表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「君を愛するつもりはない」と言った伯爵様の胃袋をつかんだら溺愛されました  作者: あいら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/27

19

 クラウディオが視察に出ると聞いたのは、朝食の席でのことだった。


「数日ほど、領地の工場や商会の支部を回る予定だ」


 淡々とした声。表情もいつもとあまり変わらない。だが、続く一言でエレナの胸はふわりと浮いた。


「……よければ、一緒に来ないか?」


 パンを切っていた手が止まる。


「わ、私がですの?」


 クラウディオは視線を皿に落とし、少し息を吐いた。


「仕事ばかりで、あまり……夫らしいこともしていない。それに、最近は……君が一緒だと、色々と上手くいく気がする」


 言いながら耳がわずかに赤くなっていることに気づき、エレナは思わず笑みを漏らした。


「もちろんですわ。ぜひ、ご一緒させてくださいませ」


 その言葉を聞いた瞬間、クラウディオの瞳に安堵の光が宿る。

 彼の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる瞬間を見た。


 ――まるで、陽だまりのように。


***


 視察当日の朝。

 屋敷の前にはクラウディオのための馬車と、護衛の騎士たち、そして使用人が準備に走り回っている。


「奥様、こちらのクッションは馬車用にご用意しました!」

「お茶とお菓子も積んであります!」


 すっかりエレナに懐いた使用人たちが、次々と気遣いを見せる。


 クラウディオはそんな様子を横目にしながらも、どこか嬉しそうだった。

 いや、嬉しいのだが、嬉しいと悟られたくないという顔だ。


「……皆が、よく働いてくれるようになったな」


 そう呟いた彼にエレナは微笑む。


「あなたが良い主人だからですわ。だから皆、尽くしたくなるのです」


「……いや、それは……君の影響の方が大きい」


 照れくさそうに咳払いをするクラウディオ。

 そんな彼を見ていると、自然と頬が緩んでしまう。


***


 馬車の中は、ふたりきり。

 静かに揺れる音に合わせ、布製のカーテンがやわらかく揺れた。


「視察って……どこまで行くのですか?」


「北の工場を中心に三ヶ所。その後は領主館に一泊する」


「まあ、泊まりですの? 楽しみですわ」


 エレナが嬉しそうに言うと、クラウディオは少し言い淀んだように視線を逸らした。


「……楽しみ、か」


「ええ、とても」


 馬車が石畳の道を抜け、草原が広がる街道へ出る。

 その景色にエレナが目を輝かせると、クラウディオはふと彼女の横顔を見つめた。


「そんな顔で見られると……」


「え?」


「……いや、なんでもない」


 本当は“そんな顔で喜ばれると、どうしようもなく嬉しくなる”と言いたかったのだろう。

 エレナの胸はほんのり熱くなる。


 馬車が揺れるたび、二人の肩がかすかに触れた。

 触れても、離れても、また近づく。


(……なんだか、新婚旅行みたいですわ)


 そんなことを思った瞬間、心臓が跳ねる。


***


 最初の訪問先は、マヨネーズ工場だった。


 到着するなり、従業員たちが勢いよく駆け寄ってくる。


「エレナ様だ! 本当に来てくださったんですか!」

「クラウディオ様と一緒に……なんだか夢みたいだ!」


 エレナは笑顔で答え、工場内を丁寧に見て回る。

 彼女が開発したマヨネーズの生産ラインは順調で、領民たちも活気に満ちていた。


「エレナ様のおかげで、仕事が増えました!」

「冬でも収入が安定するなんて、今までなかったんです!」


 領民たちの言葉に、クラウディオは無言のまま聞いていたが――

 その横顔には誇らしい色が宿っていた。


 やがて彼は、視察の合間に小声で言った。


「……すごいな。君が来てから、何もかも……変わった気がする」


「そんなことありませんわ。皆様が頑張ってくださるからです」


「いや。君だからだ」


 自然に言ってしまったらしく、クラウディオはそこで初めて気づいて、慌てたように視線を逸らした。


 エレナは胸が熱くなるのを感じたが、それ以上は言葉にしない。

 ただ、そっと微笑んで彼の歩みに合わせた。


***


 日が傾き始めた頃、領主館に到着した。


 職員たちが驚きながらも歓迎し、二人は夕食の席につく。

 簡素な地方料理ではあったが、素材の味が生きていて美味しい。


「このパン、とても香ばしいですわ」


「ここの領地は小麦が有名だ。君が喜んでくれるなら、もっと取引を増やすべきか」


 そんな他愛ない会話をしているうち――

 ふたりの距離は自然と近くなっていた。


 食後、エレナがワインを少しだけ口に入れると、すぐに顔が赤くなる。


「だ、大丈夫か?」


「すこし……ほんのすこし、ふわっとしましたわ……」


 クラウディオは慌てて水を差し出す。


「少し酔っているようだ。部屋に戻ったほうが……」


「うふふ……ありがとう、クラウディオ様。優しいのね」


「っ……」


 頬を赤くしながらも、彼はエレナの背を支え、部屋へと連れて戻る。


 廊下を歩く間、エレナはとろんとした目で彼を見つめていた。


「クラウディオ様って……こんなに、頼りになる方でしたのね……」


「……当たり前だ。夫だから」


 その言葉に、エレナはさらに頬を染める。


「夫……ですわよね……」


 足元がふらりと揺れた瞬間――

 クラウディオが咄嗟に腰を抱き寄せた。


 温かい腕に包まれ、エレナはその胸元に頬を寄せる。


「……あなた、やっぱり……素敵ですわ」


「っ……エレナ……」


 誰もいない廊下。

 灯りに照らされた二人の影が、寄り添うように重なっていた。


 クラウディオは深く息を吸い、言葉を探すように唇を動かす。


「……本当に。可愛い人だ」


 今まで誰にも見せたことのない、柔らかな笑み。

 揺らぎ、心を掴まれるような優しい表情。


 その顔を見た瞬間、エレナの胸はきゅっと締め付けられた。


(ああ……また、好きになってしまいましたわ)


 ふらふらと彼にもたれながら、

 エレナは甘い幸福に包まれていた。


 ――気づけば、二人の距離は以前とは比べものにならないほど近くなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ