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翌朝。
エレナ・フォン・アーデルハイトは、ふわりとカーテンを揺らす朝日を浴びながら、鏡の前に立っていた。
薄い紫がかったピンク色の瞳は、昨日の動揺をまだわずかに残しつつ、それでも澄んでいる。
もう後戻りはしない。
——この世界で、もう一度生き直す。
その決意は揺らぎようもなかった。
「……よし。数日後、“お茶会”を開きますわ」
自分自身に言い聞かせるように、そっと呟く。
思いついたのは、昨日料理をしたとき、使用人たちの表情が輝いていたのを見たからだ。
彼らの笑顔が、胸の奥をじんわり温めてくれた——それは前世で職場の同僚に差し入れを作って喜ばれたときの心地よさとそっくりだった。
高慢で、使用人を従えるだけの自分に戻りたくない。
誰かと笑い合う場をつくりたい。
その第一歩が「女性だけのお茶会」だ。
ドレスを整えて部屋を出ると、朝の廊下には慌ただしく動くメイドたちの気配があった。
「お、おはようございます、奥様!」
「ご機嫌麗しゅうございます!」
昨日とは明らかに違う、柔らかく、どこか期待に満ちた声だった。
エレナは自然と、にこりと笑った。
「おはようございます。今日は皆さまにお願いがございますの」
「お、お願い……ですか?」
メイドたちが目を丸くする。
「ええ。数日後、屋敷で“女性だけのお茶会”を開きたいと思っておりますの。
今まで私と交流があった上位貴族の令嬢、婦人をお招きするつもりですわ。」
「お、お茶会を……奥様が……?」
ざわめきが走った。
以前のエレナなら、社交界の高位貴族を招き、見栄と格式ばかりを気にするような華美なお茶会しか考えなかっただろう。
だが今のエレナは違う。
「もちろん、無理のない範囲で。
私も準備を手伝いますわ。皆さまと一緒に作り上げたいのですもの」
メイドたちは一瞬固まり、それから——
「……奥様、本当に……」
「な、涙が……」
何人かが、こっそり目元を押さえた。
エレナは慌てて手を振る。
「泣かないでくださいませっ!? そんな大げさな……!」
「いえ……奥様が、このように……わたくしたちに声をかけてくださるなんて……」
「エレナ様……!」
胸がじんとした。
本当に、ここで生き直せるかもしれない。
お茶会当日の午前。
屋敷の一角が、まるで祭りの前日のようににぎやかになった。
「テーブルは庭園に設置しますね、奥様!」
「飾りはどうしましょう? 庭の花を摘んでもよろしいでしょうか!」
「焼き菓子はこちらで準備を進めております!」
エレナはその中心に立ち、メモを片手に、的確に指示を出す。
「テーブルクロスは白を使いましょう。明るい色の方が皆さまが緊張しませんわ。
お花は黄色や白があれば嬉しいですわ。さわやかな色をお願い」
「は、はいっ!」
「お菓子はこちらで焼きますので、奥様は休んで……」
「いいえ、私も焼きますの。生地を混ぜるぐらいならできますわ」
「奥様が……お菓子を……!」
メイドたちの驚きは何度聞いても可愛い。
(うふふ。驚かせてばかりで申し訳ないですわね……でも、楽しいもの)
前世の記憶——大学時代、友達と料理した時間を思い出して胸が温かくなる。
そんな屋敷の空気を察してか、廊下を歩くクラウディオの耳にも自然と噂が入ってきた。
「奥様がお茶会を?」
「ええ、女性だけの集まりだそうで……準備をお手伝いしていただいて……」
「奥様が……? 働いて……?」
クラウディオは足を止めた。
(また……何を考えているんだ、あの人は……)
昨日の料理の件もそうだが、エレナの行動は理解を超えていた。
はっきり言って、混乱している。
“君を愛することはない”
そう突き放した自分に、なぜ彼女は微笑みかけるのか。
なぜ怯えるのでもなく、怒るのでもなく、別人のように穏やかで優しいのか。
(演技……のはずはない。そんな器用な人間ではないだろう。
では……本当に変わったとでも?)
考えれば考えるほど答えは出ない。
とりあえず様子を見ようと、クラウディオは執務室へ向かう途中、準備中のエレナとすれ違った。
「クラウディオ様。本日、お茶会を開きますわ。女性だけのささやかな集まりですの」
エレナは微笑んだ。
その笑顔は作り物ではなく、柔らかく、見ていると胸の奥がざわつく。
(……やめろ。その顔は……)
クラウディオは一瞬、視線をそらした。
「……好きにやればいい」
つい、冷たい声になってしまう。
「はい。ありがとうございますわ」
エレナの返事は、責めるでもなく、傷つくでもなく、ただ丁寧で——
それが余計にクラウディオの心を揺らした。
彼女が歩き去った後、クラウディオは息を吐く。
(……何なんだ、本当に……)
胸のざわめきが、昨日よりも大きい。




