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翌朝。
エレナは朝食の席で、ふとフォークを止めた。
(……サラダが、なんだか物足りない)
野菜は新鮮だし、ドレッシング代わりのハーブオイルも悪くない。
けれど、どうしても前世で慣れ親しんだ“あの味”が恋しくなる。
――マヨネーズ。
(この世界、卵も油も酢もあるんだから……作れなくはないわよね?)
そこでエレナの脳裏に前世の知識が蘇る。
卵黄、酢、油、塩少々。
そして混ぜる、混ぜる、混ぜる。
(よし……やってみるわ)
使用人の目を盗んでこっそり台所に向かおうとしたところで、侍女リサにすぐ見つかった。
「奥様? どちらへ……?」
「台所ですわ。少し、試してみたい料理があって」
「お、お料理……また……?!」
リサは嬉しさのあまり目を潤ませてついてきた。
朝の台所は温かい香りが漂い、湯気が立っている。
エレナはエプロンをつけ、使用人たちを驚かせた。
「お、奥様!? 本日もお料理を……?!」
「昨日のお茶会でのお菓子、最高でした……!」
「ありがとうございます。今日は、ちょっと特別なものを作ってみますわ」
エレナは材料を並べた。
・卵黄
・油
・酢
・塩
すると料理長が首をかしげた。
「奥様……卵と油と酢を混ぜて、いったい何になるのです?」
「美味しいものになりますの。……多分」
「た、多分?!」
やや不安げな視線が集中する中、エレナはボウルを手に取った。
(前世の感覚を思い出して……)
卵黄に少しずつ油を垂らし、泡立て器で混ぜ始める。
「奥様!? それ、本当に混ざるのですか!?」
「油と卵が混ざるわけ……」
「混ざってる!? いや、これは……魔法!?」
「違うわ。ただの化学反応ですわ」
最初はしゃばしゃばだった液体が、
徐々に濃く、クリームのように白っぽく変わっていく。
「お、おおおおお……」
「固まってきてます!!」
「な、何ですかこれは……卵の奇跡……?」
「奇跡ではありませんわ。これが“マヨネーズ”です」
エレナは満足げに微笑んだ。
「それでは……まずは味見をどうぞ」
エレナは千切ったパンを差し出す。
料理長が恐る恐るそれをマヨネーズに少しつけ――口に運んだ。
――静まり返る台所。
(ど、どうかしら……?)
すると次の瞬間。
「……う、うまい……!」
「えっ!?」
「料理長が泣いてる!?」
「奥様……こんなものを……どこで……?」
食べた全員の表情が一気にほころぶ。
「まろやかで……コクがあって……生臭さが全然ない……」
「酢の香りが爽やかで……これは新しい味です!」
「サンドイッチに合いそうです!!」
エレナは胸を撫で下ろした。
(成功……した!!)
「奥様! マヨネーズ……これは間違いなく“売れます”!」
料理長が力強く言う。
エレナも同感だった。
(これは絶対、商会の新商品にできる……!)
翌日。
エレナはこっそり小さなサンドイッチ屋台を出すことを決めた。
屋敷の使用人たちが張り切って手伝い、あっという間に準備は整う。
パンにレタス、、薄切りの肉。
小さく切ったゆで卵そこにマヨネーズをたっぷり混ぜたものをサンドする。
香りだけで人々の足が止まるほどだった。
「一つどうぞ。新作の“まろやかソース”ですわ」
エレナは仮の名前で売り始めた。
最初の客が恐る恐る一口――
「……え、なにこれ……美味い……!」
「本当ですか?」
「ちょっと、俺にも一つ!」
あっという間に人だかりができた。
「新しい味だ!」
「こんな柔らかくて旨いサンドイッチ、初めてだ」
「高いけど……これは買う!」
子供が母親の手を引いて駆け寄る。
「おかあさん、こっちのサンドイッチ食べたい!」
「まあ……良い香りね」
そして母親も一口。
「……高級店の味みたいだわ……!」
エレナは誇らしげに胸を張った。
(よし……やっぱり、いける)
午後になる頃には、噂を聞きつけた商人たちがやってきた。
「その白いソース、全部買いたい!」
「いやウチが先だ!!」
「値段は言いなさい、いくらでも払う!」
まさかの“争奪戦”が起きた。
(……えええ!? ここまでとは……!)
使用人たちが青ざめる横で、エレナだけが冷静だった。
(これは……ビジネスになる。しかも大きな)
彼女はバルツァーリ家の当主夫人として、自然と商売の視点が働いていた。
その日の夕方。
執務室に戻ったクラウディオは、部下からの報告を受けた。
「旦那様! 市場で……バルツァーリ家の夫人様が……!」
「エレナが……何を?」
「“新作ソース”を使ったサンドイッチを販売し、大人気になりまして……」
「商人たちが買い占める事態に……」
「これは、商会として正式に扱うべきでは、と……」
クラウディオは固まった。
「…………は?」
まるで理解が追いつかない。
(あのエレナが……市場で販売……?
しかも、“成功”?)
脳裏に浮かぶのは、かつての高慢で子供っぽい少女ではなく――
最近見せる、何かを掴んだような穏やかな笑顔。
(……本当に、別人のようだ)
書類を閉じ、クラウディオは深く息をついた。
(俺が、あの女を誤解している……?)
認めたくない。
けれど、事実は変えられなかった。
――エレナが動けば、結果が出る。
それが、目の前の報告で証明されてしまったのだ。
その夜。
台所で残ったマヨネーズを眺めながら、エレナは小さく呟いた。
(この味を……この世界でも広めたい。
きっと誰かを幸せにするから)
前世で叶わなかった“小さな夢”。
料理で人を喜ばせること。
それを、異世界でようやく実現できる。
(クラウディオにも……いつか食べてもらえるかしら。
ふふ……嫌われてるけど……それでも、気持ちは伝えたいわ)
エレナの指先は、ほんの僅か震えていた。
しかしその瞳は、確かに未来を見据えていた。




