1話 建国記念の夜に、杖をつく王子は微笑む
1章 王都歪曲編
王国建国三百年。
その節目を祝う建国記念日パーティは、王城最大の大広間で催されていた。
天井から垂れる無数のシャンデリアは、夜空を閉じ込めたかのように輝き、磨き抜かれた大理石の床には、きらびやかな光が反射している。
壁際には歴代王の肖像画が並び、三百年という歳月の重みを、静かに主張していた。
ここは祝祭の場であると同時に、力関係を再確認する社交の戦場だ。
貴族たちは微笑みながら互いの腹を探り、商人は王族の視線の動きを値踏みし、諸外国の使節は、この国の「今」を持ち帰るために目を凝らしている。
――そして、王家の人間は、常に見られる側だった。
王と王妃、その隣に立つ第一王子。
堂々とした立ち姿、淀みない会話、周囲に集まる人々の輪。
誰の目にも明らかな、「次代」の象徴。
その光景を、少し離れた場所から眺める少年がいた。
白髪に、深いエメラルド色の瞳。
年齢よりも線の細い身体を、黒い正装に包み、一本の杖を支えに立っている。
――第六王子、イオル。
王の血を引く身でありながら、その存在感は驚くほど希薄だった。
理由は単純だ。生まれつき身体が弱く、長時間の儀式にも耐えられない。
剣も振れず、戦場に立つ未来もない。
王国にとって、使い道のない王子。
それが、この場にいる多くの人間の共通認識だった。
「……やっぱり、派手だね」
イオルは小さく息を吐き、そう呟いた。
声は柔らかく、丁寧だが、どこか距離を置いた響きがある。
「建国三百年ですからな。王国としては、これ以上ない節目です」
すぐ傍で応えたのは、老執事――ロウ・フェルツだった。
背は高く、白髪混じりの髪をきっちりと整え、年齢を感じさせない鋭い眼差しを持つ男だ。
表向きは、病弱な王子の世話役。
だが、その立ち姿からは、ただの執事ではない気配が滲んでいる。
「三百年、か……。長いようで、短いね」
「国にとっては、ようやく“歴史”を名乗れる歳月でございます」
「人にとっては、あっという間だけど」
イオルはそう言って、視線を広間へと向けた。
貴族たちの会話が、意図せず耳に入る。
「第一王子殿下は、ますます貫禄が出てきましたな」
「次代は安泰ですな」
「他の王子方? ……ああ、あの病弱な」
言葉は選ばれているが、意味は明白だ。
期待されていない。
数に入れられていない。
「……別に、気にしてないよ」
イオルはそう言ったが、ロウは黙ったままだった。
「本当だって。こういう場で、僕に何かを求められても困るし」
イオルは杖に体重を預け、軽く肩をすくめる。
「それに、王族として“期待されない”って、案外楽だよ。
失敗しても、誰も落胆しない」
冗談めかした口調だったが、その言葉には、諦観に近いものが滲んでいた。
「……イオル様」
「ん?」
「そのようなことを、口にされるお立場ではございません」
「ロウ、君は相変わらず堅いね」
イオルは小さく笑った。
だが、その瞳は笑っていなかった。
彼は、この場の全てを冷静に見ている。
誰が主役で、誰が脇役か。
誰が未来を語られ、誰が過去として扱われているか。
(この国は、もう“完成した物語”を求めている)
だからこそ、弱く、変化をもたらさない王子は不要だ。
「イオル様、少しお休みになりますか」
「いや、大丈夫。まだ立てる」
ロウの問いに、即座に答える。
魔力で補強すれば、身体は動く。
負荷はかかるが、この程度なら問題ない。
――それを知っているのは、ごく限られた者だけだ。
「せっかくの記念日だ。
この国の“今”を、ちゃんと見ておきたい」
「……承知いたしました」
ロウは一歩後ろに下がり、周囲を警戒する視線を走らせる。
その時。
「イオル」
低く、威厳のある声が、彼を呼んだ。
振り向けば、王が立っている。
その隣には王妃、少し後ろに第一王子。
「無理をしていないか」
「はい、父上。お気遣いありがとうございます」
イオルは丁寧に頭を下げた。
王は一瞬だけイオルを見つめ、そして視線を逸らす。
「そうか。ならいい。
今日は大事な日だ、無理はするな」
「承知しております」
それだけだった。
心配はされている。
だが、期待はされていない。
それを、イオルは痛いほど理解していた。
王が去った後、第一王子と一瞬だけ視線が交わる。
そこにあったのは、敵意でも侮蔑でもない。
――無関心。
(ああ、なるほど)
イオルは内心で、小さく笑った。
(僕は、最初から盤上にいないんだ)
建国三百年。
完成された王国。
用意された未来。
そのどれにも、自分の居場所はない。
だからこそ。
(なら、別の場所で生きよう)
イオルは静かに、そう決めていた。
この光の中ではなく。
拍手の外側で。
誰にも見えない場所から、
この国を――根こそぎ、作り替えるために。
建国三百年の夜は、まだ始まったばかりだった。
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