第7話 王都に走る魔力
異変は、あまりにも唐突だった。
王都南区。
商人と職人が行き交う、比較的穏やかな地区。
夕刻、日が傾き始めた頃――
空気が、ぴたりと止まった。
「……?」
露店の店主が、ふと手を止める。
理由は分からない。
ただ、胸の奥がざわついた。
次の瞬間だった。
――――ドン。
低く、腹に響くような振動。
地面が、わずかに震える。
「な、なんだ?」
「地震か?」
人々が周囲を見回す。
だが、建物が崩れる様子はない。
揺れも、すぐに収まった。
その代わり――。
「……空、暗くない?」
誰かの声が上がった。
見上げれば、雲一つなかったはずの空に、
黒い靄のようなものが、渦を巻いている。
魔力。
それも、尋常ではない濃度だ。
王都中央、王城。
「――反応あり!」
監視塔の魔術師が、声を張り上げる。
「南区方面!
急激な魔力上昇を確認!」
「規模は?」
「……不明。
ですが、通常の魔物発生とは、明らかに違います!」
騎士団の詰所が、一気に慌ただしくなる。
「即時、確認班を出せ!」
「第三部隊、南区へ!」
命令が飛び交う中、
誰もが感じていた。
――遅い。
この規模の魔力反応が、
今、初めて観測されたはずがない。
だが、報告は今になってようやく上がった。
地下の別邸。
円卓のない、簡易の控え室。
イオルは椅子に座り、静かに目を閉じていた。
肩には、黒猫の姿をしたモル。
その身体が、わずかに強張る。
「……来ましたね」
イオルが、目を開ける。
「ええ」
ロウも、同時に息を吐いた。
「王都南区。
かなり、強い」
「数は?」
「……一つ、ではありません」
その言葉に、イオルの表情が引き締まる。
「魔物……ですか?」
「魔物、にしては」
ロウは言葉を切った。
「混じっています」
「人の、魔力ですね」
イオルはすぐに理解した。
「はい」
モルが、低く鳴いた。
イオルの肩口に、ぴたりと身体を寄せる。
まるで、警告するかのように。
「……聖循教」
イオルは、小さく呟いた。
「宗教にしては、動きが早すぎるように思いますね」
「焦っている、ということですか」
「ええ。
あるいは――」
イオルは、ゆっくりと立ち上がった。
「計画通り、なのか」
その頃、王都南区。
靄の中心から、異形が姿を現し始めていた。
四足。
だが、獣ではない。
骨格は歪み、
皮膚は黒く変色し、
目にあたる部分には、赤い光が灯っている。
「……魔物?」
「いや、違う……」
誰かが、震える声で言った。
「アレ、人……だったんじゃ……」
言葉は、悲鳴に掻き消された。
異形が、動く。
速い。
露店を薙ぎ倒し、
人々を追い立てる。
逃げ惑う群衆。
悲鳴。
瓦解する日常。
「騎士団は!?
まだ来ないのか!」
「来てる!
でも、数が足りない!」
駆けつけた騎士たちも、混乱していた。
魔物は一体ではない。
路地裏、屋根の上、広場――
同時多発的に、現れている。
しかも、動きが統制されていた。
「……誰かが、操ってるぞ!」
その叫びが上がった瞬間。
――ズン。
空気が、再び震えた。
今度は、さらに強い魔力反応。
王城の魔術師が、青ざめる。
「……反応、拡大!」
「なに……?」
「中心が、移動しています!」
地下の別邸。
ロウが、短く告げる。
「動き出しました」
「ええ」
イオルは、表情を変えない。
「予定通り、騎士団は後手に回る」
「では……?」
イオルは、一瞬だけ考え、
そして、静かに首を振った。
「……まだです」
「坊ちゃん?」
「ここで僕が動けば、
“誰か”が、何かを確信してしまう」
イオルは、杖を握り直す。
「今は、噂だけでいい」
「……ですが、被害が」
ロウの声に、珍しく感情が滲んだ。
イオルは、真っ直ぐにロウを見る。
「だからこそ」
その声音は、王子のそれだった。
「裏が、動きます」
まるで合図だったかのように。
地下の奥で、
いくつかの“影”が、静かに立ち上がる。
名はない。
旗もない。
ただ、黒い外套と、覆われた顔。
王都ではまだ、誰も知らない。




