第9話 名を持たぬ影
王都南区の夜は、異様な静けさに包まれていた。
先ほどまで響いていた悲鳴や怒号は、嘘のように消え、
代わりに残ったのは、焼けた石畳の匂いと、血の生臭さだけだ。
倒壊しかけた露店。
打ち捨てられた荷車。
そして、動かなくなった“それら”。
「……終わった、のか?」
騎士の一人が、剣を握ったまま呟いた。
答える者はいない。
異形の魔物たちは、確かに姿を消していた。
だが、誰もが理解していた。
――自分たちが倒したわけではない。
「報告しろ。
各地点の状況を確認だ」
指揮官が声を張るが、その声音には疲労と困惑が混じっている。
「……隊長」
若い騎士が、躊躇いがちに近づいた。
「妙なんです」
「何がだ」
「魔物の死体が……」
言葉を選ぶように、一瞬、間が空く。
「切られ方が、揃いすぎてます」
指揮官は、眉をひそめた。
南区の一角。
細い路地に横たわる魔物の死骸。
首。
関節。
急所。
どれもが、過不足なく断たれている。
「……確かに、騎士団の剣じゃないな」
魔術師が、低く言った。
「魔法の痕跡も、ほとんど残っていません」
「じゃあ、誰が――」
その問いは、宙に消えた。
答えを知る者は、ここにはいない。
街の端。
瓦礫の影。
黒い外套の一人が、静かに立っていた。
顔は見えない。
口元を覆う黒いマスクが、月明かりを吸い込む。
足元には、すでに事切れた異形。
影は一度だけ周囲を見回し、
何も言わず、その場を離れた。
屋根から屋根へ。
闇から闇へ。
まるで、この街に最初から存在していたかのように。
別の通り。
「……あれ、見た?」
震える声で、女が囁いた。
「なにが?」
「さっき……
黒い人が……」
隣の男は、首を振る。
「見間違いだろ。
混乱してんだよ」
「でも……
魔物が、急に倒れて……」
女は、それ以上言葉を続けられなかった。
説明できないものは、
噂になる前に、恐怖へと変わる。
王都の夜は、そういう仕組みでできている。
少し離れた屋根の上。
ミレアは、外套の影から街を見下ろしていた。
戦闘の熱が冷め、
夜の女としての感覚が、再び戻ってくる。
「……終わったわね」
誰にともなく、そう呟く。
血の匂い。
人の気配。
恐怖が、ゆっくりと街に沈殿していくのが分かる。
「後処理、行く?」
背後から、レイの声。
「ええ。
余計な口が増える前に」
ミレアは、静かに踵を返した。
「夜はね、噂を食べて育つのよ」
「だったら、腹八分にしとくか」
レイが、軽く笑う。
別の地点。
ロガディンは、倒れた魔物を見下ろしていた。
義手の指先で、切断面に触れる。
「……人の身体だ」
骨格。
筋肉の付き方。
どう見ても、元は人間だった。
「操られて、使い潰されたか」
低く呟く。
「国も、宗教も……
やり方は同じだな」
その言葉は、誰にも届かない。
地下の別邸。
イオルは、静かに報告を聞いていた。
ロウの声は、淡々としている。
「……市街地の脅威は排除されました。
騎士団は、これから“制圧完了”として動くでしょう」
「被害は」
「死者は出ています。
ですが、最悪は避けられました」
イオルは、目を伏せる。
「……そうですか」
短い沈黙。
モルが、肩に絡みつき、わずかに魔力を流す。
「坊ちゃん」
ロウが、静かに言った。
「噂が、出始めています」
「ええ」
イオルは、すでに察していた。
「“黒い影がいた”
“騎士団より先に動いていた”
……そんなところでしょう」
「はい」
イオルは、ゆっくりと息を吐く。
「十分です」
名は要らない。
旗も、称賛も。
「正体が分からない、という恐怖だけが残ればいい」
エメラルドの瞳が、静かに光る。
「王都は今夜、
一つだけ、歯車を噛み違えた」
それが何を意味するのか。
まだ、誰も気づいていない。
だが確かに――
名を持たぬ影は、王都に“存在した”。
それだけで、十分だった。
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