表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「君を愛するつもりはない」と言った伯爵様の胃袋をつかんだら溺愛されました  作者: あいら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/27

21

その日、エレナはいつものように朝から屋敷の厨房に立ち、明日の領地視察で振る舞う食事の試作をしていた。

 近頃はクラウディオも頻繁に厨房を訪れるようになり、忙しい政務の合間に、エレナが作る料理の香りを楽しみにしているらしい。


 だが今日に限って姿は見えない。使用人たちの話によると、朝から王宮に呼ばれ、急ぎの文書の確認が続いているという。


(クラウディオ様……昨日は、ちゃんと休めたかしら)


 昨夜、彼は珍しく弱った顔を見せた。政務の負担が積み重なり、肩の痛みを和らげるためにマッサージをしてほしいと頼まれたほどだ。

 エレナは何も言わず、ただそっと彼の肩に手を当てた。最初は緊張していた彼も、次第に身体から力を抜き、最後にはうたた寝してしまった。


(今日は帰ってきたら、温かいスープでも作って差し上げよう)


 そんなことを考えながら、エレナはエプロンを外す。午前の家事を終えた後、彼女は近くの市場へ具材の買い足しに行く予定でいた。


 使用人のローザが心配そうに寄ってくる。


「奥様、おひとりで外出なさるのですか? 最近、物騒な噂もありますし……」

「大丈夫よ。今日は護衛のリカルドも付いてくれるから」


 エレナは微笑んだ。

 まさか、その“物騒な噂”の正体が自分を狙う影だとは、この時はまだ知らない。


 ***


 市場はいつもより人が多く賑わっていた。臨時の祭礼が近いせいで、屋台の準備が進んでいるらしい。

 エレナは、クラウディオが好きだと言ったワインに合う野菜を探し、露店をひとつ、またひとつと巡っていった。


「奥様、あまり人混みに入らないよう……」

「分かっているわ。ありがとう、リカルド」


 護衛の騎士リカルドは、真剣な顔で周囲を警戒している。

 市場の空気には、いつもと違う重さがあった。


 ――それもそのはずだ。


 離れた屋台の陰で、黒ずくめの男たちが、小さく囁き合っていた。


「標的は、あの伯爵令嬢だな」

「ああ。旦那に連れはいるが、騎士一人など問題ない」

「薬もある。さっさとやるぞ。失敗は許されねえ」


 その声は市場の喧騒に消え、誰も気付かない。


 エレナは露店の老婦人から新鮮な野菜を買い、両手いっぱいの袋を抱えながら笑顔を浮かべていた。


「クラウディオ様、喜んでくれるといいのだけど……」


 その一言を合図にするように、闇の手が動いた。


 ***


 エレナが路地を出た瞬間、時間が歪んだかのようだった。


「奥様、後ろ――!」


 リカルドが叫んだ。

 だが言葉が終わるよりも早く、男が二人、エレナの腕を掴んでいた。


「きゃっ……!」

「大人しくしろ!」


 袋が地面に落ち、野菜が転がる。

 エレナは必死にもがいたが、力では敵わない。


 リカルドが剣を抜こうとした、その時――。


「寝てろ」


 すれ違いざまに殴られ、意識を失った。

 さらに背後から現れた男が、何か白い布をエレナの口元へ押し当てる。


 甘ったるい、鼻に刺すような香り。


「……っ、いや……!」


 息を吸った瞬間、視界が揺らぎ、力が抜けた。

 意識が遠のく中、唯一浮かんだ名前はただひとつ。


(クラウ……ディオ……さま……)


 掠れた声がかすかに漏れ、まぶたが落ちた。


 エレナはそのまま闇に沈んだ。


 ***


 男たちは素早く馬車に押し込み、扉を閉める。


「成功だ。急げ、連れていくぞ」


 がたん、と鈍く揺れる衝撃。

 暗闇の馬車は、静かに、誰にも気付かれることなく発進した。


 しばらくして、小さな呻き声が聞こえた。


「……う……っ……」


 エレナの意識が微かに戻り始めていた。

 だが身体は動かない。薬の効果で、まるで糸の切れた人形のように力が入らなかった。


(どこ……ここは……?)


 ぼやけた視界に、粗末な木の天井が見えた。

 揺れる馬車の中、暗い影が二つ三つ。


「起きるな。まだ効いてるはずだろ」

「心配するな。弱い女だ。すぐ落ちる」


 聞き慣れない声が低く笑う。


(……私、誘拐……されたの?)


 理解した瞬間、濁った恐怖が身体を締め付けた。


「……クラウ……ディオ……さま……」


 震える声は、誰にも届かない。

 男たちは気にも留めず、馬車はなおも加速した。


 揺れ続ける馬車の中で、エレナは最後の力を振り絞るように、かすかに唇を動かす。


「クラウ……ディオ様……助けて……」


 その声は吐息のように弱く、儚く消えた。


 しかし、彼女が望んだその名前は――

 確かに、クラウディオの胸を締めつけ、彼を“鬼神”のような決意へと変える引き金となる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ