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クラウディオの政治手腕はもともと高く評価されていた。
しかしその出自──“成り上がり”という烙印のような言葉が、貴族たちの偏見を生み、どれほど手腕を見せても「偶然」「運が良かっただけ」と揶揄されてきた。
だが最近、様子が変わってきていた。
「ねぇ、聞いた? バルツァーリ伯爵家の料理改革の話」
「もちろんよ。使用人の健康が大きく改善したんですってね」
「エレナ伯爵夫人が持ち込んだ“味噌汁”が評判らしいわ。胃腸の調子が良くなるとか」
「ふふ……あの夫人、とても可愛らしくて賢いわよね。クラウディオ様のあの表情、見た? 完全に恋してるわ」
貴族たちが集うお茶会や舞踏会では、バルツァーリ家への風当たりが柔らいでいった。
それどころか、今では、敬意の混じった声が聞こえるほどだった。
特に、エレナの功績は想像以上に大きかった。
屋敷の厨房。
新しく導入された出汁の取り方や野菜の扱い、そして“味噌”という謎の発酵食品は、使用人たちの好奇心と敬意を集めていた。
「エレナ様、また新しいお料理を?」
「ええ。今度はペンネとあえてみようと思って、ちょっと胡椒を足して、
きゅうり、ハムなんかを入れると、美味しいのよ。
クラウディオ様も気に入って下さると思うわ」
エレナが微笑むと、使用人たちは皆、誇らしげな顔になった。
気難しいと思われていたクラウディオを、自然と笑わせる存在。
そして、屋敷の皆が健康で働きやすい環境を整えた功労者。
「エレナ様が来てから、この家は本当に明るくなりましたね」
「ええ。伯爵様も……本当に優しくなったわ」
「奥様を心から大切にされているのが、見ていて分かります」
エレナは少し頬を赤らめ、手を休めた。
「……私の方こそ、クラウディオ様に支えられているのよ」
自覚していなかったが、エレナの存在はバルツァーリ家の空気を一変させていた。
それが貴族社会にも波及している。
その頃、クラウディオは政務の場である宮廷にいた。
大理石の廊下を歩く彼に、数人の貴族が歩み寄る。
「伯爵、お時間を頂きたいのですが」
「先日の領地視察の報告、素晴らしかったと聞いております」
「噂を聞きましたぞ。奥方の料理改革、あれは画期的だ」
今までの貴族たちとは打って変わり、明らかに敬意のこもった言葉。
クラウディオは柔らかい表情で応じた。
「ありがとうございます。
すべて、エレナが……私の妻が考えてくれたことです」
その言葉に、貴族たちは目を見張る。
以前の冷たい態度はどこへやら──
彼は今、誇らしげに自分の妻の名を口にしていた。
(私は、変わったのだろうか……)
クラウディオは、胸に手を当てる。
(いや……エレナが、私を変えてくれたのだ)
その日の夕方。
クラウディオは屋敷へ戻り、中庭で読書をしているエレナを見つけた。
「エレナ」
声をかけると、彼女は顔を上げ、あの晴れやかな笑顔を向けてくる。
「おかえりなさい、クラウディオ様」
「……ただいま」
その瞬間、屋敷に帰ったという安堵が胸に満ちた。
「今日はどうだった?」
「貴族たちが……君の話をしていたよ。料理改革について」
「えっ……私の?」
「君のおかげで、使用人たちの健康が良くなったと。領地でも広めようかと考えている貴族もいた」
エレナは目を丸くした。
「そんな……大したことはしていないわ」
「いや、大したことだ。
私は君の仕事を誇りに思う」
エレナの頬が赤く色づいた。
「クラウディオ様……」
「そして……もうひとつ、決めたことがある」
クラウディオはエレナの手をとり、優しく握る。
「私はもう、“成り上がり”と呼ばれるのを恐れない。
名門でも、成り上がりでも……そんなものはどうでもいい」
その言葉は静かだったが、確固たる意志に満ちていた。
「私は、バルツァーリ家を“実力と優しさを兼ね備えた家”にする。
爵位の古さや血筋ではなく、
人を救い、人の役に立つ家に……」
エレナはその決意に心が震えた。
「クラウディオ様……すごい……。
本当に、強くて優しい人……」
「君が……そう思わせてくれたんだ」
「えっ、私?」
「君が屋敷を明るくしてくれた。
使用人を大切にして、誰よりも働き、誰よりも笑ってくれた。
私は……そんな君を、誇りに思う」
エレナの瞳が潤む。
「……そんなふうに言ってもらえるなんて……。
私こそ……クラウディオ様を誇りに思っているのに」
クラウディオは優しく微笑んだ。
「エレナと一緒に歩む未来なら、私はどこへでも行ける」
エレナは胸に手を置き、涙をこらえながら言った。
「私も……クラウディオ様の隣にいられることが、幸せです。
あなたの妻で、本当に良かった……」
その言葉に、クラウディオの胸が熱くなった。
他の誰にも求めなかった温もり。
他の誰にも向けられなかった眼差し。
それが今、自分の妻から向けられている。
(私は……幸せ者だな)
クラウディオはエレナの手を握り、そっと額にキスを落とす。
「これからも、共に生きよう。
どんな未来でも……二人で」
「はい……!」
中庭の風がそよぎ、木々の葉がざわめく。
二人の決意を祝福するかのように。
こうして、
クラウディオは“成り上がり伯爵”を越え、
エレナは“料理改革の新星”として輝き、
二人は王都で最も注目される“愛され夫婦”となっていった。




