5.この車、飛ぶらしい
数時間後。
「ふむふむ、つまりこいつで鍵をかければ、お主はクルマを持ち運びできるし好きな所で出し入れもできる、というわけじゃな?」
「返して……」
穏やかに晴れた空の下、ラスタさんの家から少し離れた街の広場で、少女ボスは俺から奪った車のキーをひらひらと掲げた。
買ったばかりでキーホルダーの一つもついていないカギは、ひどく頼りなさげだ。しかし、絶対に紛失するわけにはいかない大事な物であることが判明した。…あれ、それは元いた世界でも同じか。
「こいつが失せ物になった時が、お主の運の尽きというわけだ。ポーイ!」
「わーー!」
少女ボスは無邪気に笑うと、あろう事が全力で振りかぶって俺のキーを放り投げる。もうこのクソガキ、本当に勘弁して。
「何すんすか!」
「何もかにもあるか、魔境のボスのお仕事じゃ。これで帰り道は無くなったも同然…あとはゆっくりとここで暮らしてくたばるのだ」
小柄な見た目に反し凄まじい肩の力を思わせる軌道を描いて、キーは飛んでいってしまっていた。俺は慌てて駆け出そうとするが、ふと片手に違和感があって、握っていた右手に目をやる。
「?……あれ」
そこには飛んでいった筈のキーがある。どういう訳か、無事に戻ってきてくれたのだった。
「こ、これは、家に置き忘れても取りに戻らなくて済むやつだ…!」
異世界の紛失防止仕様すごいな。なんでもあり。便利便利。
じとー、と不満タラタラに睨んでくるクソガキ少女ボスを無視して、ホッと胸を撫で下ろす。
次に試したのは、ガソリンもといMPの消費具合。「ステルス運転モード」にしたまま、ひたすら街中を走りに走って検証した。
デカい犬ことダスターウルフや、動く鎧ことリビングメイルが鼻先をうろつく中をまたもや移動するが、以前のような危機感は無かった。同乗した二人に大ウケで、楽しそうにしている様子を傍で四六時中聞いていたからだ。
「全然気づいてない。こんなにマジマジ眺めたのは初めてだ」
「フフフ、間抜けなものよの!こんな大声で話しとるというのに」
「あいつら武器の取り合いでケンカとかするんだ」
「仲間内とはいえ、一度敵と定めると死ぬまで試合うようだの。感心感心。それでこそ魔境の魔物よ」
何でも魔境やダンジョンの魔物というのは、外部から侵入してきた相手には須く、格上だとしても問答無用で攻撃するらしい。本来なら護身の為逃げ出すような相手であってもお構いなしに襲う。
なのでじっくり観察する機会は初めてだと言う。この中で一番魔物に疎いのに、何故かサファリツアーの係員になった気分だった。
そして肝心のガソリンメーター。休憩を挟みながら試した結果、ステルスモードを使い続けられるのはおよそ6時間と判明した。
「燃費わっる……あ、そうだ。MPてどうやって回復するんですか?」
「食べて寝るが一番だ。他には、魔力のポーションや回復の魔道具で早めることもできる」
そう言ってラスタさんはウエストポーチから指輪を出した。丸いミントグリーンの宝石がついた指輪だ。はめていると魔力の回復が早まる魔道具らしい。そんな物があるんだ。
あげると言ってくれたが、流石に遠慮した。タダで貰っていいものじゃないだろう。高そう。
それから、いまいち使い道のわからない猫型ティッシュカバーをラスタさんに鑑定してもらった。
「島屋家愛猫ピコくん型・車検受付口」
年に一度命を宿し、スキル所持者に車検の案内を行う。
1年間で生じた車体の不具合を修復できる。
どこまで修復できるかは、支払う金額に応じる。
また、ボディの変更・カーナビ機能の追加等の改変も可能。やはり支払う金額に応じる。
使用後は元のティッシュカバーに戻り、また一年後に発動する。
「何と……お主の故郷では、ぬいぐるみに命が宿るのか?」
「いや、全然そんな事は…」
「どちらにせよこれが使えるのは、随分先のようだ。それに、うんと金が要る。シマヤ、所持金は?」
「ゼロです」
「そうか……」
ラスタさんは無言で思案中。一方のラスボス少女はピコぐるみをしげしげ眺めている。
あんな訳のわからないモンスターがいる世界だ。ちょっとした傷どころか、ボコボコのスクラップにされてしまう可能性は大いにある。そうなっても、お金さえあれば修理ができるというのか。
「魔法やら何やらがある世界も、結局は金が重要なんだな…」
ここから出られたとして、どうやって生きていこう。資格も戸籍もない人間が、真っ当な職に就けるだろうか。日銭稼ぎで生きてく感じかな。
「やはりシマヤがここを出るには、レベルを上げる必要があると思う」
やがてラスタさんがそんな事を言い出したので、俺は慌てて首を振った。誠に遺憾である。
「え、いや~…現実的じゃないですよ…」
「だって、今のクルマのままでは、空中にいるシマヤはどうやっても地上に降りられないだろう」
そうだけどもさ。レベルを上げた所でそれは変わらないじゃないか。
しかしラスタさんは、そうではないと否定する。
「適正レベルで使える『代行モード』があるだろう。それでクルマを空を飛ぶ魔物に置き換えるんだ」
それで飛んで降りればいい。
至極冷静に告げるラスタさんだが、俺は目が点である。
「そんな事できんの……?てかそれもう車でなくて飛行機じゃ…」
「なんじゃ?レベル上げとな。では親切なわしが、おぬしに見合った魔物狩りツアーを立案・計画してやっかの」
「シマヤが嫌なら、無理にとは言わない。でも気が変わったら、俺がレベル上げに付き合うよ。……だから間違ってもコイツにはついてくなよ」
くれぐれもと念を押して、親切なラスタさんは彼が世話する畑へ向かった。水やりの時間らしい。
それを見送っていると、ニマニマと楽しげに笑う少女ボスが聞いてもないのに魔物狩りツアーの詳細を話し出した。
「えーと、空を飛ぶ魔物であったな?手始めは庭園に巣食うヘルパピヨンの群れに放り投げようか。おおそうだ、近場にはジズどもがおったではないか。それを制したなら…ドラグーンメイルとの一騎討ちなんてどうだ?」
よく分からんけど、殺す気満々じゃねーか。怖いよ。
しかしそれが逆に頭を整理させてくれた。
今、自分の傍には戦いのプロがいる。この先何が起きるか分からない事を考えれば、ラスタさんの元でレベルを上げらるのは、むしろ願ったりではないか?
だって、自力でレベル上げなんて絶対に無理だ。こんなチャンス、きっともう2度と来ないぞ。
うん、よし。やったろかい。
…しっかし怖いな。ヤバそうだったら、全力で逃げよう。どうもあの人、一般人の感覚持ってなさそうだからな。素知らぬ顔してスパルタな真似してきてもおかしくない。
「それにしても、代行操縦運転モードって……一体何をどうすんだろな」
無事にレベルを上げなければ、その辺は分からなさそうだ。
俺は運転席でカーナビの画面を眺めながら、しばしそんな事を考えた。いつの間にか、助手席には期待顔の少女ボスがおさまっている。
リクエストに応え、遠回りでドライブして帰った。