深夜の酒場にて
その酒場は閑静なベッドタウンの駅前にある。
駅前といっても8時を過ぎる前には閑散とするほどに田舎。
ホテルもなければサウナもない。
終電を逃したら、駅前の広場のベンチで時を待つか。
あるいはアーケードもない商店街を歩き、こんな酒場で朝まで待つか。
……そして今日も。一組の男女がこの店を訪れた。
「……いらっしゃい」
還暦を過ぎた店主が暖かい笑みを浮かべる。
「夜分遅く申し訳無い。開いていますか」
年のころ、50ほどの女性が問いかけると店主は穏やかな笑みで返した。
「始発までは開いていますよ」
「よかった」
そういったのは還暦を過ぎて破瓜になろうとしている男性。
ちなみに、8の二乗で64歳を意味する。
「こちらの御漬物と御猪口はサービスです」
店主が小さな漬物と御猪口に入った日本酒を出す。
「……私、日本酒は苦手なんです」
女性が戸惑っている。
「大丈夫です。お酒の苦手な方は皆そう仰いますけど、これは御猪口なら大丈夫」
戸惑いつつも女性はその御猪口の中身を口にふくんだ。
「あ……」
爽やかな香気と冷たい感触。優しい酔い口。
「なんて。お酒ですか」
女性に代わって男性が問う。
「『雪の茅舎』。秋田県の地酒ですよ」
店主である還暦過ぎの優しげな女性はそういってほほえんだ。
「こっちのおつまみは? 」
「有り合わせでごめんなさい。合わないかもですが」
店主は微笑んだ。
「茄子を塩で揉んで、芥子で一晩味付けした辛子漬けです」
「とりあえず。ラーメン」
男が呟く。
「私も」
女性が続く。
……始発電車までまだ長い。