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「君を愛するつもりはない」と言った伯爵様の胃袋をつかんだら溺愛されました  作者: あいら


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 荘厳な鐘の音が、青空に吸い込まれるように鳴り響いていた。

 王都の中心、大聖堂で行われた結婚式は、まさに国の未来を祝うような華やかさに満ちていた。


 ――今日、私は伯爵令嬢エレナ・フォン・アーデルハイトから、バルツァーリ伯爵夫人になるのですわ。


 大理石の祭壇前で誓いを交わした瞬間、エレナの胸を満たしたのは、何よりも“勝利感”だった。


 クラウディオ・バルツァーリ。

 成り上がりと言われながらも商業の才覚で伯爵位まで上り詰めた若き当主。

 バルツァーリの財力と、アーデルハイトの歴史を計算した上での政略結婚。


 社交界の中でも名門と呼ばれるアーデルハイト伯爵家の相手としては、

 格下感はいなめないが、この私が嫁いだのなら、

 社交界でも注目されるようになるのだから、感謝されるべきだと思う。 


 エレナは自分の淡い金髪を揺らしながら、祝福の言葉を並べる重鎮たちに優雅に微笑み返す。


「本日は素晴らしい式でしたわね、伯爵夫人」

「ええ、みなさまのおかげで、わたくしも幸せでいっぱいですわ」


 お嬢様口調に磨き抜かれた微笑み。

 それを見た高位貴族たちは「さすがアーデルハイト家の令嬢だ」と満足げに頷く。


 だが、その輪から少し外れた男爵や騎士爵の若い女性たちは、露骨に距離を取っていた。


「ねぇ……あの人、本当に感じ悪くない?」

「名前を聞かれた時のあの表情……“あなた誰?”って顔よ」

「まぁ、伯爵夫人だもの。わたしたちなんて下に見えるのでしょうね」


 陰口など聞こえないふりで、エレナは自信たっぷりに胸を張る。


(下位貴族にどう思われようと構いませんわ。大切なのは、わたくしが誰よりも華やかで、注目を浴びていること――)


 そう信じて疑わなかった。






 披露宴が終わり、馬車でバルツァーリ伯爵邸へ到着した頃には、夕陽が屋敷の外壁を紅く照らしていた。


 玄関ホールでは、並んだ使用人たちが深々と頭を下げる。


「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」


 エレナは当然のように顎を上げて応えた。


「今日からこの家の女主人ですわ。よろしくてよ」

「は、はいっ……! 奥様……!」


 使用人たちはどこか緊張している。

 アーデルハイト家は礼儀に厳しいと有名で、エレナがどれほど“完璧”を求めるのか、不安に思う者も多かった。


 そんな空気をよそに、エレナは階段を上がりながら、クラウディオを振り返る。


「披露宴では、ほとんどわたくしと会話してくれませんでしたわね。夫婦になったのですから、もっと寄り添うべきではなくて?」

「……」


 クラウディオの瞳が、一瞬だけ冷たく揺れた。


 その違和感に、エレナはまだ気づかない。


 二人きりになったのは、広い応接室に入ってからだった。


 重い扉が閉じられ、静寂が満ちる。


 クラウディオは背筋を伸ばし、エレナの方へ向き直った。


「話がある」

「……ええ、もちろんですわ。夫婦の“初夜”ですものね?」


 エレナは意地悪く微笑む。

 クラウディオが照れるかと思えば――。


「君を愛するつもりはない」


 淡々とした声。

 そこに温度はひとつもなかった。


「……え?」


 エレナは耳を疑った。


「形だけの結婚だ。それだけは覚えておいてほしい」


 鼓動が、一瞬で冷たくなる。


「冗談、ですわよね……?」


「冗談ではない」


 エレナの胸に、痛みが走る。


(どうして……? どうしてこんな……?)


「理由は……理由を伺ってもよろしいかしら……?」


 声が震える。

 完璧だったはずの笑みも、維持できない。


「君は――

 自分がどれほど周囲を見下し、どれほど傲慢か……気づいていない」


「っ……!」


「君が私の妻になると決まってから、使用人から、騎士から、商会の者から……何度も忠告を受けた。“あの令嬢とは距離を置くべきだ”と」


「な……っ、わたくしが、そんな……!」


「……今日の披露宴でも、下位貴族を明確に見下していたな」


 見ていたのだ。

 クラウディオは、あの時のエレナの態度を一つ残らず見ていた。


「わたくしは……伯爵家の娘として当然の――」


「当然ではない」


 バッサリと切り捨てられ、エレナの言葉が止まる。


「君の振る舞いは、傲慢で、幼い。

 そんな女性を愛することはない」


 冷たい言葉が、胸に刺さる。


 エレナは、膝から崩れ落ちそうになった。


「……っ……」


 いたたまれない沈黙。

 クラウディオはそれ以上何も言わず、部屋を出ていこうとする。


(いや……待って……どこへ行くの……?)


「ま……っ……」


 手を伸ばそうとした瞬間、視界が揺れた。


 胸が痛い。

 刺すような痛み。

 呼吸が吸えない。


「――っ……!」


「……エレナ?」


 クラウディオが振り返った時には、遅かった。


 エレナの体がふらりと傾き、床へ倒れ込む。


 意識が落ちる瞬間、エレナの脳裏に、別の光景が流れ込んできた。


 白い光。

 ビル。

 スマホ。

 電車。

 スーパーの調味料売り場。

 フライパンから立ち昇る湯気。

 醤油の香り。


(……これは……わたし……?)


 21歳の自分。

 台所に立つ自分。

 友達に料理を振る舞って笑っている自分。


そして、いきなり道路脇へと視点が変わる。

 私に向かって突っ込んでくる車……

 その直後――眩しいライト。

 クラクション。

 衝撃。


(……交通事故……わたし、死んだんだ……)


 次の瞬間。

 すべてがつながった。


(エレナとして生まれたわたしの中に……日本人の記憶が……!)






 目を開けると、柔らかい寝具の上にいた。

 見慣れない天蓋の揺れる天井が見える。


 クラウディオの声が近くで聞こえた。


「気がついたか……?」


 エレナはぼんやりと彼を見つめる。

 その視線は、もう“前のエレナ”ではなかった。


(そっか……エレナって、前の私は……確かにわがままで、傲慢だったんだ……)


 クラウディオが距離を置いた理由も……わかる。


 胸が、ズキッと痛んだ。

 けれど、先ほどとは違う。


(……仕方ないよね。愛されないのは当然だった)


 今のエレナの瞳は、静かに澄んでいた。


「……ごめんなさい」


 その一言に、クラウディオは驚いたように目を見開いた。


「無理に、わたくしを愛さなくていいですわ。

 わたくし……いえ、“わたし”が、未熟だったんですもの。

 だから……大丈夫です」


 泣きながら叫ぶと思っていたクラウディオは、言葉を失った。


 静かで、落ち着いた、優しい声。

 けれどどこか、遠くを見ているような表情。


 彼は初めて、エレナを“見直す”という感情を覚えた。


「わたし……この世界で、もう一度人生をやり直しますわ。

 幸せに――自分で、なれるように」


 エレナの決意は、静かに、しかし確かに輝いていた。


 その瞬間、クラウディオの胸が小さく締めつけられた。


(……何だ、この気持ちは)


 彼はまだ知らない。


 この穏やかな決意が、

 一度は拒絶した妻を――

 彼の人生の“光”に変えていくことを。

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