を感じるのだ。

事実、この夢を見るようになってから、今まで一向に成功の兆しを見せなかったダイエットが順調に進んでいる。およそ3か月で8kgも痩せたのだ。






夢を見始めてから3か月が経とうとしていたある日のこと。


私は母に言われて2階にある書庫を整理していた。部屋は、扉と窓以外の壁のすべてを本棚が埋め尽くし、母曰く2千冊近くの本があるのだという。そのほとんど全てが、この家の元の持ち主である、もう4年前に亡くなった母方の祖父が生前買い集めたものらしいから驚きだ。


私はこの膨大な数の本の中から、幼いころの母が写っているアルバムを探し出すという、無理難題にもほどがあるミッションを仰せつかったのだが、3か月先までお小遣いを前借している身としては、とてもじゃないが断れなかった。



作業開始から1時間が経った。

私の背では届かないような高い場所にある本を手に取ったり、タイトルがかすれていて何と書いてあるのか識別するのに苦労したり・・・私の体力と知力は限界だった。

しかし、私は目的の物を手に入れることに成功していた。

自分でもこんなにあっさりと見つかるとは思っていなかったので驚きだ。もしかして、私にはこういう類の才能があるのかも?(あっても今後役に立つかはわからないが)


早速、私は勝利の余韻に浸りながら、幼いころの母がどんな顔をしているのか、果たして私にそっくりなのか?(母曰く、私の顔は若かりし頃の母そっくりらしいのだが、現在の母はただの三段腹二重あごおばさんなのでとても信じられない)確かめるべく、アルバムを1ページずつ丁寧めくる、なんてことはせずぱらっとめくることにした。


「・・・・うん、まあ確かに似てるね。てか、小さい頃の私じゃん。んーー、どうして今はああなっちゃのかねー?…って待てよ。ということは、将来私はお母さんみたいに・・・・」


背筋を冷たいものが流れたような感覚に襲われて、将来のことは考えないことにした。


とりあえず目標は達成したのだが、その後も惰性でアルバムをめくり続けることにした。

昔の写真を見るのは嫌いじゃないし、むしろ好きなほうかもしれない。今の時代と全然違う光景が広がっていて、なんだかタイムスリップした気分になる。

写真とはなんとすばらしいものか。ちょっと日に焼けても、ちょっと色あせていても、その時代のエッセンスは鮮度を保ったまま、私の目に飛び込んでくる。写真は膨大な時間の中の一瞬しか切り取ることはできないけれど、それが失われない限りその刹那の輝きを永遠にこの世に残すことができる。


昔の人は、写真を撮られるとカメラに魂を抜き取られるという迷信を信じたみたいだけど、それはあながち間違いじゃないのかも。

だって、今私が見ている数十年前の写真の中の母からは、確かにその当時の母の魂の息吹を感じることができるから。


アルバムは最後5ページほどを残したところで、写真が終わっていた。最後の写真は母の高校の卒業式のときのものだ。当時の母と、祖母と祖父の3人が写っている。

写真を撮っているのは誰なんだろう。母は一人っ子だから・・・・きっと母の友達か誰かかな。

これ以上先のページに写真がないことを確かめて私はアルバムを閉じた。


そして、アルバムを発見したことを報告するため、和室で昼寝しているはずの母のところへ向かうために立ち上がった。



その時、私はなぜか、もう一度そのアルバムを開きたいという衝動に駆られた。

どうしてかはわからない。でも、そうしなければならないという強迫観念が私を縛ったのだ。



右手の親指をアルバムのハードカバーの縁にかけ、人差し指と中指でページを下から上へなぞり中央あたりを開いた。

すると、そこにはさっき見た覚えのない写真が1枚だけ右側のページに貼られていた。


その写真には一人の少女が写っていた。


それは幼いころの母ではなかった。しかし、私には見覚えがあった。




「・・・・・夢に出てくる女の子だ・・・。」


そう心の中でつぶやいた途端、私は無意識に悲鳴を上げていた。






悲鳴を



悲鳴を悲鳴を



悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を



悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を悲鳴を





タ・ス・ケ・テ・ク・ダ・サ・イ





                                 『 朝桐 美優 』 



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