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王都は年に一度の 大カーニバル で大賑わい。
カラフルな布飾り、音楽隊、露店、仮面姿の人々が夜まで踊り明かしている。
クラウディオは、警備のために同行した使用人たちと共に、
エレナを馬車に乗せてカーニバルへ向かう。
エレナは新調した仮面と衣装で嬉しそうに窓の外を眺め、
「まるで夢みたい……!」
と無邪気に目を輝かせる。
その横顔を見たクラウディオは、胸がじんと熱くなる。
仮面は身分を隠すため、身分差のある者同士でも気軽に話せるのが醍醐味。
クラウディオは黒い仮面をつけ、エレナは金の花飾りの入った白い仮面をつける。
「仮面って、すごいですね……気持ちが軽くなる気がします」
「……そうだな。普段より……話しやすい」
仮面のせいで互いの視線が少し強く交差する。
いつもより距離が近い。
いつもより声が柔らかい。
使用人たちは少し離れて待機しているため、
まるで“ふたりきり”の散歩のよう。
エレナは屋台の食べ物や大道芸に楽しそうに反応し、
クラウディオはその一つひとつに表情を緩めてしまう。
エレナは踊りの輪に誘われ、軽いステップを踏む。
くるりと回る白いドレスに、仮面の奥の笑顔が眩しい。
その姿を見た瞬間、クラウディオの胸が締めつけられる。
(どうして……こんなに苦しい?喜んでいるはずなのに……)
大衆の中に彼女を一人置くのが不安。
誰かの手が触れるのも嫌。
誰かが彼女を見つめる視線でさえ落ち着かない。
それは “所有” ではなく、
“守りたい” という、強い、熱い感情。
踊りの後、少し息を弾ませたエレナがクラウディオに近づく。
「クラウディオ様も踊りませんか?」
「……俺は、踊りは得意ではない」
エレナは軽く笑い、手を差し出す。
「仮面をつけていれば――ほんの少し、勇気が出ます」
仮面のせいで表情を悟られない。
だからクラウディオは、つい手を取ってしまう。
人々が踊る輪の外、
二人だけの静かな場所で、手を取って軽くステップを踏む。
距離が近い。
息が触れ合いそう。
クラウディオは、仮面越しに見つめるエレナの瞳に吸い込まれる。
(仮面がなかったら……
俺は、こんな風に彼女を見つめられただろうか?)
エレナもまた、心臓の音を隠すように微笑んでいる。
少し離れて見ていた使用人のひとりが、もう一人に囁く。
「旦那様……いつになく距離が近いですね」
「……やっと、ですね」
周囲の人々も、匿名の仮面の二人の距離の近さに
微笑ましい視線を送る。
クラウディオは他人の視線に気づき、
軽くエレナを自分の後ろへ引き寄せてしまう。
「く、クラウディオ様……?」
「……すまない。人が多い」
(本当は、ただ離れたくなかった)
喜ぶ顔を見るたびに、胸が苦しくなる。
守りたいと思うほど、切なくなる。
触れたいと思うほど、怖くなる。
(俺は……ますます、エレナから目を離せなくなっている)
仮面カーニバルの夜は、
二人の距離を一気に近づけ、
クラウディオの想いをさらに深めてしまう。
カーニバルの目玉として王都の中央運河に特設のゴンドラ遊覧が用意されている。
夜風は甘い香りを乗せ、灯火は水面に揺れて幻想的。
エレナはうっとり眺めながら、
「まるで絵本みたい……!」
と呟く。
クラウディオはその声を聞くだけで胸が温かくなる。
使用人たちは遠巻きに控え、
二人だけが小さなゴンドラへ乗り込む。
ゴンドラは軽く揺れ、
エレナは思わずクラウディオの腕に手を添える。
「ご、ごめんなさい!」
「……構わない。掴んでいていい」
その言葉にエレナの胸がきゅっと鳴る。
漕ぎ手が櫂を動かし始め、静かな水音が響く。
ゴンドラがカーブする瞬間、思わぬ大きな揺れ。
「きゃっ……!」
エレナの身体がふわりと傾き、クラウディオの胸へそのまま倒れ込む。
クラウディオの心臓が、激しく跳ねる。
(だめだ……落ち着け……!ほんの少し触れただけなのに、どうしてこんな……)
胸に当たる体温が熱く、匂いも近い。
腕に抱き寄せた感触が、離れるのを拒む。
エレナのほうも頬が真っ赤。
(近い……! でも嫌じゃない……どうしてこんなに……安心するの?)
二人とも離れられないまま、数秒が永遠のように流れる。
しばらくすると、夜空に大きな音が響き、
色とりどりの花火が水面を染めた。
エレナは思わずクラウディオの腕の中で顔を上げる。
光に照らされたエレナの横顔が、
仮面越しでも美しくて、儚くて、胸を締めつける。
クラウディオはつい、見とれてしまい、
「……綺麗だ」
と言葉が漏れる。
エレナは花火のことを言われたと思い、
「本当に……綺麗ですね……!」
と微笑む。
クラウディオは言えない。
“今言ったのは花火じゃなく、お前のことだ” などとは。
ゴンドラはゆっくり進み、
二人の距離はずっと近いまま。
クラウディオは小さく息を吸い、
「……エレナ。今夜は、楽しめているか?」
エレナは一瞬驚き、
その穏やかな声に胸が震える。
「はい。クラウディオ様のおかげで……とても、幸せです」
“幸せ”という言葉がクラウディオの胸に刺さる。
(そんな顔をして微笑むな。もっと近くに触れたくなる……)
その想いに自分で驚く。
エレナも、クラウディオの手が自分を支えたままなのに
気づいているのに、手を離せない。
花火の光が落ち着き、静寂が訪れる。
水面を滑る音だけが耳に残る。
エレナは少し顔を伏せながら尋ねる。
「クラウディオ様……その……嫌じゃ、ありませんか? わたしが近くにいて」
クラウディオは一瞬だけ息を呑み、
そして低く、正直に答える。
「……嫌ではない。むしろ……もう少し、このままでいてほしい」
エレナの心臓が跳ね、胸の奥が熱く満たされていく。
クラウディオの方も、自分の本音に気づく。
(俺は……エレナを、特別だと思っている)
ゴンドラはゆっくりと桟橋へ戻る。
けれど二人にとって、その短い時間は
“二人の距離が決定的に変わった夜”となった。




