第三話
■ SAKURA ■
一人電車に揺られていた俺は、自宅から最寄の小さな駅に降りる。ふと空を見上げると、もう星がその存在を主張しまくっていた。ここは田舎だから、駅の近くだろうが星が見える。まあ山の上なんかに比べるとその差は歴然だが、俺は歩きながら見るこの控えめな星空も結構気に入っていた。
急ぐ必要もない俺は、ゆっくりとした足取りで家路につく。特に大した事件もなく……いやあったら困るんだが……自宅に無事到着。玄関の電気がついてないから、まだ俺の両親は仕事から帰ってきていないんだろう。日曜日だってのに仕事とは、いやはやお疲れ様である。
家の鍵を鍵穴に入れてぐるりとひねる。ガチャ、という確かな手ごたえ。俺は扉を開、
「へ?」
開こうとしたら、扉はびくともしなかった。扉が物理的に溶接されてしまったとか、向こう側から誰かが押さえてるとか、そんなことはあるわけもない。これはあれだ。元々鍵が開いていたのに、俺の操作により鍵が閉められた、と。そういうことだろう。
しかしおかしい。今日最後に家を出たのは俺だが、確かに鍵は閉めていったはず。部屋の電気は消し忘れても、鍵だけはしっかりと閉めていくのが俺だ。でも現実として鍵は開いていたらしい。あんまり考えたくないが、俺は今日の人生初のデートに緊張しまくり、いつもなら問題なくできる鍵を閉める行為を忘却していた、ということなんだろうか。
うわ、なんか悲しくなってきた。
思わぬところでダメージを受けた俺だが、まあ過ぎ去ってしまったことはしょうがない。気持ちを切り替えると、家の中に入った。靴を脱ぎ、とりあえずキッチンへ。コップに水を注ぎ、ぐっと飲み干す。
この時点で、俺はやっとあることに気づいた。
あれ? もしかして、誰か第三者がこの家に泥棒に入ったとか、そういうことも考えられるんじゃないか?
瞬時にして俺の警戒レベルが上がる。いやもうこの時点で上げてどうすんだって話でもあるが、今からでも注意するに越したことはない。とりあえず玄関からキッチンまでやってきたわけだが、特に変わったところは見つけられなかった。しかし目立つ足跡があるとか、部屋が無残に荒らされているとか、そういうわかりやすい異変があるとは限らない。
とにかく金目のものをチェックである。具体的に言うと預金通帳とか。なんでも泥棒暦が長いと、どのあたりに預金通帳や金品を入れてあるのかが大体分かってしまうらしい。みんなして似たような場所に保管しておくのだろう。うちの場合も特に対策をしないままでしまってるから、見つけやすい、のかも知れない。
確認してみると、とりあえずそのあたりで無くなっている物はなかった。人の気配もなし。ここまできたら全ての部屋を確認しないと気がすまないので、まずは一階の全部屋をまわる。押入れやらクローゼットやらも全部開けて確認する徹底ぶりを実践。結果は異常なし。
続いては俺の部屋もある二階である。まずは自分の部屋を確認しようと、階段を登ってすぐにある俺の部屋に入った。
部屋は真っ暗である。入り口の近くにあるスイッチを入れると、ほんの少しのタイムラグの後に電気が点いた。俺は明るくなった部屋を見渡して……
「……れ?」
ベットが不自然に盛り上がっている。しかもそれは、控えめではあるが不自然に上下している。そしてできれば気のせいであって欲しかったのだが、聞き覚えがある、というより毎朝聞いてる寝息ととてつもなく似ているものが、俺の耳に届いた。
俺はズカズカと自分の部屋に入っていくと、ベットの横に立つ。もう警戒するのも馬鹿馬鹿しかった。まるでそこが自分のベットのように我が物顔で眠っていたのは、予想通りのバカだった。
一つ断っておくと、これがいつも通りの光景、なんてことはない。ありえない。だから「またか、はははこやつめ」なんて思うことはないし、笑って許してやる気にもならない。やって良いことと悪いことの区別ぐらいは、きっちりできるように教育しないといけないだろう。
「アヤさん、アヤさーん」
「……すぅ……」
「ちょっとアヤさん、起きてください。お話したいことがあるんです」
「……んん……? んぅ…………すぅ……」
「頼むから起きてくださいアヤさん。俺の話を聞いてくれたら、その後は何時間だって寝てくれて構いませんから」
「………んんん、んあ……ああ、さくら……・?」
「はい。おはようアヤ。ほら体起こせよ。ってお前、普段着のまま寝るなよな。せっかくのかわいい服にしわがつくだろうが」
「んー……んう」
眠そうに両手で目をこするアヤ。なにその仕草お前は子供か。
「……ああ、おはよう、サクラ」
「うん。おはよう、じゃねええええええええええええよッ!!!」
「おおおっ?!」
不意打ち気味に叫んでみたら、アヤは驚いて目を見開いていた。これで目は覚めただろう。
「な、ちょ、サクラてめぇ! いきなり人を脅かすんじゃねえよ! 楽しいかそんなことして!」
「その言葉をお前が言いますか! お、ま、え、が、い、い、ま、す、か!?」
俺の方が驚き度は上だね! 間違いないね!
「はぁ、目が覚めちまった。せっかくいい気持ちで寝てたっつーのに」
お前な。それが自分の部屋でだったら、俺も何も言わないし邪魔もしない。でも良く考えてみろ? ここ、どこだ?
「お前の部屋」
分かってんじゃねーか。お前さ、不法侵入って言葉知ってる? 幼馴染みだろうがなんだろうが、これ適用されるんだよ?
「んだよ。お前だって、毎日私に部屋に勝手に入ってきてんじゃねーか」
あれはお前と、お前の母親に承諾済みだからいいんだよ! 家に上がっていいよ、って言ってもらってるってこと! でも今のお前は完全完璧に、誰の許しも得ないで俺んちに入ってきてんじゃねえか!
「許し? それならもらってんよ? お前のお母さんに」
は? それいつの話だよ。
前に遊びに来たときにもらったとか言うなら、それはそのときだけ限定の許しだからな?
「いや、私ならいつでも家にあがっていいよって。ほら」
アヤは何か銀色をした物体を俺の目の前に突き出してきた。その銀色が何なのか。すぐにわかるものだが理解はしたくないという俺の心が、その現実を納得させるのに少しの時間を必要とさせた。
閉めたはずなのに開いていた家の鍵。つまりそれは、外から開錠したってこと。そして開錠するためには、当然鍵が必要になる……。
「母さん、気がクルットル」
一番預けちゃいけない相手に、家の鍵を預けちゃってると思う!
「こいつは随分前にもらったんだけど、今日初めて使ったな」
「……随分前? いつ頃なんだよ」
「サクラ、お前がうちの鍵を受け取ったのと同じぐらいだよ」
「あー……」
俺が鴻家の鍵を受け取ったのと同時に、うちの母さんもアヤに鍵を預けたってことか。なるほどこれならフェアだと言えなくもない。ただ俺にはその鍵を使う用途があるのに対して、アヤが俺の家の鍵を持っていてもしょうがない気がすごくする。
そもそもにして、俺は鴻家の鍵を朝の目覚まし兼朝食という用途以外で使ったことは一度もない。俺を信頼して渡してくれたのなら、俺はその信頼を背いてはいけないと思ってのことだ。しかし今回のアヤのこの行為はどうなんだ。いつでも家に来てもいいよ、というのは、誰もいないときに勝手に入って、勝手にベットで寝ててもいいよ、というところまで飛躍していいのだろうか。
「いやよくないだろ!」
母さんが許しても俺が許しません!
「おいアヤ。お前、自分が世間一般的に見るとぶっ飛んだ行動を取っていたってことを理解してるか?」
「んあ? どのへんが?」
分かってらっしゃらない!
「知り合いとはいえ、誰もいないときに家に勝手に入って、しかも異性のベットの中で爆睡する行為だよ!」
うわあ改めて言葉にしてみるととんでもねえぇぇー!
「え? いいじゃん、サクラだし」
「よくねえよ!? お前の行動ってストーカーが殻を破って進化したら起こしそうな犯罪行為だからな?! 俺だからまだこれで済んでるけど、違うやつになんてやったら一発で警察だぞ?」
「お前以外にこんなことしねーよ」
「俺にもすんなよ!」
ダメだこいつ。分かってるんだか分かってないんだかイマイチわからん。
「……ああ、分かった。もうやらねえ」
と思ったら理解してるっぽかった。よかった、こんな行為が常習化してしまったら、俺の神経が磨り減って大変な事になってしまう。
「この鍵も返す」
ひょい、と何の未練もなく、アヤが鍵を俺に向けて投げてよこした。俺はそれを受け取ると、鍵とアヤの顔を何度か交互に見て、
「物分りが良すぎて気持ち悪いんだが」
率直な感想を口にする。
だがアヤは俺のその言葉には反応せず、今度は何も持っていない手を突き出してきた。
「お前も返せ」
は? 何を?
「鍵だよ。私の家の鍵」
はあ?
お前それすねてんのか? お前に俺の家の鍵は必要ないけど、俺がお前に鍵を返したら不便極まりなくなるだろうが。
「いや、わっかんねーかな」
さもめんどくさそうに、アヤは頭を掻いた。
「……だからさ、もういい、ってことだよ」
何を言われたのか、俺はすぐには理解できなかった。
それほど難しいことも、ひねったことも言われていない。鍵を返せと言われて、もういい、と言われた。つまりそれは。
「……そうか」
「……」
無言のまま頷くアヤ。
いつかこんな日が来ると思っていた。俺はきっと、喜ぶべきなんだろう。これで朝に早起きしなくてもよくなるし、寝起きの悪いバカを起こすこともなくなるし、朝食の準備をする必要もなくなる。
「ようやく、お前も卒業する気になったか」
「うん」
「ちゃんと一人で起きられるんだろうな?」
「バカにすんな」
「そっか」
俺は机の上に置いてあった鴻家の鍵を取ると、アヤが突き出している手に乗せてやった。アヤはしばらくそのままで固まっていたが、ぎゅっと、その鍵を握り締める。
思えば長かった。本当に最初は、ただアヤを起こすだけの役割だったのが、途中から朝食を作る作業まで増えて大変だった。作り始めたことはやっぱり美味しく作れなくて、よくアヤに文句を言われて喧嘩したものだ。
「朝食はどうするんだよ?」
「お母さんに作らせるわけにもいかねえし、私が作る」
「それしか手段がなさそうだが……大丈夫なのか?」
「ま、死にはしねーだろ。お母さんに作らせさえしなければ」
かなり不安だった。
「朝は何時ごろ行けばいい?」
俺はそう聞いた。朝起こすのも朝食も俺の手を離れることになっても、一緒に登校するのは変わらないままだろうと思ってのことだ。でもアヤは何かとても嫌そうな顔をして、
「なんで?」
「なんで、って一緒に行くだろ、学校」
「……あのなサクラ。なんで私が、朝のことを断ったと思ってんだよ」
「いよいよ、自分の寝顔が終わってることに気づいたからじゃないのか?」
「違えよバカ」
俺の誘いにも乗ってこない。なんかこいつ、今本気だわ。
「お前のためを思ってだよ」
「俺のためを思って?」
「ずっと一緒にいたら邪魔になんだろ」
ああ……なるほど。
こいつが言いたいことが理解できた。理解した上で、聞いてやる。
「何が邪魔だってんだ?」
アヤは俺の言葉に、まだ分からないのかといった風に、
「お前にもようやく春がきたんだ。私はそれを邪魔したくないんだよ」
加島とのデート、楽しんできたんだろ? と。
小さな声で、アヤはそう言った。
俺はそれを聞いて、自分でもビックリするぐらい、とてつもなく、今まで感じた中で最高の、怒りを覚えた。無言のままアヤに近づくと、その手を掴んで強引に立ち上がらせる。
「痛え?! おいサクラいきなりなん、痛いって放せこら!」
アヤの抗議の声を完全に無視して、俺はアヤの手を引いたまま部屋を出る。そのまま階段を降りて玄関へ向かい、靴を履いた。
「なんだ家まで送ってくれんのか? 別に近くなんだし、そんなことしねえでも」
「さっさと靴を履け」
「な、なんだよ……」
しぶしぶながら自分の靴を履くアヤ。考えてみると、玄関にいつもはない靴が一つ増えている時点で俺は異常に気づくべきだった。なんともマヌケな話だ。
靴を履き終わったアヤの手を再び掴むと、俺は家を出た。出てすぐに歩き出した方向は、いきなりアヤの家とは逆方向である。しかしそのことに対してアヤはもう意見も言わず、ただ黙って俺の後ろをついてきていた。
無言のまま、俺とアヤは夜の道を歩く。
そう、昔とは、手を引くほうと、引かれるほうの立場が逆になっていた。
サクラ、なんかご立腹。