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マヨネーズ工場が稼働し始めてから、まだ半月ほどしか経っていない。
だがエレナの頭の中では、すでに次なる“革命”が動き始めていた。
(――この世界の人たちには、もっといろんな味を知ってほしいわ。
マヨネーズには、まだまだ無限の可能性があるもの)
夜の厨房。
窓の外には月が浮かび、屋敷はほとんど寝静まっていた。
しかし調理場だけは、ぽつりと暖かな灯りがついている。
「……奥様、また夜中に研究を?」
メイド長アリアが呆れ半分、心配半分の声を出す。
「ごめんなさい、アリア。でも、どうしても“やりたい味”がひらめいたの」
エレナは袖をぐっとまくり、ボウルにマヨネーズを入れる。
そこに細かく刻んだピクルス、ゆで卵、玉ねぎ――前世の味を思い出しながら加えていく。
「これは……ゆで卵の匂いがしますね」
「ええ。名前は……“タルタルソース”にしましょうか」
つやつやとした淡い黄色のソース。
スプーンで一口、舌にのせる。
「――んっ……!」
うっとりと目を閉じてしまうほどの濃厚さ。
適度な酸味と甘み、刻んだ具材の食感が楽しい。
「アリア、ちょっと食べてみて」
「えっ、わ、わたくしも……? 失礼して……」
アリアは恐る恐る口に運び――目を見開いた。
「……お、おいしい……! とんでもなくおいしいです、奥様!」
「ふふ、よかった!」
エレナが笑うと、アリアは思わず手を叩いていた。
「これ、魚のフライにも合いますし……パンに塗るだけでもごちそうです!」
「そうなの! だから、次の試食会で出してみましょう」
アリアは感動しながら、そっと言った。
「奥様……あの。
以前のあなた様なら“作れと言われたら作るだけ”の料理人任せでしたのに……」
「……そうね。でも、今の私は違うわ」
自分を見つめ直した、あの日。
胸が締めつけられ、前世の記憶が戻り、絶望から立ち上がった瞬間。
(――幸せに生き直す。それが私の決意)
エレナはさらに新しい材料を取り出す。
「次は“ポテトサラダ”を作るわ!」
「また新しいものですか!?」
「ええ。マヨネーズを使ったサラダよ」
ゆでたじゃがいもを木べらで潰し、刻んだ玉ねぎとゆで卵、ハムを加え――
マヨネーズをたっぷり混ぜ合わせる。
ほんのり温かい香りが立ち上った。
「……あぁぁ、おいしそう……」
「できたわ!」
エレナとアリアがスプーンを入れる。
まろやかで、甘くて、コクがあって――
「こんなに……優しい味……!」
「パンも合うわよ」
アリアは感動し、思わず目を潤ませる。
「奥様、わたくし……あなた様のお料理を食べるたび、涙が出るんです。なんだか……あたたかい」
「……ありがとう、アリア」
「さて、最後は――“炒め物”よ」
「炒め物? マヨネーズで……?」
「ええ。熱で香ばしくなるのよ」
フライパンでウインナーを軽く焼き、ザクザク切ったキャベツを山ほど入れる。
そこに、マヨネーズを大さじたっぷり投入。
じゅわぁぁっ……
油と卵と酸味が混ざった香りが、一気に広がった。
「……! なんですの、この香り……っ」
「でしょ? 食欲をそそる香りなの」
塩胡椒を加えて炒めると、キャベツが甘く柔らかくなった。
「できたわ! “キャベツとウインナーのマヨ炒め”!」
深夜の厨房とは思えないほど、幸福な香りに包まれる。
アリアは震える手で一口。
「……っ、これ……っっ、なにこれ……!!」
「おいしい?」
「おいしいなんて……そんな言葉じゃ足りません!!
子供も大人も絶対に大好きな味ですわ……!」
エレナも味を確かめ、満足げに頷く。
(うん、この世界の人たちなら――きっと驚いてくれる)
試食会の日。
厨房に集まった使用人たちは、すでにワクワクでいっぱいだった。
「奥様の新作だってよ!」
「俺、昨日から楽しみで寝られなかった!」
「エレナ様、今日も素敵……!」
エレナが皿を並べると、歓声があがった。
「これが……タルタルソース……?」
「パンにつけるだけで……うっ、うまっ!」
「ポテトサラダ……なんてやさしい味……」
「こっちの炒め物……酒が進む……!」
拍手が起き、会場はまるで宴会のように明るくなった。
「奥様、これは……本当に売れます!
マヨネーズに続いて、大ヒット間違いなしです!!」
「そうですとも! 屋敷中どころか街中が大騒ぎになりますわ!」
エレナの胸に、じんと温かさが広がる。
(みんなが喜んでくれる……それが一番嬉しい)
「エレナが料理を……また、新作を……?」
使用人から聞いたクラウディオが、半信半疑で厨房にやってきた。
そこには、嬉しそうに皿を片付けるエレナと、興奮で顔を赤くした使用人たち。
「旦那様!! 奥様が、またとんでもないものを……!」
「タルタル……サラダ……炒め物……全部革命的です!!」
「ほう……」
クラウディオは皿に残っていたポテトサラダを、ほんの一口――
「…………」
数秒の沈黙。
使用人たちはごくりと唾を飲む。
「……ありえない」
低い声。
しかし否定の響きはなかった。
「これほどの味が、家庭で……? いや、そもそも“こんな料理”は、どこにも存在しないはずだ」
クラウディオの喉が、ごくりと動いた。
「……エレナ、お前は一体……どこまで行くつもりだ」
エレナはにっこり笑った。
「もちろん、“この国で一番の料理上手な奥様”になるつもりよ」
クラウディオの目がわずかに揺れる。
「……好きにすればいい」
そう言いながらも、目はエレナの作った皿から離せなかった。
その日の午後、商会にて。
「奥様ぁぁぁ!! この“タルタル”と“ポテサラ”……!
商品化させてください!!」
「“マヨ炒めの素”とかも絶対売れます!!」
「農家とも契約を広げますから!!」
商人たちが手を挙げて叫ぶほどの熱狂ぶりだった。
エレナは笑いながら頷く。
「じゃあ、みんなで試作品を作ってみましょう。
きっと、もっとおいしくなるわ」
「応っっっ!!」
市場でも、街の食堂でも、領民たちは口々に言った。
「バルツァーリ伯爵夫人の新作、もう食べたか?」
「ポテサラ……あれは罪だ……」
「王都まで広まるのも時間の問題だな」
そして――
クラウディオの耳にも、毎日のように称賛が届く。
(……エレナ。
お前は……本当に、俺の知っている“エレナ”なのか?)
揺らぎは、もう隠しきれなかった。




