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「君を愛するつもりはない」と言った伯爵様の胃袋をつかんだら溺愛されました  作者: あいら


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マヨネーズ工場が本格的に稼働し始めてから、もうすぐ三週間。

 バルツァーリ領の市場では、連日見慣れない光景が起きていた。


 白い瓶を両手で抱えた料理人たちが、

「あと一本! あと一本でいいんだ!」

と店先で押し合いへし合いしている。


 庶民の屋台では、串焼きの横に並ぶ“白いソース”が飛ぶように売れ、

「肉が柔らかく感じる」

「子どもが野菜を食べるようになった」

「揚げ物の味が変わる!」

などの評判が、まるで火がついたように広がっていた。


 その噂は、王都にも届く。


 ――いや、王都どころか、王宮にまで。


 きっかけは、ひとりの“王宮勤めの侍女”だった。


「奥様、奥様! この前のお茶会で出たサンドイッチ、とても美味しかったのです。

 王宮の厨房でも真似をしたいのですが、どうしてあのような味が?」


「バルツァーリ伯爵夫人が作った“新しい調味料”らしいわよ」


「まあ……王宮では出ないのかしら? 私はまた食べたいのに……」


 これが連鎖のように広がった。


 ある公爵夫人は、夫に「王宮の料理は古い」と文句を言った。

 ある伯爵は、宴会で“白いソース”を取り寄せ、客たちを驚かせた。

 ある料理店では、貴族が連日押しかけて離れない。


 そしてついに――。


「……妻が、私を責めたのだ」


 王宮料理長、ガストーネは嘆息混じりにそう呟いた。


 王宮の厨房を三十年以上取り仕切り、

気難しさと頑固さで知られる“料理界の巨匠”。

その彼が、妻からの言葉に心を動かされた。


「『どうして王宮では出さないの?』『あなたの料理より美味しい』……

 くっ……屈辱だ」


 しかし、屈辱よりも好奇心が勝った。


 王宮でこれまで扱ったことのない調味料。

それが、貴族女性の舌を虜にしているという。


 料理長は立ち上がり、側近に命じた。


「その“白い調味料”を作った女性――

 アーデルハイト伯爵家長女であり、バルツァーリ伯爵夫人……

 エレナ殿に、王宮への正式招待状を送れ」


 こうして、バルツァーリ家に黄金の封蝋が押された招待状が届けられることとなる。


 ***


 その日、エレナは屋敷の庭でローズヒップティーを飲んでいた。

 のんびりした時間は珍しい。

試作、工場の監修、厨房の研究と、外から見えないところで忙しく過ごしていたからだ。


「奥様、王宮より招待状が……!」


 使用人が駆け寄り、緊張した手で封筒を差し出した。


「王宮……?」


 隣にいたクラウディオがすぐに反応する。


 封筒の表には、王家の紋章。

 開封する指先が震える。


 ――王宮より新調味料の試食会のため厨房へお越し願いたい。


 と、丁寧な文面で記されていた。


「……これは、ただの招待じゃない。

 王宮料理長が、本気で君の作ったものに興味を持っている」


 クラウディオの青い瞳がわずかに揺れる。


「断ることもできる。プレッシャーも大きいはずだ」


「……いいえ、行きますわ」


 エレナは迷いなく答えた。


 “選ばれた”という実感よりも、

 “前世で果たせなかったことを、この世界で果たす”という想いの方が強かった。


 クラウディオは一瞬、見惚れるように彼女を見た。


(ああ……この強さが、俺の知らないエレナなんだ)


 結婚当初には決して気づけなかった輝き。

胸の内に、言葉にできない熱が灯る。


 ***


 王宮へ向かう馬車の中は静かだったが、

その沈黙は決して暗いものではなかった。


 エレナは窓の外を眺めながら、ゆっくり深呼吸をした。


「緊張しているのか?」


「……少しだけ」


「大丈夫だ。君ならできる」


 クラウディオの言葉は、不器用でまっすぐだった。


 胸の奥が温かくなり、

エレナはそっと笑う。


(この人が、こんなふうに励ましてくれるなんて――

 あの“冷酷な宣告”の夜には、想像もできなかったわね……)


 馬車が王宮の門をくぐると、

見上げるほど高い白亜の城壁が迎えた。


 壮麗な宮殿の中を案内され、

エレナは広大な王宮厨房へ足を踏み入れる。


 高い天井。

 磨き上げられた石の床。

 幾つもの火口が赤く燃え、

 料理人たちが整然と動く。


 その空気は、まるで戦場のように張りつめていた。


「……ここが、王宮の厨房」


 思わずつぶやいたエレナに、

料理人の視線が一斉に集まった。


「彼女が“例の調味料”を?」

「伯爵夫人が料理を……まさか」

「見た目は普通の娘だな……」

「いや、あの瞳はただ者じゃない」


 ひそひそ声が飛び交う。


 だがエレナは堂々と前に進んだ。


「本日は王宮にお招きいただき、ありがとうございます。

 どうぞよろしくお願いいたしますわ」


 丁寧で美しい一礼に、ざわめきが止まる。


(な、なんだ……この品格……)

(しかも謙虚だ……!?)


 意外すぎる“令嬢らしさ”に、料理人たちが圧倒される。


 その時、重い足音が響いた。


「よくお越しくださいました、エレナ殿」


 王宮料理長ガストーネが現れる。

白髪混じりの厳つい顔、長い口髭。


 だが目は鋭く、料理に一切妥協しない男のそれだ。


「あなたが……“白い魔法の調味料”を生み出したと?」


「魔法ではありませんわ。

 材料を丁寧に合わせるだけの、普通の調味料です」


「ほう……。

 簡単に作れるなら、なぜ今まで誰も作らなかった?」


 ガストーネは試すような視線を向ける。


「簡単だからこそ、難しいのだと思いますわ。

 全ての素材が喧嘩せず、引き立て合うように混ぜなければなりませんもの」


 その答えに、料理長の眉が上がった。


(……この娘、ただの貴族夫人ではない)


 ***


 エレナは持参した材料を並べた。


・卵

・酢

・油

・塩

・砂糖

・辛子少々


 調味料ではなく、どこにでもある素材ばかり。


「これだけであの味が出ると……?」


「はい。すぐに作ってみせますわ」


 エレナは卵を割り、調味料を加え、ゆっくりと撹拌を始める。


 まるで儀式のような動き。

彼女の指先は丁寧で、迷いがない。


(エレナ様……手先が不器用なはず……?)

(いや、料理のときだけは別なのだ)


 クラウディオは複雑な気持ちで彼女を見つめた。


 材料が混ざり合い、やがて――

淡い白色のクリームが滑らかに光を帯びる。


「……できましたわ」


 ボウルを傾けた瞬間、厨房全体がざわめいた。


「おお……」

「なんて艶……」

「卵と酢で、こんなふうに……?」


 ガストーネは震える指でひと匙掬い、口へ運ぶ。


 ――数秒の沈黙。


 そして。


「……これは……」


 目を見開く。


「……素材の旨味が……生きている……!

 余計な塩分も油も必要ない……!

 これは、調味料の革命だ……!」


 料理長が声を上げた瞬間、厨房が沸いた。


「す、すごい……!」

「何だこの味は……!」

「いくらでも食べられる……!」

「料理の幅が広がる……!」


 エレナは深々と頭を下げた。


「お気に召していただけて、本当に嬉しいですわ」


 ガストーネはその姿に、さらに感服した。


(高貴でありながら、驕らない……

 この娘は……“真の料理人”だ)


 ***


 試食会はさらに続く。


 エレナが次々に料理を作り上げるたび、

厨房の空気は熱気を増し、歓声で満たされていった。


 白身魚のマヨ焼きは、

香ばしい表面と柔らかな身が完璧な調和を見せ、


 温野菜のマヨソースは、

野菜本来の甘味が引き立ち、


 サンドイッチは一口で幸せを呼ぶ味になった。


 そして、タルタルソースを添えた揚げ物が完成したとき――。


「……これは……陛下にぜひ……!」


 ガストーネが震える声で言った。


「エレナ殿。

 この調味料、ぜひ王宮へ納めていただきたい」


「王宮へ……?」


「いや……それだけでは足りぬ。

 いずれは陛下自らの御前で、

 あなたの料理を披露していただきたい」


 周囲の料理人たちが息を呑んだ。


「お、王の前で……」

「そんな栄誉を……」

「まさか本気か……?」


 クラウディオはエレナに視線を向ける。


「どうする? エレナ」


 彼女は一瞬だけ迷い――

力強く頷いた。


「……お受けいたしますわ。

 この調味料が、誰かの幸せになるなら」


 ――その瞬間。


 クラウディオは確信した。


(ああ……俺は、もう……

 完全にこの人に惹かれている)


 美しさでも、気品でもない。

 強さと優しさに、心が奪われたのだ。


 ***


 その日のうちに、

エレナの名は王宮の公文書に刻まれた。


『アーデルハイト伯爵家長女、

  エレナ・フォン・アーデルハイト。

 王宮料理長ガストーネ推薦――

 新調味料および献立開発者』


 馬車で屋敷へ帰る途中。

夕陽が差し込む車内で、クラウディオはふと呟いた。


「……君は、本当にすごい人だ」


「まぁ……わたくしなんてまだまだですわ」


 照れた笑顔が、夕陽に透けるように輝く。


 見た瞬間、胸が締め付けられた。


(……こんな気持ち、いつから……?

 いや、もう考える必要はない)


 クラウディオはそっと、エレナの手を取った。


 エレナは驚き、そして微笑む。


 二人の距離が、またひとつ近づいた――。

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