第18話 信仰は、今日も正しく循環する
聖循教の本殿は、朝の光に満ちていた。
白い石柱が並ぶ広間。
高い天井から差し込む陽光が、床の聖紋を淡く照らす。
祈りの時間は、すでに終わっている。
今、この場にいるのは――
聖循教の中枢に名を連ねる者たちだけだった。
「王都の件は、ひとまず収まったようですね」
柔らかな声で切り出したのは、白衣を纏う壮年の男。
教導長の位にある人物だ。
「ええ。騎士団も、王宮も、我々の対応には感謝していました」
別の聖職者が、満足そうに頷く。
「炊き出し、施療所の拡充、避難民の受け入れ……
信徒たちも、よく動いてくれました」
誰もが、“善行”しか口にしない。
実際、それは事実だった。
聖循教は、王都の混乱に即座に対応し、
民の不安を和らげ、
王権の負担を大きく軽減してみせた。
「国王陛下へのご挨拶も、滞りなく」
「復興支援金の件も、すでに了承を得ています」
その言葉に、場の空気が一段と緩む。
「これで、しばらくは余計な詮索も入らないでしょう」
「ええ。むしろ、評価は上がる一方です」
誰かが、静かに笑った。
信仰は、正しく機能している。
少なくとも、彼ら自身はそう信じて疑わなかった。
⸻
ただ、一人。
最奥に座る老聖職者だけが、話題を変えた。
「……気になる報告が一つあります」
場が、わずかに静まる。
「最近、ある商会が王都で動いているそうで」
「商会?」
「ええ。表向きは、復興に伴う物資調達。
ですが――」
老人は、指先で机を軽く叩く。
「やけに、裏を嗅ぎ回っている」
「聖循教の施設を?」
「いえ。街全体を、です」
一瞬、沈黙。
だが、すぐに誰かが肩をすくめた。
「復興期ですからな。
商人が情報を集めるのは、珍しくもない」
「利益の匂いを嗅ぎつけただけでしょう」
「こちらに害が及ぶ話ではありません」
老人は、それ以上は言わなかった。
ここで食い下がるほどの材料もない。
(……気にしすぎか)
そう、自分に言い聞かせるように目を伏せる。
会議は、そのまま穏やかに終わった。
誰一人として――
“今回の騒動そのもの”に、踏み込む者はいなかった。
⸻
一方、王城。
地下の円卓会議室に、柔らかな風が入り込んでいた。
ロウが、一枚の書類を手にイオルの前に立つ。
「殿下。報告があります」
「どうぞ」
「聖循教より、王都復興資金として多額の援助が」
イオルは、書類に目を落とす。
金額は、確かに大きい。
だが、過剰というほどではない。
「……ほう」
それだけ言って、イオルは小さく頷いた。
「抜かりありませんね」
ロウが一瞬、目を瞬かせる。
「疑われませんか?」
「いいえ」
イオルは、淡々と答える。
「これは“正しい動き”です」
民を助ける。
王に恩を売る。
信仰の威信を示す。
どれも、非難される要素はない。
「むしろ、評価すべきでしょう」
「……そうですか」
「ええ。やるべきことを、やっている」
イオルは、書類を閉じた。
そこに含まれる意図を、
今、暴く必要はない。
(少なくとも――表では)
⸻
ロウが下がった後、
イオルは一人、窓辺へと歩いた。
王都の街並みが、穏やかに広がっている。
戦いは終わり、
人々は、日常へと戻りつつある。
その光景を見下ろしながら、
イオルは何も言わなかった。
ただ、風が吹く。
夜気を含んだ風が、窓から入り込み、
銀色の髪を静かになびかせる。
(……本当に、上手い)
誰もが納得する善意。
誰もが安心する振る舞い。
疑う理由が、どこにもない。
だからこそ――
イオルは、目を細めた。
信仰は、今日も正しく循環している。
その裏側に、
まだ名を持たぬ何かが潜んでいることを、
誰も、気づかないまま。




