第七話
「ったく、ざけんなよなあの猫……なんで逃げんだよぉ……」
なんだかんだありつつ、アヤは無事に大地に帰還。
猫がいなくなってしまった中庭にこれ以上用事もなく、俺たちは学校を出て下校途中である。
しかしアヤはご機嫌斜めの様子だ。猫に逃げられたのが少々ショックだったのだろう。
「追いかければ逃げる。それが猫ってもんじゃね?」
ケイがにやにやと笑いながらそう言った。確かに猫……特に野良猫は、人間が追おうとすると即座に逃げ去るイメージがある。
しかしアヤは納得がいかない様子だ。
「可愛がってやろうってだけじゃねーか。それぐれー雰囲気で察せよ」
ははは無茶を仰る。
人間同士でさえそんなの把握しきるの難しいってのに、猫相手に何を望んでるんだお前は。
「いやでもそういうのって、動物のが鋭いんじゃねーの? どうなのユズ」
「え?」
アヤに突然話を振られて狼狽えるユズちゃん。
うーん、としばらく考えた後、こう言った。
「例えそういうのを感じ取れるとしても、どこの誰かも知らない人間に体を触れるのを許すのと、逃げ去ることでの確実な安全を天秤にかければ、逃げる、ということへの選択も許されるべきというか、賢い判断だっていうか」
「私がどこの誰かも知らない人間だってこと?」
「い、いや、えっと、そういうことになりますけど……」
「私が何をしでかすか分からん危険な人間に見えるってことかよぉ!?」
「そこまで言ってないですぅ!!?」
アヤがユズちゃんのこめかみあたりを両手でぐりぐりとやっている。
ユズちゃんに迷惑をかけるのはアヤの保護責任者として止めなきゃならんだろうが……まあ、あのアヤのぐりぐりだ。痛くも痒くもないだろう。
「なあトリよ。考えてもみろ?」
「あ?」
ケイがアヤの手を取り、ユズちゃんへのぐりぐりを止めさせながら言った。
「お前のこと見て、かわいいね、ちょっと撫でていい? って言いながら、見知らぬ男が笑顔で近づいてきたらどうする?」
「119」
「……消防と救急、どちらですか?」
「間違えた。117」
「……現在の時刻は、16時41分です」
「あれ?」
あれ、じゃねえ。
「とにかくそういうことだよ。撫でる方が悪意一切なくても、撫でられる方はたまったもんじゃない場合もある。それにユズちゃんも言ってたが、悪意のあるなしなんて見ただけじゃ分からんしな。だったらそもそも撫でさせないっていうリスク回避した方が利口ってもんだ」
「むー……」
「トリちゃん。今度一緒に猫カフェ行きましょう? あそこの猫ちゃんは人慣れしてますし、相手から近寄ってきてくれますよ?」
「なんだかそれだと負けた気がすんだよー…」
負けって、お前は一体何と戦ってるんだよ。
「でも、それはそれとして猫カフェは行きてぇ。ユズ、次の休みは暇か?」
「えぇ? えっと待ってくださいね…………はい、特に用事はありません」
「よし決定。猫カフェ行くぞこらぁ!」
「ふふ、はい、わかりました」
アヤがユズちゃんの肩に手を回し、空いている方の手を振り上げている。ユズちゃんは少し困ったようにしながらも、それでも嬉しそうに笑っていた。
<>
およそ半年前、ユズちゃんと1日だけのデートに行き、俺は彼女を振った。
関係はそこで終了。
お互いが気まずくなり、それ以降会うことも、話すこともありませんでした……
とは、ならなかった。
ある日突然、アヤがユズちゃんを俺とケイの前に連れてきた。
唖然とする俺たちへ、アヤが高らかに宣言する。
「ユズは私の友達! 私の友達ってことは、私たちの友達! おーけい?!」
突然何を言い出したんだコイツは、と思った。
その時のユズちゃんも、驚き半分、戸惑い半分、みたいな表情をしていた。
「あ、あの、私がご一緒するのは、その……迷惑なのでは、ないでしょうか……?」
消えちゃうような声で言うユズちゃん。
そらそうだ。俺とユズちゃんは告白を通して、振った相手と、振られた相手なのである。これで何も感じないというのは嘘だ。
だが、そんなユズちゃんに、アヤが言う。
「うっさい。私がいいって言ってんだから、胸張ってここにいりゃいいの。わかった?」
「で、でも……」
両手を祈るように合わせながら困惑しきっているユズちゃん。
その様子を見て、俺が口をはさむ。
「おいアヤ。お前、ユズちゃんの意見はちゃんと聞いたのか? お前ひとりで暴走してないか?」
「暴走なんかしてねーぞ。必要なことだから、やってる」
「必要なこと?」
何言ってるんだこいつは。
「ユズちゃん、でいいんだよな? 迷惑だったら迷惑って、ハッキリ言っていいぜ。じゃないとこいつ、気づかねーからさ」
ユズちゃんの方にはケイがフォローに回っていた。
アヤが良かれと思って行動していることかもしれないが、それがユズちゃんにとって最善かどうかなんてのは本人次第だ。それこそいらぬおせっかいな可能性も十分にある。
ケイの言葉を聞いて、ユズちゃんが頭を小さく振る。
「迷惑ではないんです……逆にその、私が迷惑かけてるんじゃないかって……」
ユズちゃんが俺たちに迷惑を?
「「それはねーわ」」
珍しく、俺とケイの声が完全に重なった。
完全に重なりすぎて気持ち悪かった。吐きそう。
「で、でも、サクラさん……」
ユズちゃんが俺に向き合う。
「私と、は、話しづらい、です、よね?」
…………。
嘘偽りを一切なく言えば、話しづらい。
しょうがないだろう。それだけのことがあった。
でも、逆に言えばそれだけだ。
「俺はアヤの彼氏だ」
「は、はい……」
「ユズちゃん、君の前でだって、しっかり俺はアヤの彼氏をするぞ」
「は、はぁ……・それは、はい、そうですね……?」
「それでもいいのなら……これから少しずつでも、仲良くやってこうか」
どうすれば正解だったのか。今考えてみてもよく分からない。
アヤがどんな気持ちでユズちゃんを連れてきたのか。
ユズちゃんがどういう気持ちで俺たちと一緒にいるのか。
考えても分からないし、かといって直接聞くのも憚られる。
しばらく考え続けた結果、俺は一つの結論にたどり着いた。
「ま、いっか」
可愛い女の子と知り合って、一緒に行動できる。
ユズちゃんと友だちになることを断る理由なんて、考えてみれば一つもないのである。
<>
「ほんと、こんなにいい子が、なんでお前なんぞを好きになったんだか…」
俺の隣を歩く悪友が、少し前を歩くアヤとユズちゃんに聞こえないぐらいの声で言った。
それな。俺もそう思う。完全に謎なんだよな。
「お前、もしトリがいなかったら、絶対ユズちゃんと付き合ってたろ」
アヤがもしいなかったら、なんて前提は聞きたくもないね。
アヤがいない世界なんて生きてる価値が見出せん。
「お前……やっぱ重症だぞ」
ケイの声は、夕暮れの空へと消えていった。
逃げるが勝ち。ただしい。