9.ラスタの頼みごと
では帰りましょう、とナビ頼りに空を走る。空路特有の一直線だ。
ステルスモードだと危険を察知したら迂回してくれたが、代行モードはどうだろう。
「ダイコウは確かに凄いが、このスキルの一番凄い所は、その精巧な地図じゃないかな」
後部座席からナビ画面を見て、ラスタさんがそう言った。
「魔境のマップ…それも全景マップだ。とんでもない価値になる」
「そ、そうか…でも、俺がこれを模写して魔境のマップです、て言っても誰も信じませんよね」
「まあ、そうだな」
そうでしょうとも。
けど、行ったことがない場所の地図が自動で表示されるって、確かに凄い事だ。この世界の地形が全部この中に入ってるんだもんな。落ち着いたら、ゆっくり眺めてみるのも良いかもしれない。
ウンウン、と1人感心していると「よく分かってなさそうだな…」と静かに呟くラスタさん。何でしょうか。
「貴族や悪どい連中の耳に入らないよう、用心しておくべきだ」
「ああ…そうですね。スキルの事は、人に言いふらすつもりは無いです」
「その方がいい」
移動が馬車か船の世界だろ?絶対「よこせ!」てなるに決まっている。ゴタゴタの種だ。
ていうか、貴族いるんだ。関わりたくはないが、ちょっと見てみたい。ドリル髪のお嬢様って本当にいるのかな。
「シマヤは地上へ戻ったら、故郷へ帰るのか」
ナビ画面を眺めながら、ラスタさんがふいに尋ねてくる。
俺は正直に答えた。
「故郷はもう、あのー…戻れないんで…どこかで仕事探して暮らしていこうと思ってます」
自分で言っていて辛くなり、つっかえてしまった。「ドルトナって、暮らしやすいんですかね?あ、せっかくこんなスキルあるから、良さげな街を見つけるのもいいかもですね」と話して紛らわす。
「クルマがあっても戻れないのか…すまない、余計な事を聞いたな」
彼は察してくれたようだ。運転中なので顔を伺えないが、声が気まずそうに沈んでいる。
「ドルトナの街は少し立ち寄っただけでよくは知らないが…僻地だからな。どうせ今から住む所を探すなら、もっと賑やかで大きな街でもいいと思う」
「ほうほう。例えば?」
「そうだな…やはり、キーストリア王国だろうか。王都は職探しに最適だし色々快適だ。食べ物も旨い。食べ物の街といえば、山間の……」
突如、言葉が途切れる。彼はナビ画面から顔を上げ、窓の外を確認している。どうしたんだ。
ナビをちらりと見やると、街壁は既に超えているようだ。最奥のエリアに戻ってきた。
「まずいな。ジズが集まってきてる」
「えっ!?」
「降りて隠れよう。あの数相手は無理だ」
「ええ!??」
途端にパニックになりかけながら、大急ぎでアクセルを踏む。じりじりと下降して朽ちた大通りに着地すると、すかさずナビを鬼タップ。
「ステルス運転モードへ移行します。車外へ出るときは安全を確認しましょう」
「ギュルルルアーッ!」
「ギャァァーッ!?」
暗く曇った上空から、聞き覚えのある鳴き声がする。良かった、まだ少し遠い。大急ぎで移動して撒かないと。
「上空だとジズに気取られるのか。遮蔽物がないもんな」
「ま、まだ追ってきますか?!」
「わからない。見えない」
冷静だなこの人。俺はアクセルを踏みつけて、大通りを走り抜ける。「ルートを変更しました」と知らせるナビの指示に沿って、ゴーストタウンを進んだ。
やがて恐ろしい鳴き声は遠ざかり、ずっと後ろの上空に3体の影が旋回しているのを確認できた。ジズたちはこちらを見失ったようだ。
「ヒィ……マジでよかった…」
「怖かったな」
「全然そうは見えないですけど…」
「いや。久しぶりに、もうおしまいかと思った」
本当かよ。歴戦の人って、情緒こうなるのか?
気を取り直して帰路に着く。さっきは必死のあまり乱暴な運転になったので、ふんわりアクセルの安全運転だ。
ステルスモードだと擦ったりする心配はない。分かっちゃいるけど、怖いもんは怖かった。どうしても「ぶつけたら終わり」という日本での感覚から抜け出せない。
「なあ、シマヤ」
「え?はい」
「実は、頼みがあるんだ」
後ろから改まって声をかけられて、俺は運転から気をそらす。どうしたんだろう。
「シマヤのスキルを見込んで…俺の持っていた剣を翳りの湖という場所へ届けてもらえないか」
剣?なんで湖?
不思議な申し出だ。一体どういう事かと、詳しく聞いてみる。
ラスタさんには、翳りの湖という場所で手に入れた愛剣があった。
そこは人を寄せ付けない深い森に守られた湖で、神々の意思が宿るという聖剣が太古から収められている場所だった。
聖剣は持ち主を選ぶ。魔王を退ける力を持つ者にしか振えず、ラスタさんはそれを手にした事で勇者と呼ばれるようになった。
「だが、俺は勇者ではなかった。こんな場所にあっても、仕方のない物だ。いつか本当に世界の危機が来て、あの剣が必要になる時が……本当の勇者が、現れるかもしれない。その時の為に、あるべき場所へ戻したい」
きっとあれか。ファンタジーによくある、勇者の剣ってやつか。そこは何となくピンときた。
剣に選ばれた勇者が仲間たちと困難を乗り越え、魔王を倒す。ゲームや漫画に良くある展開だけど、きっと色々な事情で上手くいかなかったんだろう。
でも、そりゃそうだよな……ここは物語の世界ではなく、現実なんだから。
「正直言って、俺は勇者の肩書きを投げ出せた事にホッとしている。もうあんな目に会いたくはない。マジでしんどかった」
ああやっぱり。弱冠、素が出ていらっしゃる。
そもそも、今の時代に魔王はいない。かれこれ数百年現れておらず、お伽話の存在となりかけているらしい。
魔王がいないなら、勇者は何をするのかというと、ひたすら王様のお願いを引き受けていたという。あっちに強い魔物が出た。あの貴族の様子がおかしい。怪しい魔族の集会を潰してくれ。…果ては隣国の動きがきな臭い、国を守らなければ、と言い出し始めた所で、ラスタさんは逃げるように魔境へ向かったのだった。
「うわー…」
「投げ出すからには、自分で返しに行くべきだと分かっている。だが…我儘な事だが、もう地上へは戻りたくないんだ」
ラスタさんはいつも通りの無表情だが、声は気まずげに沈んだままだ。けど、俺には何とも言えないし何とも言う気はなかった。
「それに、流石にあいつと一戦した後、ここを出て長旅に出られる自信がない」
「あいつって…あ、ボスさんですか?」
「剣はいま、あいつが持っている。返してくれと言えばきっと戦う事になる」
「なんで!?」
少女ボスに敗北した際、勇者の剣は「これはわしの戦利品。いわばお主のドロップアイテムよ!」とよく分からん理由で奪われてしまったらしい。
何だか深い意味はなさそうだから、事情を話せば返してくれるんじゃないだろうか。
「かもしれないが、えらく気に入っていたからな。遊び半分で面白がって『では取り返してみせよ』と言い出す可能性が高い。多分そうなる」
「そうですかね…?」
そういえば以前、少女ボスがラスタさんの剣について「あれは見事な剣だ」と話してたのを思い出した。その後「どこにやったか忘れたが」とか言ってなかったか?
俺は何とも腑に落ちなかったが、ラスタさんは完全に一戦の構えだ。少女ボスと戦えば無傷では済まないから、代わりに湖へ返してきて欲しい、という。
「湖のある森には魔物が出る。ベラトリア程ではないが、閉ざされた危険な場所だ。無理にとは言わないが…もし引き受けてくれるなら、俺の持ち物を可能な限り譲ろう」
太っ腹や。妙に装備品やドロップアイテムをくれようとしたり、レベル上げにかなり協力的だったのは、そういう事だったんだ。
いわゆる、ウィンウィンってやつだ。親身になってくれた事に変わりはないし、俺はレベルが上がって地上へ行く手段を得られた。
引き受ければ、お礼になるんじゃないか。
「そんな神聖そうな場所、俺みたいな一般人が入っても大丈夫なんですか?」
「ああ。立ち入ったからといって、咎められるような所じゃない」
ただ、さっきも言ったように魔物と出くわすのは覚悟がいる。ジズみたいなとんでも怪物はいないらしいので、ステルスモードは使えそうだ。
「そういうことなら…やってみます」
「いいのか」
「ラスタさんは恩人ですし、色々貰えるのは助かります。俺、文無しなんで」
「ありがとう……ありがとう、シマヤ。勿論、地上で住む場所が見つかって、落ち着いて暮らせるようになってからでいいから」
「いいんですか?…1、2年かかるかも」
「全く構わない」
わー、やった。路銀ゲットだぜ。
何だか安請け合いした気もするが、全然悪い話では無い。落ち着いてからでいい、の一言はありがたいね。そしてお金がとてもすごくありがたいネ!
「あとは、何とかあいつを宥めよう…」
やはり戦う気なのか。
「対話もなく襲いかかるような品のない真似は嫌だ」なんて言っていた少女ボスが、本当に勇者の剣返却を渋って戦ったりするのか?嫌がらせはしてきそうだが…。
実際どうなのかは、この後すぐに判明した。
ーーー
ラスタさん宅の、通りを挟んだ向かい側。ヨーロピアンな街並みに全く似つかわしくない、現代の建築物がデデンと悪目立ちしている。
俺が昼飯を買うのによく使っていたコンビニが、そこにあった。
「いらっしゃいませ!何だ、遅い戻りではないか」
見慣れた自動ドアが開くと、これまた聞き慣れた入店音が鳴るのに驚く。昨日まで入店音なんてなかったのに。
どうやら、遠慮なくズカズカ記憶を覗かれているらしい。嫌だな。
「……俺の野菜が」
後ろでボソリとラスタさんが呟く。入って対面の、現実だとおにぎりや弁当が入れられてるケースに、ぎっしりと芋や葉野菜、薬草的なものが陳列されていた。
「どうじゃ、綺麗に並んでおろう。使う時は手前から取れ。奥から取ったら許さんぞ」
「勝手にマジックバックから出すなよ。悪くなったら勿体無いだろう」
「仕方なかろう、他に食い物がないのだから。何しろこんびには、商品の半分以上が食い物だ。のう?」
レジカウンターの上に座ってふんぞり返る少女ボスが、俺に同意を求める。俺は「あ、そうですね」と短く頷いた。
少女ボスはどうやらラスタさんの持ち物で、できる限りコンビニ内装を再現する気のようだ。雑誌コーナーには数冊の本と、大量のスクロールが並べてある。飲み物のショーケースには瓶詰めの物(ポーション類や謎の粉末、どう見ても目玉にしか見えないモノまである)が陳列され、それっぽく見せようという努力の跡が伺える。
だが殆どの棚がどうしてもガラガラになる様で、少女ボスは不満気だ。
「さ、早う今日の成果をここに出すのだ。わしが陳列してやろう」
「その前に……ああ、ちょうど良かった」
スタスタと彼はコンビニ店員の入るカウンターへ侵入し、贈答品やお歳暮なんかがディスプレイされる棚の前に立った。
そこにあるのは勿論お歳暮ではなく、美しい細工の鞘に収まった一振りの剣だ。
「おい、コラお客様よ。無断でこの中に……」
「これを返してもらうぞ」
ぷりぷりと怒って注意していた少女ボスが、ラスタさんのその一言でピタリと口を閉じた。
そのまま、しんと静かな間があく。
気のせいか背筋がひんやりとしてきて、思わず身体が硬直した。
「ほぅ…これは驚いた。そんな物に今更、何の用がある?勇者のなりそこないよ」
少女ボスは口元にうっすら笑みを浮かべているが、声が聞いたことないほど低い。いつもの調子とは明らかに違う雰囲気に、俺はすっかり気圧されてしまった。突然どうしたってんだ。
「これはお前のものじゃない。あるべき所に、返させてもらう」
「つまりは、ここを出て行くと……わしとやる気か?」
ラスタさんがそれに何か返そうと口を開いた途端、パッと音もなくその姿が消えてしまった。
驚きと恐怖で声も出ない俺を一瞥して、少女ボスはすいと宙に浮かんだ。
「命が惜しければ、どこぞにすっ込んでおれ」
ゾッとするほど冷たい声でそう言うと、彼女も同じ様に一瞬で消えていった。