第19話 名前を呼ばれた日
2章 双影奪還編
ネイとレイが孤児だった頃、
夜はいつも腹が減っていた。
王都の外れ、石壁と石壁の隙間にできた影の溜まり場。
昼は人が通るが、夜になると誰も見向きもしない場所だ。
盗みを働くには向かないが、寝るには都合がよかった。
「今日、パン屋いけた?」
レイがそう聞くと、ネイは小さく首を振った。
「番犬、増えてた。無理」
「ちっ……」
舌打ちはしたが、声は荒げない。
腹が減っている時ほど、レイは静かだった。
その時だった。
「なら、こっち分けるよ」
そう言って、影の奥から少年が現れた。
年は同じくらい。
細い体に、少し大きめの服。
だが、目だけは妙に落ち着いていた。
「……誰」
ネイが警戒して言う。
「フィン。よろしくね」
少年は名乗り、布に包んだパンを差し出した。
「余ってる。三人で食べた方がいい」
レイは一瞬だけネイを見る。
ネイが小さく頷いたのを確認してから、パンを受け取った。
「……ありがと」
それが、始まりだった。
⸻
フィンは、弱かった。
腕力も、足も、度胸もない。
盗みも下手で、見張り役に回ることが多かった。
だが、頭だけはやたらと良かった。
「ここ、今行くと危ない」
「なんで?」
「さっき通った兵士、歩幅が一定じゃなかった。巡回じゃない」
そう言われて待っていると、確かに別の兵が現れる。
偶然とは思えない精度だった。
レイはすぐに懐いた。
「お前、すげーな」
「すごくない。考えてるだけ」
「それがすげーんだよ」
ネイは少し距離を保っていたが、
フィンが誰かを売ったり、逃げたりしないと分かると、
やがて警戒を解いた。
三人は、よく一緒にいた。
盗みに行き、失敗し、叱られ、
それでも夜になると、同じ場所に戻ってくる。
名前を呼び合える相手がいることが、
孤児にとってどれほど救いだったかを、
その頃の彼らは言葉にできなかった。
⸻
別れは、突然だった。
ある日、いつもの影溜まりに、見慣れない馬車が止まった。
紋章付きの扉。
貴族用だと、三人とも一目で分かった。
「……何?」
フィンが呟いた瞬間、
黒服の男たちが近づいてきた。
「フィンだな?」
名を呼ばれ、フィンは凍りつく。
「貴様は、アルディン家の血を引く者だ。
妾腹だが、本家に迎える」
意味が、すぐには理解できなかった。
ネイが一歩前に出る。
「……連れてくの?」
「当然だ」
レイは、フィンの腕を掴んだ。
「行くな」
フィンは、何か言おうとして、口を開いて、閉じた。
そして、ゆっくりと首を振った。
「……ごめん」
それだけだった。
馬車は走り去り、
影溜まりには、二人だけが残された。
その日から、フィンは来なかった。
⸻
それから数年後。
王都は、何事もなかったかのように回っていた。
ネイとレイは、裏の世界に足を踏み入れ、
ロガディンと出会い、
今は“別の名前”で生きている。
過去は、封じたはずだった。
だが。
「……まさか」
王都の中央広場。
人混みの向こうで、
ネイは一人の青年を見つけた。
整った服装。
だが、歩き方が少しぎこちない。
視線が合った。
一瞬の沈黙の後、
その青年が、はっきりと口を開いた。
「……ネイ?」
次の瞬間。
「レイ?」
名前を呼ばれた瞬間、
世界が一段、静かになった。
「……フィン?」
確かに、そこにいた。
孤児だった少年は、
気弱そうなまま、
だが確かに“貴族”として立っていた。
「生きてたんだな」
レイが、笑うように言う。
「……うん。二人も」
三人は、しばらく言葉を失ったまま立ち尽くす。
「今はアルディン家の人間としてね」
そう笑うフィンは、1目見れば分かる仕立ての良い、高価な衣装を身にまとっていた。
再会は、奇跡のようで、
同時に、不自然なほど静かだった。
この再会が、
いずれ血と炎の中に引きずり込まれるなど、
まだ誰も、知らなかった。
——もう、戻れない場所で。




