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「君を愛するつもりはない」と言った伯爵様の胃袋をつかんだら溺愛されました  作者: あいら


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冬の気配が深まりはじめた頃、バルツァーリ家の厨房はいつにも増して熱気に満ちていた。窓の外では冷たい風が吹き抜けるというのに、部屋の中には湯気と香り、そして奇妙な緊張が入り混じっている。


「エレナ様、本当に……これを、焼くのですか?」


 コック長のマルコが半ば呆然としながら尋ねる。彼は長年多くの貴族の厨房を渡り歩いてきた熟練料理人だが、いま目の前にある光景は、彼の常識を軽々と超えていた。


 そのテーブルには、白く透き通った身が美しい真鱈と、新鮮そのものの牡蠣が並んでいた。そして、その横には——エレナがこの世界にもたらした“魔法の調味料”とも呼ぶべきもの、黄金色に輝くマヨネーズ、それに味噌が置かれている。


「はい。この組み合わせは前世の世界で、冬になると家族が喜んでくれた料理なんですの。とても相性が良いんですわ」


 エレナは真剣そのものの表情で、マヨネーズと味噌を混ぜ合わせる。コックたちは、何度見ても慣れないその動作にゴクリと息を呑む。


 味噌とマヨネーズ——発酵の深い旨みとまろやかな酸味。それが混ざり合う瞬間の香りは、厨房中を包み込み、誰もが思わず背筋に甘い震えを覚えた。


「……こ、これはまた……なんと食欲を刺激する香りだ」


「このまま舐めても美味しそうだわ……!」


 使用人の女性たちが自然とざわめく。


「いけませんわ、味見はちゃんと完成してからですのよ」

「は、はいっ!」


 エレナの優しい叱りに、彼らは背筋を伸ばして返事をした。


 彼女は真鱈の表面の水分を丁寧に拭き取り、味噌マヨをたっぷりと塗っていく。続けて牡蠣にも同じように衣をまとわせた。白い身に黄金色のソースが乗ると、視覚的にすでに“旨い”という情報が伝わってくる。


「エレナ様、オーブンの温度は……?」


「強火に近い中火で、焼き過ぎないように。味噌が焦げやすいので、様子を見ながらお願いしますわ」


 いつもは柔らかい印象のエレナだが、料理の場では凛とした気迫がある。その姿に、使用人たちは憧れと尊敬のまなざしを向けた。


「さあ……焼きますわよ」


 オーブンに真鱈と牡蠣が入れられた瞬間、厨房はひとつの巨大な期待で満たされた。



 その頃、クラウディオは執務室で領地関連の書類に目を通していた。だが、集中できない。廊下の向こうから、何ともいえない芳香がずっと漂ってくるのだ。


(……味噌。マヨネーズ……そして魚介?)


 彼の鋭い嗅覚が、それらの組み合わせを瞬時に理解する。だが、“理解する”というより、“感じ取る”と言った方が近いだろう。


(料理からここまで香りが届くなど……一体、何を作っている?)


 落ち着かず立ち上がると、彼は無意識のまま厨房に向かっていた。以前の“愛するつもりのない妻”の頃なら、こんな行動は絶対に取らなかっただろう。


 扉を開けると——


「んっ……!」


 クラウディオは思わず言葉を失った。


 オーブンの隙間から溢れる香り。焼けた味噌の香ばしさが立ち上り、マヨネーズが熱でとろけ、魚介の旨味を引き立てている。こんな香りは聞いたことも嗅いだこともない。


 エレナは彼に気づき、微笑んだ。


「あら、クラウディオ様。丁度いいところに来られましたわ」


「……これは、何だ?」


「真鱈と牡蠣の味噌マヨ焼き。冬の贈り物ですのよ」


 香りに当てられたクラウディオは、わずかに頬が熱くなる。


「……贈り物?」


「ええ。領地の皆様にも近いうちにお届けできたらと思っておりますの。この冬を元気に乗り越えられるように」


 “領民の健康”——それは、彼が常に考え続けてきた課題だった。劣悪な冬を越えるための栄養管理、それを料理で補おうとする妻の姿に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。


(エレナ……君は、本当に……)


 好きになっていく気持ちに気づくのが、怖いほどだった。



 やがて料理が焼き上がった。ふわりと立ち上る香りは、ただの料理ではない。“力”があった。


「さあ、皆さん。少しずつですが、味見をどうぞ」


 エレナが皿を差し出すと、使用人たちは遠慮しながらも手を伸ばした。


「……っ! な、なんですこれ……!?」


「身が……柔らかい! ほろほろです!」


「味噌の深みとマヨネーズのまろやかさが……魚にこんなに合うなんて……!」


 口にした全員が、最初の一口で表情を変える。そのどれもが衝撃を受け、幸福に満ちていた。


「エレナ様……これは、たぶん……とんでもないことになりますよ……」


 コック長の震える声に、エレナはにっこりと微笑んだ。


「そうですわね。私も、これは“革命料理”になると思っておりますの」



 その噂は瞬く間に広がり、数日後には材質国——味噌の生産国の“大商人”が屋敷を訪れた。


「この味噌マヨ……ぜひ我が国でも扱わせていただきたい! この味は、国の誇りを新たにする!」


 その言葉にクラウディオは驚く。まさか味噌の生産国自身が、マヨネーズの輸入を希望するとは。


「……味噌の国が、マヨネーズを……?」


「はい! 味噌と合わせた時の広がりは、今までにない価値を生む! これは当国の料理を変えます!」


 外交すら動かす料理。この世界では、食文化こそ国の財ともいえる。味の革新は、貴族の外交政策に匹敵する力を持つのだ。


(エレナ……君は、本当にすごい)


 クラウディオの胸に誇りが広がる。



 後日、王宮の大臣がわざわざバルツァーリ家を訪れた。


「クラウディオ伯爵、大変素晴らしい功績ですぞ。料理という形で、国際的な橋を築くとは……あなたの家は、まさに新時代の貴族の姿ですな!」


 クラウディオは、褒められる理由を静かに否定した。


「……違います。すべては、妻——エレナのおかげです」


 声には迷いがなかった。


 同時に、胸の奥でひとつの思いが静かに形を結ぶ。


(エレナを……誇りに思う。

 そして——この先、彼女を支えたい)


 その思いはもう、否定しようのないほど強く、確かなものになっていた。

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