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第一話

 世の中の諸君、おはよう。

 朝から俺みたいな、ごく平凡な男子高校生の話を聞いたってしょうがないって思うかも知れないが、そのあたりは勘弁してもらいたい。こればっかりはどうしようもない。


 俺は佐倉サクラ。ひらがなで書くとさくらさくら。漢字で書くと佐倉櫻。

 ずいぶんと変わった……っていうか、冗談みたいな名前だが、でもこれが俺の名前だ。

 一度俺のフルネームを聞いた奴の大半は、俺のことを忘れない。そういう点では便利な名前だ。



 清々しい朝。俺はいつものように玄関の鍵を開けると、家の中に入っていく。



 さて、突然で恐縮だが、諸君は幼馴染みがいるだろうか?

 小さな頃から一緒にいる、あるいは付き合いがある相手。だいたい家が近所である場合が多いが、そういう相手だ。

 俺には二人ほど、その幼馴染みカテゴリーに分類される人間がいる。片方は女、片方は男だ。



 玄関から入ってすぐにある、二階へ続く階段をゆっくりと登る。



 で、だ。

 ゲームやアニメ、漫画なんかでよくある、『学校の登校日に、異性の幼馴染みが毎朝、自分の部屋まで起こしに来てくれる』シチュエーション。

 今や使い古されたようなこの設定であるが、「実際こんなことあるわけねぇ」と思う人が大半であろうと思う。

 異性の幼馴染みが実際にいる人は考えてみて欲しい。

 今まで一度だって、その子が自分を、学校に行く前に、わざわざ部屋まで起こしに来てくれたコトがあったかどうかを。


 普通は、ないのである。



 階段を登り切った俺は、短い廊下を歩き、一番奥にある部屋の前に立った。



 てか、もし仮に、俺の女の方の幼馴染みが「毎朝起こしてやる」なんて言ってきたら断固お断りする。死んでもゴメンだ。

 朝の無防備な姿を、何故にわざわざ晒さなきゃならんのだ。それに、目覚ましがあれば普通に起きられる。人の手を借りる理由がない。


 ノックをするのも馬鹿馬鹿しい。俺はドアを勢いよく開けて中に入ると、カーテンが閉まっていて薄暗い部屋を、奥にあるベットまで横切って歩く。

 ドアの反対側に位置しているそのベットでは、パジャマ姿で豪快に寝ている物体が一匹。くかー、という擬音がまさにお似合いだ。

 つか腹が見えてる、腹が。目障りだから隠せ。


 俺は部屋を見渡してみる。一見どこが可愛いのか理解できない縫いぐるみや、どっかで見たことがある程度のマイナーな歌手グループのポスターなんかが多い。

 こいつの趣味趣向が如実に表れている部屋だ。

 近くにあった縫いぐるみを手に取ってみる……これは何だ? クマか? コアラ? しかしこいつらの皮膚って緑色だっけ?

 ……どんなに贔屓目で見ても、かわいいとは思えないんだが。


 俺はその正体不明の縫いぐるみを、寝ているヤツの顔に押しつけてやった。

 すぐさま「ふがふがー!」という声が聞こえてくるが気にしない。自分の好きな縫いぐるみで窒息、ああ、本望だろう?


「ぶっ……はっ! 緑色! 緑色に殺される……ッ!」

「どうも、緑色です。朝ですが眠ってください」

「怖っ! 緑色怖! ちょっとま……ぶはっ……!」


 そいつは必死に抵抗するが、緑色はそれを勝る力で押さえ付けにかかっている。その力の差は歴然だ。

 しばらくジタバタとしていたそいつだが、だんだんその力も衰えて、ぴくりとも動かなくなった。


「Bad End!」


 俺は緑色をそいつの顔の上に座らせると、親指を突き立ててやる。

 これで、この話は終了だ。続きをやる予定もなければフォローする予定もない。

 どこかの選択肢で間違ったらしいから、一つ前の選択からやり直してみると良いかも。


 じゃあそういうわけで、さようなら。


「終わるなあああああッ!!」


 突然、俺の左足に小さな衝撃が走った。

 ベットから跳ね起きたそいつが、立っている俺に横から蹴りを入れたのだ。それは俺の左足にクリーンヒットするが、俺は少し体を揺らしただけで何ともない。

 いやー、相変わらず……


「非力だな、お前」

「き、効いてないだとおっ!?」


 もしも現実にダメージ表記があるのなら、今のお前の攻撃はこうだ。

 『しかし、サクラにダメージを与えられない!』

 こいつ、動き自体はそんなに悪くないんだが、力不足が致命的すぎるんだよな。


「ていうか! いきなり何しやがるんだこの野郎! 人を窒息死させる気か!」

「それなりに」

「それなりに窒息死させる気なのかよ!」


 ベットの上でぎゃーぎゃー喚いているのは、鴻文。なんて読むか分かるか? これで「おおとり あや」って読む。

 アヤは知っている罵詈雑言を並べ立てて俺を非難するが、別に俺は痛くも痒くもない。ただ喧しいの一言に尽きる。

 こいつの言うことをいちいち真に受けてたら頭が持たないのだ。本気で相手をすると死ぬほど疲れる。だから適当に力を抜く。


「ばか! あほ! 死ね!」

「って、お前それ、ガキの喧嘩かよ……喚くにしても、もうちょっと学が感じられる言葉を選べ」

「……? がく?」


 きょとん、とするアヤ。

 流石だ。学が無い故に、『学』が分からない。まさに自然。

 こんなんで俺の幼馴染みだっていうんだから、目から涙が出てくる。いや目以外から涙は出ないが。

 俺はため息をついてひらひらと手を振ると、扉を開けて部屋の外に出た。


「飯の準備してくる、さっさと準備して降りてこい」

「ちょ、ま、まてこら! 話はまだ終わって……!」

「朝飯がいらないと言うのか?」

「ぐっ…………」

「お前の母親に頼んでいいのか?」

「うぐっ……」


 俺の言葉に、アヤは言葉を詰まらせるしかなかった。

 当然だ。

 アヤの母親の料理は、人を殺せるのだから。


 ……さて、これで大体は察してくれただろうか。

 幼馴染みが毎朝起こしに来る、というシチュエーションから想像されるのは、大抵は女が男を起こしに来るというものだろう。

 だが、俺はその逆。この俺が、幼馴染みであるアヤを毎朝起こしに来ているのである。高校生にもなって、だ。

 しかも起こすだけじゃなくて、朝飯のサービス付きだ。どうだ、参ったかこのやろう。


 実は小さな頃、俺はこいつと約束してしまったのだ。こいつが「もういい」と言うまで、毎朝起こしに行き続けると。

 どんな経緯でそんな約束をしてしまったのかは割愛するが、義理堅く約束を守る俺は、こうして今日も起こしてやったというわけである。


 正直、ここまで続くなんて思ってなかった。

 だいたいこれ、小学校低学年ぐらいの約束だったよな。普通だったら小学校高学年ぐらいでやめろって言うだろ。

 恥ずかしいだろ常識的に考えて。やる方も、やられる方も。


 と、前に本人に言ったらこう返ってきた。


『………そっか……』


 すごく寂しそうな表情で、少し瞳を潤ませて、いつもよりも声のボリュームが半分以下で、そう言いやがった。

 まったく、これが反則じゃなくて何が反則だって言うんだ。もう俺は何も言えない。俺から「やめよう」なんて言えなくなってしまった。

 こんなヤツでも女は女。俺は女には優しいのだ。


 1階に降りてきた俺は勝手知ったる他人のキッチンに立ち、冷蔵庫を開けて朝のメニューを模索する。

 うーん、今日は別に簡単なやつでいいか。卵……よし、目玉焼き。生ハム捕捉。食パンはー……あるな。トーストで。

 後はサラダぐらいでいいか。

 でもこれだとあまりに簡単すぎる気が。ふむ、ドレッシングぐらいは自分で作るか。

 どの調理器具がどこにあるかなんて、既に完全に把握済みだ。調味料然りである。

 んー……和風ドレッシングにするか。酢と醤油とサラダ油ーっと。


 メニューが一通り決まると、俺は愛用の小型ラジオ……昔に俺が持ってきたものだが、既にこのキッチンに置きっぱなしになっている……を手に取り、電源を入れた。

 カチッ、ザザ、ザー……





 サクラはいまだにユメをみる





 さて。

 俺が作った料理はどうだった、とか、それを食べたアヤはどんな感想を持ったか、とか、アヤの母親って一体どんな人物か、とか、そういう事はこの際気にしないでもらいたいと思う。

 俺にとっては毎回毎回、変わるようで変わらない、なんの変哲もない日常の一幕に過ぎない。語るのも面倒だし億劫なのである。ご了承願いたい。

 とりあえずそうだな。アヤは俺の作ったものを全部平らげ、アヤの母親は八割以上寝ながら食卓に座り、しかしその場でまた完全熟睡モードに入ったので放置してきた……と。そう報告しておこう。


「んあー……眠ぃ……」


 そして、高校への通学路。朝の一幕。

 俺の横に、眠そうな馬鹿面を晒して歩くアヤがいる。お前な、ただでさえ馬鹿っぽいのに、そんな顔してたら救いようのない奴だと思われるぞ。もうちょっとシャキッとしろ。


「うるせー余計なお世話だ。眠ぃもんは眠ぃんだよ。しょうがねーじゃねーか」


 そう言って大あくびするアヤ。うーむ、どう育て方を間違ったんだろう。最近は男でだって、こんな乱暴な言葉遣いをするやつは少ないと思うんだが。

 しかも、それでいて声だけは女らしい……いや、可愛らしいと言っても良い、そんな声ときたもんだ。教育番組に出てくる着ぐるみキャラクターなんかが、その声のままでやくざのように喋ってる姿を想像してもらいたい。アヤの存在はまさにそんな感じだ。

 あれ? なんだかとても腹黒そうなキャラクターのできあがり。もしかしてこいつのこの口調も、全ては計算通り、なんて事じゃないだろうな。


「あ? なんか言ったか?」


 ……いや、それはないだろう。こいつにそんな計算ができるようなオツムがあるとは思えない。


「サクラ、おめー今、むかつくこと考えただろ?」


 さて、何の事やら分かりませんな。

 ていうかお前、今日はなんでそんなに眠そうなんだよ。ちゃんと寝たのか?

 9時に。


「9時、って私は小学生かよ! 馬鹿にすんな!」


 ほう?


「10時には寝たっつーの!」


 ……おい、アヤよ。最近は中学生だってもちっと遅くまで起きてると俺は思うぞ。五十歩百歩とか、そういうことわざ知ってる?


「それぐれー分かるぜ。五十歩と百歩なら、百歩の方が先に進める! つまり百歩の方が偉いって話だろ!」


 0点だよ馬鹿野郎!

 偉いって何だ、偉いって。その発想が既に馬鹿っぽいぞ。


「んだよ違うのかよ……じゃあサクラは知ってんのか?」


 いいだろう。馬鹿で救いようのないお前に、この俺が五十歩百歩の意味を教えてやるよ。

 いいか? 例えばだ。俺とアヤが敵と戦っていたとする。この場合の敵はなんでもいい深く考えるな。で、俺とお前が敵に怖じ気づいて逃げてしまったとする。いや私は逃げないとかそんな話はどうでもいいからとにかく聞け。

 俺は逃亡の際、百歩逃げた。そしてアヤ、お前は五十歩だ。

 その場はそれで逃げ延びて……そのあと、お前がこう言うわけだ。

  「サクラお前みっともないのな。敵がいんのに百歩も逃げるなんて本当に男なのか? え? 私? 私は五十歩しか逃げてねぇ。お前は私の倍だぞ、倍! あーサクラはかっこ悪ぃなー!」


「……お前マジでかっこ悪ぃぞ。逃げんなよ、百歩も」


 仮定の話を本気にするな!

 っていうか、お前は今の話を聞いてそういう意見を持つのか? それでいいのか鴻アヤ。


「そりゃあ百歩逃げた方がダメだろ! ジョウシキテキに考えて!」


 常識的に考えるともう少し違う結論に行き着くんだよ! よく考えろ大馬鹿野郎!


「いやだって、五十歩と百歩だろ? そりゃあ百歩の方が悪いだろ。50円を盗んだヤツと100円を盗んだヤツ、どっちの罪が重いって言えばそりゃあ100円だよな?」


 違うだろ……って、ん?

 いやちょっと待て、その場合は………額は些細なものなんだが、法律的にはどうなんだ?

 仮に50万と100万なら? 100万の方が罪は重くなる?

 いやいや待て落ち着け俺。どっちも犯罪という事に変わりはない。そういう意味で、「どっちもどっち」というのが五十歩百歩の意味じゃないか。


「私はそんなん認めねーぞ! 百歩逃げた方が悪い! そうだろ?」


 なんか、もうそれでいいような気がした。

 てか、そもそも何の話だったっけ………そうそう、お前の睡眠時間の話だったよな。

 いいかアヤ、冷静に聞け。お前は近頃の女子高生にしては寝るのが異様に早い。あり得ないぐらい早い。いっそ笑われるレベルで早い。まずはその事実を受け入れろ。

 でも、別に悪いとは言ってないからな。きっとお前の脳は、日常生活を送る上で処理する情報量に耐えきれず、さっさと寝ろとお前に命令するんだろう。しょうがないんだよ。


「んあ? ……言ってることはいまいちわかんねーけど、お前確実に、私のことバカにしてるよな」


 これもしょうがないことなんだよ。だってお前バカじゃん。


「バカって言った方がバカだって幼稚園のせんせーに習わなかったのかよテメーは!」


 幼稚園の先生はそんなこと言ってなかったよ! 少なくても当時の俺たちの前では!


 ……とまあ、そんな感じのやり取りをしながら登校するのが、いつもの俺たちの姿だ。

 まだ『電車組』が到着していない通学路は人の姿もまばらで静かなものだ。人混みの中を歩くのが嫌な俺たちは、この時間を狙って登校するようにしている。

 電車組というのは文字通り、電車通学をしている生徒たちのことだ。このド田舎は一時間に一本ぐらいのペースでしか電車が走っていないため、必然的に登校時間に近い電車に生徒が集中することになる。

 即ちそれ、大混雑である。そして電車から降りた生徒たちは、まるで蛇のように列を作って駅から学校まで歩くわけだ。


「私さぁ、一回でいいから電車通学してみてえんだけど」


 …………お前、大丈夫か?


「なに哀れんだような目で私を見てるんだよ! 電車通学ってなんかイイじゃん! まさに高校生してますって感じだろ!?」


 何だよ高校生してるって……。

 お前さ、歩いて行ける距離に学校がある幸せをもっと噛みしめろよ。お金もかからない、時間に束縛されない、人混みの密室に入ることがない……幸せすぎて泣いてもいいぐらいだぞ。


「お前枯れてんなー。『ごめん、電車の時間だからもう帰るね!』とか言ってみたいって思わないか?」


 は?

 そんなことは微塵も思わない、てかその言葉を言いたい理由がよく分からない。どの部分に惹かれるものがあるってんだ?

 ……大方、ドラマとか漫画とか見たんだろうがな。ヒロインがそういう台詞を言ったんじゃないか?


「ちげーよ馬鹿。アニメだよ」


 似たようなもんだよ!

 ……と。

 そんな馬鹿会話をしながら歩く俺たちの前に立ち塞がるヤツがいた。歩いていたのは車通りの少ない小道だったのだが、その真ん中で両手を広げ、まさに通せんぼをしている格好の男だ。


「ここは通さん!」


 ご丁寧にも台詞付きだった。


「あはは! 見てみろよサクラ! バカだバカがいるっ!」


 そいつを指差して遠慮無く爆笑するアヤ。なんかツボにハマってしまったようだ。

 俺は笑うよりも先に呆れていた。朝っぱらから何をやってるんだこいつは。


「何だサクラ。俺に笑いながら手を振って歩いてきて、「おはよう! 今日もいい天気だな!」って挨拶してから話に混ざってこいって?」


 そこまで極端にやらんでいい。もっと普通にやれ、普通に。

 突然現れたこいつは佐久間ケイ。俺の男の方の幼馴染みで、同じ高校に通う同級生でもある。


「ケイ! そーいや私、てめーに金貸してた気がする!」

「借りてねぇよっ! 会って早々金の貸し借りを捏造するな、トリ!」


 俺と幼馴染みってことは、アヤとケイも幼馴染みってことだ。

 ちなみにトリっていうのはアヤのあだ名の一つ。名字のオオトリから、後半部分だけを呼んでトリってわけだ。


「いいから返せよ! 1000円ぐらい!」

「やけにリアルな金額で嫌なんですけど! 借りてねえって言ってんだろ!」

「おいおいテメー借金踏み倒す気ですか? おいサクラ、お前は覚えてるよな? こいつが私から金借りたの」


 知るか。

 つか、むしろお前に俺が金を貸してるんだが。早く返せよ2000円。


「……え? サクラお前何言ってんの? 私がお前から金を? ありえねーんですけど」


 お前、本気で分からないって顔するなよ。もう二度と金貸さないぞ。


「サクラ、許してやってくれ。こいつは借金踏み倒そうとしてるわけじゃない、本気で忘れてるだけなんだから。かっこわらい」


 ケイがアヤをフォロー(?)する。でも本気で忘れたって、余計に質悪い気がするんですけど。

 金貸したのはそんな昔のことじゃないんだぞ? おいアヤ、ちゃんと思い出せ。欲しいCDがあるけど金がないから貸せってお前から言ってきたんだよ。


「えー……そんなことあったっけか?」


 あったんだよ間違いなく!

 はぁ。これからお前に何か貸すときは借用書でも書かないといけないみたいだな。


「無駄だってサクラ。トリはその借用書を書いたことすら忘れる。それを持ってきて見せたところで、こいつが納得すると思うか?」


 ……………無駄な気がするな。


「お前ら、私を一体なんだと……」

「トリだけに、鳥頭?」

「ケイ、テメーあとで校舎裏な?」

「えっ、そんな俺、まだ心の準備ができてないんだけど?」

「何をされると思ってんだよッ! ぼこぼこにするだけだから心の準備とかいらねえ!」


 アヤがそう言うが……お前がケイをぼこぼこにするだって?

 ……………ふ。


「おいなんで笑ってんだよ、サクラ」


 お前があまりに現実を見てないから笑えてきてな。つい、うっかり。

 いいかアヤ。また例え話をしてやろう。毎日のようにトレーニングを重ねているボクサーと、そこらへんで普通に学校に通ってる小学生が戦ったらどっちが勝つと思う?


「強い方だろ」


 …………。

 そうですね。強い方が勝ちますね。

 じゃあアヤはどっちが強いと思うよ?


「そんなん、戦ってみねぇとわからねーだろ?」


 ……………・。

 お前に例え話をする方が間違ってる気がしてきた。

 世間一般的に考えたらボクサーの方が小学生より圧倒的に強いだろ? そうは思わないのかお前は?


「小学生が不思議な力を使ったら勝負はわからねー」


 お前アニメの見過ぎだろッ!

 どうしてこの話の展開で、小学生が不思議な力を使うことになるんだよ! あと不思議な力って何だ!


「……手からエネルギー波? ……いや、口から怪光線か」


 どこの異星人だよそれ!?

 あーもう! とにかく! お前とケイが本気で殴り合いの喧嘩なんかやったら、万に一つも勝ち目はないぞ。

 ぼこぼこにしようとしたら逆にぼこぼこにされたってオチになるだろうな。


「やる前から決めつけんじゃねえ!」

「そうだそうだ! それに俺は弱いものいじめはしないぞ!」

「ケイが良いこと…………言ってねえッ?! 弱いものって私のことか?! その場合はそういうことだな?! こいつマジで潰す……!」

「やれるものならやってみろよ。何ならマック賭けるか? 学校つくまでに俺がギブアップしたら、帰りお前にマック奢ってやるよ」

「ほっほおう、言ったなこのスカし野郎! じゃあ今日の昼メシは控えめにして、腹減らしておかねえとなあ?!」

「でも俺が最後までギブアップしなかったら、お前も俺にマック奢るん……いや待て、でも今はマックって気分じゃないな。うーん…………ちょいサクラ、お前何か、こいつに精神的ダメージを与えられるような罰ゲーム思い浮かばないか?」


 お前が許すまで、語尾に「でも、そこが好き!」ってつけさせる。


「ぶははははは!! いいなそれ! それがいい!」

「はっ! なんとでも言ってろ。私は負けねえからどうだっていいしな!」

「絶対やれよ! そんな約束はしてなかったとか、負けた言い訳しまくるとか、見苦しい真似は認めないからな!」


 はあ……やれやれ。

 ケイが加わって賑やかになりすぎた感がある俺たちだったが、こんなのがいつもの俺たちの姿だ。日常的な光景と言える。

 アヤもケイも端から見たら喧嘩してるように見えるかも知れないが、あれはただじゃれ合ってるだけだ。止める意味も必要性も無いから、俺は成り行きを見守るのみである。

 早速、ケイに攻撃を仕掛け始めるアヤ。持っていた荷物をいきなり俺に投げて寄越すと、まるで子供の喧嘩のように……まさに子供の喧嘩なのだが……闇雲に拳を突き出す。

 ケイは目や鼻、首なんかに当たる攻撃は叩き落としているが、後はされるがままになっていた。なにその力量差。マジ悲しくなってきた。


 そうこうしていると、俺たちが通う学校が見えてくる。

 さて……今日も一日、やるとしますか。




 <>




 気がついたときから一緒だった。

 それこそ朝から晩まで、時間の許す限り一緒にいたと思う。


 まるで本当の姉弟のように。


 俺の右手はいつも、アヤが握っていた。小さな頃から俺よりもはるかに行動力があったアヤは、色んな場所に俺を引きずり回した。

 アヤから連れて行かれる場所は、いつも新しいことでいっぱいだった。俺はそれが楽しくて、アヤと一緒にいられることが嬉しくて、必死で彼女の背中をついて行ってた。


「サクラ」


 当時のアヤが俺を呼ぶ。


「いつか、わたしのまえをあるけるおとこになりなさい」


 当時の俺は、それがどういう意味かいまいち理解してなかった。アヤの前を歩くという行為そのものはいつだってできることだ。そんな簡単なことを言われてもどうしたらいいのか。


「そしたら」


 アヤの声が小さくなる。


「私を――」




<>




 教室の席で顔を伏せていた俺は、ゆっくりと目を開けた。

 何か、とてつもなく懐かしい光景を見た気がする。過去の記憶か。ハッキリとは覚えていないが、昔、アヤと実際に会話した内容だったと思う。

 んー……あのときのアヤは「私を」の後になんて言ったんだっけか……?


「おーおー、サクラせんせーは余裕ですなあ?」


 考え事を中断させる声が飛んできた。俺は近づいてくる声の主に視線を向ける。


「可哀想にな水澤も。どんだけ頑張って授業しても、完全爆睡モードに入ってる奴には声が届かないからなー」


 意地悪く笑うのはケイだった。

 て言うか……水澤って誰だ?


「うおい! うちのクラスに数学を教えに来てる先生だよ!」


 ああ、教師の名前ね。

 ……別に担任じゃあるまいし、先生、って呼べば通じるんだから名前まで知ってる必要性ないだろう?


「冷たいっていうかなんて言うか……名前ぐらい覚えてやってもいいんじゃないかよ? ……………あのー、サクラさん? 俺の名字とか、まさか忘れちゃいませんよね?」


 山田?


「誰だよッ!!?」


 てなわけで山田さん、邪魔なんで散ってください。


「ヒドッ!」


 今は一時間目の数学が終わったところらしい。授業が始まって五分足らずで寝た不良生徒な俺は時間的感覚がちょっとおかしくなってるが、時計を確認しても間違いないようだった。


「ったくよぉ、そんなんでも成績優秀ってんだから、世の中不平等ってーか、理不尽だよな」


 そして降って湧いてくるもう一つの声。眠そうな顔をしているアヤだった。

 その顔には何故か俺への恨みのようなものを感じるが……別に俺だって何も考えずに爆睡してるわけじゃないぞ。やることはやってるから、テストの成績はいいんだよ。

 俺の机に腰掛けたアヤの頭を、ケイが小突く。


「おいトリ、忘れてる」

「あ?」

「語尾」

「…………………」

「語、尾」

「ぐ………で、でも、そこが好き」


 ……ああ、そういやそんな話してたっけ?


「何だよサクラ、テメー冷めすぎてんぞ! そういう風に何事もないかのようにされるのが一番辛ぇんだぞ!」

「……語尾」

「でもそこが好きだよこのやろー!!」


 今朝の登校中にやった勝負に案の定負けたアヤは、こうして語尾に「でも、そこが好き」とつける罰ゲームの真っ最中であった。

 なんだかんだ言っても約束は守るのがアヤだ。恨み言は言いつつも負けたことに言い訳はせず、こうして素直に従っている。

 どうでもいいけど、授業中に先生に指されたりしてもやるのか? これ。


「当然だろう? 罰ゲームなんだから、それ相応のことをしないと」


 くっくっく、と楽しげに笑うケイ。


「何ぃ?! 授業中にもやれってのかこんなフザケタの! おいマジで調子こいてるとお前の顔面バラバラにすっぞ!」


 おお、なんかすっごい恐ろしいことを言ってますよこのアヤさん。顔面バラバラにされちゃうぞケイ。


「でも、そこが好き!」


 …………


 ……全てが一撃粉砕される言葉だなぁ。

 ケイがニヤニヤと笑いながら、アヤに聞く。


「なぁトリ? お前、俺のことどう思う?」

「いきなり何言い出すんだテメーはまさか自分が格好いいとか好かれてるとか思ってんのか冗談も大概にしないとマジ笑えないぞ…………でも、そこが好き」

「そっかー。色々思ってるけど、でも好きなんだな。俺のこと」

「……………」


 何か発言するたびに語尾に「でも、そこが好き」とつけなければいけない。今更ながらその事実に気がついたように、アヤは無言のままでケイに襲いかかった!

 おいおい、周りの人と俺に迷惑を掛けないようにやってくれよー。別に顔面バラバラにしても構わないからさ。

 俺は格闘戦を始めた二人をほっといて、次の授業で使う教科書を机の中から引っ張り出す。まあ、机の上に置いておくだけだ。

 授業を受ける気があるように「見せる」のが目的で、実際に使うかどうかはお察しくださいである。昔読んだ本で偉い人が言ってた。授業時間は睡眠時間だと。


「……ちょっと、そろそろアレ、止めた方がいいんじゃない?」


 さてもう一度寝ようか、と思っていたところ、隣の席に座る女子から話しかけられた。目の前で繰り広げられているアヤとケイの戦いを見るに見かねた様子だ。

 別に止めたいなら止めてくれて構わないぞ。じゃあ俺は今から寝るという重要任務があるからこれで。


「こらこら待てアレはお前の身内だろうが。頼むから。頼むからこれ以上、私の前に厄介ごとを出さないで欲しい」


 疲れ切った様子でそう呟くクラスメイト女子。何だか朝から体力を使い果たしたような表情をしているが……何かあったのか?


「いや、ツンデレが」


 は? ツンデレ?


「……何でもない忘れろ。そんなことはどうでもいいから、早くアレをなんとかして。被害が飛び火する前に。ていうか余計な燃料が投入される前に」


 はぁ~、とため息をつくと、その女子は自分の机の突っ伏してしまった。いやー、なんて言いますか。その姿から感じる気苦労度が半端ないですこの子。

 なんだかよく分からないが、あの子にこれ以上の苦労をかけてはいけない気がして、俺は目の前に視線を動かす。理由はもちろん、


「いだだだだ! ちょ、ま、待てそこはダメだって! う、腕が! 人として! 人間として曲がっちゃいけない方向に!?」

「間接を外す、という荒技もありますよお嬢さん? あと語尾忘れるな」

「痛い痛い痛い痛い! でもそこが好きいいいい!!」


 …………。

 とりあえず俺は、両方の頭を机の横にぶら下げていた鞄でぶっ叩くことにしたのであった。



<>



「あの」


 声が聞こえた。優しい、柔らかい声だ。アヤが発するような荒い言葉とは真逆の、聞いているだけで癒されるような声。

 でもその声は、人を睡眠から起こすというのに関しては不向きな気がする。起こしていいものか躊躇しているような感じだ。本人にはそんなつもりは無いのかも知れないが。


「すみません佐倉さん。少しでいいので起きてください」

「……んあー……」


 眠い。

 眠いが起きなきゃならん。何せ、今の俺は、


「寝ているところだったのに、本当にごめんなさい。だけど渡しておかないといけないものがあるんです」


 俺の寝惚け眼に飛び込んできた、黒髪の美人。クラスで……いや、校内でも男に壮絶な人気を誇る少女、西園寺に話しかけられていたのだ……!


「……いや、気にしなくていいよ西園寺さん。もう起きた、今起きたから」

「そう言っていただけると助かります…………」

「…………え? なに、俺の顔になにか付いてる?」

「佐倉さん、ちょっと動かないでくださいね」


 西園寺はそう言って、ポケットから綺麗に折りたたまれたハンカチを取り出した。何をするのかと思いきや、それを俺の前に差し出して、


「は、はいッ?!」


 ハンカチが目元に触れた瞬間、俺は座ったまま壮絶に仰け反った。もうひっくり返る勢いで。


「もう、動かないでくださいって言ったじゃないですか。…………はい、終わりです」


 西園寺は何事もなかったかのように俺の目元をハンカチで拭き、それを再び折りたたんで自分のポケットにしまった。

 な、なんだコレ。一体何が起きているんだ? 誰か俺に教えてくれ、俺ってばいつの間にか西園寺フラグを立てたんだよ?


 いや、ていうか、もしかして今……。


「俺、泣いてた?」

「みたいですね」

「えーっと……何でだろう?」

「何か悲しい夢を見ていたんですか?」

「いや、別にそういうことはないと思うんだけど」

「では一体どんな夢を?」

「えー……っと」


 見ていた夢なんて覚えてない。そもそも見てたのかどうかすら微妙だ。


「もしかして……とても、口には出せないような内容だったとか?」

「どんな内容だよッ!」


 思わず声を大にして突っ込んでしまった。西園寺は驚いたように目をぱちくりとさせている。いや、これは俺の所為だけど、俺だけの所為でも無いはずだ。……たぶん。


 西園寺 祐里。

 一言で言うと美人。二言で言うと、超、美人。そんな女子で、俺のクラスメイトだ。その容姿もさることながら、立ち振る舞いも完璧と言っていいぐらいで、彼女に告白する男子生徒も数知れず。だけどその全てを断っているという事実はあまりにも有名だった。

 そんな話があると同じ女子生徒には嫌われていそうだが、そんなことはない。彼女は男子だけではなく女子にも好かれている。それは日頃からの彼女を見ていれば分かるだろう。自分が所謂「モテる」からと言ってそれを鼻にかけることもないし、誰に対しても等しく優しいし、態度を変えたりもしない。

 まあ、その「誰に対しても優しい」という部分で、勘違いしてしまう男子生徒が結構多いのだが。


「……で、俺に何の用?」

「そうでした。佐倉さんにこれを」


 そう言って取り出したるは、ピンク色の封筒。表にはご丁寧に「佐倉櫻さまへ」なんて書かれている。

 それを俺の前にずいっと差し出す西園寺。誰が見てもこれは、受け取れ、ということだろう。


「えっと、西園寺さん。コレは一体何でしょうか?」

「封筒ですよ?」

「いやいやいやそんな見た目のことを聞いているのではなく……」


「あ、はい。これ、ラブレターです」


 …………。


 俺、完全に考えるのを止める。少し間、脳を冷却しないとダメだ。ちょっとだけ待って欲しい。


 …………………………………。


 よし、完了。再起動。


「うええええええええええええええええええッ!!?」


 冷却時間を置いても冷ましきれなかった感情が爆発し、俺はそう叫び声を出していた。

 ラブレター。ラブレターって言うのはあれだ。恋文だ。ああ、そんなことは誰だって分かる。問題はそのラブレターを、西園寺が、俺に、差し出したという現実だ……!!

 突然叫んだ俺にビックリしている西園寺。予想外だとでも言うのだろうか。でも待ってくれ、寝ていて、起こされて、それが超美人で、それだけでもなんか幸せな気分になれるのに、その美人からラブレターを差し出されるなんて現状……!!

 叫びたい気持ちだって理解してもらえるだろ!


「らぶ……ラブレターですか?! それが、噂に聞くラブレター!?」

「え、ええ。そうです」

「俺経由で誰かに渡してくれ、とかそんなオチじゃないですよね!!」

「は、はい、佐倉さん宛ですけど……あの、なんで敬語なんですか?」


 そ、そうか……。

 俺にもやっと春が……佐倉櫻なんて名前のクセに、全然潤いが無い学校生活を送ってきたけど、やっと……ようやく、俺にも春が来たのか……!


「ちょっとなに騒いでんだよサクラ。ユリが引いてんじゃねーか。てめーはオンナノコを困らせて喜ぶ変態野郎だったのかあ?」


 なんだその品のない台詞。やってきて早々悪いけどちょっと出直してくれませんかアヤさん。俺今それどころじゃないんで。


「い、いいえ、別に引いてなんていませんよ。ただちょっと驚いただけで」

「なにフォローされてんだよ情けねえ。それでも男かテメーは…………で、何の話をしてたんだ? ユリが持ってるソレは?」

「あ、これですか? これは佐倉さん宛のラブレターですよ」

「そうかラブレターか。なるほどそれでそんなに驚いてええええええええええええええええッ!!?」


 鴻アヤ、轟沈。


「こ、こここ、こいつにラブレター?! 馬鹿な! ありえねえ! 一体世界では何が起こってんだ!?」


 なんだその言い方は。それじゃあまるで、俺にラブレターが渡されるのは世界異変級におかしいことみたいじゃないか。


「そんなことありませんよ? 佐倉さん、格好良いじゃないですか」


 きっぱりと言い放つ西園寺。うん。正直ハッキリ言うと、滅茶苦茶嬉しい。


「見た目は」


 一言多いですよ西園寺さーん!?


「受け取ってください佐倉さん」


 再び差し出される封筒。ピンク色のラブレター。

 今のご時世、メールとか色々あるのにラブレターもどうよ? なんて思っていた俺だけど、いざ差し出されてみるとそんな考えを抱いていたことが恥ずかしい。ラブレター最高。ラブレターラブ。


「あ、ありがとう、西園寺……」

「はい、確かに渡しました。佐倉さん、差し出がましいようですけど」

「ん?」

「ちゃんと読んであげてくださいね?」

「それはもちろん、全身全霊かけて読みます!」


 ……ってあれ?

 今、何か、違和感。


「そうしてあげてください。私は渡すように頼まれただけですけど、その子の瞳、真剣でしたから……では」


 …………ん?

 渡すように『頼まれた』?

 『その子』の瞳、真剣でした?


「ちょ、西園寺!」

「はい?」


 立ち去ろうとしていた西園寺を呼び止める。


「このラブレターって、誰から……」

「差出人の名前は裏に書いてありましたよ。先程、その子に廊下で渡されたんです。佐倉さんに渡して欲しい、と」

「…………………は、ははは、なるほど、そういうことね……」

「……? なにかありましたか?」


 いえいえ、何でもありませんよ……。こっちが勝手に勘違いしていただけです。

 よくよく考えてみるとおかしいもんな。西園寺のやつ、ラブレター渡すって言うのに淡々とし過ぎだし……はぁ。


 ……いや待て。西園寺からじゃないにしても、これがラブレターであることに変わりはない。これで落ち込んだりしたら、それこそ相手に失礼だぞ、俺。

 俺は改めてその封筒を眺める。裏には確かに名前が書いてあった。


 加島柚子。

 聞いたことのない名前だ。この学校の生徒なのは間違いないだろうが、学年も書いてないから先輩か後輩かすら分からない。

 まあ、そのへんはたぶん封筒の中、手紙の方に書いてあるんだろう。

 しかし。


「かしまぁ? ……聞いたことねーな。どこのどいつだ? 早く読めよトロいぞサクラ」


 こいつの目の前で読む気にはならん。俺も嫌だし、加島さんも望むところではないだろう。

 俺だって、誰かに書いた個人的な手紙が、その『誰か』にとってどれだけ親しい人間であろうとも、その本人以外には読んでもらいたくない。個人宛の手紙というのはそういうものではないだろうか。


「ほら、もうちょっとでチャイムなるぞ。自分の席に戻れ」

「んだよ、時間が無ぇなら、なおさらさっさと読めっつーの。気になるだろーが」

「お前に見せてやる気も、聞かせてやる気も全くないぞ? 俺宛の手紙だからな」

「ケチくせえこと言うなっての。減るモンじゃねえんだし、いいだろ別に」

「ダメだ。どうしても、って言うなら、加島さんの許可を取ってこい」


 絶対に無理だろうがな。

 ぶつくさと文句を言いながらも、アヤは自分の席へ戻っていった。

 付き合いが長いと、相手がどれだけ本気でものを言っているのかも雰囲気や言葉の強さだけで伝わる。アヤには俺が本気で見せるつもりが無い事が理解できたのだろう。

 まあ、もらったラブレターを他の人間に見せるなんて、俺的には最低な部類の行為だ。それが自慢であれ、晒し行為であれ同じ。そう思ってる俺がおいそれと自分以外に見せるわけにはいかない。


 ……そういえば、いつもなら頼みもしないのに現れるケイがやってこなかったな。珍しい。

 教室を見渡すと……いた。クラスメイトの男子たちと話している。一人、何かちょっと落ち込んでいる様子の男子を、ケイを含む数人の男子が囲んで慰めている……のだろうか。

 うーん、何かあったんだろうか。授業中は完全爆睡してたからな。もし何かが起こっていたとしても、それが授業中あったらお手上げだ。

 あいつは友達も多いし、基本的に面倒見もいいからな。落ち込んでる(ように見える)男子をほっとけなかったんだろう。悪いことじゃないので何も言うことはない。


 俺は少しだけ迷って、封筒の封を切った。家に帰ってから、という考えも頭をよぎったが、時間的制約がある事が書かれていたら非常に困る。

 手紙はそれほど長くなかった。


 ●


 定期検診のお知らせ。


 その後、歯の調子はいかがでしょうか。みなさまの歯を守るため、当院では定期的な検診をおすすめします。

 ご予約はお電話にて承ります。


 電話番号 ×××-×××-××××


 ●


 …………。


 えーっと…………なんだ、これ?




<>




「ぶはははははは!! なんだそりゃ!!」


 昼休み、教室。

 いつものように、俺の席にはケイとアヤが集まっていた。机を寄せ合って一緒に昼食を食べるのが、入学してからずっと続いている日常だ。

 食べながら、俺はラブレターの一件を二人に話していた。話しても差し支えない内容だと思ったからだ。

 俺の話を聞いた瞬間、ケイは食べていたものを吹き出しそうになりながら爆笑。アヤも顔を伏せて苦しそうに笑っている。

 アヤは一定以上の笑いを越えると、声を出して笑わなくなるのだ。呼吸困難になるらしい。いっそそのまま死んでしまってもいいのだが。


「は~、はぁ~っ、くっくっ……お、おいサクラ、俺らを笑い殺す気かよ……!」


 別に俺が狙ってやったわけじゃないぞ。俺だって立派な……被害者、って言っていいのかちょっと迷うが……だよ。


「あれじゃね? お前の口臭があまりに臭くて、耐えられなくなったんじゃね? その加島ってやつ……はー、おかしー!」


 涙目になりながらも笑い続けているアヤ。なあ、お前のその弁当、今すぐ引っ込めていいか? 今の俺ならお前を昼食抜きにすることぐらい簡単にできるような気がする。


「やだよ食うよ。ったく、自分の口臭がクサイからって、人に八つ当たりすんなよなー」


 お前はその口を今すぐ閉じろ。……口が臭いなんて、今までの人生で一度も言われたこと無いぞ俺は。

 まさか皆、俺に遠慮して言えなかったのか? もしかして、俺が気づいていないだけ? だとしたら相当ショックなんだが……。


 俺が渡されたラブレター(と呼ばれているピンク色の封筒)の中には、歯医者の定期検診のお知らせが入っていた。何故か、なんて俺は知らん。入っていたものは入っていたのだ。

 西園寺の話によると、このラブレターを渡した人物は真剣な眼差しで西園寺にこれを託したらしいから、からかい目的ではないとは思う。そう信じたい。だけど入っていたのがコレでは笑い話にしかならないわけで、俺はどう対応したらいいのか全く分からなくなっていた。


「歯医者へのデートの誘いとか?」


 笑いをかみ殺しながらケイが言うが、んなわけがあるか。あってたまるか。

 でも、本当に困った。これじゃあ相手が何を伝えようとしてたのか分からない。この定期検診のお知らせは、なにかを狙って入れたわけじゃないんだろう。間違ったと考えるのが妥当だ。

 そうなると、俺に残された情報は加島柚子という名前だけ。上級生か下級生か、それとも同級生かすら分からない女子生徒を、千人ほどいる全学年全クラスから捜し出すのはちょっと……いや、かなり大変だ。

 向こうが入れ間違いに気づいてくれるのを待つしかないか。全クラスを一つずつ探して回るという手もあるにはあるが、あまり気がすすまないし。


 そんなことを思っていたら、クラスメイトの男子がよろよろと教室の外へ歩いていくのが見えた。あれはクラスメイトの岸田だ。そして、その後ろには付き添うような男子が二人。

 そういや、さっき俺がラブレター(?)を受け取ってたときも、岸田のまわりに人が集まってたな。ケイもその輪の中にいたはずだ。


「なあケイ、岸田のやつどうしたんだ? 妙にふらふらしてたんだが」

「え、なにお前、知らねえの? 授業中にあれだけ派手なことやらかしてるのに」

「爆睡してたからな。全然知らない」

「その爆睡能力は一種の才能だぞマジで……いやな?」


 そうしてケイは語り出した。俺が授業中に寝てた間に起こった事件。クラスメイトの女子、柊明菜が、件の岸田を椅子ごと押し倒して「こっち見んな」宣言をした、という……。


「……なんだそりゃ」


 意味が、というか、理由が分からない。柊と岸田って仲悪かったっけ? てかそれ以前に、あの二人がまともに話している姿すら見たこと無いんだが、俺は。


「俺らにもサッパリだよ。まあ、どうにも委員長が絡んでるみたいだから」


 ああ、なるほど。あの委員長が絡んでるなら、なにが起こっても不思議じゃないな。

 うちのクラスの委員長は、まるでアクセルしかない車のような存在だ。ブレーキという概念がなく、コーナーを曲がる際も、レースゲームなんかでたまにある『減速しないで壁に車体を擦りつけながら曲がる』みたいな感じ。

 でも操縦してるやつの腕前がいいのか、今のところ大事故は起こしていないみたいだけど。


 ……とりあえず、今の俺には他人のことを心配している心の余裕はない。


「なあサクラ、おめーそのカシマユズってやつに会ったらどうするつもりなんだ? その、例えば、付き合ってくださいとか言われたら」


 弁当箱に箸を伸ばしながらアヤが聞いてくる。その目は俺に向いていない。何気ない風に聞いてきたが、気になって仕方がないことのようだ。


「さぁ? ……お前はどうして欲しい? アヤ」


 聞き返してみる。


「そっ、そんなのお前の勝手にすりゃあいいじゃねえか! 私には関係ねえことだし!?」

「そうか。じゃあ付き合ってみるってのもアリかも知れないな。俺のことを好いてくれる人なんて、そうそう出てくるとは思えないし」

「え……あ、いや、そ、そんなこともねぇんじゃないかなー、とか」

「なんだよ、じゃあお前、もし俺にこの先そういう相手が現れなかったら、責任とってくれるんだろうな?」

「せ、責任?!」


 顔を赤くするアヤ。いやはや、アヤがこういう話には免疫がないのは分かってるけど、さすがにここまで分かりやすいのもアレだなー。


「…………………」


 ……って、ケイ、お前そんなに真剣な顔で黙ってどうしたんだよ。なにかあったか?


「いや、なんでもねーよ」


 弁当ではなく購買パン食のケイは、持っていた菓子パンを口にねじ込むようにして食べる。てかお前、そんなに急ぐなよ、まだ時間も余裕あるんだし。


「ふははい! ほえおはっへは!」


 はいはい、なにを言っているのか分かりません。日本語でOKですよ。


「汚ねぇな、口にもの入れながら喋んじゃねぇよ。ていうかせめて人間に分かる言葉を使えよ」


 そう言うアヤ、お前も結構、口にもの入れながら喋ったりするからな? 人に言う前にまず自分のことを見つめような?

 ……あれ? そう言えば語尾がどうのこうのって話はもういいのか?

 俺がそう言うと、ケイはドンッと机を叩いて、口にあるパンを飲み込んだ。


「忘れてた! おいトリ! お前語尾忘れてんぞ!」

「忘れてるぐれーだから、そんな重要なことだっててめー自身も思ってねえんだろ。終了終了」

「くっそ、今日は周りで色んな事が起きすぎたから油断してた!」


 まあ、語尾に「でも、そこが好き」ってつける罰ゲームなんてしょうもないこと、無理して続ける必要もないだろ。

 発案したのが誰かは知らないけど、もうちょっと別のなにかがあったんじゃないかと思う。


「てめーが言うな」


 アヤに睨まれる。無視。

 俺は教室内にある時計を見た。昼休み終了まであと15分。まだ時間はある。

 自販機まで飲み物でも買いに行こうかと思い、弁当箱をしまって立ち上がろうと椅子を後ろに下げた時だった。


 ガツン、と何かに当たった。机とかではない、こう、もっと生々しい感覚……。

 俺は座ったまま後ろを見た。そこには適度な膨らみのある胸があった。突然なにを言ってるんだと思うかも知れないが、困ったことに事実だった。

 唖然としたまま、俺は視線を上に動かす。すらりと長い黒髪、痩せすぎず、太りすぎずな理想的だとも言える体型……そこにいたのは、面識のない、可愛い女の子だった。

 ケイもアヤも、食べる動作すら忘れてその女の子を見ている。まさに、ぽかーん、という感じ。


 俺とその子の目が合う。真っ黒い瞳。まるで吸い込まれそうな……。


「……うっ……」


 え?


「うぅええぇー………」


 なっ……泣いたあああッ!?

 ちょっと待って! ワタクシなにかやらかしたでしょうか?! ああ、椅子ですか! ぶつかったの痛かったですかすいませんごめんなさい!

 慌てふためく俺を知ってか知らずか、その場でしゃがみ込んでしまう女の子。もちろん泣いてる。声を漏らして泣いてる。

 ……どこからどう見ても、端から見たら、これって俺が泣かしてるようにしか見えないよな。見えませんよね。


「あのー、サクラさん? それってどこのどちらさま? 知り合い?」


 ケイに問われる。一言「知らん」と返してやる。


「おい、サクラ、お前なにやったんだよ。泣いてんじゃねえか、そいつ」


 アヤに問われる。一言「知らん」と返してやる。


 とにかく、とにかくだ!

 この現状で放置するのは非常にまずい。色々まずい。現状を打破するために動こう。


「ど、どうした? なんで泣いてるんだ?」

「……ううぅー、うううー」

「泣いてるだけじゃ分からないぞ。えーっと……そう、誰かとコミュニケイションを取りたかったら、まずは話すこと。うん、それが大事だと俺は思うな」

「ごっ……ごべんなざいぃー」


 いやその、泣きながら謝られても非常に困るわけだが。

 このままでは通常会話もままならないので、ヘタに刺激せずに落ち着くのを待つことにした。その待っている間にもクラスメイトの注目を集めまくるのは必然で、でも立ち去るわけにもいかないわけで、なんか俺、不幸?


 …………。


「……ごめんなさい、ひっく、お、落ち着き、ま、した……」


 本当に落ち着いたのか疑問が残るような雰囲気だが、まあそこは本人の言葉を信じることにしよう。

 改めて俺はその女の子と向き合う。思い返してみても俺とは確実に初対面で、見かけたこともあるかも知れないが記憶に残っていない、つまりはあまり目立っていなさそうな子だった。

 うーん。初対面なんだけど、一体誰か、には心当たりはあるよな。今日俺に尋ねてくる知らない女の子という点で。


「私、あの、二年の加島ユズっていいます……」


 アヤが「あ!」という顔をするが、それぐらい想像できただろう。状況的に。


「佐倉さんには、その、なんて言いますか……ご迷惑をおかけして」


 言いながらまた落ち込んできたのか、表情が徐々に暗くなっていく加島さん。俺はぱたぱたと手を振った。


「気にするなよ。それに迷惑だなんて思ってないし」

「そう言ってもらえると……で、でもやっぱり、お、驚きました、よね?」


 ……そりゃあ、歯医者の定期検診だからな。アレで仮に驚かない人間がいたら、そいつは頭の大事なネジが抜けてるとしか思えないぞ。


「す、すみません」


 ああ、いやいや別に責めてるわけじゃない。だからいちいち萎縮しないでくれ。

 ……てか、こんな人が多い教室でするような話じゃないよな。場所、変えるか?


「は、はい。そうしましょうか」


 皆がこっちをガン見してるわけじゃないにしろ、クラスの視線、てか意識が集まってきている感覚はどうも落ち着かない。人気の少ない場所へ移動しないと、ゆっくり落ち着いて話もできなさそうだ。


「な、なんだよ移動すんのか? 別にここで話たっていいじゃねーか」


 お前みたいな奴がいるから落ち着かないんだよアヤ。いいから黙って留守番してろ。

 俺と加島さんは一緒に教室を出た。うーん……昼休みの残り時間もあまり残ってないし、適当にそこらへんでいいか。今だと人もあんまりいないし。

 俺は上着のポケットに突っ込んであったピンク色の封筒と、その内容物を取り出した。ラブレターだと言われて西園寺から渡された封筒と、歯医者の定期検診のお知らせである。


「これはキミから、ってことでいいんだよな?」

「…………」


 無言のまま、こくり、と頷く加島さん。


「あ、ああでも、その、中に入ってたのは、その、違くて」

「実は歯医者の娘だった、とかってオチは?」

「な、ないです、ごめんなさい。それはただ、間違って入れちゃった、みたいで、その」


 加島さんは、見ているこっちが心配になってくるぐらいにしどろもどろだった。間違ってラブレターに定期検診の紙を入れるとかどんだけなんだよ、と思うが、加島さんの今の様子を見てると突っ込むのも申し訳ないように思えてくるっていうか、どこか納得できるような気がするっていうか……。


「ほ、本当はこっちを渡そうと……」


 制服のポケットに手を入れて、なにかを取り出そうとする加島さん。


「あ、あれ? ……えっと………あ、あれれ?」


 加島さんは制服のポケットというポケット全てに次々と手を突っ込みながら、その場をくるくると回り始めた。

 ……まさかとは思うけど、その「渡そうとしていたもの」を忘れてきた、とか……?


「………………」


 図星だった。

 なんというかもう、ここまでくるとこっちが悲しくなってくる。絶望的なまでに不器用でドジっ子というイメージが、俺の中で固まってしまった。このイメージを払拭するのは並大抵の事では無理だろう。


「あ、あの、私はどうすればいいでしょうか……?」


 俺に聞くのか、それを。


「もう目の前にいるわけだし、直接口で言えばいいんじゃないかな」

「えええっ!? この場でですか?!」

「……別に強制しないし、手紙を取りに戻るって言うならそれでもいいけど……時間はないな。次の機会に持ち越しになる」


 昼休みはもう終わろうとしていた。今から加島さんが手紙を取りに戻っている時間はないだろう。

 でも別に、絶対に今すぐ言わなければいけないことでもないだろうし……今日の放課後だって、明日だっていいわけだ。なら加島さんの好きにやらせてやろう。


「俺はどっちでもいいよ。話があるっていうならいつでも聞くし、渡したいものがあるならいつでも受け取る。焦らなくていいさ」

「佐倉さん……」

「ま、できればあの馬鹿……さっき俺と一緒にいた奴らが居ないときにお願いしたい。あいつらの前だと、まとまる話もまとまらなくなるから」


 俺はそう言って苦笑した。そんな俺を見て、加島さんも小さく笑う。

 初めて俺に見せたその笑顔は、思わずどきっとするぐらい可愛かった。


「仲、いいんですね。皆さんは」

「ガキの頃からの腐れ縁だからなぁ。付き合いが長いんだよ」

「……羨ましいです」


 加島さんは俺の目の前に、居住まいを正して立った。さっきまでのおどおどした感じは無くなり、その黒い瞳は俺のことをじっと見つめている。

 お互いが見つめ合っていたのはほんの数秒だろう。静寂を壊したのは、加島さんの声だった。


「佐倉さん、次の週末はお時間ありますか?」

「週末? ……今のところはなにもないと思う」

「それなら、私と一緒にデ……あ、遊びに行きませんか? 市街の方に、ふたりで……」


 それは明らかなデートの誘いだった。

 頬を真っ赤に染めて、精一杯の勇気を振り絞って、加島さんはそう言ったのだろう。言い切った今は、小さく震えながら俺の反応を待っている。

 承諾をもらえる期待。断られる不安。その狭間で揺れる心。

 俺は彼女を素直に尊敬した。今の俺に、誰かに思いを告げるような、そんな勇気はたぶん無いから。


 …………真剣な気持ちには、真剣に応えなくちゃいけない。


「加島さん、俺は――」

「行ってこいよ!」


 不意に、第三者の声がした。俺と加島さんは驚いて、その声の主を見る。

 突然の乱入者は、ズカズカと俺の隣まで歩いてきて、俺に人差し指を突きつけた。


「てめーまさか、女にここまで勇気を出させといて断ろうとか思ってんじゃねぇだろうな!」


 今時、男でも使わないような乱れた言葉。そう、乱入者はアヤである。


「盗み聞きとは感心しないな。いつからいたんだよ」

「んなことどうでもいいだろーが。そんなことより、いいか、次の日曜はお前とカシマ……でいいんだよな。お前ら二人でデート決定な!」


 デート、という単語が出てきて、加島さんは顔を真っ赤にした。


「いやいや何でお前が仕切ってるんだよ。俺の自由意志は?」

「んじゃお前、断るつもりだったのかよ!」

「い、いや……」

「じゃあいいだろ! ほら加島さん携帯出しな。おいサクラも出すんだよ。お前らアドレスもまだ交換してねぇんだろ? さっさとやれ、さっさと!」


 な、なんだ? どうしてコイツはこんなにも、俺たちをくっつけたがるんだ?

 勢いに押されるように加島さんは白色のシンプルな携帯を取り出し、俺のものはアヤにひったくられた。アドレス交換のために赤外線通信機能起動。

 俺の携帯だっていうのに、アヤはまるで自分のものみたいに操作しやがる。同じ携帯機種を使ってるわけでもないのに……お前日頃から俺の携帯いじりすぎなんだよ。


「加島さんも悪いな。こんな強引に……」

「い、いえ、その……佐倉さんとアドレス交換もやりたかったと言いますか、えっと……嬉しい、ですから」


 そう言って、俺のアドレスが入った自分の携帯を抱き締めるように持つ加島さん。こんな可愛い子が、俺とアドレス交換しただけでこれだけ喜んでくれるというのは男冥利に尽きると思う。


「よーしお前ら、お互いのアドレスはちゃんと入ってんな? サクラてめー、ちゃんと毎日メール出せよ。一日最低一回は出せ。でも出し過ぎたりもすんなよ、うぜぇから」

「いや、だからなんでお前が仕切ってるんだよ」

「今まで万年彼女無しだった男に巡ってきたチャンスを、この私が実らせてやろうってんだよ! ありがたく思え!」


 ぐっ……。

 た、確かに俺はアヤの言うとおり、今まで生きてきた人生で一度も『彼女』を作ったことはない。自分から彼女を作ろうと動いたことすらないのだから、当然と言えば当然のことだった。


「じゃあ次の日曜、駅前のナ像の前に、そうだな。1時集合だ。おいサクラ分かってんな? テメーは30分前から待機してろよ。女を待たせる男は最低だぞマジで」

「だからお前が仕切るなよ。それに時間指定までして…………まさかお前、ついてくる気じゃないだろうな?」

「んな野暮なことはしねーよ!」


 アヤは怒ったように言うと、登場したときと同じようにズンズンと歩いて現場から去って行った。なんだあれ、まるで嵐のようだぞ。


「…………」


 そんなアヤの後ろ姿を、じっと無言で見つめる加島さん。

 ごめんな加島さん。あいつバカだから、突拍子のない行動を取ったりするんだよ。気にしないでくれ。


「……はい。大丈夫ですよ、少し驚きましたけど。それよりも」


 加島さんは俺をじっと見つめて、


「日曜日、楽しみにしてますね」


 花のような微笑みという言葉を使いたくなるような表情で、そう言った。





■ □ ■


 少女は教室に戻ると、自分の席に乱暴に腰掛けた。クラスメイトの何人かが何事かと思って少女を見るが、機嫌が悪そうな雰囲気を感じて、放っておくに限るという結論を出す。

 机に突っ伏した少女は、そのまま目を瞑った。眠くはない。だけど、なにも考えずに眠ってしまいたい。


 その姿を見ていた男子が一人、はぁ、とため息をつく。やれやれ、といった風に少女の席まで近づくと、机の上にあるその頭を軽く叩いた。


「おい馬鹿」

「……やめろ馬鹿。今はてめーと遊んでやる気になれねぇ」


 顔を上げないままで少女はそう言う。

 しかし男子はその声を無視して、更に少女の頭をポンポンと叩き続けた。


「どうなったんだ?」

「…………次の日曜、デートするんだと」

「ヒュ~、サクラもなかなかやるなぁ」

「あいつは迷ってたみてーだったから、私が話しつけてきたんだよ。あのヘタれ、女にばっか勇気出させやがって」

「………………」


 男子が沈黙する。

 少女は顔を伏せていたので気づかなかったが、そのときの男子の表情はかなり真剣なものであった。


「おい馬鹿」

「馬鹿って言うな。私が馬鹿だってんなら、てめーはなんだ? 火に自分から突っ込んでく羽虫かなにかか?」

「俺が羽虫だろうがなんだろうが、そんなことはどうでもいいんだよ。顔上げろ、コラ」


 男子がそう言うが、しかし少女は反応しない。意地でも動かないつもりだ。

 髪の毛を掴んで持ち上げるわけにもいかない男子は少し迷い……両手で少女の頭を左右から挟み、強引に持ち上げることにした。

 少女はもちろん抵抗する。その結果、顔が歪んで悲惨なことになっていたりするが、二人とも気にしていなかった。


 非力な少女が男子に敵うわけもない。ある程度の高さまで顔を上げさせられた少女は、真っ直ぐに自分を見る男子の瞳から何とか逃れようと藻掻く。しかしそれは無意味な抵抗だった。

 男子が少女との視線の高さを合わせる。少女は露骨に視線を逸らす。


「いいのかよ?」

「……なにがだよ」

「分かるだろ? 分からないわけがないだろ? だからお前、そんな風に機嫌悪くなって、机に突っ伏してたんだろ?」

「…………別に。ただの気まぐれだっての」


 少女は分かっていた。男子が……幼馴染みの彼が、なにを言っているのか。なにを言いたいのか。


「知らねえぞ、どういう事になっても」

「………………」

「選ぶのはお前だ。だけど後で愚痴を聞くのはゴメンだぜ。……後悔すんなよ」


 男子はそう言うと、少女の頭から手を離して自分の席へ戻っていった。残された少女はしばらく不機嫌な顔のままで目の前をじっと見ていたが、再び机に突っ伏して瞳を閉じる。


「分かってるっつの……」


 その小さな呟きは、誰にも聞かれることはなかった。



ここまでお読みいただきありがとうございます。あおいのという物体です。


小説家になろう様にて初の連載小説に挑戦です。とは言ってもそれほど長いものにはならないと思います。


物語はまだ序盤部分です。全てはこれからです。


この話には私が投稿した他作品の『明央高校2年9組』で使われた舞台設定がちらほらと出てきております。未読でも全く問題ありませんが、是非ご一緒にどうぞ(宣伝)


それでは、ありがとうございました!


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