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エレナが作る料理は、屋敷の雰囲気を柔らかく変えていた。
使用人たちは口々に「奥様のお料理は温かい」「香りが心地よい」と話し、
クラウディオはそれを聞くと、胸の奥がくすぐったくなる。
「……俺の屋敷が、こんなに……」
ふとエレナの横顔を見ると、以前より表情が明るい。
体調も戻り、キッチンで少し楽しそうに笑っている。
その笑顔を見たクラウディオはなぜか視線を逸らしてしまう。
「(何なんだ、この感情は……)」
そんな時、使用人のひとりが言った。
「旦那様、奥様は……とても喜ぶと思いますよ。
プレゼントなど、贈られてはいかがでしょう?」
クラウディオは驚いた。
“プレゼント”など女性に贈ったことがない。
だが、エレナが喜ぶ顔を想像すると……胸が少し温かくなる。
夕食後、クラウディオはぎこちなくエレナに尋ねた。
「……欲しい物は、あるか?」
エレナは少し驚きつつも、控えめに答える。
「香水……自分に似合う香りを、いつか持ってみたくて。
前の人生では、仕事柄あまり使えなかったので……」
クラウディオは胸がドクンと鳴る。
“前の人生”という言葉は理解できないが、
エレナが初めて見せた「個人的な願い」に触れられた気がして、
不思議な嬉しさが湧いた。
翌日。
クラウディオは自ら馬車を準備し、街の香水専門店へ向かった。
店の装飾は華やかで、甘い花の香りが漂う。
不慣れな空間に、クラウディオはわずかに緊張する。
「(……こんなことで緊張している場合か、俺は伯爵だぞ)」
自分に苦笑しつつ店に入る。
店主であり調香師の老人が、にこやかに迎えた。
「本日はどなたへの香りをお探しですか?」
クラウディオは少し迷い、
しかし逃げるような気持ちになりたくなくて、真っ直ぐに答えた。
「――妻に。エレナに合う香りを探している」
その一言に、調香師は嬉しそうに目を細める。
「奥様を大切に思っていらっしゃるのですね」
胸を突かれたようにクラウディオは言葉を失う。
大切に――?
調香師は続けた。
「香りというのは、相手をよく観察しなければ選べません。
仕草、声の柔らかさ、纏う空気……
あなたは奥様をよく見ておられるのでしょう」
クラウディオの心臓が強く跳ねた。
自分はエレナを……よく見ていたのか?
表情、体調、声の調子、微笑むタイミング――
思い返せば、すべて覚えている。
どうして?
なぜ、そんなに気になる?
「(まさか……)」
混乱しながらも、調香師に勧められるまま香りを試す。
白い花の柔らかな香り。
柑橘の爽やかさ。
温かい石鹸の清らかさ。
その中で、ふと――エレナの笑顔と重なる香りがあった。
「……これだ」
調香師も深く頷く。
「優しく、気品があり、それでいてどこか芯の強さを感じさせる香り。
奥様に、きっとお似合いでしょう」
香水を受け取った瞬間、
クラウディオの胸に熱が広がる。
「(……俺は、エレナのことを……)」
気づいてしまった。
自分はエレナを、ただの“義務で迎えた妻”とは思っていない。
もっと近づきたい。
笑顔が見たい。
喜んでほしい――
これは、まさか……恋だ。
馬車の中、クラウディオは一人、顔を覆う。
「どうすればいい……
俺は……エレナを好きになっている……?」
その告白の相手はまだいない。
だが、確かに彼の心は動き出していた。




